月負いの縁士

兎守 優

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3.浮かれた夜のミミック

25 隠れし槍雨の陣地

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 伸びていく影の方へ郁は近づけども、その手は届かない。強い夕陽の残光に遮られ、その姿はますます見えなくなった。
「知り合い……かな?」
 陽が落ちていく寸前、その者が微笑んだのを郁の目は捉えた。しかし、はじめからそこにはなにもいなかったかのように、人の姿も、伸びた影もなくなっていた。

「あの人、確か前にもどこかで」
「お、おいっ!」
 郁が振り返ると成清が立っていた。彼の手は刀の柄にかかっており、今にも抜かんとしていた。

「成清くんっ。さっきぶり」
「は、やく、かえれよ」
 成清の手は小刻みに震えていた。
「成清くん!」
 背を向けてしまい、振り向かない成清の腕を郁はとっさに掴んでしまった。

「どうかしたの?」
 彼はすぐさま緩く振り払った。
「どうもしねえよ。とっとと家に帰ってろ」
「なにか悩んでることがあったら言ってね。僕は助けてもらってばっかだから」
 郁が声をかける横を通り過ぎ、成清は口を閉ざして去っていく。彼のニオイが追いかけてこないことに気づき、成清は疑問を口にした。

「『さっきぶり』って……今日、あいつを見たの、初めてじゃねーか」
 刀の柄を掴んだままの右手に汗がにじむ。陽がみるみる傾いて、残光さえも、迫り来る夕闇に呑まれていった。夜に染まりゆく空には、黄身のごとく色が濃く、明るい月が顔を出し始めていた。

 薄暗くなっていく町を成清はスニーカーを蹴る勢いで早歩きで進んだ。呼びこみや派手なネオン看板には目もくれず、彼は薄ぼんやりと発光している看板の前で止まる。『在り月』と書かれた店内に入っていった。
時雨しぐれさん。いいですか」
 この店に一人しかいない店員、茶色のセミロングヘアの店主に成清は一声かけた。
「構いませんよ」
 カウンター席に座るや否や、成清は突っ伏した。

「なにか飲みますか?」
「要らないです。お気遣いどうも」
 栞奈かんなはカウンターの上に紙袋を並べながら、ピクリと肩が跳ねた成清に促した。

「このあと梅見うめみ様がいらっしゃるようなので、店の奥を使ってください」
 成清は言われる前にニオイで、鉢合わせたくない訪問者がやって来ている気配を感じ取っていた。彼は飛び起きて、跳ね板を上げた。

「いつもすみません」
「いえ。お得意様ですから」
 彼が店の奥へ引っこんだタイミングを見計らったかのように、背の高い桃色の髪を持つ女性と彼女より少し背の低い男の二人組が店に入ってきた。

「いらっしゃいませ」
「お邪魔させてもらうよ」
「失礼します」
 梅見丹那になのあとに続いて入ってきたこうきがわずかに頭を下げた。

「なにか頼まれますか?」
「今夜は遠慮しておくよ。結人ゆいとに恨まれても面倒だからね」
「俺がお嬢を守ります」
「ったくいつもこの調子だよ」
 「良好な関係ですね」と栞奈かんなは言ってカウンターに置いた包みを差し出した。彼女はやれやれといった様子で、栞奈かんなから包みを受け取った。「持ちます」と言うこうきに、「それじゃお返しの意味がない」と彼女は突っぱねた。

「まぁ、うちは統率力には自信があるからね」
「抜けたい者は十二月しわす学園に下ればいい」
 こうきはふんと鼻を鳴らした。
「しっかしまぁ学園もなにやってるんだか。一二三月ひふみつきの脱走者の足取りがからっきし掴めなくなっちまってるってのに」
紫門しもんさんもまだ昏睡状態とお聞きしますし」
 丹那にな栞奈かんなの話を聞いているようで、ただ世間話を流している風にも取られる態度で話していた。

「そういや、宇津木うつぎはどうしてるか聞いてるかい?」
 栞奈かんなはしばし考えこんでから答えた。
「あまりお見かけしませんね。刀も頻繁に使われないようですし」
「忘れるところだった、刀の手入れの代金。立華たちばなに甘いもの、差し入れといてもらえるかい?」
「かしこまりました」
 まぶたを伏せていた栞奈かんなの目がわずかに開いた。しかし、栞奈かんなは彼らとは一度も目を合わせなかった。

