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11.依代
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社に着くなり、灼は老婆を問いただした。
「どうして、あいつが死んじゃうって、教えてくれなかったの? お狐様は全て知っているんでしょ?」
泣きながら訴える灼に、老婆はひどく困った顔をした。
「ごめんね、灼くん。それは話してはいけないことだったんだよ」
老婆の答えに、灼がいい返そうとしたときだった。
ふいに、後ろから声がした。
「ごめんなさい」
鈴が鳴るような小さく可愛らしい声だが、不思議とよく響く声だった。
「わたしは孤塚家の人間の寿命ならわかる。でも、絶対に教えないことにしているの」
ふり向くと、見たこともない白い少女が背後に立っていた。10代半ばくらいで、灼より歳上に見える。白いワンピースを着た、綺麗な少女だった。
「お姉さん、誰?」
ここには通夜の客でさえ、立ち入ってはいけないことになっているはずである。
よく見ると、彼女の頭には狐の耳が生えていた。
「お狐様……?」
恐る恐る、訊いてみた。
灼は今まで、守り神として祀っている狐の実物を見たことはなかった。いや、灼どころか、他のほとんどの家人でさえ、見たことがないはずである。
少女は黙って頷いた。
途端に、灼の心のうちに怒りが湧きおこった。
「寿命を教えないって、どういうこと!? 事故のことを教えてくれていたら、防げたのに!!」
狐は目をつぶって、小さく首を振った。
「駄目よ。人間の寿命は決められている。たとえ、何をしても変えられない。事故を防いだとしても、どのみち別のことで亡くなっていたわ」
「そんなの、やってみないとわからないだろ!」
「わかるの。何をしても、救えなかったから……」
悲しそうな声だった。まるで、全てを諦めてしまったかのような。
灼は、このまま怒りをぶつけることを躊躇した。しかし、なおも食い下がった。
「でも……それでも、せめて知っていたら、最期にお別れをいえたのに……。あいつの喜ぶことを、いっぱいしてあげられたのに……」
狐は、また静かに首を振った。
「それは、あなたのわがまま。寿命が尽きることを教えたら、その人間は最期のときを怯えて迎えることになる。そんなこと、普通の人間には耐えられない」
灼は何もいえなくなって、うつむいた。涙が止めどなく溢れる。
少女がそっと、灼を抱きしめた。体温は感じられず、冷たかった。
「あなたは優しい子ね」
灼は泣きさけんだ。ただ意味もなく。ただの子どもにとって、他にできることなど何もなかった。
泣きわめいて火照った身体に、少女の冷たさが心地よかった。
灼が落ち着くまで、少女はずっとそのままでいてくれた。
○
「もう帰るの?」
灼が社をあとにしようとしたときだった。少女が声をかけてきた。
「母様をあまり放っておけないから……」
灼はぶっきらぼうに答えた。
少女は少し考えたあとに、いった。
「多分、これからあなたをとり巻く環境が大きく変わるわ。それでも、負けないでね」
慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……それは予言ですか?」
「経験則よ」
フッと笑った少女の顔は、とても冷ややかだった。
灼は少し気になったが、あまり悠長にしている時間もなかった。
「また来ます」
灼の言葉に、少女は嬉しそうな笑顔を見せた。
○
数日後、父から書斎に呼びだされた。
書斎へ呼びだされるのは、決まって重要な用件のときだ。そして、次期当主でもない灼が呼ばれるときは、大抵叱られることが多かった。
緊張した面もちで灼が書斎を訪ねると、父は固い表情で座っていた。
薦めたソファに灼が腰かけたことを確認すると、前置きもなく、唐突に本題に入った。
「次期依代だが、お前に決まった。当主のための勉強はもうしなくていい。明日から依代の修行を始める。義務教育が終わり次第、社で生活してもらう。反論は認めない。以上だ」
事務連絡をするように、一方的に捲したてられた。
あれほど勉強をしたくなくて、早く中学校を卒業したいと思っていたのに、それを待たずして勉強から解放されることとなった。
その代わり、もっと厳しい条件が突きつけられた。
今までとは逆に、あれほどまち望んでいた中学校卒業が、自由のタイムリミットになったのである。
全く、運命とは皮肉なものだ。
(お狐様がいっていたのは、このことだったのか……)
灼は、ようやく自分が置かれている状況を理解した。
結局、兄は当主を継ぐことを優先され、依代には選ばれなかった。
代わりに、スペアである自分が生け贄に選ばれた。当然といえば当然だ。
