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6.薄明
しおりを挟む敷地の城壁のすべてに荊が這い、門も荊によって固く閉ざされていた。
私のような吸血鬼を地下に匿っていた家柄だ。正式な手続きも経ずに、黒桐屋家を乗っ取ろうとすれば、こうなってしまうのも、あり得る話だ。
そうだな。敷地にある森の生き物たちも、屋敷への侵入者を許さなかったな。私が追い返さなければ、かみ殺しに躍り出ていただろう。
夜は生き物の様相が一変する。だから私は戸締まりを欠かさなかったのだが。
戸締まりはしっかりとしてあるだろうか。今さら心配など無用だろうが。
足元でチュウと鳴く声がした。あのネズミだった。
「君のおかげだ。ありがとう」
何もお礼を渡せないのが心苦しい。このネズミが春弥様の手紙を運んできてくれなければ、私は永遠にあの牢獄で飼い殺しにされていたというのに。
歩き出せば、ネズミもついてくる。止まれば、ネズミも止まって見上げてくる。
「君も私たちについてくるか?」
目の前に突然、淡い光の羽がふわりと舞い降りてきた。黒桐屋家の庭でよく見かけた、あの鳥のものだ。
白い小鳥は春弥様の周りを数度、飛び回ったあと、ネズミの方へ下りていった。
「君たち、仲がいいのだな」
ネズミは顔を上げて立ち上がり、小鳥の方へ手を伸ばそうと必死だ。小鳥はなかなかネズミの手の届くところまで下りていかない。
「君。贈り物がなければ、気を引けないのではないだろうか」
見かねて手を出したくなってしまった。春弥様を片手にしかと抱きかかえ、空いた手で、敷地の外に咲いていて無事だった草花を摘む。小さな花だ。途端に小鳥は私の手に飛んできて花びらをつまんでいった。
「君もやってみるといいよ」
もう一度、草花を摘み取って、今度はネズミの方へ差し出した。ネズミは草花を前足でたぐり寄せて、必死になって掴もうとしている。
「君たちならきっと大丈夫。種族が違えども、手を取り合えるよ」
私は歩き出した。夜かどこかも分からない方へ。彼らはもうついてこなかった。
伝承によれば、吸血鬼とは、よみがえった死体で、陽の光を浴びればたちまちに焼かれてしまい、聖なるものを忌避し、鏡にその姿が映らず、夜な夜な人間を襲い、血を啜り、眷属を増やしていく醜悪な化け物とされている。
醜い化け物、私はまさにその通りだ。だが、私がすでに死んでいる者であるとするなら、なぜこうも温かいのだろうか。腕に抱く愛しい主もまた、温もりを持ち、トクンと心臓が脈打っており、生きている鼓動を感じるのだ。
陽光は目につらいとは思ったが、私はカーテン越しに夜明けを目にすることは何度もあった。だが、たちどころに焼きつくされてしまったことなど一切ないから、今日までこうして生きている。
さらに言うなれば、今私たちが身を落ち着けているここは、廃れた教会だった。朽ちてはいないが、ツタがはびこり、扉はガタついており、人が使っている形跡がまるで感じられなかった。
しかし、教会内には、礼拝道具がそのまま放置されており、十字架まで活けてある。つまり、聖なるものに満ちている場所に私たち、吸血鬼はいるのだ。
鏡に映らないと言うなら、私は毎日、春弥様に見苦しくないように鏡の前で身だしなみを整えていたのはどう説明すればよいのか。私が伝え聞いた伝承とやらも、もしかしたら治秋様が作りこんだ物語なのかもしれない。
ただ一点、私が血を糧とする生き物であること、それだけが吸血鬼たる証拠であると言えよう。血がなければ活動を制限される。日の下を満足に歩けない。いざとなったときの力も湧かぬ。
あれほどまでに強い自制心を保って、愛しい主を私と同じ存在にしてたくはなかったというのに。今はどんな目覚めであったとしても、春弥様が目を開けてくださるのが待ち遠しくてたまらない。
陽が昇りはじめ、辺りがパキパキと乾いた音を立てはじめる。腕の中の春弥様もふるりと体を震わせた。
待ち望んだ夜明けだ。私が焦がれ続けた、トワイライト。
「春弥様。お目覚めでしょうか」
教会にふさわしい天使が腕の中で微笑んでいる。
「ナギだぁ」
春弥様が柔く笑う。なんて幸福なときだろう。視界がにじんで、鼻から苦いものが伝った。
