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9.醒めぬ夜のララバイ
94 繋がれた思い
しおりを挟む伸ばせども天井に手が届かない。なにもかも、遠くて、なかなか辿りつけない。小さくて弱くて、得たものは指をすり抜けて、手繰った縁の先は、千切れたものばかりだ。「あー」と天井に声を投げ、成清は左手で顔を覆う。
「胸くそ悪ぃ夢だ」
異質で弱い自分が、他者と縁を結んでいられるはずなどなかった。仮初めの家族を失い、幼なじみの行方も掴めず、親友となれるはずだった恵門との縁は切れ、償うことの叶わない紅染の罪証を瞳に宿して、成清は生きて生きて、もがき続けることしかできない。
「陽惟さん、もう起きたか……? 甘味、補充しねぇーとまたくたばるからな」
くだらない理由にかこつけて、その実は到底償いきれない贖罪のため、成清は陽惟の世話をしていた。
彼が成清のために与えた柵なのだと、彼にはわかっていた。他意があったとしても、自発的だとしても。月喰いのかたまりから幼い成清を助けて、自身ごと光で灼き、陽退症を患い、衰弱していく陽惟を放っておくことなど、成清にはできない。
「時雨さん、あの陽惟さんは……」
「私にもわかりません。弥生堂にも戻られていないようで……」
成清も栞奈も二人して、互いに話の間も、相手の反応も待たずにさっさと進めてしまう質だった。
いつもの流れでカウンターの奥に行こうとしていた成清は「え?」と立ち止まった。栞奈が顔を伏せておろおろとしていたからだ。陽惟が失踪したなんて、冗談だと真に受けなかった成清は、「そんなはずは……」とこぼした。
「陽惟さんが甘味なしで生き延びられるわけがない。なんかぜってぇヤバいことに巻きこまれてる!」
「成清さんは立華さんのことをいったいどうお考えなのでしょう」と栞奈はため息をついた。二人の会話も温度差もいつも噛み合うことはない。互いに特段相性など気にせず、かといって相手を疎むこともなく、成清の方は散らばる匂いを嗅ぎ集めて、陽惟の足取りを探っていた。
「なんか、色んなところに陽惟さんの匂いが散ってるんですが、甘味を物色したのか……?」
「お目覚めになったのでしょうが、行き先も告げずに……たいへんな目に遭っていないか、心配です」
店のものに勝手に手をつけられたかもしれない、陽惟の仕出かしは不問なのかと、成清は内心苦笑いした。
「わかりました。たぶん、地下ですよ。俺、見てきます」
栞奈の返事も待たずに、カフェ・在り月を出て、日照りの道を成清は歩き、弥生堂へと向かう。道行く人はダラダラと汗をかき、残暑にあえいでいるが、彼の歩く速さは変わらなかった。
暑さでよりいっそう草木が濃く匂う夏は成清にとっても苦手である。弥生堂へ赴く際は、様々な臭気で彼の鼻は疲弊してしまうのだ。
「陽惟さーん、入りますよ」
だから、ぐったりとしていた成清はそのニオイに気がつかなかった。途端にドタドタと足音が聞こえ、陽惟にしては元気だなと内心思いつつ、ひどい臭気にげっそりしながら彼は書棚の間を進んだ。
「なる、せ! よかった、戻ったか!」
「紫門さん? え?」
二人はしばらく見合わせ、目を瞬かせた。居間にはもう一人、寝転がっている者がいるのを成清の目は捉えた。
「今夜には礼門を叩き起こしてここを出ようと思ってたから、ちょうどよかった」
「そっすか」と成清は一言つぶやき、うつむく。紫門が避けて居間に上がれるように道を譲るのに、成清の体はそちらへは向かない。苦手な臭気の漂う、地下に足を向ける手間が減ったと彼はすぐに背を向けてしまう。
「成清、どこ行くんだよ」
紫門は成清を無理やり引き留めようとはしなかった。彼の背負う闇と自責の念は、他人がどうこうしてやれるものではない。
それでも、切れてしまった縁が一つ、また繋がった。成清の中で様々な思いが巡るが、彼にとって大きな問題が解決できたわけではなかった。
「ま、いいです。俺が強くなりゃ、全部解決しますし」
ここで振り返って立ち止まってなどいられない。木陰や茂みに身を潜めるうさぎたちの視線を集めながら、成清は見つめてくるものたちに気づかぬ振りをして急ぎ足で弥生堂を去った。
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