3 / 121
1.夜半のホウリング
3 罪証
しおりを挟む冷ややかな炎。月は焼き尽くされることもなく、太陽は消火されることもなく、その眼に共存していた。
郁は尻もちをついたまま頭をさする。まだ遠くで重い音に打たれているようで、目を瞬かせてうなり、鈍痛をやり過ごそうと顔を歪めていた。
「いったいです……」
「どっちがだよ」
男は振り上げたままだった拳を下げて、額に当てる。郁は頭を押さえながら、よろよろと立ち上がり、答えを口にした。
「殴ったじゃないですが、今」
「お前、どんな尻してんだよ」
熱の引いた夜風が思い出したように息を吹き返した。宴が終わってしまい、宴終わりの帰路に就く物悲しさが漂う。肩をきつく抱きしめて、郁は身震いした。
「さっぶ。残業続きでおかしくなったのかもしれないですね」
対して、脇に刀を一本差している男は、Tシャツにジャージ姿でケロッとして、寒空の下で腕まくりまでした格好で仁王立ちをしている。
「お巡りさんじゃないなら、殴っちゃだめですよ」
「あなたもお疲れなんじゃないですかー」と言いながら郁は、倒れた自転車を起こし、消えかかっていたライトを叩いて光らせた。
「いや、ダメだろ。警察でも暴力は一番ダメに決まってんだろ」
男が仁王立ちのままズンと迫り、進路を塞いでいる目の前で、郁は自転車のスタンドを下ろし、夜目を凝らして放り出された荷物を探し始めた。
「いやー、あなた、もう少し気の遣い方を学んだ方がいいですよ。例えば、転倒したおばあちゃんに拳で喝入れます、普通?」
「てめ、あぶねぇところ助けてやったのに、なにさま」
這いつくばって荷物をかき集めている郁を男は睨む。手を貸そうともせず、組んだ腕を解こうともせず彼は、舌打ちを繰り返した。
暗闇に慣れてきた郁は、革のカバンとトートバッグの中身を拾い集め、自転車のかごに押しこみ、返事を口にした。
「月見 郁です!」
「どちらさまとは聞いてねぇよ」
イライラを前面に出しながら動向をじっと追っていた男の目が見開かれる。黄褐色の月輪に、赤く燃える炎を宿す瞳。つり上がった目尻に、不機嫌そうにしかめられた眉。彼の姿を郁は初めて認めた。
「真っ暗でも目印になっていいですね、あなたの目って」
「なんだか安心します」と口にしながらも、彼は自転車のストッパーを蹴り上げ押し出していた。
目を丸くして絶句している男の横を自転車が通り過ぎていく。彼は慌てて口を開いて呼び止めた。
「『ツキミ ミツキ』を知ってるか……」
「って聞けよ、人の話!」と憤る男の声に、郁は立ち止まらず、「知らないです」と返事をする。
「おうちの人が心配しますよ。僕も両親に帰るって連絡を入れているので失礼しますね」
「あ、ちょ、こ、このやろ」
男の脇をすり抜けた自転車が唐突に加速し、走り出した。振り向いて、掴もうとした男の手がむなしく宙を切る。去り際に一瞬だけ目に留まった光景を反芻しながら、小さくなっていく背中を彼は追いかけずに見送る。
「なんだよ、アイツ」
目尻から伝った筋が光っていた。ツキミカオル。変……いや変わったニオイだ。
伸ばした手はやがて力なく落ちた。去ってしまった者を手に掴むことはできない。すり抜けていくばかりで、なに一つ、自分の手元に残りやしない、と男は指の間から射しこむ月光を仰ぎ見た。
口をきつく結んで歯を食いしばる。今ここに感触をもって確かに存在することを確かめるように、刀に男の手が伸びた。
鼻をヒクつかせ、己に覚えさせるように、散っていく残り香を嗅ぎ集める。嗅ぎ取ったニオイは感情と結びつき、記憶に蓄積されていく。
彼の生まれ持ったその習性が彼の力となり支え、時に諸刃の剣となり、彼を襲った。
虫の息、虚ろな瞳で最後に口からこぼれた幸せを願う言葉。呪いとなって彼を蝕み、問われない罪とともに月夜に捕らえ、彼を刻み続ける。
罪人の証のごとく、罪の飛沫にまみれた紅染の瞳が輪をかけて鋭利な輝きを灯す。
視界の隅に映った淡い光に、射るほどの速さで的を絞った。月見郁と名乗った者が今しがた居た場所がほんのり発光していた。
覆い被さっていた布を男は取り去った。摘まみ上げた布から、今しがた覚えたニオイがして男は舌打ちをする。
不機嫌さとは対照に、覆いから解放された草むらでは、白い蝶のごとく、パタパタと花弁を揺らし、小さな花々が舞い踊っていた。
「……笑ってんじゃねぇよ」
夜空にはめこまれた望月が、慰めるように静かに、項垂れた背中を照らしていた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
僕が玩具になった理由
Me-ya
BL
🈲R指定🈯
「俺のペットにしてやるよ」
眞司は僕を見下ろしながらそう言った。
🈲R指定🔞
※この作品はフィクションです。
実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨
ので、ここで新しく書き直します…。
(他の場所でも、1カ所書いていますが…)
哀夜の滅士
兎守 優
BL
縁を接げぬ君に、癒えぬ傷を残して
言われなき罪過を背負った四面楚歌の影斬り、永槻界人は裏月の影斬りを養成する専門機関・十二月学園で教師としての社会貢献を言い渡される。
仮の縁を結んだ相手で寮長の布施旭、界人の同僚で監視役の荻野充、梅見一門の落ちこぼれの影斬り・梅津雄生、旭の養子で学生の実希、奇妙で歪な縁で結ばれた彼らと界人は教員寮で生活を共にしていく。
大罪を犯したとされる彼を見る目は冷たく、身に覚えのない罪で裁かれる運命にある界人は、死力を尽くして守り通した弟・郁のことが気がかりな日々を送っていた。
学園で起こった不審な事件を追ううちに、
やがて界人は己の罪の正体へ近づいていく。
薬師は語る、その・・・
香野ジャスミン
BL
微かに香る薬草の匂い、息が乱れ、体の奥が熱くなる。人は死が近づくとこのようになるのだと、頭のどこかで理解しそのまま、身体の力は抜け、もう、なにもできなくなっていました。
目を閉じ、かすかに聞こえる兄の声、母の声、
そして多くの民の怒号。
最後に映るものが美しいものであったなら、最後に聞こえるものが、心を動かす音ならば・・・
私の人生は幸せだったのかもしれません。※「ムーンライトノベルズ」で公開中
目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです
浮気性のクズ【完結】
REN
BL
クズで浮気性(本人は浮気と思ってない)の暁斗にブチ切れた律樹が浮気宣言するおはなしです。
暁斗(アキト/攻め)
大学2年
御曹司、子供の頃からワガママし放題のため倫理観とかそういうの全部母のお腹に置いてきた、女とSEXするのはただの性処理で愛してるのはリツキだけだから浮気と思ってないバカ。
律樹(リツキ/受け)
大学1年
一般人、暁斗に惚れて自分から告白して付き合いはじめたものの浮気性のクズだった、何度言ってもやめない彼についにブチ切れた。
綾斗(アヤト)
大学2年
暁斗の親友、一般人、律樹の浮気相手のフリをする、温厚で紳士。
3人は高校の時からの先輩後輩の間柄です。
綾斗と暁斗は幼なじみ、暁斗は無自覚ながらも本当は律樹のことが大好きという前提があります。
執筆済み、全7話、予約投稿済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる