月負いの縁士

兎守 優

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5.待宵のフィースト

56 痛む傷痕と口移しの縁

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 郁の痛みは日増しに強くなっていく。今はもう会えないまもる──いや、彼の生名は奏斗だ──になら、きっと打ち明けられたんだろう。そう頭に彼のことが浮かんだ瞬間、記憶がバラバラになっていく感覚を郁は覚えた。
 いつも袖が詰まった丈の短いジャンパーを着ていた青年。あの人は誰だっけ。どこかで会った気もするが、郁はもう思い出せなかった。

 誰に相談したらいいかわからず、彼はついに動けなくなった。お腹を抱えながら布団にぐったりと横になっていると、ドアを叩く音がする。
「郁ちゃん。お腹の調子が悪いの?」
「う、うぅ……」
 ドアの向こうから聞こえた恒子の問いかけに答えようとしたが、郁はうめき声しか出せなかった。

「郁、入るぞ」
 満生は控えめにノックして、郁の部屋に入る。体を丸めて苦しむ郁の姿を見て、恒子は駆け寄った。
「お医者さんに行きましょ」
「ごめんな、さい」
「謝らなくていいのよ」
「我慢し過ぎだよ、郁」
 満生も郁のそばにきて、額の汗を拭い、頭を撫でてやる。
「また、痛くなった、……」
 郁の体をさすっていた恒子が小さく叫んだ。

「すぐお医者さんを」
「待ちなさい。散々酷い目に遭ったのを忘れたのか!?」
「あんなにずっと苦しんでてようやく落ち着いたのに、あんまりよ」
「ごめんなさい……」
 郁がうめくように口にする謝罪に、二人はハッとして口を噤んだ。満生は郁の頭をひと撫でしてから、意を決したように立ち上がった。

「郁。もう少しの辛抱だ。少し待っていなさい」
「満生さん、どこに行くの」
「すぐ戻る!」
 満生の気配が消えて、郁がぽつりとつぶやく。

「いたい、……」
「大丈夫よ。頑張り過ぎちゃったのね、郁ちゃんは」
 恒子は郁の体を抱きしめる。「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせながら。

 一方、ひとり、家を飛び出した満生は弱った体に鞭を打って、走った。自ら断ち斬った縁の先を再び求めて。もう二度とあちらへは干渉しないと心に決めていたが、彼にとって自分の過去の苦痛など、今はどうでもよかった。
「夜分に恐れ入ります。立華たちばな先生!」
 夜更けに戸を叩く音、慌ただしい足音に反応して、家主が遅れて戸までやって来る。顔を出した家主、陽惟は大きく目を見張った。

「こんばんは。郁くんのお父様……ですよね?」
「月見満生です。どうか息子を手当てしてやっていただけませんか」
 満生は深々と頭を下げ、バッと顔を上げた。
陽退ようたい症なのでッ」
 陽惟の返答も聞かずに、満生は手を引っ張って連れ出す。弥生堂の丘を駆け下りたところで、陽惟が手を引いて、満生を止めた。

「逃げませんので、もう少しスピードを」
 ハッとして満生は手を離す。彼は自身がもう走れないほど息が上がり、汗が噴き出ていることに気づいた。
「すみ、ません……でした」
「歩きながら事情をお話しいただけませんか」
 二人は早歩きで夜道を進む。陽惟は四方の闇の気配をうかがいながら、満生の隣を歩いた。

「幻肢痛だと言われて医者は取り合ってくれないのですが」
 満生は弾んだ息を整え、やがて話を切り出した。
「実は……郁は性器が二つありまして、どちらか一つ切除しなければ、二十歳まで保たないと言われまして」
 弥生堂に群生する月見草の中に、まれに二輪の蕾を持つ状態で生まれてくる現象を陽惟は思い起こした。あの細い茎では、花が咲くほど育ってしまえば、重さに耐えきれず、二房もろとも、もげてしまうだろうと、見かける度に彼は少しばかり心を痛めていた。

「手術を受けさせたんです。でも、予後が悪くて、痛みがあると郁は言うんです。ただ、外傷がないので、信じてもらえなくて」
 二つもろとも死にゆく運命なら、一つだけでも助けたい。そう思った陽惟は、命を選ぶ選択の重さを痛感する。片方を摘んでしまったとしても、もう片方が生き残れる保証もない。割かれた傷跡は修復するとも限らず、致命傷となってしまうかもしれない、高リスクな選択だ。

「いくつの時分にそういった手術を受けたのかはわかりませんが、私でしたら、トラウマになると思います」
「そうかもしれませんね……。私が性別を決めてしまったようなものですから」
 陽惟は満生に案内されずとも、二階へと駆け上がり、郁の居る部屋へ向かっていく。

「お邪魔いたします」
 陽惟が部屋に入るや否や、満生は詫びの言葉を口にした。
「突然、申し訳ございませんでした」
「いいえ。お構いなく」
 土下座をしかねない勢いの満生を制して、陽惟はスタスタと郁が横たわるベッドに近づいていった。

「失礼いたします」
「まあ、立華たちばなさん!」
 恒子はさっと飛び退いて満生の方へ駆け寄り、大きく肩を上下させる彼の背を撫でる。
立華たちばな先生を呼んだ……」
「満生さん、まぁ、すごい汗ですよ」
 息を弾ませて汗を大量にかいている満生に対して、陽惟は汗一つかいておらず、肺もさほど上下を繰り返してはいなかった。

「申し訳ございませんが、郁くんと二人にしていただけませんか」
「は、はい」
 満身創痍の満生に代わり、恒子が返事をした。二人が部屋を出たあと、陽惟は郁に声をかけた。
「頑張りましたね、郁くん」
「はる、い……さん……?」

 郁の額の汗を陽惟は拭う。
「守護の印が緩んだ影響かもしれませんね、ですが」
 そっと彼の唇に陽惟は口づけを落とした。郁の体の強ばりがみるみる解けていく。

「陽惟さん、すき……」
「目が覚めたら、もう一度聞かせてくださいね」
 郁はそのまますぐに寝入ってしまった。陽惟は穏やかな表情の彼をしばらく見つめてから、踵を返して部屋を後にした。
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