毒使い

キタノユ

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第三部

ep. 39 鬼隠し(4)

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 凪および東方の五大国において「妖」と呼ばれる存在は、妖獣、妖虫、その上位でより強大な力を持つ存在を妖魔と呼ぶ。

 一方で西方では、妖獣、妖虫および低級の妖は総じて「妖怪」と呼ばれる事が多く、東で「妖魔」に類する存在は「大妖怪」「邪神獣」「魔物」等、様々な呼ばれ方が存在している。


「ガァアアア!」
 耳をつんざく風の音と、獣の断末魔が同時に轟く。
 氷塊が割れた硝子片のように光を反射させながら、四方八方に爆散した。

「ひぇっ!」
 アキとあさぎは咄嗟に身を寄せ合って大樹の影に蹲る。鋭角に削れた氷が次々と幹に突き刺さった。
 恐る恐る覗き込むとそこに見えたのは、キョウの後ろ姿の向こうに、四つか五つに分割された獣の巨体が地に落ちる瞬間だった。

「二師」
「承知」
 切り刻まれた死骸を前に、上士と毒術師の二人が短い言葉で頷き合う。

「水泡」
 青の短い唱えに従い、黒ずんだ粘液が死骸を包み込み、そこへ小さな火玉を放るとまるで綿あめが水に溶けるかのように消失した。

 妖魔の棲み処はまるで初めから主が不在であったかのように、空となる。

「こいつも妖魔と似たような手ごたえだった」
「情報通り、と」

 青が胸元から取り出したのは、天陽から耳にした話や、諜報部が収集した西方に関する記録の一部を書き取ったもの。

「峡谷上士って、ホントに妖魔級をほぼ一人で倒しちゃうんだ…」
 大樹の影から恐る恐る様子を伺うアキと、
「カッコいい…私も倒せるようになりたい!」
 英雄に憧れる少年のような眼差しの、あさぎ。

 その後ろから飛来してきた鷲が、雲類鷲に姿を変えて降り立ち、キョウと青へ歩み寄る。自然と女子二人もそのあとに続いた。

「この周辺には他に、妖魔級は存在しないようです」
「そうか。偵察ありがとう」

 菫を雉島に任せて村へと帰した後、青たちは街道に戻り、邪神獣と呼ばれる存在の出現情報を収集。
 その中で、生け贄を出す対象ではないものを選び、調査して回っているところだ。

「強さは概ね、妖魔にあたると思って間違いなさそうな感触だが、言葉の定義が曖昧すぎる」
「そうですね。妖ではないヌシ級もいれば、そもそも妖ではなく、隠遁生活をしている世捨て人であったり、賊であったり。生け贄を出す対象となるとまた強さが異なる可能性もあるのではと」

 東の五大国と異なり、妖や獣の分類が体系的でなく、国や地域によってもバラバラで統一性が無い。
「何やら悪いもの、怪しいもの」が総じて「妖怪」か「邪神獣」と称されている場合もある。

 そして白兎では、雉島が所属している警吏隊のような治安維持機構はあるものの、それはあくまでも国内治安維持を目的した対人組織であり、対妖体制が整っていない。

「同じ小規模国の翡翠では各地で国民が率先して自警団が組織されて対妖体制も整えられていましたが、白兎ではその傾向が見られません。なんというか…」

 資料から目を離し、青は指先を口許に添える。

「何か「諦め」ているような」
「諦め…か」

 青が選んだ言葉を小さく繰り返したキョウの面持ちに、皮肉の混在した苦笑が浮かぶ。

「その諦めが悪循環となって、この国は腐沼のような状況なのだろう」

 思わぬ強い言葉に、少しの緊張感が一同の間に走った。

「俺が経験した凪の妖魔討伐任務にも、棲息地域の気候変動を引き起こす害を成した妖魔がいた。その時は特士二人、俺含む上士二人、准士二人、支援班と医療班という編成で、討伐は成し遂げられた。「神獣人様」でもない人間でも、訓練を積んで組織すれば太刀打ちできるはず」

