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3.浮かれた夜のミミック
30 めくるく螺旋
しおりを挟む「ハツキ!」
陽惟は履き物も突っかけずに、居間を飛び出した。暗い通路で「うっ、ぐっ、ぐへ」とうなる声の主を見つけ、駆け寄るとなにか白いものが跳ねていた。
「もう、もち丸! お尻ペンペンします!」
成清の背中の上で機嫌よく跳ねていたもち丸は途端に本棚の角に走った。
「このお家にいるかぎり、私は絶対あなたを見つけられますからね!」
暗闇の中の追いかけっこが始まる。倒れたままの成清は、仰向けに転がり、そこへちょうど逃げてきたもち丸が顔を踏んづけて走り去っていった。
「ハツキ、いつまで寝ているのです! ふてくされてお家に帰るんでしょう?」
「……すみませんでした」
「少しは頭が冷えましたか」
陽惟は追いかけるのを一旦やめて、成清に手を貸して起こした。
「暮れ枯坂にまだ行っているのですね」
成清は生返事で床にあぐらをかいた。
「あなたの疑念や恐怖があの深層に邪念を与えて、月喰いを生み出してしまうのですよ。影斬りなら、近づいてはならないことぐらい、わかっているでしょう?」
「月見はあそこにいた……」
陽惟の叱咤には反応せず、成清はうわごとのようにつぶやいた。
「スノーストームに成り果てた者と近しい関係だったから、引き寄せられてしまったのかもしれません。いいですか、彼のことは郁くんには絶対言ってはいけませんよ」
フラフラと立ち上がって成清は歩き出す。
「じゃ、帰る」
陽惟はふぅとため息をこぼして、書棚の奥に引っこみ、うずくまった。
「行ってらっしゃい」
ドアの閉まる音がした。陽惟は外の光を目に入れることなく、彼を送り出した。
急に陽惟が書棚の裏にやって来たので、潜んでいたもち丸はその場で固まってしまった。彼はもち丸を抱き上げて、再び顔を埋めた。
「今日の夕方は……地下に行ってもいいですよね、もち丸」
もち丸はおとなしく抱っこされるがまま、なぐさめるように、陽惟にすり寄った。
晴天の空から降りてきた鳥影が郁の頭上に覆い被さった。黒曜の瞳が空を仰いだ。
「おはよう、むすび」
ツグミは挨拶を返すように、郁のすぐそばまでやってきた。
「お腹空いたよね。もうすぐ家だから!」
玄関の戸を勢いよく開け、郁は「ただいま」と息を切らしながら玄関を駆け上がった。
「まあ、郁ちゃん。お帰りなさい」
「おにぎりあげなきゃ……じゃなくて、連絡もしないで……ごめんなさい」
恒子はクスクス笑った。
「いいのよ。お友だちと盛り上がっちゃうと私もよくこっそり朝帰りしてたもの」
「あら、むすびちゃんも一緒なのね」と彼女は小走りで台所に戻ってしまう。リビングでは満生が郁を待ち構えていた。
「心配するから連絡の一つでも入れなさい、郁」
「ごめんなさい、父さん」
頭を下げる郁の肩に、むすびが乗っており、彼に倣って頭を下げた。
「やぁね、満生さんったら。郁ちゃんが一日でもいないとさみしいのかしら」
「そんなに縛りつけるつもりはないよ。ただね、子どもが帰ってこないのは普通、心配だろう」
「過保護ね、満生さんは」
用意されたおにぎりをむすびは勢いよく啄んだ。その隣で郁は、茶碗に盛ったご飯をぼそぼそ食べている。
「もうすぐ新学期ね」
恒子がそう言って食卓についた瞬間、郁はガタッと立ち上がった。
「バッグ、忘れてきたっ」
「あらまあ。ちょっと待ってね。今お持たせを」
「取りに行ってきます」
朝食もそこそこに慌ただしく出ていく郁を追って、むすびも飛び出していく。
道すがら、今朝の陽惟のことを思い浮かべながら、彼が辿りついた先は、「うさぎ注意」の看板の前だった。
「ここ、卯咲ロードだったんだ」
卯咲ロードに立ち並ぶ民家の中でひときわ大きい邸宅の前で郁は立ち止まった。表札には、宇津木と記されていた。家主はすぐ訪問者に気づき、庭から門へとやって来た。
「月見くん? えっと……あぁ、この間の」
「昨日の謝罪をしたくて」
「昨日だったっけ。ま、いいよ、入って」
「あとバッグを忘れてしまって」
玄関先で郁はお辞儀をしてから上がりこんだ。
「あぁ。庭に落ちてたの、これは君のだったのか。中身は見てないよ」
「も、申し訳ありませんでした」
ソファーの上に置かれたカバンを郁は胸に抱きしめながら、頭を下げた。
「聞いてもいい?」
「はい?」
「月見くん。君はなんで葉月くんと一緒に居るのかな?」
郁は頭を上げて、宇津木の表情をうかがった。答えはわかりきっていると蔑むような冷徹な目が彼をより一層震え上がらせた。
「と、友だちだから……っ」
ニィと宇津木の顔が歪む。郁は逸らすまいと目だけは合わせつつも、怯える心を抑えこむのに必死で、手に汗がにじんでいた。
「友だちなんてこの世で一番信用ならない関係を表す言葉だ。そんなものに引きずられて、妻は今も帰ってこない」
「奥さんはいったいどう」
「君が知ったところでどうにもできやしないよ。君は持たざる者だ。下手に知れば、血に塗れた因縁に抗争に巻きこまれて命を落とすだろう」
逃れられぬ血族の柵と聞いて郁が想起したのは、成清のことだった。いつもイライラしているが、怒りで怯えを隠しているだけなのではないかと、彼は思い至っていたのだ。
「成清くん、そんな危ないことに」
苦しみも悲しみも痛みも溢れないよう、すべて憤怒の鎧で固めて。どんなに外堀を強化しても、増大する負荷はやがて彼を内側から壊してしまうだろう。決壊してしまったら、誰が彼を受け止めるのか。
郁は思考の渦を止められなかった。
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