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1.夜半のホウリング
11 不知火の全知眼
しおりを挟む枯れ木があちらこちらで、お化けのように枝を伸ばして陽惟と成清を取り囲む。宵闇が二人の姿を覆っても、その瞳に灯る輝きだけは覆い隠すことはできなかった。
「成清くん……鼻、大丈夫ですか?」
夜の濃い暗がりでは、陽惟の左右の目の違いがはっきりしていた。左がブルー、右がシルバーと。成清はどちらの瞳も見ずに、そっぽを向いて吐き捨てた。
「しっつれいだな。これが俺の鼻の正常だってのに」
「いいえ、お汁粉のあまーい香りで酔ったのではないかと」
ちぎれ雲を払い、細い月がニヤリと顔を出した。小高い丘の上が薄ぼんやりと照らされている。月見草が乏しい月明かりに向かって手を伸ばすように咲き、踊っていた。
「なあ、陽惟さんの目でもよくわかんねぇもんなのか?」
陽惟は成清に背を向けて、軽い足取りで丘を上がっていく。
「成清くん。世の中にはね、見てはいけないものもあるんですよ」
門の意味を成していない薄い扉を指でトンと弾いて押し開け、陽惟は庭に入っていく。そのあとを成清が遅れてついて入った。
どっしりとした寸胴のようにそびえる家を取り囲む庭が、まだらに淡く発光している。群生する月見草がほんのり桃色に染まった。成清が気味悪そうな視線を向けると途端に、ポッと月見草が姿を隠し、辺りが暗くなる。
「陽退症に……あと庭の奥に多分あった、月見草ってさ。家庭が荒れてる奴だけだと思ってた。でも、アイツ、めっちゃ幸せそうじゃんか」
「ツキミさんもただ居心地のよい場所を求めて咲いているだけなのに、不幸の目印みたいに扱われて、かわいそうですー」
「実際、虫の知らせみたいなもんじゃねぇーですか」
「私たちと同じではないですか。裏月の家紋が入った刀を携帯しているだけで、憎悪や警戒の態度を向けられる。あなたもよく経験されていますでしょう?」
成清は押し黙った。どこへ行っても、帯刀していれば必ず向けられる視線。なにか用かと見遣れば、こちらを睨む目や怯える目とぶつかった。揺らぐことなく怒気や恐怖を湛え続ける人々の目を彼は、見なくなっていった。
なにも知らない子どもが、脇に差した刀に興味を持って近づいてくる煩わしさを思い起こすと、決まって同じ結末を迎えることに、成清は辟易していた。
「もしかして人恋しくなってしまいましたか? いいですよ、お泊まりします?」
戸の垂れ幕を陽惟は右手でかき上げて手招く。
「い、いや、むしろ逆……。じゃなくて刀に吸わせたら帰るって! 陽惟さんの家、カビ臭いくて肺に悪いし、それに」
庭の裏手で群がる月見草がちょいちょいと揺れながら、こちらの様子をおっかなびっくりにうかがっていた。
発光していた花弁が消えてしまったために、成清の周りはどっぷりと夜の闇に呑まれて、人の形をした黒いかたまりが影のように突っ立っている姿があるだけだった。
「ああいう眩しいの、俺、苦手なんだよッ!」
振り向きざまに成清は刀を抜いた。背後に潜むようにしてうごめいていた黒い小さな影は形を持つ前に、弧を描く閃光に切り裂かれた。
「ったく、新月だってのに、うろちょろしやがって」と散った影が完全に消えるまで成清は、睨み続ける。朽ちかけの門とはいえ、弥生堂の守護の門を突破できるものなど、まずいない。「……陽惟さん、試したな?」と凄むと陽惟はうふふふと笑う。
「カゲキリさんも苦手ですよ。眩しいだけの人間は」
「だろうな、適当にはぐらかしてあとは離れる」
何事もなかったかのように成清は刀――影斬刀を鞘に収めた。
彼は垂れ幕をくぐって陽惟の家に入っていく。左右にそびえる書棚は襲いかかってくるのではないかと思うほどびっしりと蔵書で埋め尽くされている。「私は約束してしまいましたからねえ」と棚の前で、陽惟はうろうろしていた。
「どうしましょうか。彼は弥生堂の場所をまだ覚えられていないと思うのですが」
「迷ってしまいますね。うーん」とうなりながら、彼は棚に並べられた背表紙を眺めている。
「あー、はいわかりました。わかりました、道案内だけして覚えたらにします、ホント、自分の体を気遣えって!」
「成清くんも気をつけましょう。フルムーンイーターを相手にしたんでしょう?」
陽惟は本棚から分厚い辞書を一冊引っ張り出して抱えこんだ。
「俺は影斬刀で数撃ちゃ当たるんだよ。今回はあんまデカくなかったから楽勝」
「きっと長い闘いになりますから、ツキミさんと仲良くしましょう」
「その、変に親しげに呼ぶの止めない? 混乱するんだけど」
「カタナさんとクサバナさんの方がいいですか?」
「いや、アイツだって月見っていうじゃん」
「あぁ、そうですね! ですが彼は郁くんで良いではないですか」
「あんなの月見小僧でいいんだよ」と言いながら成清は横目で、陽惟が辞書をめくる様子をチラ見している。
「てか、てっきり月見草の関係者かと思ったら普通の家系じゃねぇスか」