 それを行ってこなかった結果が現状の、蔓延(はびこ)る生け贄の風習というのであれば、キョウにとってそれは腐沼にも映る、という訳だ。

「そ、それなら、凪が「邪神獣」討伐を引き受けるかわりに、転送陣や陣守村を開く取引ができませんか?!」

 と、あさぎが挙手。
 翡翠の成功例を倣えないか、という事だ。

「俺もそこに好機があると思っている」
 あさぎの素直な意見に頷いてから「だが」とキョウは言葉を続ける。

「問題は生け贄制度が白兎やその周辺国の「国策」となっている点だ」

 それに青、雲類鷲も頷いた。
 アキは静かに見守っている。

「生け贄を他国に送り込む、これは白兎にとって「産業」だ。そして生け贄を差し出す地域へも金が流れているだろう。金を受け取る側からすれば楽な商売という訳だ」

「え……」
 色が抜けるように、あさぎの顔が青白んだ。

「生け贄を「買って」いる側の国々からしても同様だ。最小限の被害と費用で妖魔を大人しくできるのだから。下手に俺達が「凪の国民」として勝手に邪神獣に手を出して生け贄制度を邪魔すれば、対凪と、この周辺の国々との間に摩擦が生じる」

「そ、そんな、そんな産業なんて…」
 学校を出たての若者、特にあさぎのように都育ちには衝撃が強い事実だったようだ。
 あさぎは、言葉が浮かんでこないもどかしさに、喘ぐように口を動かしている。

「だが、時間をかけて自発的な自警意識を育み、法軍のような対妖体制を敷く手助けができれば、凪と、白兎を中心とした西方の北方各国と友好的な関係を築けるかもしれない」
「で、でも、早くしないと、それまでに生け贄の人たちが犠牲になっちゃいます! 勝手に妖魔を倒すのがダメなら、どうしたらいいんですか?」

 稚拙ながらもあさぎの言葉は、この場にいる誰しもが抱く思いを代表したものだ。

「幸いにも私達は、旅の神獣人とそのお供、と白兎の人々に見られています」
 キョウの傍らから、青が続ける。

「喫緊の邪神獣退治であればひとまず「通りすがりの旅人の仕業」で済むでしょう。しかしそれは一時しのぎでしかない」

 妖を根絶する事は困難で、いずれまた時間の経過と共に成長した新たな個体が猛威を振るう事となる。今の白兎に必要なのは、持続的な戦力なのだ。

「白兎にそんな戦力になりそうな人って…いるんでしょうか…?」
「雉島さんによれば、警吏隊や官吏の中にも生け贄制度に疑問を持つ層も一部に存在していると言います。ですが彼らは大きな組織の中の人間。身動きが取りにくい事も多い。外、つまり民間で自由に動ける協力者が必要です。内外から切り崩すためにも」

「そこで、凪の法軍の出番ってわけですね!?」
 小さな両手で拳を握り、英雄譚に喜ぶ少年のように瞳を輝かせて紅潮するあさぎ。

「…と言いたい所ではあるけれど…」
 どこか昔の自分を彷彿とさせるような青さ、初々しさを感じ、青は困ったように小さく苦笑した。

「凪はあくまでも補助的な立場でないと。人員的にも限界はある。それに白兎や周辺国が外の戦力に依存しすぎる結果になっては、生贄制度に頼っている現状からの根本的な改革にはならない」

「えー…時間がかかりそうです…」
 また、あさぎの眉が下がる。表情の変化に忙しい子だ。

「なんで白兎はそんな事になっちゃったんだろ…」
 あさぎは肩を落とした。言葉は稚拙だが、問題意識は的を射ている。

「諜報部から頂いた地図を眺めていて、不思議には思っていました」
 青は近場の岩に、地図を広げた。

「ここに、白兎。周辺の国々は牡丹つまり猪。未(ひつじ)。鹿紅。焦柏(しょうはく)これはおそらく鶏――といった国々が集まっています」
「弱そうな動物ばっかり……あ…」
 地図は、諜報部が十数年をかけて作り上げてきたもの。俯瞰的に地名や国名を眺めている事で、見えてくるものも多い。

