毒使い

キタノユ

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第三部

ep.32 チョウトク(2)

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 完全に意識を手放した人間の体は重たい。

 中士を担いで小屋へ戻り、居間に寝床を作って横たえさせた。

 ここからは「医療士」としての大月青の仕事だ。中士の顔や体の汚れを拭い落としていき、外から見えている傷、呼吸、顔色を確認する。

「脈が速いし、熱が上がってきた」
 医院での癖で、一つ一つを口に出しながら指差し確認をしていく。

「失礼します」
 これも癖で一言添えて、首と胸元を開き服を弛め、傷や妖瘴の有無を確認する。

「…背中…?」
 自己手当であろう、上半身を斜めと横に粗く巻かれたサラシ。背中から血液の滲みが確認できた。刃物でサラシを切って傷を確認していく。血の匂いの正体はこれだ。

「化膿した様子は…なし。妖瘴も無し」
 中士をうつ伏せに寝かせ、傷を避けて腰から下に肌掛布団を掛ける。

「水を汲んできます」

 誰にともなく言い残し、青は立ち上がって水桶を手に外へ出る。川へ向かう前に軒先で立ち止まり、道具袋から液体の入った薬瓶を取り出した。

 玄関周りを中心に、液体を小屋周辺へ撒いていく。任務の野営地でも行う「獣除け」だ。

 森は逢魔が刻を迎えている。怪我人の血の臭いを嗅ぎつけられないとも限らない。

 足早に沢へ向かい、手早く沢の流れで手ぬぐいを洗って絞り、最後に桶を水で満たす。

「医院へ式鳥は飛ばさない方が良いんだろうな」

 隠密任務用の戦闘服を纏っているという事は、極秘任務を請け負っている可能性も高い。幸い、致命傷になりそうな重篤な傷は見当たらなかった。まずは意識が戻るのを待ち、本人の口から事情を聞く必要がある。

「化膿止めの補充を作って…」
 水を満たした桶を片手に、日が落ちて暗くなりかけた沢から小屋までの道のりを進む。

 と、

「いやぁああ!」
 小屋の方から、悲鳴。

「!」
 戸口手前に桶を置いて青は土間へ駆け込んだ。

 灯りのない小屋の中、壁際で体を丸くして震える影が見える。

「いや!来るな!」
 中士は何度も「いや」と「来ないで」を繰り返していた。片手を突き出し、藻掻くように空気を掻いている。

 その手の先には、棚に立て掛けた黒い鬼豹の仮面。対面の格子窓から差す薄明かりを受けて不気味に闇に浮かんで見える。

「大丈夫、落ち着いて下さい」
 青は居間へ上がり、蹴散らされた掛布を拾い上げた。丸まって震える中士の元へ歩み寄り、上半身が裸の肩へ掛布を着せる。

「やだ、離せ!あいつが!」
「大丈夫、ここは安全です」

 尚も暴れる中士の肩と背中へ、掛布の上から手を回してさすった。

 高熱のために悪夢でも見たのだろう。混濁した意識の中で薄闇に浮かぶ仮面を見て、化け物と錯覚したようだ。

「私は凪の医療士です」
「え…?」

 医療士、の単語に安心したのか、腕の中の中士は急に大人しくなった。

「驚かせてすみません。あれは飾ってあるだけで」
 ほら、と片手に炎を灯して棚側を照らしてやる。

「かざり…?」
 幾分も呼吸が落ち着いてきた様子で、中士は棚の方へ前のめりになり目を凝らしていた。

 炎に照らされた女の面相は若く、青の同世代にも見える。肩ほどまでの長さの髪の一部を、根付けのような小さな髪留めで束ねている。

「…ここ、は?」
 中士の視線が小屋の中を見渡し、青の顔に向き、自らの上半身が裸の体へ辿り着く。

「……ぎゃぁあ!」

 唐突に子犬の悲鳴のような叫び声を上げた中士の拳が、顎下から襲いくる。

「いっ!」
 間一髪で避けて青は体を仰け反らせる。間髪入れず今度は脚が飛んで来た。

「いや、違、背中に傷が」
 拳、脚、膝の攻撃を受け流しながら青の手が掛布を掴み取り、

「落ちついて下さい、怪我が悪化してしまう」
 中士の頭から被せて敷布団の上に抑え込んだ。キョウとの体術訓練がこんな形で役立つとは、思わなかった。

「離せー!」
 ぎゃーぎゃーと布団の下から、中士のくぐもった怒声が聞こえてくる。

「大丈夫ですから」
 手負いの犬か猫をなだめている気分だ。

 青はただ、中士が落ち着くのを待つしかない。死線からの生還や血に酔う事で、我を失って興奮状態になるのは、仕方が無い事なのだ。

「私は三葉医院の医療士で、位は准士、名を大月青と言います」
「准…士…?」

 抑え込む青の手の下の抵抗が、弱まった。

 獅子に上がると同時に青は、准士に任命されていた。肩書を振りかざす事は青にとって不本意ではあるが、絶対的な職位差を示す事で相手の目を覚まさせる効果が見込める事があるのも事実。

「三葉医院、の…本当…に?」

 弛めた青の手から、ゆっくりと中士の腕と体がすり抜け、布団がむくりと起き上がる。蓑笠から顔を出すように、布団の間から汗に濡れた顔が覗いた。

「こちらを」

 青は火を入れた行灯と共に、中士の前に折り畳んだ腕章を差し出す。三葉医院勤務時に着用する、医療士用の腕章だ。総合職位である准士とわかる刻印と、医療従事者と分かる刻印が施されているものだ。これも今日、支給されたばかりの物なのだが。

「…も…」
 腕章を見つめる中士の顔から、汗が引いていく。

「申し訳ありませんんん!とんだご無礼を!」

 上半身が裸である事を忘れて、中士は両手を突き出して床に伏せた。掛布がどこかへ飛んでいく。

「…あー…不安にさせてすみません、そんなつもりではなく」

 掛布を拾って中士の体にかけてやり、青は腕章を回収した。恐る恐るといった様子で中士が顔を上げる。迷子の猫のような患者へ、青は柔らかく微笑みかけた。

「私に、治療をさせてもらえませんか」
「…お…お願い、しま…」

 ようやく中士は頷き、

「…す……」

 ぱたりとその場に倒れ伏せた。
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