月負いの縁士

７．彼は誰時のエレジー

77 お見舞い

　暗闇の室内で眠り続ける‪陽惟はるいをじっと見つめている者がいた。時雨しぐれ栞奈かんなである。彼女は店のベルが鳴るまで微動だにしなかった。小さくため息をこぼして、彼女は扉を閉めきり、店のホールへと向かった。

「弥生堂にはいらっしゃらないと聞いて」
　栞奈かんなは郁かおるの隣に立つ人物を見て、目を見開く。彼女が陽惟から聞かされていた、黒い結髪、濃い赤紫色の瞳、耳飾り。それは姉と弟の影斬り――一二三月ひふみつき紫門しもんと礼門れいもんの特徴だった。
「あなたは……紫門さん？」
「おう」
「お目覚めになったのですか！」
「そんなに寝てたのか、くあーっ」
　紫門は髪をかき撫ぜながら、大きくあくびをした。

　「あ、あの……陽惟さんは」と郁が縮こまっていると、紫門が彼の背中を押した。しかし、栞奈かんなは表情を固くして答えた。
「立華たちばなさんは確かに私がお預かりしておりますが、お会いさせる訳にはいきません」
「そんなに良くないのですか」
「……」
　栞奈かんなは無言で突き通そうとした。紫門はうしろで「えー、なんでよ」と言う。

「一目ぐらいよくない？　郁は弥生堂から在り月まで焦って来たんだからさあ」
「僕のせいで」
「ええ。そうです。あなたのせいです」
　その先を栞奈かんなはピシャリとさえぎった。
「あなたのせいで、立華たちばなさんは目覚めないんです」
「それなら僕が」
「お引き取りください」
「でも、僕、」
「私が」
　栞奈かんなが語気を強めた。

「私の方があなたよりも、成清さんよりも、長く彼を見てきたんです。わかりますか」
　「ちょっと時雨さん、あんた、」と口を挟む紫門に言葉を被せ、栞奈かんなは言い放つ。
「月見さん。立華たちばなさんから手を引いてください。二度と彼の前に姿を現さないでください」
「さすがに口が過ぎる」
「紫門さん、大丈夫です」
　郁は無理やり力なく引きつった笑みを浮かべて、紫門の方へ振り向いた。

「お願いですから、もうこれ以上、立華たちばなさんを……苦しめないで」
　郁は栞奈かんなの言葉を聞き届けるなり、持ってきた手土産を放り出して在り月を飛び出してしまった。
「事情はよくわかんないけど。あんたも大変なんだな」
　紫門も彼のあとを追ってすぐに店から出て行く。栞奈かんなは郁が落としていった手提げ袋を拾い上げ、カウンターに置き、何事もなかったかのように、さっと踵を返して店の奥に戻っていった。