 白兎から見て南側には狼や鷹、更に南は龍等の強者たる獣や神獣の名を冠した国々が配されている。

「この北側経路に沿った国々の名に登場する獣はどれも、家畜や、古代から神事等で供物とされるものが多い」

 更に――

「翡翠で出会った兎族の高官殿から聞きました」
 青の記憶に、翡翠で出会い、資料閲覧に協力してくれた、兎族の高官の言葉が浮かび上がる。

「無力な種、無力な者は「半端もの」と呼ばれ、差別や迫害の対象となる事があると。そして自ら兎族をその同類と表現していた。あの方の出自までは窺えませんでしたが、もしかしたら…このあたりの出なのかもしれませんね。そうでなくとも、西方での兎族の立場は非常に低いようです」

「そういえば…聞いた事があります」
 目が覚めたように、雲類鷲が青を振り向いた。
「白兎の罪人(つみびと)伝承、の事ですか」

 頷く青へ、キョウ、あさぎ、アキが答えを求めるように視線を向ける。

「いくつか、白兎の古跡や史跡を見てきたのですが」
 あと往来やお年寄りの方々にもお話を、と付け加えると、キョウが小さく笑った。

「白兎建国以前からの古い伝承に、ある悪知恵がはたらく兎の物語があります。他者の善意を利用して欺き騙し、ですが最後には痛いしっぺ返しをくらう」
「子どもの躾話にもよく使われる話です」
 と雲類鷲。
 西方においては広く知られているようだ。

「雉島さんによれば、御渡村は住民の大半が兎属だそうです。そして白兎から送り出される生け贄はみな兎族である。街道で兎族の姿を一人も見かけなかったのは、御渡村のような辺境地域の村でしか生きる事を許されていないからです」

 村を出られるのは、すなわち生け贄として送り出される時のみ。

「え…何…おかしいです…」
 青白かったあさぎの顔色が、少しずつ紅潮し始めていた。

「そんな昔の話のせいで、兎族さんはずっと生け贄にならなきゃいけないんですか…!?」
 こみ上げた怒りで、語尾が震えている。

「遥か昔、ここら一帯は氷に覆われた極寒の地であった。西方の国々でもっとも北緯に位置しているのが白兎です。私が思うにここは、流刑地のような場所だったのではないでしょうか」

 罪人が集められ閉じ込められていた歴史を持つ場所がそのまま、罪人(つみびと)を冠した名を持つ国となり、長い刻を経て今も尚、兎族は罪人として命を軽んじられる事が常である存在であり続けているのだ。

「周囲の国々も歴史を探れば、同様の伝承が何かしら見つかるかもしれません。遥か昔、この極寒の地に追いやられた理由を持っているはず」

「それが今や生け贄のおかげで凍土は溶け、気候穏やかな森と湖の地帯と化し、東西をつなぐ道になろうとしている。数奇なものだ」

 胸元で腕組みするキョウが、静かな溜め息を吐く。眉間に浮かぶ皺に、燻る怒りが見える。

「この国の「諦め」が相当に根深いもの…という事ですね」
 長らく無言で青たちの話を聞いていたアキが、ぽつりと言葉を漏らした。

 そこに、雲類鷲が「同意します」と続く。
「そんな歴史を持つ国々において、国や民の為に戦う意志を「零」から育むのはとても難しい事に思えます」

 怒りに顔を赤くするあさぎ、目を伏せるアキと雲類鷲を前に、キョウと青が瞬時、視線で合図を向けあった。

「一つ、気になる事があります」

 そう切り出す青は、一同に視線を一巡させる。

「皆さんも耳にしたと思います。「鬼の戦士さま」の噂」
「え」

 ――鬼は妖怪や悪者をやっつけるんだぜ!
 ――おれも鬼の戦士さまになるんだ!

 茶屋の少年が、そんな事を叫んでいた事を、あさぎとアキは思い出す。
 また、菫を匿った際も、

 ――困ってる人は助けなきゃって言ってただろ?!
 ――おれは鬼の戦士さまになるんだからな!

