月負いの縁士

兎守 優

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9.醒めぬ夜のララバイ

98 強き者への信仰

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 月が輝く熱帯夜。冷えない外気で空は心なしか煙るようにもやがかっている。熱風を伝って、ゆらゆらと不気味な歌声が流れ出した。
『ユメ、ユメ、ヨイユメ。ユメニヨエ』

 真夜中になる前の時間。町から音が消え、辺りは静寂に包まれている。
「やけに静かだな」
 人の臭いが薄くなっていく深夜は、成清の鼻も冴え渡る。月喰いの臭いをかぎながら、彼が辿りいた先にあったのは、さらった人間を食おうとする異形の化け物の姿だった。

「……やめろ」
『ヨイユメ、ネルコ』
 人さらいの月喰い──ガヴァージュウィッチ。長月の当主の影斬刀かげきりとうでないと致命傷を与えることは敵わない存在。だが、成清は臆することなく、影斬刀かげきりとうでそれをなぎ払う。瞬く間に、月喰いの影が散ってホロホロと燃えカスになり、消えていった。

「あんた、大丈夫か?」
 今しがたフルムーンイーターに食われそうになっていた男は、座りこんだままギョロリと目をむき、血相を変えて憤った。
「なにすんだよ! フルムーンイーターに会えば願いが叶うって、せっかくのチャンスを……」
「おい、誰の入れ知恵だ。そんなことあるはずねえだろ」
 成清は男のあきれた言い分に、ついカッとなったが、影斬刀かげきりとうを収めながら、同時に感情を抑えこんだ。

颯葵そうきの本に、書いてあったんだ。みんな知ってる!」
「願いなんてもんは自分で叶えろ。他力本願なんてもんは、ぜってぇ実らねえんだ」

 男を市街地へ追い返し、月喰いの討伐があまりにもあっさりと片づいてしまい、成清は妙に体力を持て余していた。疲れを感じなかったため、短時間だけ眠り、さっさと家を出る。
 早朝になっても、外は蒸したままだった。陽惟の生存報告がてら在り月に顔を出して、朝食を摂り、彼は十二月しわす学園に向かっていた。

 成清の頭の中は、幻の夢と月喰いの良からぬうわさのことでいっぱいだった。「そんなところでずっと立って待ってたの? もう!」と声をかけられるまで彼は、教員寮の前で立ち尽くし、ずっと考えこんでいた。

「待たせたね、成清くん」
 「すみません、お忙しいところ」と断り、さっさと成清は布施ふせに用件を告げる。
「颯葵の『フルムーンイーター』には、影斬り以外の人間に暗示がかけられるような罠でも仕掛けてあるんですか?」
「フルムーンイーターに会えば願いが叶うって話でしょ。違うよ、彼らは魔物信仰に取り憑かれてしまっただけだよ」
「先生の耳にも届いているっていうことは、被害者がそれなりにいるんですね?」
 ふぅと布施ふせはため息をつく。

「人間は皆、弱いんだよ。強いものに惹かれるのは致し方ないことなんだ」
 彼は至極当たり前のことだと言わんばかりにつぶやく。
「より強い方にいれば、より多くの望みが叶う。強者に従うというのはそういう訳だ」
「俺はまだまだ弱いです」
 成清はたとえ自身より強い者が現れても、誰にも従わないだろう。布施ふせはそんな孤高で不器用な教え子の身を少しばかり案じていた。

「僕から言わせてもらうと、君はかなり強いと思うけどね」
「俺は……いつも大切な人を守れない」
「成清くーん、あんまり思い詰めちゃダメだよ。立華たちばな先生に報告するからねー」
 「たまには恋の相談とかしてくれてもいいんだよ?」と布施ふせは冗談めかして、成清の様子をうかがう。

「いや、ねぇーっすわ」
 苦笑して、彼は一礼すると、布施ふせの元を去った。


 日が落ちる頃、成清は見知ったニオイを嗅ぎとった。
「成清くん」
 郁は成清とは違って、町で知り合いを見かけても無視をしない性分だ。だから、彼を見つける度に、彼が口にする前に、郁は名前を呼ぶのだ。
「……ルカオ」
 成清に微笑んでから、郁は何事もなかったかのように笑って、じゃあねとすれ違う。彼はいつも変わらない。どんなにひどいことをされても、相手のことを無下に扱わないのだ。

「気持ち悪ぃ奴」
 少しだけ、成清は自分が笑っていることに気づいて驚く。ざわりと彼の胸の内に、違和感が下りた。
『センセイ……オキテ』
 成清はなんだと振り向く。口の端が左右に大きく引っ張られ、せせら笑いとともに、あごがどこまでも落ちていく錯覚に彼は陥る。顔の皮膚をあちこち摘まんでみても、彼の顔は一切歪んではいなかった。

「イロハ……」
 郁は聞こえた音を反芻して、バタリと倒れた。
「ルカオ!」
 空間がうねり、耳障りな嗤い声が波紋を広げていった。
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