「おはよう、ナギ」
「おはよう、ございます。春弥様」
よろこびを胸いっぱいに噛みしめて、春弥様をかき抱く。春弥様も手を回されて、応えてくださった。
「お腹、すいたよ、ナギ」
「そうですね。食事にいたしましょう」
心配させまいといつものように笑い返したが、どう説明をして差し上げればよいのだろうか、迷った。
「わたくしと同じものを……春弥様もお召し上がりになるのですがお口に合うかどうか」
ぱちくりと目を瞬かせ、春弥様は興味津々に私を見上げられる。
「ナギと同じもの、ボクも食べたい」
春弥様は当然のようにそう口にされる。私はしばしためらったが、主を空腹のまま待たせる訳にはいかない。
「口移しで失礼いたします、春弥様」
私は意を決して、自身の腕に牙を立てる。極力、出血が見えないよう、細心の注意を払いながら、啜る。
待ち望む春弥様の口に、自身の腕から吸い上げた血を口移しで流しこむ。
「ンッ、ふっ……」
こぼれないようにと舌を絡める。春弥様の喉が鳴る。
口を離せば銀糸が伝い、ぷつんと途切れた。
「チョコレートみたいで、ドキドキする。これがナギのお食事?」
「はい」
「じゃあどうぞ」
思いもかけず、腕を差し出される。春弥様の柔肌に、牙を突き立てるのもためらうし、腕に噛みつくのは手づかみで食べるようで何だか行儀が悪い。
しかし、主がくださると言うのなら、断るのも失礼だ。「ありがたくいただきます」とことわり、ほっそりした腕を両手で支え、肌を舌で濡らしてから、つぷりと牙を刺した。
「ぁ……ふ、ぁん」
春弥様が声を上げられる。居たたまれない気持ちになり、ゆっくりと牙を抜けば、ほおを紅潮させた春弥様が目を潤ませ、私を見ていた。
「美味しい? ナギ」
春弥様の血は舌舐めずりをしてしまうほど、美味だった。
「とても美味しいです」
春弥様を抱きしめ、愛しい温もりに浸った。
それから、二人で戯れを楽しんでいたら、夕刻が迫るほど、時が過ぎていた。
「ボクね、ずっと夕刻が待ち遠しかった」
なぜだろうか。屋敷で暮らしていた頃、夕刻を過ぎれば、門限があり、春弥様はいつもさみしい思いをしていたはずだ。私がおつかいで屋敷を離れてしまい、私が戻るまで、春弥様はいつもひとりきりでベッドに入られていたに違いないのに。
「いつかナギと夜にデートしたくて。あと何回、夕刻を過ぎたら、夜、ナギと町に出られるのかなって」
ずっと、いつか叶えたい願いを思って、夕刻を待ち望まれていたのだろうか。私の胸が締めつけられる。
「少しだけ、行きましょうか。春弥様」
「やった!」
少しと言わずに、もういくらでも夜の町に繰り出せるというのに。私の臆病さはまるで、過保護なまでに様々な思いを残した父君である、治秋様のように慎重さを欠かない。
私は立ち上がり、春弥様をそっと腕から下ろした。
一礼して腰を屈め、春弥様に手を差し伸べる。春弥様が手を重ね、私の手をとった。
「ボクだけのトワイライト。もう光を怖がらないでね。ボクはどんなときも、ナギと一緒にいるから」
春弥様がふわりと笑う。その笑顔は私にとって光だ。
私が外へ連れ出すというのに、私が導かれた気分になる。
私だけのトワイライト。あなたという、淡き薄明が途方もない夜の向こうから、私を見つめて離さない。
やがて夜の音が伝う、夕暮れの薄明の中、あなたは軽やかに舞い踊る。外の空気を存分に胸に吸いこみ、空を焼きつくす残光をその小さな背中にたたえて。
あなたは初めての光の前で踊る。私という影が夕焼けに消されないよう、あなたはその身をもって、私にとって初めての強き光を和らげてくれる。
なんて心地のよい薄明だろうか。強ばった心が溶かされていく。私は春弥様を通して、暮れゆく光を見つめた。
光と目が合う。すぐに夜に沈んでいく光。消えていったそばから、再会に焦がれた。
私はあなたと朝を迎えられる夜明けがもう待ち遠しい。
夜の中で微笑む春弥様を抱きしめる。私と永遠をともにする、私だけのトワイライト。
あなたがまとう、その淡き光が、怖がりな私をとらえていつまでも離さない。
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