 と、どうやら少年にとって「鬼の戦士」とは正義の味方である様子だ。

「でもあれって御伽噺ですよね…男子が好きそうな。私も大好きですけど!」
「俺も子どもの頃はその手の話は好きでしたが…」
 あさぎに続いて、雲類鷲も首を傾げる。
「俺が昔、獅子國で耳にしていた「鬼」とはずいぶんと違うようです」

 鬼とは悪しき存在で、麒麟をも食らう。

「凪…東方とは違い、西方では「鬼」の存在は馴染みがあるようですが、鬼が正義であるという話は白兎まで進んできて初めて耳にしました」
「宿屋のおかみさんは「鬼隠し」と言って男の子を叱っていましたから、鬼が子どもの味方だというのは、新しい感覚って事ですね」

 青の言葉に、アキが同調する。

「男子って、そういう闇の英雄みたいな話って好きですからね。私も大好きですけど!」
 アキの言葉にあさぎが心を躍らせ、その背後で雲類鷲が小さく頷いている。

 幼い少年特有の強者への憧憬と、子どもの逞しい想像、発想力が生み出した御伽噺。

 そう片づけてしまうには、気がかりな事があった。

「街道で邪神獣情報を集めている時に、気になる話がいくつか」
 言いながら青は懐から帳面を取り出す。
 往来での聞き込みを書き留めたものだ。

「果樹園を荒らす邪神獣。小さな集落を襲う邪神獣。子どもを攫う山の妖怪。郊外の街道に出没する妖怪…は、おそらく賊でしょう。それに街道周辺に出没する幽霊や妖怪…も盗人や賊だと思われますが、大部分が既に退治されるなどして解決していました」

 淡々と青の手が帳簿の頁を捲っていく。相当の数を聞き込みしたが、どれもバッテンで消されていた。ところどころ「警」と記載してあるものは、盗人や賊について警吏隊が対処したものである。

「目撃した人によれば、妖を討伐した人物は警吏隊の制服とは異なるいで立ちだったと言います」
「警吏隊ではない誰かが、妖を退治して廻っている…?」

 隣からキョウが、帳簿を覗き込んだ。

「これが「鬼の戦士さま」の正体かもしれないと」
「大活躍ですね…!」
 雲類鷲とあさぎも、興味深げに青を取り囲む。

「宿屋の少年、柚斗君以外の子どもたちの間でも「鬼の戦士さま」の話は伝わっているようでした。今や彼らにとっては警吏隊よりも、鬼の戦士の方が憧れの対象になっているようです」
「ぱっと見、警吏隊より「鬼の戦士さま」の方が仕事してるな」

 キョウの皮肉に、青が覆面の下で「ふはっ」と吹き出した。

「これだけの数をこなしているのですから、単独ではなく、複数人である可能性がありますね」
「複数人、か…組織的なものなのかどうか…」

 キョウがよりいっそう、青の手元の帳簿へ顔を近づける。一つ一つの記録を目で追っていた。

「妖魔級に手を出せていない様子から、少人数なのか、力不足なのか…ですが、未熟なだけで白兎の自警を担う意志があるのなら、ここに我々が力を貸す事はできないでしょうか」

「……」
「……」
 帳簿に落としていた面々の視線が、徐に青へ再び集う。

「じゃあ、じゃあ、次は鬼の戦士さま探しですね!」
 あさぎは分かりやすく、冒険譚にときめく少年のように顔をほころばせていた。

 キョウと雲類鷲は驚嘆と期待感が入り混じった色を、瞳に浮かべている。

「やはり二師に相談して良かった」
 強張っていたキョウの目許が、柔らかく笑みの形に緩んだ。

「俺の漠然とした思いつきに、ここまでの裏付けをとってくれるとは」
「最初に「鬼の戦士」の可能性に着目したのは、峡谷上士です。私も最初はただの御伽噺だと思っていましたから」

 文字で埋まる頁をおざなりに捲りながら、青は覆面の下に照れ笑いを零す。

 キョウの考えを聞いた時に、白兎の弱者が被る理不尽を正したいという願いや、白兎の民による自治作用を強く望む気持ちが伝わった。

 それを元に仮説を立てて調査したところ、全般的にキョウの直感が当たっていたのだ。

「本当に…凄い調査能力です…二師を諜報部に勧誘したいくらい…」
 アキは青と帳簿に並んだ文字の羅列とを見比べて、呆けていた。

「諜報部の皆さんのおかげです」
「――え…」

 青の言葉に、アキの視線が弾かれるように上向く。

「諜報部から提供された地図や、多くの情報が基礎にあっての事です。皆さんのおかげで、私たちは前へ進める」

「……叔父さんたちや、先輩たちに、聞かせてあげたいです…」

 チョウトクばかりが貧乏くじを引かされる。

 そう吐き捨てた過去の自分にも伝えたいと、アキは心から思った。
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