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1.夜半のホウリング
7 夢の残痕・影送り
しおりを挟む「医務室まで手を貸すよ」
陽光に煌めく亜麻色の髪。髪と同色の虹彩が透けて見えそうな距離に、その見知らぬ顔はあった。
「いやぁ、とんだ災難だったね、某君」
「おい。なに、余計なことしてんだ、恵」
端から剣呑な声が飛んでくる。目つきの鋭い、真っ黒な短髪の青年であった。恵よりも頭一つ分大きい体に、郁はつい萎縮しながらも、メモを書き始める。
ペンを走らせながら彼が横目で見やると、大柄の青年の方も瞳の色素が薄く、茶褐色であった。
「先生になる人間が薄情じゃ務まらないんじゃない、ミカ。ん?」
わずかに身じろぐ郁に気づいた恵はメモのぞきこんだ。郁の肩に手を回して「ふむふむ?」と揺らす。
「もう大丈夫って? ダメだよー、ちゃんと診てもらわなきゃ」
「相手がいいって言ってんだからほっとけよ。そういうの余計なお節介って」
眉間にしわを寄せるミカと呼ばれる男を恵が遮った。
「じゃこうしよ、お兄さんたちとお昼ご飯食べよ」
恵はやや強引に郁を引っ張って、三号棟裏の食堂に連れて行く。そのあとを不愉快そうに、ミカがついて行った。
昼休みの半分が過ぎた食堂は混雑していたが、カウンターの空席や席を立つグループが散見された。空きそうなテーブル席を狙って、恵が声をかけ、譲ってもらい、彼らはすんなりと席を確保することができた。
「へぇ、月見君、話せないんだぁ」
「口に物入れながらしゃべるな」
隣で仏頂面のミカ。対照的に楽しそうな恵。反応に困りながらも郁は、弁当のフタをおそるおそる開けて、安堵の表情を浮かべた。先ほど襲われた際に、バッグを投げ出してしまっていたが、中身は無事だった。
「ちょっとそれに書いてもいい?」
どうぞと差し向ける前に、郁の手元からメモ帳が離れていく。
「俺が新山恵。こっちが水戸佳也ね」
〝教育学部の方ですか?〟
「うん。そうそう。潜りだけど」
「お前なぁ」
〝『もぐり』とはなんですか?〟
「俺、所属は師走大なんだよねー」
「勝手に入りこんでる身で、堂々と言えることじゃないだろう」
突然、箸を落としかねない勢いで、恵はピースサインを作った。満面の笑みにイタズラっぽさを浮かべて。
「師走大学教育学部三年でーす。よろしく」
「わざわざ学部を名乗るまでもないだろうが」
隣で箸の動向を見守る佳也の鋭い眼が、振り上げた恵の手に注がれていた。しかし、振り回される箸は落ちずに、恵にもてあそばれ始める。
「まぁ、師走大に行く人なんて、みーんな教員志望だしねー」
肉団子をかじり、モグモグ口を動かしながら、黒目がちな郁の瞳が彼らの仕草を追っていた。面白い食事の仕方をする人だなあと気にはしながらも、教員専門の大学があるのということを初めて聞いた彼は興味津々だった。
「さっきの人たちさ、ほんと、横暴だよね」
量を考えずにかぶりついたためか、はたまた箸使いが不器用なせいか、恵の口の周りはミートソースだらけであった。さらにほおばって、ほおを膨らませながらも、彼の話は止まらなかった。
「巻きこんどいて放置してくんだよ? これだから裏月は厄介者だの非常識だのって言われんだよー」
「そうならないようにしっかり教えこむのが俺たちの仕事になるんだろう?」
おとなしく食べている佳也の話は、腹に留まる説得力がある。が、だらしなく食べ散らかしている恵の話には、真面目な生徒であれば、「師と仰ぐ依然の問題だ」と耳を傾けないだろう。郁の性格も真面目な方の部類である。現に、彼もだんだんと恵に不安を抱き始めていた。
しかし郁にとっては雲の上の話であったため、相手を卑下することよりも、感心の念の方が勝り、時折箸を止めながら耳を傾け続けていた。
「さっきの暴れてたのが、文月……かな。で、くたばってた兄ちゃんが、恐らく葉月で、あとから来た女の人と取り巻きが、如月だよなー、多分!」
「はっきりと家紋を確認できていないから断言できないがおそらくは、だ」
〝月の異名ですよね?〟
