月負いの縁士

兎守 優

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9.醒めぬ夜のララバイ

95 揺るぎなき意思

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 カンカン照りの道を歩き続け、彼はその足で、裏月第二位である如月きさらぎ一門に座す、梅見うめみの屋敷へ向かう。
 門の前で打ち水をしていた木乃目このめ結人ゆいとは人の足音に気づき、顔を上げた。

「お嬢はいないよー、成清くん」
「何するんだい。離しな!」
 成清は振り返って声がした方を差した。彼が今しがたやってきた道の向こうで、桃色の髪の女性が声を荒げていた。

「あれ、そうじゃないですか?」
 結人は柄杓ひしゃくを放り出して、成清の横を風のごとく通り過ぎていく。梅見丹那になと言い争う男の家紋を目に入れたが、彼は臆することはなかった。

「ちょっと君。誰だか・・・知らないけど、お嬢に手を出すならこっちだって本気、出させてもらう」
「おーこわ。この紋見ても怯まないとか、さすが梅見の従者ってか」
 男の影斬かげきり刀の柄には、ロウバイの花の家紋が刻まれていた。裏月でその家紋を知らない者などいなかった。その家紋は、裏月一位、睦月むつき一門の‪睦樹むつき家のものであるからだ。

睦月むつきの紋……」
「そうそう少年。俺は‪睦樹むつき三葉。君はなんか影斬りっぽそう。知らないけど」
 「もの覚え悪くて~」と三葉は成清に向かってケタケタと笑っておどけて見せた。

「ふんっ! 全くいつまでいるんだい。帰りな、畜生が」
 あっちに行けと丹那にながブンブン振り回す腕は、三葉には全く当たらなかった。成清は三葉のことを横目で見つつも、用があるのは丹那になだったので、三葉のことは視界から外して彼女に向かって乱暴に呼びかけた。

「おい、梅見。陽惟さんのこと、なんか知ってるか」
「あのね、成清くん。お嬢のこと、呼び捨てはやめて欲しいかな、うぐッ」
 丹那になが振り回した手は、結人に直撃してしまう。彼は顔面を覆って、大げさに痛がる振りしてうずくまった。

「知らないよ。時雨のところにいるんだろ」
 成清が口を開こうとすると、三葉のドスの利いた声が飛んだ。残暑で蒸す気候なのに、急に彼のまとう空気がひやりとして、身震いを覚える畏怖が各々の体を伝った。

「おい、警告だ、梅見丹那にな。やめておけ」
睦月むつきの落ちこぼれに指図される覚えはないよ」
「こっちに貸しがあんだろ、お嬢サン。わかってんだろ」
 顔を上げた結人から表情が消える。彼が構えもなく刀を抜く寸前で、三葉はパッと手を挙げておどけた。

「あはー、やべえ。つい熱くなっちった。はじめ様に怒られるぅー。そんじゃ!」
 うるさくワーワーと騒ぎながら、三葉は彼らの元を去っていった。彼の姿が見えなくなると丹那になは舌打ちを鳴らして、誰に言うでもなく吐き捨てた。

「ああいうのが一匹でもいると、やりにくいだろうにねえ」
「お嬢、お怪我は」
 結人の心配を丹那になはスルーしていく。がっくりと肩を落とすのに、どこかうれしそうな結人を見て、内心、気持ち悪ぃとつぶやき、成清はまた身震いした。

「そういや、‪宇津木うつぎのこと、なんか知ってますか?」
 「お? やっとわかってくれた。成清くんは態度さえ良ければいい子だよね」と結人が手を広げると、成清はパッと飛び退いた。先ほどのような気色悪さに触られるのはごめんだ。話しかけなければよかったと成清は後悔した。

「やっぱいいです。帰ります」
「宇津木さん、なんかあったの?」
「最近、ジジくせえ臭いがしねーなって思っただけです」
 成清はスンと鼻を鳴らした。半身振り向いて結人にたずねる。

「いつものあの人、居ないんですか?」
 成清の知らぬ間にいつも姿を現しては消える、もう一人の従者が見当たらないのだ。
「あー、こうきのこと? 体弱いから寝込んでるんだよねー」
「そーすか。お大事に」
 成清はそれだけ言うと、飛ぶようにしてさっさと帰ってしまった。

「やっぱ、成清くん。口さえまともに利ければ、ねえ」
「弥生堂が空だっていうのは本当かい?」
 いつの間にか丹那になが隣に立っており、結人は内心、心臓が飛び上がる思いだった。
「いや、正直、はっきりとは。守護の門のガードも堅いですし」
「弱ったねえ。刀が錆びつくよ」
 丹那になは細い指で影斬刀かげきりとうの柄をなぞった。ウメの花が刻まれた家紋を見ると結人は、今でも複雑な思いを抱くのだが。

「へへい。わかりやした」
 遠い地で丹那になこうきは二人で死線をくぐり抜けてきた。その固く結ばれた絆のなかに、自分は永遠に加わることはできない。

 人質となっていた妻子を連れ帰ると梅見の前当主・如月きさらぎ双天そうてんは、自分が戻らなければ結人を如月きさらぎの当主とする遺言まで書いて、混迷の京兎きょうとへ赴いた。しかし、娘と彼女の幼なじみの二人しか連れて帰ることは叶わなかった。当主である双天そうてんの地位が揺るぎ始めた大きな事件となる。

 双天そうてんの亡きあとは、如月きさらぎでの結人の立場は弱いものだった。当主の座を受け継いだ、双天そうてんの娘である丹那になの言葉が結人は今でも忘れられない。

『お前たち、誰に向かって口を利いてるんだい。親父が当主に名を上げた男だ。結人への侮辱は、前当主の娘のこのあたしが許さないよ』

 彼女の言葉が肩身の狭い思いをしていた結人を救った。だから、この先、彼女の身にどんな災厄が降りかかろうとも、こうきとともに、彼女が歩む道を守っていくと、結人は心に固く誓っている。

双天そうてん様。俺、やりますよ、絶対」
 結人は空に向かって手を振る。カラカラとよく晴れた、亡き前当主を思わせる空模様だ。眩しい陽光に咎められている気分に彼はなった。降りそそぐ陽を遮りながら、成清が去った方をしばらく見つめてから、やがて彼は屋敷へ戻っていった。
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