毒使い

キタノユ

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第ニ部 ―新米編―

ep.19 妖魔(2)

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 青が目を開けると、最初に見えたのは桃色だった。

「…?」

 徐々に焦点が合わさってくると、それが桃色に絞り染色された布地である事が分かる。

「え?」

 頬に感じる乾いた土の固さが、青の意識を覚醒させた。両手で地面を押して上半身を起こす。

 青は森の中にいた。

「保健室の先生、起きた?」
 隣にいたのは、あさぎ。
 岩に背中を預けて座っていた。
 最初に見えた桃色は、あさぎの衣服の裾だった。

「良かった…無事だった」
 体を起こして立ち上がり、青は周囲を見渡す。

 森は明るかった。

 土に湿り気はなく、岩も砂利も苔むしておらず、蛇のような木の根もない。森というよりは雑木林に近い密度で、辺りは木漏れ日の煌めきに満ちている。

「どこだ、ここ」

 さきほどまでいた湿地帯の森とは正反対の様相。
 そもそも都に繋がる転送陣に飛び込んだはずなのだ。
 どれくらい時間が経ったのかも、見当が付かない。

 気を失っていたのか、目を瞑って開いたほんの一瞬であったのか。

「他の人は…」
「私もよく分かんない」

 青の独語に、あさぎの声が応える。

 最後に一緒に陣へ飛び込んだ准士や女子生徒の姿も、先に逃げたはずの他の生徒や教師らの姿も見当たらない。

「!」

 一通り辺りを見回して再びあさぎへ目を戻した青は岩にもたれて座るあさぎの足元に違和を見つけ、その場に膝をついた。

「脚、見せて」

 桃色の、膝丈の衣服から伸びる右脚の膝から下の皮膚が、黒ずんでいる。

 妖瘴に蝕まれていた。

「まさかこれ、火傷」

 あさぎのふくらはぎに、妖瘴とは別に黒く爛れた筋も走っている。

 青の脳裏に記憶が点滅した。
 妖魔から逃げたあの時。

 青があさぎを担いで転送陣へ飛び込んだ瞬間、落雷が祠へ直撃。

 ほんの僅か、祠からはみ出していたあさぎの脚を、雷電が焼いたのだ。

「あの時に…」
 記憶と意識が鮮明になるにつれ、青の顔色から血の気が引く。

「今手当を」

 茫然としている暇はない。

 青は腰に差してあった水筒を取り、患部を避けて周辺を洗い流す。砂や泥、煤が流れて火傷痕や妖瘴の様子が露わになった。

「こんな…痛かったよね、本当にごめん…」

 青は奥歯を噛みしめる。

 子どもの細い脚に焦げ付いた創部が、あまりに痛々しい。

 自らの力不足を悔やむよりもだが、まずは早急に処置をしなければならない。

「先に解呪を」

 薬剤符を取り出そうと、青は腰の道具袋へ手を伸ばした。

「先生、ちょっと待って。私、大丈夫だから」

 あさぎの声が、それを止める。

 青の視線から患部を隠すように、あさぎは身を捩って両脚を立て、体を丸めた。

「大丈夫なわけないだろ!」
 焦りと自責の念が、青の声を荒げた。

「…ごめん、大きな声出して」
「……」

 自分の声に驚いて我に返る。あさぎは感情の見えない面持ちのまま、青から視線を逸らしていた。

「相手は妖魔なんだ。できる限りの応急処置をさせてほしい。都に戻ったら三葉先生がきっとキレイに治してくれる」

 青は一言ずつ息を吐きながら、ゆっくりと、あさぎに語りかける。これは自身を落ち着かせるためでもあった。

「本当に大丈夫なんだよ、先生」

 ほら、とあさぎは両膝を抱えていた腕を外した。ふくらはぎに走っていた黒い筋が、つい先程の半分の短さになっている。

「な…」

 更に、膝下から脚全体を蝕んでいた黒い妖瘴も、徐々に塞がりつつある火傷痕へ吸い込まれていくかのように、面積を減らしている。

 今、まさに現在進行系で。

「先生が起きる前は、もっとすごかったんだ。血とか、油か水みたいなのもたれてきて、ぐちゃぐちゃで」
「……」

 道具袋に手を伸ばしかけた姿勢のまま、青は唖然と動きを止めていた。

