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5.待宵のフィースト
48 守護のほころび①
しおりを挟む訪問者が誰かも確認せず、彼は玄関を出て、門まで足早に歩いていく。朝陽が顔を出し始めており、外気は幾分か暖まっていたが、彼は身震いして腕を擦った。
「今日は訪問者が次から次へと」
「初めまして。あなたの奥様のことでお話が」
宇津木の眼鏡がキラリと光った。訪問者は、美しい白い肌が映える真っ黒な出で立ちの男。赤い瞳は濡れたように憂いを帯びていて、争いごとには滅法疎そうな儚い印象を与える。歳はかなり若い方だが、言いようのない威厳があり、危険な雰囲気の男だと、宇津木は肌で感じ取った。
「貴様、何者だ」
「知りたくはないのですか? あなたの奥様の行方を」
「チッ。入れ」
探し求めた妻の行方を知るという男の誘い文句が罠だとしてとも、相手の口車に乗ることを彼は決めた。客から敵という認定を家主が下せば、いかなる侵入者も、家主に危害を加えることはできない。この家に張り巡らせた守護が、宇津木家の者を守り抜くと自信があっての行動だった。
居間に男を引き入れるなり、宇津木は刀を素早く抜き、斬りかかる。しかし、青年はいつ刀を抜いたのか、その刀身を涼しい顔で受け止めていた。
「どうされましたか?」
青年が抜刀した刀に、宇津木は目を見張る。例外を除き、月夜だけしか、鞘から抜けないその刀を男はいとも容易く引き抜いていたのだ。正式には当主にしか許されていない、血吸いの儀式が済んだ影斬刀を宇津木は睨みつける。
「どこの当主だ、貴様」
「私は永槻界人と言います」
「長月……滅んだはずじゃ、まさか生きてッ」
ほおに痛みを感じて、宇津木は顔を歪めた。自身はさほど出血したとは感じなかったにもかかわらず、ほおを辿った彼の手指には、血の跡がはっきりとついていた。
「郁に手を出した罰です」
宇津木は目を見開く。声が出ないことに気づくのはその少しあと。家の守護符が全く機能していないことに、彼は驚きを隠せないでいた。
「しかるべきときが来れば、あなたは奥様とお会いできますよ」
動けない宇津木の隣をすり抜け、界人が足を向けたのは、細工箱が置かれた棚の方だった。細い指が箱の紋様をなぞる。
「変わっていなくてなにより」
宇津木の肌は粟立った。この刺客が宇津木家の守護符に、敵として認識されない訳を想像して、思い至る。口の利けなくなった彼の代わりに、界人がその訳を語った。
「少々、この家と縁が深いもので」
宇津木はその箱の中身を知らなかった。一度も当主である妻から見せてもらったことはなく、中身が入っているのかどうかさえも彼は疑っていた。
「これは返してもらいますね」
楕円形の平たい発光物。波打ち際でガラスの底が削られたあとのような歪で角の取れた形をしていたそれは、界人の手の中で形を変えた。
耳の生えた白い獣になったそれは、牙を剥き出しにする。あまりのおぞましい怨嗟に、宇津木の体中から冷や汗が吹き出した。
「もしこのことを誰かに話そうものなら、支配の印があなたののど元を切り裂きます」
うさぎに似た形に変形した、宇津木家の宝物を手に、界人は去っていく。
「お忘れなきよう、宇津木正吾さん」
居間のガラス戸から差しこむ朝陽が宇津木の背中を照らしていた。彼はのどを押さえたまま、ぼう然としていた。
太陽はグングンと昇っていき、成清が買い物を終えて、弥生堂に着く頃には、正午近い時間になっていた。守護の門にかまけて、修繕をしていない庭の門扉をひざで蹴り開け、彼は弥生堂に押し入った。
「ただいま、陽惟さん」
両手に抱えた荷物を彼が居間に上げると、思いのほか大きな物音になってしまい、寝室の襖が開いて家主が顔を出してくる。荷物を放り出して座りこんだ成清に、陽惟は手を叩いて台所に向かった。
「まぁげっそりして。お昼にしましょう」
「そうさせてもらう……」
ジャージのポケットから、握りつぶしてシワシワになった指令書を掴み出して、成清はちゃぶ台に放って、足を投げ出した。朝から言い合いをして、彼は精神をすり減らし、菓子屋の甘ったるい香りでげんなりし、散々な目に遭っていたのだった。
「布施先生、指令書の中身、知ってて頼んできたんですかね」
「なるほど。だから私にこの話を下ろしてきたのですね」
「先生も学園で立場がねえからな」
日持ちのしない生菓子を冷蔵庫にしまおうと成清は重い腰を上げる。台所では鉄瓶が湯気を立て始めていた。
「宇津木さんのご様子は?」
「飯が不味くなる……」
シュウシュウと音を鳴らしていた鉄瓶の火を止め、ちゃぶ台に放り出された紙くずに気づいて、陽惟はそれに手を伸ばす。丸められた指令書を引き伸ばした彼は暗い顔をした。
「やはり。守護の印に干渉したのは彼ですね。この指令書に宇津木さんの悪行の跡がついています」
成清はバッと振り向いた。冷蔵庫の扉を勢いよく閉めて、ちゃぶ台の周りに腰を下ろした。
「まさか、月見小僧を斬った……?」
「斬ったとしても守護のご加護で刀は通りませんが、なぜ、かような暴挙に出られたのでしょう」
「郁くんが心配です」と陽惟は目を閉じ、眉根を寄せる。成清は「じゃあ」と言い出した。
「平日になったら、俺、探し出してきます」
「いえ。学園側にあまり知られないようにいたしましょう。宇津木さん以上に危険な方々が多いので」
「陽惟さん、怒ってますよね?」
「さ、ご飯にしましょう」
「わかってますよね? 外出は極力」
「お茶漬けにしました。塩みが効いていて食欲がなくても、さらっとかきこめますよ」
会話がかみ合っているようで、かみ合わず、成清はそれ以上、忠言することをあきらめた。宇津木と同様、陽惟と言い合っても、堂々巡りになるだけだと彼は心底面倒に思った。昼食のあと、在り月で時雨さんに甘味を追加でお願いしとこう、と心に決め、塩味の効いたお茶漬けをかきこんだ。
カランコロンと軽快な音が鳴った。時雨栞奈は洗い物の手を止め、タオルで濡れた手の水気を拭き取った。顔を上げなくても誰が来たか、彼女にはわかっていた。裏月の者が頻繁に出入りするだけあって、事情を知る一般客からは、カフェ・在り月は敬遠されている。そういう理由で在り月はいつも空いているので、頻繁にやって来るとすれば、一人しかいなかったからである
「陽惟さんがイライラしてるから、甘味をなにか追加しておいてもらえませんか?」
「珍しいですね、立華さんが腹を立てているなんて」
「俺もわからなくはないですけど、今日はそれどころじゃないと思うので」
「お勤め、ご苦労様です」
「時雨さんもよろしくお願いします」
包みを受け取り、店の外に出た成清は鼻をヒクつかせ、空を見上げる。雨の匂いを嗅ぎとり、足早に在り月を後にした。ただの夕立であればいいのにと成清は思いながら、夜の討伐戦に備えるため、自宅へと足を向けた。
空が急に暗くなり、雨が降り出す。帰り道を急ぐ郁は、橋の下で雨宿りをしている青年を見かけて、土手を慎重に下りていった。
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