もしかしたら、灼が消えたあとの通夜の席で、兄が依代に灼を推したのかもしれない。あの兄ならば、それくらいのことはしそうだ。
いずれにせよ、妹が依代に選ばれた際に「自分が代わる」といい出せなかった罰だ、と思った。
それで決定が覆ったとは思えないが、それでも灼はずっと後悔していた。
父に了承した旨を伝えて、灼は書斎を出た。
廊下では、兄がニヤニヤしながら待ちかまえていた。
「次期依代に選ばれたんだってな、おめでとう。依代になったら、お前みたいな奴でも、皆んなから敬われる。よかったじゃないか」
意地悪く笑いながら、話しかけてきた。妹が亡くなったというのに、悲しんでいる様子は全くない。
それが灼には、腹立たしく思えた。
加えて、いつもなら適当にあしらうところだが、ここ数日のことで、灼はすっかり余裕がなくなっていた。
「ええ、僕みたいな奴が選ばれるなんて、大変名誉なことです。でも、僕はできそこないですから。ご立派な兄様に関する占いがあっても、うっかり間違えて伝えてしまうかもしれません」
灼の意趣返しに、兄は顔を引きつらせた。
今まで一切反撃をしてこなかったから、衝撃が大きかったのだろう。
そそくさと、その場を去っていった。
これで、少しは大人しくなるだろう。全く困った兄だ。
この兄のために一生を捧げるのかと思うと、やるせない思いがこみ上げてくる。
それでも一切泣き言をいわなかったのだから、妹はすごいと改めて思った。
部屋に戻ると、まだ机にやりかけの宿題が置かれていた。学校ではなく、家庭教師から出されたものである。もう、何の意味もないものであった。
灼は宿題を放りなげ、ベッドに寝転んだ。
明日からは修行だそうだから、自由なのは本当に今日だけである。しかし、いざ自由となると、どうしてよいかわからない。
遊ぶにしても、さすがに外には行かれないだろうし、ゲームのようなものもない。普段なら妹と遊ぶところだが、もう妹はいない。
何もすることがなかった。
ふと、部屋に戻る途中、居間で母を見かけたことを思い出した。
次期依代決定の知らせを聞いたのだろう。母はひとり、泣いていた。
それだけ灼のことを想ってくれている人がひとりいるとわかっただけでも、灼は内心嬉しかった。
そのようなことを考えながら、灼はいつの間にか眠りに落ちていた。いろいろなことがありすぎて、疲れていたのだろう。
まち望んでいた自由な日を、灼は惰眠を貪ることで消費した。
○
夜、灼は昼寝をしたせいで、なかなか寝つけずにいた。
すると、急に冷たい空気が頬を撫でた。
窓は空いていないはずなのに。そう不思議に思っていると、部屋の中に何ものかの気配がした。
驚いて見やると、傍らに白い少女が立っていた。先日見たときよりも、少し輪郭が朧げな気がする。
「お狐様!? どうして、ここに……。社からは出られないはずじゃ……?」
ガバッと起きあがりながら、灼が尋ねた。
暗い部屋の中に差しこむ月明かりで、少女の涙がきらめいた。
「依代が移ったから、来たの」
「?」
意味がわからず訊きかえそうとしたその刹那、理解した。灼は息を飲んだ。
「まさか、それって……。このタイミングで……?」
「どうして、あいつが死んじゃうって、教えてくれなかったの? お狐様は全て知っているんでしょ?」
泣きながら訴える灼に、老婆はひどく困った顔をした。
「ごめんね、灼くん。それは話してはいけないことだったんだよ」
老婆の答えに、灼がいい返そうとしたときだった。
ふいに、後ろから声がした。
「ごめんなさい」
鈴が鳴るような小さく可愛らしい声だが、不思議とよく響く声だった。
「わたしは孤塚家の人間の寿命ならわかる。でも、絶対に教えないことにしているの」
ふり向くと、見たこともない白い少女が背後に立っていた。10代半ばくらいで、灼より歳上に見える。白いワンピースを着た、綺麗な少女だった。
「お姉さん、誰?」
ここには通夜の客でさえ、立ち入ってはいけないことになっているはずである。
よく見ると、彼女の頭には狐の耳が生えていた。
「お狐様……?」
恐る恐る、訊いてみた。
灼は今まで、守り神として祀っている狐の実物を見たことはなかった。いや、灼どころか、他のほとんどの家人でさえ、見たことがないはずである。
少女は黙って頷いた。
途端に、灼の心のうちに怒りが湧きおこった。
「寿命を教えないって、どういうこと!? 事故のことを教えてくれていたら、防げたのに!!」
狐は目をつぶって、小さく首を振った。
「駄目よ。人間の寿命は決められている。たとえ、何をしても変えられない。事故を防いだとしても、どのみち別のことで亡くなっていたわ」
「そんなの、やってみないとわからないだろ!」
「わかるの。何をしても、救えなかったから……」
悲しそうな声だった。まるで、全てを諦めてしまったかのような。
灼は、このまま怒りをