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5.待宵のフィースト
46 不穏な汽笛
しおりを挟む外用に出したカバンに郁は手を伸ばす。祝祭の日の思い出が詰まったカバンを彼は抱きしめ、ほおを染める。陽惟と一緒にお祭りに出かけたことを思い起こすと、甘酸っぱい気持ちで彼の胸はいっぱいになった。
ふいになにか固い物が胸に当たり、彼は不審に思って、カバンを探った。
「颯葵の本! こんなところにしまってたんだ」
手にした本に彼は釘付けになった。なぜこんなところに本を入れて持っていったのかわからなかったが、彼は奥付けのページになにか物足りなさを感じとった。
「ここになにか、あったような」
祝祭が明け、五月に入り最初の祝日を迎えた薫風の折。爽やかさとはかけ離れ、早朝から書店の前はごった返し、大にぎわいだった。
「颯葵の新刊、『フルムーンイーター』は本日発売!」
成清は人集りを横目に足早に立ち去ろうとしたが、すぐに人混みに囲まれてしまう。人の渋滞をかわしながら、彼がカフェ・在り月に辿りついたときには、朝陽が昇りきっていた。
「陽が昇ってからにしてほしいぜ、まったくよお」
成清が店のドアを開け、話しかけた相手は、在り月の店主・時雨栞奈であった。彼女はブラウンのロングヘアを束ね、生成りのハイネックニットの上に、濃い茶色のエプロンを掛けて、カウンターに立っていた。微動だにしなければ、店内の木目調の内装に埋もれていたであろう店主は、そっと息吹くように静かに声を発した。
「陽退症に差し障りますので、なんとも」
「あー、はい。また陽惟さんが出張んねぇようにしないとですね」
「立華さんには困ったものです。安静にと言っているのに」
「本当ですよね。祝祭、祝祭って騒いでて、あ」
「もしや、立華さんは祝祭に行かれたのですか?」
「い、いや、あの、その……」
目を逸らし、もごもごし始めた成清を気にする素振りも見せず、栞奈は目を伏せたまま、カウンターに湯呑みを置いた。
「新月でしたのでそれほど心配は要らないとは思いますが」
「祝祭は割りといっつも行きたがるんですよね、陽惟さんは」
「〝セロトニン忍〟が来るからですよ。と言いましても、立華さんが見たいのは、メラトーニの方ですが」
「へー、俺、陽惟さんとそこは意見合わねぇんすよねー」
ずっと立ち話をしていた成清はようやくカウンター席に腰掛け、出された湯呑みに手を伸ばした。
「それで。裏月でなにか気になることでもございましたか?」
ごくりと一口飲みこんでから、成清はため息を吐いた。思い起こすのは、連日、苦心している月喰い退治のことである。
「今月に入ってから、月喰いの動きがおかしいんです。まるで俺たちをからかっているように、姿を現してはすぐ消えるを繰り返して」
「そうですか。満月の日が不穏ですね」
どうも鼻の様子が変だと感じていた成清は、試しにこれがどんな茶なのか、当てようと湯呑みに鼻を近づける。そうして、茶色の湯呑みに注がれた液体の正体を突き止めようと鼻をヒクつかせていた彼は、「そういや」と顔を上げた。
「俺、実はまだよくわかってないんですけど、『フルムーンイーター』って本、どんな内容なんですか?」
磨き上げた皿を棚の中段にテキパキと戻しながら、栞奈は答える。
「立華さん曰く、要するに『月に手が届くと勘違いした人類を叩き落とす話』だそうです」
月に手が届くなど、到底、人の身では及ばぬことだ。伸ばせども、月は高く高く、その手が届くことはない。天井にできたそれは染みのようなもので、この模様が「月」だと見える者は、裏月の頂点に立つにふさわしいとされていた。
「いや、私は当主にふさわしくないよ」
「一様。二葉でございます。失礼します」
ぽつりとこぼされた独り言は、訪問者には聞こえていなかった。一の声は弱々しく、聴き取れないほどであったからである。二葉は一のそばまですり足で近づき、腰を下ろして姿勢を正した。
「おはよう、二葉。いや、おそようだろうか。楽にして構わないよ」
「いえ、まだおはようございますのお時間です。お気遣い痛み入ります。お加減はいかがでしょうか」
「おかげさまで変わりないよ」
すーっと一は天井を指さした。二葉はその細りきった腕を支える。二葉の目線は、その指に注がれており、一と同じ景色を見ることはない。二葉はあえて、天井の模様から目を逸らしていたのだ。