 青の目の前で、あさぎの脚の皮膚組織はまるで意思を持った生き物のように、裂傷を繋ぎ合わせ、表皮を再生させていく。

 さらに数度瞬きをするうちにまるで煙が引いていくかのように、妖瘴も消失していった。

「ほら、先生」

 脚が完全に元通りになったのを確認して、あさぎは立ち上がった。その場で飛び跳ね、足踏みし、屈伸運動を数回。その度に、おさげの髪が尻尾のように揺れる。

 唖然とする保健室の先生へ、
「大丈夫でしょ」
 あさぎは白い歯を見せて笑顔。

「君は一体…」

 反して青は全く笑えずに、しばしの間、継ぐ言葉を失っていた。


 あさぎの体質について議論する前に、今の青には優先すべき事がある。

「頼んだ」

 伝書を持たせた式鳥は、青とあさぎの頭上を三度旋回して、北東へ飛んでいった。

「という事は今、僕らは都の南西側にいるのか」

 都の東側の森にいたはずが、何故だが都を通り越して南西の森へ転移したようだ。

「先生、これ見て」

 藪の中から、あさぎが手を振っている。藪を掻き分けて近づいてみると、そこに亀の甲羅のような岩が鎮座していた。甲羅のようだと思ったそれは、岩の表面に彫られた人工的な模様。

「これ、転送陣か」

 都や陣守村で見るような丁寧な匠仕事ではなく、刃物で力任せに削られているのか、線が粗い。

「私たち、ここから転送されたみたい」
「転送する瞬間に妖魔の術を受けて、陣の術式が狂ったんだろうと思う」

 妖が攻撃や術を使う事で発生する「妖瘴」は、妖の毒とも呪いとも表現され、妖瘴に蝕まれた人間は生命力や気を乱される。よって術を本来の力で発現できなくなるのだ。

 それと同じ事が無機物―陣、式、符など、術が仕込まれた物質―でも言えるのだ。

「この陣、誰が作ったんだろうね先生」

 青の話を聞きながら陣を観察していたあさぎが、首を傾げる。

「確かにそうだね」

 国が公の移動手段とみなしている陣は、いずれも専門家の術師により描かれるため、乱れの無い美しい線模様であり、また祠や村で守護されているものだ。

 このように森の片隅で雨風に晒される条件下に放置された粗い陣を、青もあさぎも初めて目にした。

「えい」

 ぴょこんと、あさぎが陣の上に飛び乗る。
 だが何も起こらない。

「陣術者がいないとダメみたいだ。それか、古いのかも」

 青が苦笑すると「残念」とあさぎは岩から飛び降りた。

「先生、どうする?」

 都へ帰還する手段が無い、という結論に達した今、青たちには差し迫った問題が一つ。夜になる前に、身の安全を確保し、水と食料を調達しなければならない。

 今は光に溢れて穏やかに見える森も、日が沈めば獣や妖が跋扈する死の森へと変容する可能性も高い。気温の寒暖差が、子どもの体力を削ぐであろう。

「まずは水を探そう。川が発見できれば集落も見つかるかもしれない」
「どうやって探すの?」

 あさぎの問いに応える代わりに、青はその場に片膝をついた。

 片手を地面に押し当て、目を瞑る。

「水神、澪」

 地の奥深くまで意識を潜らせ、水脈を探った。

「……」

 あさぎは静かに、青の様子を見守る。

「あった」

 微かな水脈をたどり続けるうち、少し距離がある場所に水流を感じ取る事ができた。

「小さいけど、川がある」
 立ち上がり、青は東の方向を指し示す。

「本当に?!どうやって分かったの?」
 あさぎの、木の実のような瞳が爛々と青を見つめる。

「今度学校でね。まずは無事に帰らないと」
「はーい先生!」

 元気な声に驚いた森の鳥が、枝を蹴って飛び立つ音が連続した。

 青とあさぎは二人、川を目指して森の獣道を歩き出す。


 そんな二人の様子を高所から見つめる人影があった。

「あの子、水を当てた…」

 常緑樹の高枝に立つその人影は、夜の梟のごとく黒い外套に身を包んでいる。

 気配を完全に消し、森の呼吸に同化していた。
 顔には黒く長い嘴を持つ鳥の面。
 木の幹に添えた手を覆う、黒い手甲。

 縫い付けられた龍の銀板が、木漏れ日に反射して煌めいた。
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