月負いの縁士

兎守 優

文字の大きさ
上 下
74 / 121
6.暗夜を惑うソーン

74 特効薬の可能性②

しおりを挟む

 成清がナースコールを押した。すぐに運ばれていく陽惟に、栞奈かんなはついて行く。郁は成清の病室に取り残された。
「陽惟さん……僕のせいかな」
「余計なこと考えんな。ルカオだって満身創痍だろ、今」
「疲れてるんじゃなくて、ざわざわして変な気分」

 なにもかもが宙に浮いていて、郁は落ち着かず、気持ちの整理がつかないでいた。昨晩の記憶もあいまいで、成清と陽惟の無事を確かめられたが、陽惟は気を失ってしまい、今、残された自分になにができるのか、彼にはわからず、混乱と不安でいっぱいの気持ちを抱え、そわそわとしていた。

「ルカオ。もしかして他に兄弟とか家族とかいるのか?」
 家族、兄弟。その言葉を頼りに、彼が記憶を辿ると今までよりも鮮明な糸がピンと張った。郁の記憶の声が、『兄さま』と呼んだ。おぼろげな記憶の手には、三角のお山が乗せられている。その味と形と匂いを思い出して、郁は涙を流した。

「し、ろい……」
「ルカオ?」
「あれは〝おにぎり〟だったんだ」
「大丈夫か、ルカオ」
 寒くて暗い場所でなぜか、体の真ん中が温かくなる心地に、誰かの音が混じる情景を郁は思い起こしていく。

「おにぎりをいつも食べてた。真っ暗で心細かったけど、温かくて、優しい笑い声がして……ッ」
 「あの味、似てた」と郁はぼーっとしながら、つぶやく。
「なに言って、どうしたんだよ、おい」
「い、痛ッ」
 郷愁の思いは、突然襲ってきた激痛に寸断された。腹を押さえこむ郁を見て、成清は自身の記憶の渦に引きこまれていく。

 腹からトクトクと溢れてくる黒いかたまりから手が生える。上に突き出そうとして力尽き、前へ前へと伸ばすことしかできぬ、夜に汚れた手。壊れた機械と獣が混じった声で、なにかを口にしながら、ソレは最期まで息をしていた。

「出てけ」
 成清がソレに向かって低くうなる。郁は彼の様子に気づいて駆け寄ろうとした。
「なるせ、く」
「今すぐ出て行け!」
 鋭い怒号に肩を振るわせ、じわりと涙をにじませながら、郁は病室から出ていってしまった。

「死んだはずだ。おれがこの手であの忌子きこを……。だから、……いや他に兄弟が居た……?」
 汗だくになって疲れきった成清は、郁がいないことに気づく。また、彼を傷つけてしまった。彼はここにはもう戻らない。どうしようもないことだ。
 到底償えない罪がまた一つ、穢れた縁に絡みつく。やがて全身を這うほど太く長く伸びて、最後は首を絞め、死しか償いの道がなくなってしまうかもしれない。彼はドアに背を向けて寝転がった。布団を頭からかぶって、彼は身を縮めていた。

 病室を飛び出した郁はこぼれそうな悲しみを抱えて、病室の前の廊下をおぼつかない足取りで歩く。近づいてくる背後の足音に気づくと同時に、彼は身動きが取れなくなり、やがて意識を失った。
「これで陽退ようたい症をなかったことにできる」
 男がぼそりと口にして、口の端を歪める。気を失った郁はすぐにストレッチャーに乗せられ、運ばれていった。


 ネームプレートに書かれた、一二三月ひふみつき紫門しもんという名前。機械音とわずかな呼吸音しかしない病室。固く閉じたままのまぶたがぴくりと動いた。
 薄く開かれた赤茶色の瞳は、徐々に大きく見開かれた。

「あ、え……?」
 擦れた声しか出せない彼女は、のどの皮を摘まんで絞り出そうと動き、腕に繋がれた管に気づく。隣で同じように管に繋がれ、苦しそうにしている人を見て、その先が自分に繋がれていることに彼女は目を見張った。

「い、い」
 紫門の発した声にわずかに反応を示し、隣の人物――郁はやがて目覚める。
 彼は苦痛に表情を歪めながらも目を瞬かせた。彼女は以前どこかで会った人物にとてもよく似ている気がしたからだ。そして、おそらくは成清が頼みこんできた渦中の人物に相違ないと郁は確信した。

「あなたが、紫門さん」
「う、ん」
 彼女は半身起こし、辺りを見回す。彼女の視線はサイドボードに定まった。机上に置かれた耳飾りを見つめ、悲しそうにうつむき、それを自由になった手で掴み取り、握りしめる。

「え、いもん」
 起き上がろうとする紫門を郁は慌てて制する。しかし、自身もズキンと体が痛み、郁は手を伸ばせないまま、ベッドの上で体を折った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

早く惚れてよ、怖がりナツ

ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。 このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。 そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。 一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて… 那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。 ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩 《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

【完結】薄倖文官は嘘をつく

七咲陸
BL
コリン=イェルリンは恋人のシルヴァ=コールフィールドの管理癖にいい加減辟易としていた。 そんなコリンはついに辺境から王都へ逃げ出す決意をするのだが… □薄幸文官、浮薄文官の続編です。本編と言うよりはおまけ程度だと思ってください。 □時系列的には浮薄の番外編コリン&シルヴァの後くらいです。エメはまだ結婚していません。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

哀夜の滅士

兎守 優
BL
縁を接げぬ君に、癒えぬ傷を残して 言われなき罪過を背負った四面楚歌の影斬り、永槻界人は裏月の影斬りを養成する専門機関・十二月学園で教師としての社会貢献を言い渡される。 仮の縁を結んだ相手で寮長の布施旭、界人の同僚で監視役の荻野充、梅見一門の落ちこぼれの影斬り・梅津雄生、旭の養子で学生の実希、奇妙で歪な縁で結ばれた彼らと界人は教員寮で生活を共にしていく。 大罪を犯したとされる彼を見る目は冷たく、身に覚えのない罪で裁かれる運命にある界人は、死力を尽くして守り通した弟・郁のことが気がかりな日々を送っていた。 学園で起こった不審な事件を追ううちに、 やがて界人は己の罪の正体へ近づいていく。

処理中です...