「明日は満月かな」
「は、はい……ですが、水無月様が鎮められますので、一様はご心配なさらず、と」
「和枝さんには感謝してもしきれない。当家の因習さえ断ち切ることができれば、他の継承者に刀を託すことができたのにと心苦しく思うよ」
「一様のお心を水無月様はわかってくださっているはずです」
一は「ありがとう」と少し残念そうに手を下ろした。二葉は最後まで、一の方だけを見ていたからだ。
「弥生堂の立華の容態でなにか連絡はあるか」
「いえ……立華様からご連絡はございません」
「便りがないのは変わりない証か……」
一は目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、春の野で二人の幼なじみと花摘みをして、二人が駆け回っているのを眺めていた穏やかな昼下がりの光景だった。
「しかし、さみしいものだな、友よ」
目を開けば、白く靄がかかる、暗く冷えた闇が広がっている。もう戻らない温もりを掴もうとも、懐かしむことしか一にはできなかった。
「私が、確認して参ります」
「いいや。いつもの戯言だ。聞かせてしまってすまないね」
「いえ。一様がお話ししてくださって、私は安堵しております」
「面倒をかけるね、二葉」
二葉は一の左手を両手で包みこんだ。右手はもう刀を握ることがままならない状態だと二葉は知っていた。感情を押し殺し、努めて冷静に、二葉は快復を願う言葉をかける。
「一日も早く快復に向かわれることを睦月一同は心よりお祈りいたしております」
幾重もの襖を閉め、廊下に出るなり、二葉は奥歯を噛みしめる。油断のならない継承者たち、三葉、四迷、五織の三人の男たちが二葉を待ち伏せていたからである。
「ふたば~。一様、どうだった?」
序列に従わず、二葉より最初に口を開いた男は、三葉だった。厳格と伝統を重んじる睦樹家に不釣り合いで派手な格好で遊び歩いており、普段から規律など守った試しがない男だった。
「お変わりなくとは言いがたく、日に日にやつれておられます」
「潮時か」
三葉の脇腹に片ひじを食らわせ諫めつつ、次に口を開いたのは、四迷である。彼は自身が、ふしだらな三葉よりも下位にいることに、常日ごろから業を燃やしていた。
「四迷。不謹慎~」
さっと四迷から距離を取って廊下で、彼をあおるように小躍りする三葉を四迷は睨みつけた。タイミングを見計らい、睦樹家の継承権第四位の五織が最後に口を開く。
「しかしながら、我々も裏月一門の第一座として、不甲斐ないままでは煮え切れん」
「でもさー、『日和見刀は代々、当主以外の者が握ることは許されない。』それがしきたりだからなあ。てか、俺、日和見刀とか興味ないから、ヤバそうなら四迷にでも譲るよ~」
三葉は一が当主として日和見刀を毎夜振るっていた頃、素行が悪いことを当主からキツく指導されていた。厳しく当たられたためか、彼を大の苦手としおり、一の部屋に勝手に入ったことはない。また、日和見刀が使用者の死期を早めると知ってからか、珍しい刀への彼の興味は失せた。
四迷は、三葉がいい加減に刀を振っていても金と衣食住に困らない裏月のほどよい最高位を濫用しているのだ、といつも二葉にもらしている。三葉と四迷が小競り合いする中、五織が二葉に向かって言葉をかけた。
「睦樹の次期当主としての自覚を持ち、粛々と励め、二葉」
五織の上からな物言いにも、二葉は慣れていた。彼は一族の中で一番、継承権順位が奪われやすい立場ゆえ、下の者には絶対に舐められてはならなかったからだ。常時、その鎧を崩すことはできない彼を二葉は少々、憐れに思っていた。
「二葉がくたばる頃には俺、シワシワのおじいちゃんかも」
「二葉と年齢の近いお前は、生きてるかどうか怪しいな」
二葉は三葉と四迷の会話に内心辟易しながら、皆を退避させる。このやり取りが一に聞こえていると思うと、その胸はさらに痛むのだった。
「隠れていたのかな、君」
廊下が静かになるや否や、タッタッと畳を駆ける足音がする。臥せる一の枕元に、綿毛のような白いふさふさしたかたまりが現れた。
「もう聞かないよ。君がいつもどうやって入ってくるのかは」
丸い毛玉が大小二つに割れ、小さい方の丸から、弾力のある長い耳がピンと二つ立ち上がった。
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