月負いの縁士

兎守 優

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1.夜半のホウリング

3 罪証

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 冷ややかな炎。月は焼き尽くされることもなく、太陽は消火されることもなく、その眼に共存していた。
 郁は尻もちをついたまま頭をさする。まだ遠くで重い音に打たれているようで、目を瞬かせてうなり、鈍痛をやり過ごそうと顔を歪めていた。

「いったいです……」
「どっちがだよ」
 男は振り上げたままだった拳を下げて、額に当てる。郁は頭を押さえながら、よろよろと立ち上がり、答えを口にした。

「殴ったじゃないですが、今」
「お前、どんな尻してんだよ」
 熱の引いた夜風が思い出したように息を吹き返した。宴が終わってしまい、宴終わりの帰路に就く物悲しさが漂う。肩をきつく抱きしめて、郁は身震いした。

「さっぶ。残業続きでおかしくなったのかもしれないですね」
 対して、脇に刀を一本差している男は、Tシャツにジャージ姿でケロッとして、寒空の下で腕まくりまでした格好で仁王立ちをしている。

「お巡りさんじゃないなら、殴っちゃだめですよ」
 「あなたもお疲れなんじゃないですかー」と言いながら郁は、倒れた自転車を起こし、消えかかっていたライトを叩いて光らせた。

「いや、ダメだろ。警察でも暴力は一番ダメに決まってんだろ」
 男が仁王立ちのままズンと迫り、進路を塞いでいる目の前で、郁は自転車のスタンドを下ろし、夜目を凝らして放り出された荷物を探し始めた。

「いやー、あなた、もう少し気の遣い方を学んだ方がいいですよ。例えば、転倒したおばあちゃんに拳で喝入れます、普通?」
「てめ、あぶねぇところ助けてやったのに、なにさま」

 這いつくばって荷物をかき集めている郁を男は睨む。手を貸そうともせず、組んだ腕を解こうともせず彼は、舌打ちを繰り返した。
 暗闇に慣れてきた郁は、革のカバンとトートバッグの中身を拾い集め、自転車のかごに押しこみ、返事を口にした。

月見つきみ かおるです!」
「どちらさまとは聞いてねぇよ」

 イライラを前面に出しながら動向をじっと追っていた男の目が見開かれる。黄褐色おうかっしょくの月輪に、赤く燃える炎を宿す瞳。つり上がった目尻に、不機嫌そうにしかめられた眉。彼の姿を郁は初めて認めた。

「真っ暗でも目印になっていいですね、あなたの目って」
 「なんだか安心します」と口にしながらも、彼は自転車のストッパーを蹴り上げ押し出していた。
 目を丸くして絶句している男の横を自転車が通り過ぎていく。彼は慌てて口を開いて呼び止めた。

「『ツキミ ミツキ』を知ってるか……」

 「って聞けよ、人の話!」と憤る男の声に、郁は立ち止まらず、「知らないです」と返事をする。
「おうちの人が心配しますよ。僕も両親に帰るって連絡を入れているので失礼しますね」
「あ、ちょ、こ、このやろ」

 男の脇をすり抜けた自転車が唐突に加速し、走り出した。振り向いて、掴もうとした男の手がむなしく宙を切る。去り際に一瞬だけ目に留まった光景を反芻しながら、小さくなっていく背中を彼は追いかけずに見送る。

「なんだよ、アイツ」
 目尻から伝った筋が光っていた。ツキミカオル。変……いや変わったニオイだ。

 伸ばした手はやがて力なく落ちた。去ってしまった者を手に掴むことはできない。すり抜けていくばかりで、なに一つ、自分の手元に残りやしない、と男は指の間から射しこむ月光を仰ぎ見た。

 口をきつく結んで歯を食いしばる。今ここに感触をもって確かに存在することを確かめるように、刀に男の手が伸びた。
 鼻をヒクつかせ、己に覚えさせるように、散っていく残り香を嗅ぎ集める。嗅ぎ取ったニオイは感情と結びつき、記憶に蓄積されていく。
 彼の生まれ持ったその習性が彼の力となり支え、時に諸刃の剣となり、彼を襲った。

 虫の息、虚ろな瞳で最後に口からこぼれた幸せを願う言葉。呪いとなって彼を蝕み、問われない罪とともに月夜に捕らえ、彼を刻み続ける。
 罪人の証のごとく、罪の飛沫にまみれた紅染べにぞめの瞳が輪をかけて鋭利な輝きを灯す。
 視界の隅に映った淡い光に、射るほどの速さで的を絞った。月見郁と名乗った者が今しがた居た場所がほんのり発光していた。

 覆い被さっていた布を男は取り去った。摘まみ上げた布から、今しがた覚えたニオイがして男は舌打ちをする。
 不機嫌さとは対照に、覆いから解放された草むらでは、白い蝶のごとく、パタパタと花弁を揺らし、小さな花々が舞い踊っていた。

「……笑ってんじゃねぇよ」

 夜空にはめこまれた望月ぼうげつが、慰めるように静かに、項垂れた背中を照らしていた。
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