「うーん。本家ではなさそうですが、甘味を拵えるのに長けています」
「着眼点そこかよ」
「いえ、ツキミさんにとっては大切なことです。美味しい甘味をお供えできなければ、こうやってカゲキリさんをお手入れできませんから」
「やっぱその変な言い回し……ぞわぞわするよ、陽惟さん」
「さて。聞きたいことは?」
パラパラめくっていた辞書をパタリと陽惟は閉じて成清に向き直った。「なんでもお見通しだよな」と観念して、ため息交じりに成清は告げた。
「……恵門の弟と交戦になった」
「まあ、立ち話もなんですから、まずはお上がりなさい」と陽惟に招かれるまま、成清も居間に上がった。
「確か、一二三月礼門さんでしたね。彼は師走大学病院を抜け出したそうで」
湯気の立ちのぼる湯呑み茶碗と所望された甘味を成清は、陽惟の前に置いて座った。
「姉貴の方の容態はどうなんですか」
「紫門さんは目を覚まさないまま、なのでしょう。目覚めたとの連絡はありませんので」
「そんなに俺が憎いのかよ」と成清はあぐらをかいたひざの上で拳を握りしめた。
「姉貴のそばに居てやれよ……っ」
陽惟は両手で頬杖をついて、項垂れる成清を見つめた。
「では、しばらくはこちらに戻りませんか?」
「大学とバイトのとき以外なら……」と言いかけ、成清は重要なことに気づいて叫んだ。
「って俺が居た方がよっぽど危ねぇに決まってる! 礼門のヤツにここが割れたらマズいだろ、陽惟さん」
「もうバレてますってー」
慌てた成清の視線が陽惟の瞳とぶつかった。左右の目の色が違うため、どちらを見ていいか彼はわからなくなり、サッと目を逸らす。
「わ、わかった。なるべく居るようにするから」
「成清くーん。たまーにでいいのですが」と成清に目を逸らされても、陽惟は落ちこむことなく、ねじこんでいった。
「郁くんも一緒に」
「あいつはこれ以上巻きこまない方がいいと思うんです」
動揺を見せていた成清だったが、それだけはぴしゃりと返した。
「せっかくのご縁で、成清くんのご友」
「ちがう」
「お友だ」
「ちげえ!」
「成清くんのお知り合いなのに」
「あんな奴、知らねぇ」
「えーと、『知り合い』を辞書で引いてみますと……」
字がびっしりと書かれた薄い紙を慣れた手つきで、陽惟はパラパラーとめくっていった。
「俺たちみたいな一門とお知り合いになったらマズいだろ」
「だから放り出したのですか?」
ページをめくる手が止まった。パタンと閉じる音で、成清の肩がピクリと跳ねた。
「れ、礼門を追いかけるのが優先」
「梅見さんの方が確実に彼を確保できますよ」
「それじゃダメなんです。俺が向き合わなきゃ……ならないんですよ、陽惟さん」
タチアオイの家紋が刻まれた刀を成清は握りしめた。
「そうじゃなきゃ、恵門に顔向けできないです……む!」
苦痛に歪む成清のほおをぷにっと陽惟が摘まんだ。
「一人で全部背負わない」
「いにゃいれす」と抗議する成清に構わず、ムニムニとつねる。
「もう! お餅のように柔らかかったのに、こんなに痩けてしまって」
「止めろって……」と成清が軽く振り払うと、陽惟はあっさり手を引っこめた。
「立ち止まったら追いつかれるんだよ」
成清の紅い瞳に怯えが宿った。罪人の証とされるその色は、暗がりでは爛々と輝き、まるで未だ裁きを受けていない受刑者の目印のようであった。
「今もどこかで俺に復讐しようと息を潜めてるかむぐっ」
陽惟の手元にあった皿から、成清が出したはずの大福がなくなっていた。
「このもちもち加減を思い出してー」
念仏のように「もちもちもちー」と唱えながら、固く閉じた成清の唇に、陽惟は大福を押しつける。
「むむ、むう!」
「おとなしく食べなさい」
もちもちの大福を食わない・食わせるの攻防の末、白旗を上げたのは成清だった。
「あっめぇ!」
「疲れたときは甘い物です、ハツキ」
「陽惟さんには敵わねぇわな」
こしあんがたっぷり詰まった大福をかみ砕いて、白湯とともに成清は飲み下した。
「甘味の誘惑には抗えません」
「さっきたんまり食べてきたよなぁ?」
戸棚から陽惟はまた一つ大福を取り出して、はむっはむっと一口二口、食んだ。
「これからカゲキリさんのお手入れの前に、お供え物の味見をと思いまして」
「お手入れ」と聞いて、成清は急に頭をわしゃわしゃとかいて、大声を出した。
「忘れてた! 陽惟さん、夜が明けちまうって」
「病弱な年寄りは敬ってくださいー」
陽惟は成清に引きずられるように、弥生堂の外へ連行されていった。
宵の帳が降りる空に、薄く膜を張ったような月影が浮かぶ。弓なりにしなった三日月が、その影に添うように張りつき、鈍く輝いていた。
弥生堂の庭の裏手では、咲き踊る月見草に混じって、白いふわふわの毛並みを持つ動物が草むらでじっとしていた。どこかから聞こえてくる声なき声に耳を澄ませながら、乏しい月明かりを小さなうさぎは、ずっと眺めていた。
一 夜半の 慟 哭 ―完―
二章へつづく
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