毒使い

キタノユ

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第三部

ep.33 西へ(2)

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 陣守村を出発して森へ分け入り、一隊は西に向けて徒歩で進む。

 赴く地は、南の森から西へ移動した先に位置する小国、翡翠ノ國(ひすいのくに)。
「国」と称するにはあまりに規模が小さく、凪の一州にも満たない面積と人口だ。

 翡翠ノ國は大きく分類すれば古國の一つであり、神通術とは異なる土着信仰を祖にした術法が存在するが、地のりの良さから古より妖や他国の脅威に晒されにくく、故に国軍にあたる軍事力を持たずに地域ごとに自警、自治を行っていた。

 凪と翡翠はごく小規模な貿易でのみの細々とした国交にとどまっていたが、今回初めて戦力提供の協力交渉があったという。

「最近は妖やらヨソから流れてくる賊が増えてるって話だ。気ィ抜くんじゃねーぞ!」
「承知!」

 先導する隊長―雄々しい顎鬚が特徴的な猪牙上士が隊列後方まで聞こえる声で発破をかける。

「やっぱり」
 青は隊列から少し距離をとって歩きながら、森道の脇へ目を向けた。

 最近は凪の都周囲でも妖獣の出現率が上がっていると感じている。

 翡翠ノ國が凪へ戦力支援を求めてきた理由も関連しており、急増する妖や賊への対処に国内の自警力が追いつかずに、国がいよいよ難儀した故だと言う。

 徒歩と風術による高速移動を交互に繰り返しながら進むこと、半日。

「ここらにするか」
 枝を跳び伝って移動していた猪牙隊長が足を止め、後続を振り返った。

「このあたりで休憩にするぞー」
「うーっす」

 高枝から砂地に飛び降り、隊長は辺りを見渡す。数十人が腰を下ろして休息するにちょうどいい岩場に囲まれた、平坦な広場となっていた。

「自然にできた地形じゃないですね」
 広場に足を踏み入れたキョウが呟く。

 地面は樹木が根こそぎ抉られた跡と見える僅かなへこみがあちこちに点在し、時間の経過と共に風雨に晒され獣に踏み均された結果、一見して平らに見えている。

 過去に妖がひと暴れした跡であろう事は、想像に容易だった。

「妖の気配はしないし、休憩だけだからまあ、大丈夫だろ」
「―そうですね」

 隊長の隣に立つキョウは、辺りに視線を一巡させてから、頷いた。
 その豪胆な物腰から粗雑にも見えるが、猪牙の鼻、野生の勘はあなどれないと、キョウは知っている。

「んじゃ、一刻くれぇかな。しっかり休んどけよー。日が暮れるまでには森を抜けたいからな」

 猪牙は率先して適当な岩にどっかりと腰を下ろして、軍用地図を開いた。隊長に倣い、隊員たちも休息の体勢をとる。

「俺の田舎じゃこういう丸く平たい場所は「鬼の土俵」なんて呼んでたな」
「オレんところは「大狸の玉置き」。ボコボコとへこんでるだろ?」
「やだあ!」

 同世代の隊員同士が取るに足らない冗談で笑っている。妖が作り上げた地形には、その形状によって地域ごとに様々な呼び名があるのだ。

「トウジュも似たようなこと言ってたっけ。猫のタマタマとか何とか」

 隊員たちの雑談に耳を傾けながら、青は懐かしさに思わず覆面下で苦笑いを浮かべる。あの時もつゆりが「やだあ」と言いながらもケラケラと笑っていた。

「隊長、水を探してきます」
「おう。すぐそこに湧き水が―」
「待って下さい」

 猪牙と准士の会話に、青が割って入った。

 キョウを含む周囲の数名が、顔を上げて青―シユウの言動を注視する。

「どうした?」
「水に触れる前に、少し確認を」
「確認?」

 疑問に応えるより先に、青は沢へと歩き出す。
 猪牙は視線だけで見送るが、キョウは立ち上がり青の後を追った。水を探していた准士も続く。

 広場からわずかに歩いた先、段丘崖下の窪みに小さな泉が湧いていて細やかな流れを作っていた。

「透明できれいな水に見えますが……」
「―しっ……」
 疑問を口にする准士を、キョウが「静かに」と柔く制す。

 青は水辺に片膝をついて、両手の平を泉に突っ込んだ。二者が見守る中、青が一つ深い息を吐き出すと、呼応するように水面が大きく揺れて黒い影が一筋、水底から立ち昇る。

 青の両手が水面で黒い筋を握り込み、水と一緒に掬い上げた。両手をゆっくりと開くと、水はこぼれ落ち、手の平に黒い粉塵が残る。「ふっ」と覆面越しに息を掛けると粉塵は空気に掻き消えた。

「今のは…解呪…?」
 キョウの呟きに重なって、

 チチッ ピチュ

 小鳥の声が頭上から降った。
 枝から舞い降りた数羽の鳥が、泉に羽をひたして水浴びを始める。

「鳥が……。水が浄化された、からでしょうか?」
 准士が、目を丸くして水辺と青を交互に見やった。

「妖が暴れた土壌には、妖瘴が残る事があります」
 手首を振って水を払いながら、青は立ち上がる。

「微量であれば妖瘴は自然と治癒していくものですから、例え浄化前の水を飲んだとしても影響は出ません。しかし蓄積されると体調を崩す可能性がありますし、妖の数が増えているのだとしたら強い個体が生まれているという事でもあるので、妖瘴の毒性も変容しているかもしれず。長期任務ですし少しでも安全な…、どうしましたか」

 気づくと、キョウと准士が顔を見合わせている。

「初めて目にしたもので」
「……あ」
 青は長々と一人で語っていた事を自覚した。

「失礼しました、つい、出過ぎた事を」
 濡れた手で首の後ろをかきながら、青は目を逸らした。

 新米時代から、つい説明や蘊蓄(うんちく)が冗長になり、時に上官に嫌な顔をされた事が思い出される。いつしかの任務で楠野上士に突き飛ばされた時の出来事も、今となっては反省が多い。

「いいえ、二師!」
 持っていた手拭いを両手で握りしめ、准士が面持ちを輝かせた。

「治りにくい傷がいつも汗でかぶれるので、水で清めたかったのです」
 准士は水辺に腰を屈め、手拭いを濡らした。襟を開いて赤い爛れが残る首筋に手拭いをあてる。

「気持ちいいです…おかげで安心できます」
 目を閉じる小柄な准士の様子が、まるで鳥に混じって水浴びをしている森の生き物のようだ。

「それは良かった」
 頷く青へ、
「助かりました」
 と、キョウは笑みを向けた。

「大人数での長期任務になると、どうしても病で倒れる者が出てしまう……仰る通り少しでも予防できる手立てがあるのは、とてもありがたい」
「お役に立てて何より」
「せっかく浄化された事ですし、皆に知らせて水の補充をさせるよう伝えるとします」

 お先に失礼、と踵を返すとキョウは猪牙隊長の元へ急ぎ駆けて行ってしまった。

 その後、猪牙隊長とキョウの呼びかけにより、飲み水の補充や入れ替えが行われる事となる。

「……上手くいって良かった」

 水辺から休憩場所へと戻るさなか、青は内心で胸を撫でおろした。

 藍鬼から教わった水術や地術と解呪を組み合わせ、地を人体、水を血や循環器官に見立て浄化する事で、人間を含む周辺生物への妖の悪影響を軽減できる。

 その発見をしてからというもの、密かに試行を重ねてきた甲斐があった。

 長期遠征で命を落とす士官のうち、数割は原因が病であるのだから。
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