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7.彼は誰時のエレジー
83 代償
しおりを挟む街中で懐かしい香りを成清は嗅ぎとって振り向く。涼しげで、どこか切なさを感じる匂いにつられて、彼の足は動く。
花屋の前まで来て立ち止まったが、これではないと成清はまた歩き出した。
町から外れ、木立の中へ。そこへ近づくにつれて、成清の心臓は早鐘のごとく、激しく打っていく。
規制線のロープは朽ちていた。敷地の中に立つ半壊の建物――文月の屋敷は荒れ果てている。中の遺体は一体だけ運び出されただけで、この屋敷にどんな呪いがかけられているのか不明のため、現在も封鎖され、手つかずのままであった。
生暖かい風が吹いた。凍りついた日の記憶が一かけ、パキンと音を立てて溶けた。
誰も知らないその刻に、彼はいつもなにかを口ずさんでいた。気配を気づかれない距離で聞き耳を立てるから、なんと歌っているのか、成清にはわからなかった。本当は啜り泣いていただけだったのかもしれないと、振り返って彼は思う。
焦茶色の長い前髪からのぞく、紅茶の色をした揺らめく瞳。詰め襟のシャツに濃紺の羽織。抱えきれないほどのなにかを抱えてなお、微笑んでいた彼。遠慮がちにうつむき加減で佇むその姿を成清は、忘れることはできなかった。
「……恵門」
あの日の後悔にさいなまれ、何度、彼が生きていたらと願って泣いたことだろうか。兄弟と離れることになってしまったが、家族が繋がっている証だという耳飾りを成清は、胸が痛む思いでいつも眺めていたことか。
家族も幼なじみも全て失った成清に、残された縁の証などなにもなかった。だから、彼は恨みがましく思いながらも、羨望の目でその証を目に捉えていた。
あれほど気にかけていた髪飾りがないことに成清は気づいた。あれと似た髪飾りを右耳に下げ、形見を抱いて泣き、燃えるような憎しみの目を向けられたあの日のことを成清は思い出した。
赤い視界に捉えた、あの変わり果てた姿が成清の記憶を駆けめぐる。痛みが広がっていく。意識は薄れていく。なにか言わなくては。そう思うのに体は重く、成清は深いよどみに沈んでいった。
雷が落ちる。微睡みから栞奈は目を覚ました。戸締まりを確認しなくてはと、自室を出る。陽惟が体を休めている寝室を訪れ、空の布団を前に彼女は棒立ちになった。店へ出るとカウンターには、紙袋と空の容器が。
「立華さん……?」
窓の外はざあざあ降りで、ごうごうと風が騒音を奏で、地を揺らすほどの雷が鳴っていた。
七 彼は誰時の挽 歌 ─完─
八章へつづく
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