月負いの縁士

兎守 優

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1.夜半のホウリング

6 夢の残痕・悪夢の続き

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 人が退いた道に現れたのは和装の女性だった。白黒のストライプ地に、赤と白の花柄をあしらった着物に身を包み、光沢のあるクリーム色の帯を締めている。ブーツの底を鳴らしながら、彼女は騒ぎの中心に近づいていった。

 桃色の髪を結い上げ、梅重うめかさね色の瞳が鋭く爛々としている風貌に、周囲がハッと息を呑んで人の波がさらに引いていく。彼女のすぐうしろには、二人の男性が控えていた。

「おやまぁ。遅かったかねえ」
 彼女が裏門の悲鳴の方へ視線を向けたのは一瞬だった。襲われて倒され、仰向けのままだった郁に歩み寄り、屈んで手を差し伸べる。
 その指先が伸びきるよりも先に、控えていた黒髪に色白の肌を持つ従者が透かさず進み出て、彼女の代わりに郁の体を起こした。

梅見うめみの当主がなんの用だよ」
 ぶつけた後頭部を押さえながら、成清が梅見丹那になに近づいていく。メラメラと燃えるような怒りの目を彼は梅見に向けた。彼女も同じように成清に鋭利な視線を注ぎ、動じなかった。

葉月はづきごときが!」
 郁を起こした従者が、主と成清の間に躍り出て、食いかかろうとする。

こうき
 丹那になが袂を振り上げると、こうきは途端にひざまずいて口を噤んだ。

「随分な物言いだねえ、気を利かせてやったとは思わないのかい?」
 彼女の小馬鹿にしたような物腰に成清はますます青筋を立て、「んだと」と牙を向けた。

「何故なんて、幼稚なこと、聞かないで頂戴」
 ムキになって食ってかかろうとする彼の言葉の先を丹那になは先手を打って封じていった。

「あたしらのこれには、なんのために家紋が入ってるか、わかるだろう?」
 帯締めに差した刀の柄の紋様を彼女は成清に示す。家紋が刻まれたその刀を持ち歩けば、どこの一門の所属であるのか、知る者にはすぐわかるのだ。

「……抑止のための目印」
 言われなくてもわかっている。彼は負けじとすぐに答えを突き返した。

 間が開いて遅れて、乾いた音が響いた。良くできましたと言わんばかりに、丹那になが手を叩く。

「通報によると最近この辺りをうろついてるそうじゃないか、その子」
「あんたらが手を出すほどじゃないだろ」

 獲物を探るような獰猛な目と挑みすごむ牽制の目。一触即発の間合い。二人が鞘に収めたままの刀を互いへ振り向けようとした瞬間、背の高い男が割って入ってきた。

「そんじゃ、ま、早い者勝ちってことでどすか、お嬢」
 丹那になのもう一人の従者である、グレーの着物に金髪の男が軽い口調で、二人を制した。

結人ゆいと。あんた、おもしろいこと言うねえ」
 丹那になは口元を覆って笑みを深める。紅染べにぞめの瞳の下で、成清のまぶたがピクピク震えていた。

「先は越させねぇぞ」
「意気込みの割には、その刀はお飾りなのかねえ」
 鞘に収まったままの成清の刀を指して、彼女は目を細めた。丹那になは先刻、この刀を大勢の面前で抜くつもりだったのだろうか。

「抜けるわけねぇだろ、こんな真っ昼間に」
「君は抜けるだろ?」
 こうきに支えられた郁の体がピクリと反応した。刀をこんな人の多いところで抜いたら、良くないことになる。郁の表情が引きつる。

「ためらったら大事なもんを失うんだよ? 覚えておきな」
 丹那になの細い指先が鞘をなぞる。親指はつばのところで止まった。親指でグッと押し上げられた刀身が数センチ、繰り出て、鋼が陽光を受けてきらめいた。周囲をまばらに囲む学生たちがどよめく。

