月負いの縁士

兎守 優

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6.暗夜を惑うソーン

69 荊の縁

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 郁が陽惟の元をたずねてから、二週間以上が経っていた。在り月でのアルバイトを早く上がった彼の足は、弥生堂に向かっていた。成清に押しつけられた陽惟への土産を手に、郁は覆いをくぐった。
 陽光を完全に遮ってから家主を呼ぶ。陽惟はすぐに呼びかけに応じて、居間の戸を開けた。

「これ、成清くんからです」
 そう言って、しまったと郁はハッとした。先日迷惑をかけたお詫びと助けてもらったお礼をなにも持ってこなかったのだ。

「また改めてお礼とお詫びを……」
「いいのですよ、郁くん。また来てくださっただけで、私はとてもうれしいのですから」
 月光以外の光を見つめることのできなくなったその瞳は、忘れたはずの穏やかな日差しの暖かさをたたえている。彼の朗らかな笑みと柔らかい眼差しに郁は目を奪われた。
 向けられるこの眼差しの温かさは他の人からしか見えない。彼は自分自身で陽光を感じることはできないのだ。こんなに温かな人から、なぜ太陽が奪われてしまったのだろうか。

「僕、お菓子や料理、本の話、陽惟さんともっとしたいなって」
 来てくれてうれしいとよろこぶ陽惟は、誰かがたずねてくるまで、どれだけ孤独の暗闇で耐えていたのだろうか。物心ついた頃から自分とは縁がない、暗く冷たい場所でひとり訪問者を待ち続ける彼の境遇を郁は、なぜか他人事とは思えなかった。

「陽惟さんと話しているととても楽しいんです。だから、一緒にいるっていう約束をしたいです」
 気づくと郁は、約束を口にしていた。誰とも彼とも、深い繋がりを感じられない。その気持ちの正体をあの日、両親の優しい嘘の音を郁は知ってしまった。
 いつか、離れてしまうのだと、すべては仮初めなのだとしても、この人は、この人だけは離してはいけないと彼は強く思ったのだ。しかし、陽惟は目を伏せて、あきらめを口にした。

「約束……ですか。私と結ぶと、すぐに千切れてしまうのですが」
 きっと何度も、何度も、人と外界と繋がろうとしたのだろう。人が来れば歓待し、手を広げる彼は、近くも、遠くもない距離を常に他人との間に持っていたのだ。

「私の縁は短いのです。だから、すぐに切れてしまう」
 それなら、今度は自分が。たくさんの愛に守られている自身が、彼をいっぱい包みこめばいいのだと、郁は思い至る。

「じゃあ、何度でも結びましょう。切れたって、また何度でも」
「郁くん……」
「僕、陽惟さんのこと、ちゃんと向き合って好きになりたい。だから、これからも一緒に過ごしたいです」
 伸ばされた郁の手に陽惟はためらいがちに手を重ね、そっと包みこんだ。固く握りこんでから、泣き笑いを浮かべて陽惟は返事をした。
「ええ。よろこんで」

 それから二人は夕焼けの音が聞こえるまでお茶菓子とともに、二人の時間を楽しんだ。もっちりした白いういろうに、もったりと甘い粒あんがよくなじんだ水無月を陽惟は心底幸せそうに口に運んでいた。


 満月と新月の日に当たらなければ、週末頃になると成清は陽惟の元を訪れることを習慣としている。もちろん、目的は在り月の甘味の差し入れにだ。しかし、その役目を今は、郁に譲ってしまっていた。
 自分がたずねるより、郁が顔を出す方が陽惟はよろこぶのだ。現に、陽惟が外に行きたいと駄々をこねる回数も少なくなっていると、成清は気づいていた。

 それでも週一回の配達では甘味が足りなくなるので、スーパーで食材の買い出しついでに、寄りたくもないスイーツコーナーに赴き、見つくろっていくつか、かごに放りこんでいた。
 まだパックや容器に入っているだけ、スーパーの甘味はマシだったのに。なぜ、甘い香りで満ちる在り月でバイトをするなどと言ってしまったのかと、成清は深く後悔していた。

「成清くん。配達だって」
 店内に漂う甘ったるい香りにやられ、曖昧に返事をした成清は外を見て驚がくした。
「今からって、夜になっちまうじゃんか」
「でも、今日って新月なんでしょ。昨日、陽惟さんが『明日はお出かけできる』ってよころんでたよ」
「へーへー、そうでした。へーい」

 自分がそうなるように差し向けたとはいえ、二人が自分の知らないところで仲睦まじくしているのを成清は快く思えない。成清は陽惟には敵わないし、彼には頭が上がらない。
 だから、このときだけ、甘味地獄に耐えれば、郁と一緒にいられるのが、彼にとっては救いだった。

「妙に静かだな。鉄を叩く音がしないなんて初めてだ」
「そうだね。ピリッとした厳粛な雰囲気がする」
「あー、多分。わかった。継承の儀でもやるんだな、きっと」
「そんな大事な日にお邪魔じゃない?」
「まあ、炊事場に直に届けてとんずらすりゃあ、問題ねぇ、ヒッ!」
 振り返るとふさふさの白い毛のかたまりが足元にまとわりついていた。
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