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1.夜半のホウリング
10 在りし日の団欒
しおりを挟む甘い香りが漂ってくる民家。わずかにすき間が開いていた門を郁はそっと押し開けた。成清はとっさに鼻を覆い、半歩後ずさった。
「僕が帰ってくる頃には開いてるんですよねー、ちょっと不用心かもしれないですけど」と指でぐっと押せば簡単に開いてしまう門の向こうへ、郁は陽惟と成清を招き入れた。
家の中からドタドタと足音が聞こえ、玄関に人影が現れた。すぐに玄関の引き戸がガラガラーと開く。
「あらー、郁ちゃん。お帰りなさい」
少し垂れた目元が柔らかい印象を与える女性は、人懐っこい笑みを浮かべて彼らを出迎えた。
「じゃあ、俺たちはここで」
成清はさっさと踵を返した。先を読んだように、退路を陽惟がさっと塞ぐ。
「まぁ! 満生さん、郁ちゃんがお友だちを連れてきましたよ。ご飯をよそってください」
郁の母は振り向いて、居間に向かって呼びかけた。間が開いて返ってきたのは困惑した声だった。
「恒子。それじゃあ何人かわからないよ」
恒子は「どうぞ、どうぞ」と、門の前で押し問答している陽惟と成清を手招いた。
「さ、玄関口ではなんですから上がってください」
「では、お言葉に甘えて」
「俺は帰る……」
陽惟の通せんぼを突破できない成清はチッと軽く舌打ちをして、しかめっ面で彼にくるりと背を向けた。
「母さん」
「え、郁ちゃん?」
「母さんっ」
驚いて口を開けて固まる恒子に、郁は玄関口で抱きついた。
「恒子、まったく一体何人なんだ……」と奥から背の高い男がやれやれと顔を出す。
「どうした、抱き合って。お客さまが固まっているだろう」
「父さん、僕っ」
「郁、お前、話せるように、っ!」
キリッとして険しそうな満生の顔つきが一気に和らいだ。彼は恒子と郁を抱きしめる。
「お赤飯、買いに走らなくちゃね」
涙を拭いて恒子がそう言うのを郁が止めた。
「今日はいっぱい話そうよ、だから買い物には行かないで」
「私たちはお暇した方が良さそうですねー」
三人の様子を眺めながら陽惟は、こっそり耳打ちして、成清にそう声をかける。彼らがそっと背を向けようとしたとき、満生がハッと顔を上げて引き留めた。
「……失礼しました。どうぞ上がってください」
カチャリと鳴った成清の刀に、彼の目がいったのは一瞬だった。成清が視線に気づいて見遣ったときには、満生はもう目を逸らしていた。
恒子は「本当にいい日だわ」とまた涙ぐんでしまった。
「今日はお月さまがたくさん贈り物をくださって」
漂う甘い香りと祝福ムードに胸焼けした成清はすきを見て、陽惟の横をすり抜けようとした。
「陽惟さん、離してもらえます?」
「ん? 手が離れないなあ」
「お汁粉、いいんですか」
脅しを突きつけて退かそうとした成清だったが、それを聞いた恒子が「まぁ!」と声を上げた。
「お汁粉、お好きなんですか。ちょうど今日、こさえたんですよ。ぜひ食べていってください」
「恒子、また作りすぎて近所に配る量じゃないだろうな?」
陽惟がすぐに帰ろうとしなかった理由はこれだったのかと知り、成清はげんなりした。
「ありがたくちょうだいしますー」
「チョロすぎる! 俺のメンテの件は」
「大丈夫、私が英気を養えばツキミさんたちもよろこんで協力してくださいますっ」
三人家族には充分すぎるほど大きな食卓に、五人分のご飯茶碗とみそ汁のお椀、和え物、鮭の蒸し焼き、漬け物などが並ぶ。
コトリと陽惟の前に置かれたのは、粒の残るあんと白い粒がまだらに混ざった汁の中に、ちいさな丸いお餅が入った器であった。
「立華さん、お汁粉です。どうぞ召し上がれ」
「わぁー! ありがとうございます」
みそ汁を啜って「おいしいです~」とニコニコしていた陽惟は、とびきりうれしそうな顔で、お汁粉のお椀を受け取った。一口運ぶまえから、よだれを垂らしそうな表情で、お汁粉に釘付けになる。
「母さんの料理はどれもすっごく美味しいんです」
「もう、郁ちゃんったら。郁ちゃんもお料理上手なのよ?」
「でも、たまに作ってくれる父さんの料理もおいしい」
「満生さんだって、とびきり元気な頃は料理人でしたからね。それはもう、彼の料理に恋をしてしまって」
「やめなさい、恒子!」
満生は顔を赤らめて、みそ汁をご飯とともにかきこんだ。
元気よくパクパク食べる陽惟と比べて、箸の進みが遅くなった成清に気づいて、郁は声をかけた。
「成清くん、お腹いっぱい?」
彼は箸を置いて首を振った。
「いや、まともに飯食うの久しぶりで、さ」
「食べ方を忘れてしまったという訳ですね」
「読んだな、陽惟さん」
「代弁してみました」
三人の仲睦まじい様子を恒子は微笑んで見ていた。
「立華さんも成清さんも、郁ちゃんと仲良くしてくださってありがとうございます。話せるようになったのもお二人のおかげです」
「いや、はる、立華さんのおかげで、俺は特に……」
みそ汁をチビチビと啜って、しどろもどろの成清の照れ隠しも知らず、郁は「そんなことないよ」と否定を口にする。
「成清くんが陽惟さんを紹介してれたからだよ、ありがとう」
「あ? い、や……。んだよ、いきなり」
ぷいっと背ける成清のほおを隣の陽惟が摘まんだ。
「成清くんも〝恋〟に当てられましたかね」
「酔っ払いか? 陽惟さん、酔ってんのか?」
「甘味には気分を和ませる力があります」
食卓にどっと笑いが広がった。
「後日きちんとお礼をさせてください」
食事を終え、陽惟と成清を見送る恒子は、ペコリと頭を下げた。
「こちらこそ、美味しいご飯までいただいて充分すぎるほどですよ。ありがとうございます」
「陽惟さんのそれ、お汁粉限定だろ」
「ふふふふ~」と陽惟は口元を覆って満足げに笑った。
「あ、では今度作り方を教えてもらうという約束で」
「はい、よろこんで!」
郁は陽惟と小さくハイタッチをして約束を交わした。
「……飯上手かった。サンキュ」
郁から目を逸らして、気恥ずかしそうに成清は言った。
「うん、ありがとう、成清くん」
「いや、別に俺は当然のことしただけだし」
郁にとった散々な態度を思い起こして、成清は彼を直視できずに視線をさまよわせた。煮え切らない態度の彼の背中を陽惟がバシンっといきなり叩いた。
「成清くんこそ、影斬石並みですねっ。素直に受け取りましょう」
「あーっ! 頼むぜ、メンテ。忘れてないですよね?」
「はーい」と成清に軽く返事をして、陽惟は郁に手を振った。
「ではまた、郁くん。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
民家の明かりが乏しくなっていく夜道を陽惟と成清は無言で歩いていた。星さえもぽつりぽつりとしか顔を出していない寒空に、煙のようにたなびく雲が流れていく。雲の切れ間から、歪んだ口のごとく月明かりが細く顔を出した。
「……なにか、言いたそうですね、成清くん」
成清は歩みを止めないまま、虚空に向かって、ぽつりともらした。
「家族……だってのに、同じ、ニオイがしなかった」
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