「んな思想、誇るんじゃねぇよ」
 本来であれば陽の光の元でその刀を抜くことはできない。ある条件を除いては。
 成清はその例外の意味を身をもって痛感していた。わかっているからこそ、彼女の挑発や叱責には、強く言い返せない。
 己の脇に差してある、罪の証から彼は目を逸らす。一時的にでも目を背けることで、呵責にさいなまれ、自棄になって鬱々と巡る気持ちを成清はやり過ごそうとしてきた。

「あたしのはねえ、君と違って自分のを吸わせてるからさぁ」
 刀の柄を成清は握りしめた。心の奥底に押しこめた深い傷と痛みが噴き出してくる。歯を食い縛り、彼はせることのない血の過ちを思い起こす。齢十二に満たず、問われなかった罪過。償うべき相手は深い谷底に落ちていった。きっと、もう償うことは叶わない。
 より上位の一門に上がる――上進への道には、常に消えぬその罪の影がつきまとう。過ちと向き合う機会を振り切り、彼は一族の悲願のため、走り続けてきた。
 己の影から逃げ続ける成清は、せめてもの報いを受ける覚悟を決めていたのだが。

「ま、上進だとかいう幻想に取り憑かれた愚か者同士、潰し合えばいいさ」
 成清のいわれなきもう一つの罪咎ざいきゅう。殺すよりも重い、救えなかったことへの後悔の痕がこびりついて離れない。成清と郁に襲いかかってきた刺客――一二三月ひふみつき礼門の前では彼を傷つけないよう、抜刀をためらい、冤罪を甘んじる姿勢を見せた成清だった。が、かつて親交を結んだ一二三月ひふみつき恵門えもんのことを悪く言われるのは、我慢ならなかった。

「恵門は、一二三月ひふみつき恵門はそんな奴じゃなかった……っ! 礼門れいもんだって、あんなことする奴じゃ……」

 「クソッ」と郁を見て、成清はかぶりを振った。逃れようのない証拠が眼前にある。
 兄を失い、姉は目覚めない状況下で、礼門が心を痛めたからといって、他人を傷つけていいはずがない。そんな子どものような腹いせが許されないことは成清も重々承知していた。

「あたしらの問題に巻きこんで申し訳なかったねえ、君」
 刀を鞘に納めきる金属音とカリカリザリザリ慌ててペンを走らせる紙を削る音が合わさった。

〝助けてくださってありがとうございます〟
 声の出ない郁を丹那になは「はて」と不思議そうに見た。差し向けられた文言を読み切った彼女は「やあやあ」と靴底でアスファルトをカツカツ踏み鳴らした。

「これはあんさんが責任取らにゃあかんとちゃいますの?」
 棘の鞭のごとく、丹那になが目を向けるそばから人の波が避けていく。

「目立ってんだよ、気取り屋が」
 彼女は刺すような視線を成清の瞳に注いだ。が、降参する気のない睨み合いを彼女は早々に自ら降りて、ため息一つ吐く。

「そうそう、甘味男のお加減はどうかねえ」
「……おい。バカにしてんのか」
 炎を閉じこめた瞳の奥で、業火が燃え盛る。落胆した素振りを見せていた丹那になは、袖を軽くて振り上げて跳ねた。

「しっかしまぁ、そのザマじゃ、育てた甲斐もなしで可哀想だこと」
「…………」
 押し黙った成清に、愉快にケラケラしていた表情を急に押し殺して彼女は撤退の号令をかけた。

「これは失敬。退くよ、お前たち」
 梅見の一同は来た道を引き返していく。成清はようやく郁に近づくことができたが、目を合わせなかった。

「おい、小僧。大丈夫か」
 郁がうなずいた雰囲気を察して、彼は踵を返した。
「急用ができた。今日はここまでにしてやる」
 ざわめきの中、置き去りの郁は、裏門に向かう後ろ姿を見送る。成清は唐突に振り返って叫んだ。

「いいか。夜道をうろつくんじゃねぇぞ」
 身ぶり手ぶりで返事をしようと一歩踏み出そうとした瞬間、郁の体がよろめいた。彼は衝撃に身構える。
 しかし、地面との距離は縮まっていなかった。代わりに引き戻された先には、彼の見慣れない顔があった。
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