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第一部 ―幼少期編―
ep.13 手紙(2)
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どこをどう走ったか、青は都の大正門広場まで来ていた。
晴れの日は白く輝く白い石畳が、今日は秋雨に濡れて灰色に沈んでいる。
ここは森への転送陣を利用するために、もう何十回と通った場所だ。病院着で濡れ鼠で立ち尽くす子どもの姿は、行き交う人々の奇異な物を見る視線を集めた。
「…どうしよう」
青は白紙となった通行証を見つめる。転送陣を使わずに森までたどり着ける術を知らない。
「あ、あの…」
恐る恐ると、青は陣を護る門衛へ声をかけた。
「ああ、いつものボウズか。どうしたそんなびしょ濡れで」
何度か顔を合わせた事のある門衛だった。事情を説明して頼み込めば通してくれるだろうか。後ろ手に隠していた白紙の通行証を差し出そうとしたとき、
「ん?」
門衛の後ろの陣が淡く光った。同時に、青の左腕も同色の光に包まれる。正確には、腕に刻まれた模様が発光しているのだ。
「おや。通行証から手形刻印に変えたのか?」
「え?」
「通っていいぞ。村で風呂にでも入れてもらえ」
「あ、ありがとう…!」
理由はよく分からないが、腕の模様が作用したのは確かだ。礼もそこそこに、青は陣へ飛び込んだ。
雨のせいか、陣守の村の人出は少ない。
いつもならば「飯食ってけ」「おやつはいるか」と四方八方から声がかかるが、今日は雨が幸いした。駐屯兵の数も少ない。
それでも誰かに声をかけられては面倒だと、裏口から村を抜け出し森へ入る。
いつもの道をひた駆けて、小屋へたどり着いた。
小屋を隠す幻影術を解いて中へ入り、後ろ手で引き戸を閉めた。
誰もいない室内。
ここに藍鬼がいれば「来たのか」と奥の部屋から声がかかるのに。
「はぁ…はぁ…」
息を整え、土間で体の水を落とす。
犬のように頭を振ると四方八方へ盛大に滴が飛び散った。土間の瓶に貯めてある水で足の泥を落とし、手拭いで水気をとって居間へ上がる。
考えなしにここまで駆けてきたものの、少し冷静になってみれば何をすれば良いのか分からない。
「…何の鍵なの、師匠…」
腕に刻まれた模様を見つめる。雨に濡れて冷たくなり、肌色は血の気を失っていた。
「…くしゅっ」
小さいクシャミ。
少し埃っぽい臭いに気づく。
空気を通そうと、居間の格子窓を少し開けた。
それから奥部屋へ続く扉を開く。
と、無人のはずの室内に、淡く輝く光源が見えた。
「?」
首だけ出して中を覗く。
光の元は、壁際の文机の上に置かれた箱だった。
工芸品の箱の表面を飾る蒔絵と螺鈿の細工が、模様に沿って光を帯びているのだ。
それに呼応するように、腕の模様も同じ色に光る。
「何かを開ける鍵」
結論にいたる前に体が動いた。箱を部屋から持ち出し、居間の真ん中、窓から入る光の中に置く。
箱と向き合う形で、青もかしこまって腰をおろした。
箱の表面には一枚の符が貼られていた。「封」と藍鬼の筆跡で書かれている。蓋へ手を伸ばし、螺鈿に指が触れた瞬間に、二つの光は共鳴しあうように白く強烈に発光した。
眩しさに目を閉じて、恐る恐る開くと光はおさまり、符は消えていた。
両手の指先を箱に添えると、何の抵抗もなく蓋は開いた。
中身はごく簡素なものだった。
まず目に入ったのは一番上に置かれた、七つ折の書状が一通。その下に、木札や革袋、布袋等が重ねられている。
「手紙…かな」
手が濡れていない事を確認して、青は一番上の書状を手に取った。
不思議なほどに、心は凪いでいる。
紙を開く音が、外からの雨音に重なった。
―大月青 殿
「何だよそれ」