「ご名答! 裏月は十二の月の異名に紐づいた集団なんだよ」
「血縁者以外は十二月学園で学び、入門試験を突破した者だけが所属できる、狭い門戸の血族だ」
「しかーも。刀、持ってたでしょ?」
アイコンタクトと首の振りで郁は恵の問いかけにうなずいた。あんな危ないものを持ち歩いて大丈夫なのか、郁は内心、ハラハラしていたのだ。
「あれさ、普通は現行法だと、許可なしでは持ってちゃいけないんだけど、なんと裏月は」
「独自の法治が許されているから、実質、無許可で振り回し放題だな」
「これがさ、よく思われてない理由だよなぁ」
「わかってやってんのかな」と言いながら、無遠慮に突き刺された麺は、口に運ばれる前に全て皿に戻ってしまう。すり抜けてもかまうことなく、恵は滑る麺を箸でかき寄せ、皿に顔を近づけ、かきこみ始めた。
「加えて、十二月学園では、『ソウキ』の名前を出すことすら許されないなんていう、思想統制もある、かなり旧体制の組織だな」
〝もしかして颯葵のことですか?〟
「うん。十二月学園ではね、生徒が『セロトニン忍!』とか『朝型勇者』とか『蓄光スキル』とか口に出そうもんなら……」
「厳しい処罰が待っている」
〝僕は文学部二年で、専攻は颯葵です。〟
郁の話を聞くなり、恵は箸を揺らし、腹抱えて笑い出す。すでに食べ終えていた佳也は、落ちそうになる箸を奪って、皿に戻していた。
「傑作、もう最高傑作じゃん、それ。颯葵非愛好家と颯葵愛好家が出会っちゃうとか、ドラマチック」
ケラケラと笑いながらも、キレイに皿を空にした恵は手を合わせる。いつの間にか空になっていた皿に郁は目を丸くした。
「また様子見に来るよ、月見君」
「だから他大学に気軽に出入りするなと」
「知見を広くもってこそ、本物の先生じゃん」
〝ありがとうございました、新山先生、水戸先生。〟
「やだなぁ、まだ先輩でいいってば」
「だから大学が違うだろうが」
学生食堂を出た二人はあれこれ言い合いながら、裏門へ向かって歩いていった。
午前中でレポートやテスト返却が終わった郁は二人を見送り、食堂を出たあと、裏門近くの図書館に足を向けた。
門の先の林道から、彼を見ている人影があった。郁はチャリッと鳴る音に気づいて、そちらを向いた。
全身真っ黒な出で立ちで、腰に刀を差していた。先ほど襲ってきた人より、背は高い。
すっぽり頭を覆っていたフードがゆっくりと落ちる。顔をあらわにしたその人物は、毒々しいほど白い肌に、闇色の髪と赤い目がよく映えていた。呼ばれてもいないのに、郁の足がそちらへ吸い寄せられるように向いていった。
羽純大学を出て林道を歩き、頭一つ下の恵を見つめる目つきは相変わらず険しい。鼻唄で鼻を鳴らし、スキップしかねない彼の腕を佳也の大きな手が引き留めた。振り返り、浴びせられるのは悪戯な笑み。
鼻筋を摘まみ、眉間をグリグリ押してくる悪ふざけに、佳也の皺がさらに刻まれた。
「なにをするんだ」と小言を飛ばそうとして開いた口から「あっ」と驚く声が出た。いきなり腕を引かれ、佳也は前のめりに駆け出す。
追いつくことのない影。空に昇る月輪のようにどこまでも、どこまでも逃げていくばかりで。
横に並べば高低差のある二つの形。空から見れば、その差などわからず、どれも同じであるのに。どこで境界線を引かれてしまったのだろうか。
俺もお前と同じものが見えたらいいのに。佳也はその言葉を何度も飲みこんできた。今日も腹の底に沈めたまま、自業自得の痛みに歯を食いしばる。
緩やかに減速していく歩みはやがて止まった。棒立ちになった恵に倣って、佳也も止まる。足元に釘付けの彼をそばで見守り続ける佳也。
パッと顔を上げ、指を差してはしゃぐのにつられて、佳也も顔を上げた。陰りが晴れていく表情とともに、地に残った影を空に見送る。夜の跡が寒空に、煙となって残っていた。
林道の枝で羽休めをしていたツグミがその見上げた顔を見つめる。繋がれたままの手の結び目は、死角になっていた。木々を渡り、小柄な追跡者はこっそり二人のあとをつけていった。
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