ν - World! ――事故っても転生なんてしなかった――

ムラチョー

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一章

四話 仮想現実Ⅱ

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屋敷を逃げ出し数日間、貴方はびくびくしていました。
スコットランドヤードの追っ手を警戒して逃げ惑い、イーストエンドの路地裏を徘徊し、場末の木賃宿にしけこんで。
財産と呼べそうなものは古い画帳と僅かな持ち金だけ。
警吏けいりの追跡と捕縛に戦々恐々、生きた心地がしない数日を経たのち、様子を見に戻った貴方を出迎えたのは予想外の光景でした。
スタンホープ伯爵の屋敷はすっかり燃え落ちていました。
跡地には煤けた骨組みだけが残り、あたり一帯に焦げ臭い匂いが漂っています。

エドガーたちはどうした。
何故屋敷が燃えてるんだ。

数分後、街角で買い求めた大衆新聞で真実を知りました。貴方の殺人は何故かエドガー氏の犯行とされていました。
動機は画家の将来を断たれた怨恨。
親子の確執は周知の事実。
結婚前夜に伯爵を呼び出したエドガー氏は、話し合いの決裂に逆上して衝動的に父親を殺害後、屋敷に火を付け命を絶った。
新聞には行方不明の関係者として貴方の名前も出ていました。

ジョージィ・ポージィ・プティング・パイ、貴方には何もない。

いえいえ何もないは言い過ぎました、手元に画帳が遺されていますもんね、お母上と弟君の形見となった画帳が。

開けない?
あれからずっと封印してたんですか。

スタンホープ伯爵家は途絶えました。いま名乗りでたら貴方のひとり勝ちですねえ、いかに貴族といえ亡き弟君の許嫁と添わせるようなあこぎなまねはしないでしょうが……。
うるさい。黙れ。知った口を利くな。そういうわけにもまいりません、契約はすべからく履行せねば。
どうして開けないんですか。ご自分の罪と向き合うのが怖い?血文字で恨み言でもしたためられてたらびびりますもんねェ。
宜しい、僕が見守っていてさしあげます。遠慮会釈なく良心の呵責なく、早く捲ってごらんなさい。
……なんですその顔は。ちょっと見せて……あれっ貴方のじゃありませんね、エドガー氏の画帳だ。
ははあん、同じ銘柄だったんで取り違えちゃったのか。修羅場の只中で署名を見落としたのでしょうね、粗忽な弟君だ。

捲る。捲る。捲る。
描いてあるのはどれも同じ顔、あらゆる角度からスケッチした貴方の寝顔が画帳を埋め尽くしています。

ドジか故意かどちらでしょうね。
弟君が貴方と正反対の善良な人間なら、お母上の肖像を描いた画帳を渡そうとしたのかも知れません。
弟君が貴方とよく似たエゴイストなら、最期に恋文を贈ろうとしたのかもしれません。
阿片窟のベッドに座したエドガー氏は、貴方の寝顔を独り占めし、鉛筆をすり減らしました。

僕ね、思うんですよ。
エドガー氏は貴方に利用された事に気付いてたのかもしれない。だけど好きだから、知ってて知らないふりをした。
エドガー氏はモルグに通い、解剖学を実地で研修しました。その過程で人体の構造に纏わる造詣を深めたなら、父の死体にナイフを刺し、犯人に成り代わる事もできたでしょうね。
仕上げに火を放てば証拠隠滅完了、貴方は晴れて自由の身、大手を振ってお天道様の下を出歩けます。全く見事な作戦じゃあないですか?

アトリエには沢山キャンバスがあった。
煉獄にくべる支度はできている。

エドガー氏は最初から気付いてたんじゃないですか。
だからおかしくなっちゃったんじゃないでしょうか。
恋する人が自分に見向きもせず父親に抱かれていたら、復讐に走りたくもなりますよね。

まだわかりませんか。

エドガー氏は貴方を庇った。
最愛の親友を守り抜いて死んだのです。

当代の伯爵と嫡子が死ねば、爵位は庶子にいく。
貴方は一生贅沢し、本当に好きな絵だけを描いて暮らせる。

スタンホープ伯爵は頑健な御仁ごじんで当分死にそうにない、長男が妻を娶っても爵位の継承は当分先。
自分が屋敷に引き入れたせいで、愛しい貴方が飼い殺しの慰み者に貶められるのは耐え難い。

察するに貴方を犯したのは……やめましょ、無粋ですね。

そろそろ閉館です。ジョージィ・ポージィさんもお帰りください。どこに帰ればいいかわからない?そんな事言われても困ります。
そうですね……何処にも行き場がないというなら、エドガー氏が埋葬されたお墓に参られたらいかがでしょうか。お勧めはしませんけど。僕って昔っから教会と相性悪いんですよねえ。