書き出しの堅さに思わず青は苦笑を零す。
手紙の本文は、詫びる言葉から始まった。
―まず、凪へ戻る事ができなかった俺の不甲斐なさを詫びる
―多くを語れないままである事を、許してくれ
「何…」
それは青にとって、師自らの死亡宣告に他ならない。
通行証の血文字や血判が消えた時点で覚悟はしていたが、糸一本で繋がっていた僅かな望みが断たれてしまった。
手紙は、懇願と悔いる言葉へと変わる。
―誰を恨むことなく生きてほしい
―全ては俺が自分で決めたことで
―生きて帰る事ができなかったのは、俺の力不足でしかない
「……」
青の目は黙々と、手紙の文字を追った。
―聡いお前の事だ、俺が置かれた状況に気づいている事であろう
―お前には、俺と同じ轍を踏まないで欲しいと願う
「え……」
手紙を持つ青の手が、強張る。
くしゃりと紙が縒れる音がした。
―今後はハクロを頼るといい。ハクロは善き人間だ
―奴は必ず生きて凪へ戻す
―お前の力になりえる男だ
「何…だよ、それ…」
指先が意思に反して震え始める。
手紙の後半は、作業小屋および小屋内のあらゆる道具、素材、薬品、資料を青に譲渡する旨について、事務的な事項が続く。また、長が未成年後見人となる承諾を得ている事も明記されていた。
最初からこうなる事が分かっていて、全ての準備を終えていたのだ。
これは、遺書。
―最後に
長々と事務的な話が続いた後に、遺書は短い言葉で締めくくられた。
―青 お前と出会えた事に、感謝している
―藍鬼
「何…何だよそれ…」
青は遺書を箱の上へ投げつける。感情にまかせて破ってしまいそうだった。
「何だよそれ何だよそれ!」
他に言葉が思い浮かばず、ただ疑問を繰り返した。
問いただしたい事が山程ある。
その相手はもう、いない。
「はっ…、はぁ…、っく」
青はその場に倒れ込んで体を丸めた。
「師匠…ぉ」
涙まじりの吐息は、強さを増す秋雨の音に掻き消されていった。
それから三日、青は霽月院に戻らず、学校にも姿を現さなかった。
晴れの日は白く輝く白い石畳が、今日は秋雨に濡れて灰色に沈んでいる。
ここは森への転送陣を利用するために、もう何十回と通った場所だ。病院着で濡れ鼠で立ち尽くす子どもの姿は、行き交う人々の奇異な物を見る視線を集めた。
「…どうしよう」
青は白紙となった通行証を見つめる。転送陣を使わずに森までたどり着ける術を知らない。
「あ、あの…」
恐る恐ると、青は陣を護る門衛へ声をかけた。
「ああ、いつものボウズか。どうしたそんなびしょ濡れで」
何度か顔を合わせた事のある門衛だった。事情を説明して頼み込めば通してくれるだろうか。後ろ手に隠していた白紙の通行証を差し出そうとしたとき、
「ん?」
門衛の後ろの陣が淡く光った。同時に、青の左腕も同色の光に包まれる。正確には、腕に刻まれた模様が発光しているのだ。
「おや。通行証から手形刻印に変えたのか?」
「え?」
「通っていいぞ。村で風呂にでも入れてもらえ」
「あ、ありがとう…!」
理由はよく分からないが、腕の模様が作用したのは確かだ。礼もそこそこに、青は陣へ飛び込んだ。
雨のせいか、陣守の村の人出は少ない。
いつもならば「飯食ってけ」「おやつはいるか」と四方八方から声がかかるが、今日は雨が幸いした。駐屯兵の数も少ない。
それでも誰かに声をかけられては面倒だと、裏口から村を抜け出し森へ入る。
いつもの道をひた駆けて、小屋へたどり着いた。
小屋を隠す幻影術を解いて中へ入り、後ろ手で引き戸を閉めた。
誰もいない室内。
ここに藍鬼がいれば「来たのか」と奥の部屋から声がかかるのに。
「はぁ…はぁ…」
息を整え、土間で体の水を落とす。
犬のように頭を振ると四方八方へ盛大に滴が飛び散った。土間の瓶に貯めてある水で足の泥を落とし、手拭いで水気をとって居間へ上がる。
考えなしにここまで駆けてきたものの、少し冷静になってみれば何をすれば良いのか分からない。
「…何の鍵なの、師匠…」
腕に刻まれた模様を見つめる。雨に濡れて冷たくなり、肌色は血の気を失っていた。
「…くしゅっ」
小さいクシャミ。
少し埃っぽい臭いに気づく。
空気を通そうと、居間の格子窓を少し開けた。
それから奥部屋へ続く扉を開く。
と、無人のはずの室内に、淡く輝く光源が見えた。
「?」
首だけ出して中を覗く。
光の元は、壁際の文机の上に置かれた箱だった。
工芸品の箱の表面を飾る蒔絵と螺鈿の細工が、模様に沿って光を帯びているのだ。
それに呼応するように、腕の模様も同じ色に光る。
「何かを開ける鍵」
結論にいたる前に体が動いた。箱を部屋から持ち出し、居間の真ん中、窓から入る光の中に置く。
箱と向き合う形で、青もかしこまって腰をおろした。
箱の表面には一枚の符が貼られていた。「封」と藍鬼の筆跡で書かれている。蓋へ手を伸ばし、螺鈿に指が触れた瞬間に、二つの光は共鳴しあうように白く強烈に発光した。
眩しさに目を閉じて、恐る恐る開くと光はおさまり、符は消えていた。
両手の指先を箱に添えると、何の抵抗もなく蓋は開いた。
中身はごく簡素なものだった。
まず目に入ったのは一番上に置かれた、七つ折の書状が一通。その下に、木札や革袋、布袋等が重ねられている。
「手紙…かな」
手が濡れていない事を確認して、青は一番上の書状を手に取った。
不思議なほどに、心は凪いでいる。
紙を開く音が、外からの雨音に重なった。
―大月青 殿
「何だよそれ」
書き出しの堅さに思わず青は苦笑を零す。
手紙の本文は、詫びる言葉から始まった。
―まず、凪へ戻る事ができなかった俺の不甲斐なさを詫びる
―多くを語れないままである事を、許してくれ
「何…」
それは青にとって、師自らの死亡宣告に他ならない。
通行証の血文字や血判が消えた時点で覚悟はしていたが、糸一本で繋がっていた僅かな望みが断たれてしまった。
手紙は、懇願と悔いる言葉へと変わる。
―誰を恨むことなく生きてほしい
―全ては俺が自分で決めたことで
―生きて帰る事ができなかったのは、俺の力不足でしかない
「……」
青の目は黙々と、手紙の文字を追った。
―聡いお前の事だ、俺が置かれた状況に気づいている事であろう
―お前には、俺と同じ轍を踏まないで欲しいと願う
「え……」
手紙を持つ青の手が、強張る。
くしゃりと紙が縒れる音がした。
―今後はハクロを頼るといい。ハクロは善き人間だ
―奴は必ず生きて凪へ戻す
―お前の力になりえる男だ
「何…だよ、それ…」
指先が意思に反して震え始める。
手紙の後半は、作業小屋および小屋内のあらゆる道具、素材、薬品、資料を青に譲渡する旨について、事務的な事項が続く。また、長が未成年後見人となる承諾を得ている事も明記されていた。
最初からこうなる事が分かっていて、全ての準備を終えていたのだ。
これは、遺書。
―最後に
長々と事務的な話が続いた後に、遺書は短い言葉で締めくくられた。
―青 お前と出会えた事に、感謝している
―藍鬼
「何…何だよそれ…」
青は遺書を箱の上へ投げつける。感情にまかせて破ってしまいそうだった。
「何だよそれ何だよそれ!」
他に言葉が思い浮かばず、ただ疑問を繰り返した。
問いただしたい事が山程ある。
その相手はもう、いない。
「はっ…、はぁ…、っく」
青はその場に倒れ込んで体を丸めた。
「師匠…ぉ」
涙まじりの吐息は、強さを増す秋雨の音に掻き消されていった。
それから三日、青は霽月院に戻らず、学校にも姿を現さなかった。
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