月負いの縁士

兎守 優

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2.凍夜のスウィートネス

16 氷晶、溶けて尚も

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 陽の光がホロホロと残骸を灰にしていく。夜が溶け始めた音がパキパキと枝や幹を伝う。焼け跡の町を歩くようなむなしさと物悲しさを胸に、成清は山を下りて民家の裏手を縫うように進んだ。
 背負った犠牲者があまりにも軽くて、視界がうっすらにじみ、鼻に苦いものを感じながら、彼は安置所へ向かった。

まもるが亡くなったってどういうことですか!?」
 陽は昇ったが、人々が動き始める前の閑散とした朝ぼらけに、その男は息を切らし、飛んでやって来た。

「湖に浮いていたというので、自殺ですね」
「そんな、いったい衛はなにをそんなに思い詰めて」
 狼狽して詰め寄る男に気遣う素振りも見せず、白衣を着た男は成清を呼んだ。
葉月はづきさん、引き継いでもらってもよろしいですか?」
 「父親がしつこくて」と彼は鬱陶しそうに男を振り解いた。

「あと、呪詛じゅその使用形跡がありましたので、学園側でも要調査案件で持ち帰りますが、そちらでも確認をお願いします」
 成清は無言で頭を縦に振った。
「彼が発見してくれた方です」
 そう引き継いで、白衣の男は奥の部屋へ引き揚げてしまった。

「息子は、息子はどうして」
「彼、俺が引き揚げた・・・・・とき、まだ息があって、こう言ってたんです」
 すがり寄る男に成清は、侮蔑の目を向けて見下ろした。

「『父親の元に二度と戻りたくないって』」
「そ、そんななにかの間違いです! 息子は精神を病んでいて」
「なんで、彼の体に触れなかったんですか?」
 成清の服を掴む手が緩んだ。驚いた顔をした仮面の下で、どんな下卑な言い訳を探しているのやら。早くその汚れた仮面を引き剥がして、この男の腐った本性を引きずり出したいと、彼は畳みかける。

「発覚するのが怖かったから? でも、残念ですね。濡れたままでは忍びないと着替えさせた際に、複数の痣があったそうで」
「ケンカっぱやいから、それで」
「父親の元に帰りたくない理由。虐待だろ」
「ち、がう! 私は違う。そんな人間じゃない!」
「そうだな。お前は人間なんかじゃねぇーよ。人間の皮被った化けもんだ」

 ふつふつとドス黒い感情が渦を巻いて男の目から、湧き上がる。フルムーンイーターが眼を開くときに似た、気味の悪い光景であった。

「ヒッ。親が子どもを使ってなにが悪いっ」
 成清の服を強く握りつぶす勢いで、男は掴みかかった。
「稼げもしない子どものために汗水垂らして、タダ飯食いじゃ、真面目に働いてる俺が浮かばれないだろ!」
「子どもは親の道具じゃねんだよ」

 男は言い訳を失い、押し黙った。静かな怒りをたたえた成清の声は、男の心に深く響いていく。
「良かったじゃねえーか。重荷が消えて」
「勝手に死にやがって親不孝者が!」

 わめいて、ののしって。亡きわが子を前に、男は罵詈雑言を吐き続ける。己の中の罪に背を向けるように、全て息子のせいにして。そうして男は他者への怒りを盾に鎧にして、逃れられぬ責め苦から、自分を守っていた。
 あまりにも、その必死な姿が自分を見ているようで、成清は思わず口から、あざけりの言葉を発してしまう。

「あんた。殺されなくて良かったな」
「へ?」
 自分がまさか、返り討ちに遭う可能性なんて、端からこの男の頭にはなかったのだろう。成清はなぜ、河野がその可能性を選ばなかったのか、夜通し考えていた。

「父親を殺して縁を切ったって良かったのにな。道連れにもできた。その意味を考えろよ」
 父親と心中はしたくなかった。父親を殺したいとは思わなかった。たとえどんなに、ひどい仕打ちを受けようと、彼は父親が大好きだったのだ。
 父親の残酷な言いつけに従ってしまった、かつての自分のように、成清は彼の気持ちを理解した。

「……なんてな。胸クソ悪ぃけど、最後まであんたのこと、思ってたよ」
 叫びが遠ざかる。成清はもう振り返らなかった。
「後悔の呪縛に苦しめ」

 冷たく薄暗い廊下の先に、陽がもれる扉が見えている。前へ前へ、進む成清の心だけは、家族を失い、罪を犯した災厄の日から、解放されずにいる。癒えぬ傷とともに、深く、奥底に彼は捕らわれていた。
「罪は一生、消えねぇんだ」
 朝陽とぶつかったその瞳は燃えるように赤く、流れ出る血に濡れた色をしていた。

「あーりゃま。よ! ご苦労さん」
 成清と入れ替わるようにやって来た結人が、ねぎらいの声をかけた。しかし彼の言葉を無視して、成清は去ってしまう。
 建物の中からは、しきりに泣き声がしていた。結人は隣に並ぶこうきに、文句を垂れる。

「すっごく入りたくないんだけど」
「わかった。俺だけで行く」
 嫌そうな結人にお構いなく、こうきはドアを開けて、サクサク先へ行ってしまう。結人も慌てて、あとを追った。
「やー、ごめん、ごめん、セイちゃーん! 俺も行くって~」

 遺体に泣きすがる男。止まぬ、悲嘆に暮れる声。
「マジかよ、完全お通夜じゃんか」
「待っている暇はない。だいぶ時間が経っている」
 男に断りも入れず、こうきはズカズカ近づいていく。

「今からご遺体を浄めるので退いてください」
「息子を、息子、を」
 こうきにすがり寄ろうとする男の手を結人ががっちり掴んで、ひょいっと引き離した。泣きわめく男を結人は押さえつける。
 こうきは顔の覆いをめくり、開かれたまま固まっていた目に手を置いた。なにも起こらず、ただ静寂と祈りが満ちる。彼が手を離したときには、目は閉じていた。遺体を覆っていた布がふいに、ずり落ちる。

 裾の詰まった上着から、白い腕が見え、結人がつぶやく。
「ありゃ、ずい分と寒そうな格好で」
 こうきは肩口まで布をかぶせて、踵を返した。結人も彼に倣って歩き出す。
「気に入っているものは、いつまでも手元に置いておくものだ」
「へー。じゃあ誰かからの贈り物だったんかねえ」

 灰色の袴をまとった二人は閑散とした林道を行く。葉が枯れた木に、同化するように、一羽のツグミが止まっていた。彼らの影が伸びて、重なる様子をじっと見つめていた。
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