「ま、あたしらは大所帯だから構わないけど、宇津木の当主にゃあ、フロックスを片づけてもらわないと困るよ」
睦樹むつき様や立華たちばなさんもそうですが、刀を振るうことが難しい方々は刑士の闇縫やみぬいにお願いすることなっていますので」
 言葉を返した栞奈かんなの口調が少しだけ強くなった。が、梅見はそんな感情の機微など気にしていなかった。

「水無月さんとこのね。まあ、そう急ぐ必要もないか」
「お嬢。そろそろ」
「つい長話して失敬。それじゃあ失礼するよ」
 こうきに声をかけられ、梅見は店を出て行った。

「今のお話ですと、刑士けいしの網にもかかっていないようです」
 栞奈かんなはひとりごとのようにつぶやく。
「枝豆と鮭フレークで混ぜご飯を炊いてみましたので、おにぎりにして置いておきますね」
 店の奥の上がり口に、栞奈かんなはおにぎりと湯呑みが載ったお盆を置いた。

「……全部ひとりごとなんですが」
 成清はなにも言わずに、差し出されたおにぎりをもしゃもしゃとほお張る。酸味のある梅昆布茶とともに飲み下した彼は、外の騒ぎに気づいた。

「うまかったです。ありがとうございます。すみませんが、さっきのと一緒に陽惟さんのとこに、諸々お願いしたいです。俺は行きますんで、頼みます」
「承ります。またのご来店をお待ちしております。お気をつけて」
 彼が慌ただしく店を出ていったあとに、栞奈かんなはカウンターの上に置かれたお盆を下げた。

 黄金に輝く月下、枝葉に下がった提灯がゆっくり点滅を繰り返していた。実り始めた木々に宿ったつぼみのような光が、開く前の予兆のように膨張していく。
 夏祭りはまだ先だというのに、浮き立つ夜の人出に誘われたのか、季節はずれの祭灯まつりとうは市街地のそばまで迫っていた。

 成清は民家の裏手まで駆けていく。木々を伝いながら、灯りが下りてくる光景に舌打ちをして、彼は影斬刀かげきりとうを持って応戦していた男に声をかけた。
「クロウか!?」
「あ、危ないから下がっ」
「見りゃわかるだろ、俺は影斬りだ。で、状況は」
 成清は男の腕がカタカタ震えているのに気づいた。いつでも刀を振るい、踏みこめるよう、握り直してはいるが、息も乱れており、限界の様子であった。

「市街地に迫る勢いで、複数の月喰つきくいの出現で手に負えな」
「全部叩けば済む話だ」
 地を這い縫うワームと燃えかすのように空を舞うクロウ。
「君! 地上と空の両方にいるんだぞ」
「ハットクロウはサーチライトワームの誘導灯がなけりゃ、飛べねぇんだよ」
「いや、それがワームが開花していないのに、奴らが飛び回っていて予測ができないんだ!」

 「おう、そうかよ」と成清は確かな足取りで、戦場に踏み入っていく。
「関係ねぇな。這いつくばってる奴の他に飛ぶ個体……上等」
 成清は左足をドンっと踏み鳴らした。

呪詛じゅそで撃ち落とす」
 左足を軸に回転し、散らばる木の葉を巻き上げる。素早く左手の人差し指、中指、薬指を立て、親指と小指で円を結んだ。顔の中心に構えた左手を引きつけ、息を吐くのと同時に直角に曲げて‪呪詛じゅそを放った。
 彼の周り、半径数メートルが強烈な閃光に焼き尽くされる。一瞬のうちに強い光は消え失せ、辺りは暗がりに戻っていった。

「やべ。あともう数メートル先まで飛ばしたつもりだったのに」
 振り返った成清の背後に、居たはずの影斬りの姿がなかった。ぱっくりと開いた口が成清に向いている。相手が人間でないと瞬時に判断した成清は、影斬かげきり刀で斬り捨てた。

「んで、マンイートフロックスが……!」
「水無月様は!?」
 近くで聞こえた声に成清は機敏に振り向く。黒い鳥影が夜空でガアガアとわめき始めた。
闇縫やみぬいは闇雲に当てられないんだぞ」
「使用者にも負荷が重い」
 群れでやって来る鳥影に向かっていく成清に気づいた影斬りが「君!」と呼び止める。

「水無月様が来るまで待つんだ!」
 成清はその言葉に耳を貸さず、歯を食いしばった。ボロボロと灰になりながら燃え揺らめく影を睨み、足を踏み鳴らした。

「影に紛れて、どこまでもまとわりつきやがって」
 放った‪呪詛じゅそは群れに届く一歩手前で減速して急降下してしまう。成清がもう一度、‪呪詛じゅそを撃とうとしたとき、突如現れた光の矢が、月喰いの大群を撃ち落としていった。
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