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4.檻の中のカーニバル
38 春の祝祭①
しおりを挟む昼下がりの丘を登っていく人影。丘を吹き下りてくる風に、紺桔梗の髪がふわりふわりと揺れていた。艶やかな黒曜の瞳を持つ郁は、門戸を前にして幾度か目を瞬かせる。戸の前で少しだけ立ち止まって息を整え、垂れ幕を潜り、おそるおそる中に足を踏み入れた。
「こんにちはー?」
目が慣れない薄暗闇の中で、足元に気配を感じて、郁の体がビクリと震える。白い綿のかたまりが跳ねていた。
「びっくりした! もち丸……だよね?」
もち丸は返事の代わりに郁の靴を掘り掘りし始め、郁はくすぐったいと笑う。
「どちらさまでしょうか~」
あくびとともに、引き戸が開く音がした。彼は目を擦りながら、ひょっと戸口の方へ顔をのぞかせる。
「突然すみません。月見郁です」
奥から眠たげな声を飛ばしてきた声の主は、途端にパッと顔を輝かせ、ニコニコ笑って彼を出迎えた。
「まあ、郁くん! いらっしゃい、どうぞどうぞ」
靴を揃えた郁の腕にもち丸は飛びつき、一緒に居間に上がっていく。「こら! お行儀が悪いですよ」と陽惟に注意されるが、もち丸は郁の背後に回りこみ、隠れてしまった。
「来週は春の祝祭ですねえ。郁くんも参加されるのですか?」
背中に乗り上げようとするもち丸の手にペシペシ叩かれて、郁はふへへと声を出した。
「木曜で平日ですよね。でも、人が多いのは、苦手なんです」
もち丸にくっつかれて立ち上がれない郁の代わりに、陽惟はポットからお湯を注いで、お茶を運んできた。
「そう言えば、祝祭に合わせて颯葵の新作が刊行されるって、テレビでもニュースになってました」
「ええ。『フルムーンイーター』という書名だそうで」
「そうなんですか? 祝祭のステージで発表って……ん? 『フルムーンイーター』ですか?」
「あれ」と口元に手を持っていこうとすると、もち丸が郁の指を掴んで立ち上がっていた。郁はそのままもち丸を抱き上げ、ひざの上に乗せてしまう。
「内々の話ですが、裏月が長年、出版の差し止めを要請していた本です。もう潮時だったのでしょう。致し方ありません」
「それは、うさぎさんが満月の夜に森で迷子になる話で合ってますか?」
陽惟の眉がピクリと動いた。啜っていた茶を置き、深く息を吐く。
「やはり、裏のルートで出回っていましたか」
郁は慌てて手を振った。
「僕はこの間、初めて知ったんです。男の子が持っていて。それで、『四季の織』を書いた志希さんを『せんせい』と呼んでいました」
「そう繋がりました、か」と陽惟は伏し目がちになった。茶に映る自分の表情が暗いのにハッとして、彼はすぐにまた和やかな笑みで「それより」と郁の方を見た。
「新月の宴が終わればあっという間に五月ですが、新学期はいかがでしょうか?」
「講義云々よりも就活という感じです、みんな。僕は……出遅れています」
困ったように笑う郁を見て、陽惟はふふふと笑った。
「きっと良いご縁で結ばれますよ、郁くんは」
郁の表情から不安さが拭えない様子を見かねて、陽惟はちゃぶ台に身を乗り出してたずねた。
「では気分転換に……行きませんか? 祝祭に」
上目づかいの陽惟と伏し目がちの郁の瞳がぶつかる。
「え、僕と陽惟さんが?」
驚きで見開かれた黒曜の瞳いっぱいに、陽惟の水色と灰銀色のオッドアイが映った。キョロキョロと動く郁の目と比べて、陽惟の瞳は努めて穏やかで凪いでいた。
「新月の晩とはいえ、裏月の者たちが見回りでウロウロしているので、驚かれないようにうさぎの仮面をつけますが」
郁は「でも……」と目を伏せた。彼の不安とは裏腹に、ひざの上のもち丸はごろんと寝転がって、撫でられるがままだった。
「でも、僕、ドレスコードのうさぎアイテム、持ってないんですよね……」
ちゃぶ台にひじをついて陽惟は目を細め、ふふふふと不気味な笑みをこぼした。
「大丈夫ですよ、そちらにいらっしゃいますから」
おとなしくしていたもち丸は途端に郁のひざから下りて逃げていく。寝室に飛びこもうとした直前で、「えいっ」と陽惟が抱きこんで捕まえてしまった。
「本物のうさぎさんでもハーネスをつければ参加できますからねぇ」
もち丸が抵抗する手で、ほおをぎゅうぎゅう押されながらも、陽惟はがっちり掴んで離さなかった。必死の抵抗を試みるもち丸を郁はかわいそうに思った。
「でも、もち丸、嫌そう……」
「なにを今さら。あーんなに郁くんにべったりさんなのに、お留守番でいいんですね?」
陽惟のほおを後ろ足で蹴りやり、もち丸は拘束から逃れて一目散に彼から距離を取って跳ねていく。郁がキョロキョロ見回すと、部屋の隅から彼の方へジリジリ移動してくるもち丸の姿があった。
のそのそやって来たもち丸は、郁のひざに頭を押しつけ、グリグリしていじけるように、ふすふす鼻を鳴らす。
「一緒に……行ってくれるの?」
郁が項垂れる頭を撫でて声をかけると途端にもち丸はスクッと起き上がった。背を向けて寝室の潜り戸まで跳ねていく。寝室に入ったもち丸はすぐに、ハーネスをくわえて帰ってきた。ベストに似た形で、薄い水色の小花とストライプの生地に、焦げ茶色のベルトがついたうさぎ用の洋服だ。
「素敵なお洋服だね! ありがとう、もち丸。木曜日、楽しみにしてるね!」
ハーネスを受け取った郁に、もち丸はすり寄り、再びひざに乗り上げた。郁の手に撫でられながら、陽惟に向かってしっぽを振った。
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