月負いの縁士

兎守 優

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7.彼は誰時のエレジー

80 氷晶の真相②

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「笑ってんじゃねぇよ」
 郁のほおが切れて血がつーっと滴る。成清は目を見張った。自分が突き立てた刃から、溢れ出した鮮血が顔に飛び散った記憶がよみがえる。その場から彼は後ずさり、ついには逃げてしまった。

「成清くん……」
 ジンジンと痛むほおを郁は抑えた。追いかけようとする紫門を彼は止めた。
「成清くんは大丈夫じゃないから」
「なら、なおさら行ってやんないと……」
 郁は黙って踵を返した。紫門は郁のことを一人にはできなかったから、慌てて彼についていった。


 逃げた成清の足は在り月へと向かっている。早く歩くうちに、高ぶった感情が冷え、成清は考えた。陽惟に取り上げられたあの手紙を弥生堂から盗んだ奴がいるのだ。陽惟の無事をまずは確かめるベく、彼は在り月へのドアを開けた。
「成清さん。月見さんにもう来ないようにあなたからも言っていただけませんか」
 店の奥からすぐに姿を現した栞奈かんなはピリリとしており、気が立っている匂いを成清は感じていた。

「すみません。アイツとは今、話したくないです」
 さっき、傷つけてしまったばかりだった。友だちの死の真相を知って、郁はもっと傷ついただろう。こうなるから、陽惟が衛からの手紙は秘匿すると成清から取り上げのだ。あれほど案じていた陽惟が持ち出したとは考えにくい。彼は墓場まで持っていくつもりだっただろうから、それはあり得ない。

「それより、陽惟さんは?」
「まだ眠っておられますが」
 陽惟が存命なら、弥生堂の守護の門は有効なはずだった。あの強固な守護を破れる者は、裏月にとって脅威でしかない。言ってよいものか、思案しながらも、成清は栞奈かんなに端的に事実を告げた。
「弥生堂に入られたみたいなんだ。もしかしたら、陽惟さんの守護の門が緩んでるのかもって思って」
「念のため、私が確認してきます。成清さんは立華たちばなさんを看ていてください」

 成清がうなずく前に栞奈かんなはさっさと店を出て行ってしまった。彼女に見ていろと申しつけられた成清は、在り月の奥の部屋、陽光が差さない、真っ暗闇にたたずむ。
 暗がりに目が慣れる頃、寝息も聞こえない陽惟がそこに臥せっているのだと、彼のとび色の目にその姿が映る。眠っているとはいえ、昏々と眠る陽惟を前にすると、成清は気まずくなって落ち着かなかった。

 起きていれば、げんこつの一発ぐらい、お見舞いされただろう。先刻、郁を傷つけてしまったことを成清は懺悔しなければならない気持ちになり、やがて静かに話し始めた。
「親父……俺、ルカオを傷つけた」
 悪いことをしたなら、早く謝りなさい。相手が存命なうちにさっさと済ませろと、陽惟は言うだろう。命にも時間にも限りがある。また、人の命はいとも容易く散ってしまうのだから、と陽退ようたい症で死にかけの陽惟が言えば、成清は納得するしかなくなる。

「怒りが、衝動が抑えられねぇ」
 彼は自身が衝動的に手を挙げてしまったのだと気づいていた。月喰いに襲われる前からずっと、己のうちにとどろく魔物をやりこめるのに、彼は苦心していたのだ。
「俺、どうしたら……また同じことをしちまうかも……」
 急にふさあと白い毛玉が成清の足元で立ち上がった。にゅっと現れたうさぎ――もち丸と成清は目が合う。

「ヒッ! うさころ、なんでいんだよ!!」
 顔面にもち丸の足蹴りがクリーンヒットで入る。慌ただしい足音が廊下を駆けめぐる。店の戸が開くともち丸は一目散に飛び出してしまった。よろめきながら在り月の店の方へ出てきた成清を見るなり、栞奈かんなはなぜという顔をした。

「成清さん、その顔の痕は?」
「もち丸に蹴られた」
「それで、守護の門でしたが、問題はありませんでした」
 もち丸に蹴られたことは栞奈かんなにとってどうでもよかったのだと成清は少々チクリとしながらも、弥生堂が安全だと聞いて、緊張を緩めた。
「じゃあ、いっか。よくもないけど。今夜のフルムーンイーターに注力します」
「今夜は雨になりそうですよ」
 「どーも」と成清は短く返す。栞奈かんなと入れ替わって、彼は在り月を出た。

「玄関にふさっこいのがいたぞ」
 郁の家に戻ってきた紫門の背後から、にゅっともち丸が顔を出した。
「わぁ! もち丸ー!」
 もち丸はとても興奮した様子で、うぴょーんと郁の胸にダイブする。郁もよしよしと抱きこんで、もち丸がひとりで会いに来てくれたことをよろこんだ。
「なんだか天気悪くなりそう」
 郁は不安そうに空を見上げる。雨が空から落ち始めてきた。もち丸を抱え直して、彼は家に戻っていった。


「こんな雨の中、どこへ行くんだい?」
 「今晩は。月見の旦那!」と紫門ははつらつと満生みつおに返した。
「あたしの務めを果たしに行くだけさ」
「紫門君、影斬り……なんだろう」
「違いますよ、あたしは」
 紫門は苦笑して振り向き、満生に答えた。

「ただの‪一二三月ひふみつき紫門です。憎めないかわいい弟……礼門れいもんの姉」
「それなら、こんな夜の雨の中、行くもんじゃないよ。弟さんが心配するだろう?」
「そうかもな……でもさ」

 紫門の脳内に浮かぶのは、不器用で強い振りした人一倍さみしがり屋な、影斬りの姿だ。彼の背負った代償はあまりにも大きすぎて、今にも潰れそうで不安定なのだ。彼女にとって、礼門と同様に気にかかる存在だった。

「もういっこ、手貸してやりたい奴がいんですよ」

 恵門と肩を並べられたであろう、彼。生きていれば、いつかわかり合えて、互いに支えとなっていたに違いない。

「じゃ、ちょっくら行ってきます」
 あの日から、ずっと雨が降っていた。彼女の心の内は晴れないままだ。果てない降りしきる雨の中へ、紫門は早足で飛び出していった。
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