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6.暗夜を惑うソーン
74 特効薬の可能性②
しおりを挟む成清がナースコールを押した。すぐに運ばれていく陽惟に、栞奈はついて行く。郁は成清の病室に取り残された。
「陽惟さん……僕のせいかな」
「余計なこと考えんな。ルカオだって満身創痍だろ、今」
「疲れてるんじゃなくて、ざわざわして変な気分」
なにもかもが宙に浮いていて、郁は落ち着かず、気持ちの整理がつかないでいた。昨晩の記憶もあいまいで、成清と陽惟の無事を確かめられたが、陽惟は気を失ってしまい、今、残された自分になにができるのか、彼にはわからず、混乱と不安でいっぱいの気持ちを抱え、そわそわとしていた。
「ルカオ。もしかして他に兄弟とか家族とかいるのか?」
家族、兄弟。その言葉を頼りに、彼が記憶を辿ると今までよりも鮮明な糸がピンと張った。郁の記憶の声が、『兄さま』と呼んだ。おぼろげな記憶の手には、三角のお山が乗せられている。その味と形と匂いを思い出して、郁は涙を流した。
「し、ろい……」
「ルカオ?」
「あれは〝おにぎり〟だったんだ」
「大丈夫か、ルカオ」
寒くて暗い場所でなぜか、体の真ん中が温かくなる心地に、誰かの音が混じる情景を郁は思い起こしていく。
「おにぎりをいつも食べてた。真っ暗で心細かったけど、温かくて、優しい笑い声がして……ッ」
「あの味、似てた」と郁はぼーっとしながら、つぶやく。
「なに言って、どうしたんだよ、おい」
「い、痛ッ」
郷愁の思いは、突然襲ってきた激痛に寸断された。腹を押さえこむ郁を見て、成清は自身の記憶の渦に引きこまれていく。
腹からトクトクと溢れてくる黒いかたまりから手が生える。上に突き出そうとして力尽き、前へ前へと伸ばすことしかできぬ、夜に汚れた手。壊れた機械と獣が混じった声で、なにかを口にしながら、ソレは最期まで息をしていた。
「出てけ」
成清がソレに向かって低くうなる。郁は彼の様子に気づいて駆け寄ろうとした。
「なるせ、く」
「今すぐ出て行け!」
鋭い怒号に肩を振るわせ、じわりと涙をにじませながら、郁は病室から出ていってしまった。
「死んだはずだ。おれがこの手であの忌子を……。だから、……いや他に兄弟が居た……?」
汗だくになって疲れきった成清は、郁がいないことに気づく。また、彼を傷つけてしまった。彼はここにはもう戻らない。どうしようもないことだ。
到底償えない罪がまた一つ、穢れた縁に絡みつく。やがて全身を這うほど太く長く伸びて、最後は首を絞め、死しか償いの道がなくなってしまうかもしれない。彼はドアに背を向けて寝転がった。布団を頭からかぶって、彼は身を縮めていた。
病室を飛び出した郁はこぼれそうな悲しみを抱えて、病室の前の廊下をおぼつかない足取りで歩く。近づいてくる背後の足音に気づくと同時に、彼は身動きが取れなくなり、やがて意識を失った。
「これで陽退症をなかったことにできる」
男がぼそりと口にして、口の端を歪める。気を失った郁はすぐにストレッチャーに乗せられ、運ばれていった。
ネームプレートに書かれた、一二三月紫門という名前。機械音とわずかな呼吸音しかしない病室。固く閉じたままのまぶたがぴくりと動いた。
薄く開かれた赤茶色の瞳は、徐々に大きく見開かれた。
「あ、え……?」
擦れた声しか出せない彼女は、のどの皮を摘まんで絞り出そうと動き、腕に繋がれた管に気づく。隣で同じように管に繋がれ、苦しそうにしている人を見て、その先が自分に繋がれていることに彼女は目を見張った。
「い、い」
紫門の発した声にわずかに反応を示し、隣の人物――郁はやがて目覚める。
彼は苦痛に表情を歪めながらも目を瞬かせた。彼女は以前どこかで会った人物にとてもよく似ている気がしたからだ。そして、おそらくは成清が頼みこんできた渦中の人物に相違ないと郁は確信した。
「あなたが、紫門さん」
「う、ん」
彼女は半身起こし、辺りを見回す。彼女の視線はサイドボードに定まった。机上に置かれた耳飾りを見つめ、悲しそうにうつむき、それを自由になった手で掴み取り、握りしめる。
「え、いもん」
起き上がろうとする紫門を郁は慌てて制する。しかし、自身もズキンと体が痛み、郁は手を伸ばせないまま、ベッドの上で体を折った。
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