そうそう忘れてました。驚異の部屋は慈善活動じゃありません、観覧料はきちんと頂きます。

お代は記憶。

ワン・ツー・スリー……お目覚めですか。
貴方は誰?
オリバーさんとおっしゃるんですか。良いお名前で。
お母上はオリヴィアさんというんじゃありませんか?
そりゃあわかりますよ、オリヴィアの息子はオリバーと昔から相場が決まってるんです。
此処は何処?見世物小屋です。
あのドアを開けて真っ直ぐ進んでください。くれぐれも帰り道をお間違いなく、道端で寝たら凍え死んじゃいますよ。


さようなら。


……ふー、行っちゃった。
これで満足でしょ、約束はちゃんと守りましたよエドガーさん。本ッ当悪趣味ですね、緞帳の内側でずっと立ち聞きしてたんでしょ。可哀想に、すっごい落ち込んでたじゃないですかお兄さん。

まあね。いいんですけどね。
僕は僕を必要とする人のもとに現れる、昔からそうきまっていました。
炎上する屋敷のアトリエにて、自らの腹をナイフで突いた貴方の願いは、彼の記憶の抹消でした。
なるほど、実の父殺しの記憶は彼には重すぎる。悪ぶっていても根は善人です。ましてや腹違いの弟を見殺しにしたとあっちゃ、ね。
自分を責めて責めて責め抜いた挙句安酒に溺れて体を壊し、名前を忘れてしまってもおかしくありません。
それに……真冬の路上で酔い潰れたのを自殺と断じるのは、さすがに行き過ぎでしょうかね。

努々ゆめゆめ誤解なさらず、此処に来た時点じゃ一切記憶をいじってません。
彼が名前を忘却したのは、ひとえに彼が彼であり続ける現実に耐えきれなかったせいですよ。

死んだあとまで身内の心配をしてあげるなんて、貴方ときたら救い難いお人好しだ。
己の魂を担保にお兄さんの名前を取り戻し、引き換えに記憶の一部を奪い、罪を清算した。

どのみち地獄で帳尻が合うようにできているのに、ね。やっぱり人間は愚かで愛い。

取引は成立しました。
我が永久とこしえの主に誓いエドガー・スタンホープの兄、オリバー・スタンホープの殺人の記憶を封印しました。

代償は魂……と言いたい所ですけど、気が変わりました。火事場からこっそり持ち出した絵をもらいます。

どうするって?
飾るんですよ。

僕は神様や天使と違い、自分の都合で約束を破ったりしません。
アトリエで唯一布に覆われていたキャンバス、彼が見ることなく逃げた絵。

真っ黒。
漆黒の闇。

貴方の唯一にして最大の心残りは、彼に捧げる絵を描き上げられなかった事だ。
理由は簡単、必要な画材が手に入らなかった。
でも大丈夫、心配ご無用。此処をどこだとお思いで?貴方が探し回った画材は驚異の部屋に展示されています。
あそこの小瓶です、さっきオリバーさんが掏ろうとした……きらきら光る砂が入った。
さあ、絵を完成させてください。
黒い絵の具をキャンバス狭しと塗りたくり、まだ乾かない塗料の上に光る砂を塗して。

できた。
あの日見た倫敦の星空。

なんでも好きなものを描いてと乞われ、オリバーさんはページを塗り潰しました。
貴方はそれを、あの夜ふたりで見上げた星空だと思ったんですね。

二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た。
アイルランドの詩人、フレデリック・ラングブリッジの有名な詩です。

貴方は彼の中に星を見た。とびきり美しい星を。
それでいいじゃないですか。

オリバーさんがどうなるか?それは神のみぞ知る領分で、僕の関心事じゃありません。
でもまあ悪いようにはならないんじゃないんですかね、愛が重たいスケッチが手元に残ってるし……。

約束が違うって?
スケッチも消すって言ったじゃないか?

やだなあ見損なわないでくださいよ、いくら僕だってそんな野暮じゃありません、人の恋路を邪魔するヤツはユニコーンに蹴られて死んじまえっていうでしょ。

……やっと静かになった。やっぱりこうじゃなきゃ、博物館で騒いじゃいけません。

そういや表題タイトルを聞きそびれました、エドガーさんてばうっかりなんだから。
『倫敦の夜』『泥と星』。う~んしっくりきません、『ジン四分の一オンスに血を一滴』?
しかたない、オリバーさんには寿命を全うしだいまた来てもらいましょ。
エドガー氏が描いた絵をオリバーさんが名付ける。最初で最後の共同作業、亡者と亡者の合作です。
ていうか無事帰れたかな、そろそろ目を覚ましてる頃だけど。
凍死寸前で意識が混濁してなきゃご案内できないから、ラッキーっちゃラッキーだったんですけど。

此処は驚異の部屋ヴンダーカンマ―
お客様は迷える魂、蒐集するのは人間の記憶。
またのお越しをお待ちしております。

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