月負いの縁士

兎守 優

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5.待宵のフィースト

52 陽はまた昇る

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「ハツキ! そんな格好でほっつき歩いて!」
 羽織りが地面に落ちる。癖っ毛の白い髪と退色しきった白い肌。顔を上げた成清は、陽惟の背後で太陽が昇っていく姿を見た。彼の足が動く。陽惟が駆け寄るよりも早く、成清が駆け出し、落ちた羽織りを拾って、陽惟の頭からすっぽり包みこんだ。

「バカ野郎オヤジ! 陽が昇るだろうが!」
「バカなのはあなたです……」
 うつむきながら陽惟は包まれた羽織りの中から手を伸ばし、手探りで成清のほおを両手で包みこむ。
「勝手にいなくなろうとしないで、ハツキ」
 居なくなって困るのは甘味だろ。親父がいなくなってから、ずっとさみしいくせに。成清の中で浮かんだ言葉たちは、どれも口から出ることはなかった。
 成清は黙ったまま、陽惟を後部座席に押し入れた。続けて成清もうしろから押されて、「ちょうどいいお迎えだ」と車内に押しこまれる。成清が振り返ると布施ふせがいた。

「お迎え、どうもありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。本当にありがとうございます」
 朝陽が地平線から半分以上顔を出し始める。運転席で待機していた栞奈かんなは急いで車を出して弥生堂に向かった。
「自分を責めなくていいよ、みちる君」
 布施ふせは離れた木陰に身を潜めてしまった男にそう告げた。

「君も彼も、時がいずれ解決してくれるだろうからね」
 心の傷は癒えない。何度でもトラウマが脳裏に鮮やかに蘇り、傷を抉る。ひざを抱える充の肩をそっと叩いた。遠くなっていく車を二人は見えなくなるまで見送り続けた。

 一つの町と言えるほどの広大な敷地を持つ屋敷一帯。ここは裏月第六位、水無月一門が住まう土地である。本殿を取り囲むようにして小屋が散見しており、鉄を叩く音がそこかしこで響いている。
「失礼します。和紗かずさでございます」
 暗闇に閉ざされた室内を和紗は迷うことなく進んだ。臥せっていた和枝を支え、抱き起こし、羽織りを肩にかける。

「手配は済んだか」
日和見刀ひよりみとうの所在は睦樹むつき様、立華たちばな様と十二月しわす学園の三カ所から確認が取れました。梅見様の日和見刀ひよりみとうは所在不明のまま、また、宇津木様はご不在のようです」
「そうか……。私は、次のストロベリーブラッドまでは役目を全うするつもりだ」
 和紗は「はい」と小さく相槌を打つ。やつれてしまった当主の姿を見て、和紗はひざの上で固く拳を握った。

「それが終われば刑士の役目は……体制が変わると見こんで、十二月しわす学園に移譲しようと考えている」
「かしこまりました」
「叶うことなら、君に影斬りか鍛冶師として、この水無月家を継いでもらいたい」
 和紗は顔を上げられなかった。今、和枝の顔を見てしまえば、堰を切って溢れてしまいそうだったからだ。

「そんなこと、おっしゃらずとも、私はどこへも参りません。私は生まれたときから水無月家の者です。これからもそのことは変わりません」
「君の母親には、自身で影斬りの道を選んだとはいえ、申し訳ないことをしたと思っている。君にも辛い思いをさせてきただろう」
「いいえ。本来なら父親の元に参らねばならない身でありながら、私のわがままを聞き入れてくださった水無月様には感謝してもしきれません」
「ならば私のもう一つのわがままを聞いてくれ。和紗には闇縫やみぬいの刀を握らせたくない。和紗は私の大切な養女むすめだからだ。わかってほしい」
 しばしの沈黙のあと、和紗は三歩ほど下がって、深く頭を下げた。
「…………承知しました、お義母様」

「早くあの刀は手放してしまった方がいい。然るべき場所で管理されている方が安全だ」
 平伏したまま、嗚咽を上げ始めた和紗の頭に、和枝は骨張った手を置いた。

「憎い、私はあの刀が憎いです。お義母様の命を奪っていく、あの刀が……大嫌いです」
「私も認めてしまえばあの刀がずっと憎かったよ」
 夜の闇を縫いこんだ漆黒の刀が、黒い円を描く。黒い月は肥大していき、和枝の視界を黒く塗り潰していった。彼女は残された狭い視界と使える感覚器の全てを以て、己が滅すべきものだけを捉えている。しかし、今、彼女の頭の中には、どうしても紗苗さなえの影がチラついていた。

「だが、あの刀を継いでいなければ、紗苗さなえと勉学に励むことも、紗苗さなえが君を産むこともなかったかもしれない。そう思うと憎みきれないんだ」
「そう、おっしゃった……くっ、のは初めて、ひっ、く、聞きました」
「負の感情を抱いてしまえば、闇縫やみぬいに呑まれてしまう。私は役目を全うするまで、感情は封印しておきたい」
「泣いてばかりで、わたし」
「和紗は喜怒哀楽を大切にして生きなさい。感情を押し殺して生き続ければ、望みの抱き方さえもわからなくなってしまうから」

 過去から忍び寄る責め苦と幻惑を和枝は打ち払う。闇縫やみぬいの刀を継承したそのときから一度も心を乱すことなく、親友の死に涙を流すこともなく、月喰いに敗れていった仲間との別れを惜しむことなく、彼女は刀を握り続けた。

 それなのに。腕が折れてしまったとき、彼女の心もポキリと音を立てた。だからせめて最期に。呑まれてしまう直前まで、心を開かなかった彼女に、唯一生涯の友として寄り添ってくれた、和紗の母、紗苗さなえの仇を討つために。

紗苗さなえ。私は影斬りとして命の限り、役目を全うする」
 火の粉が散る。鍛冶場の音に、和紗の上げる泣き声はかき消された。
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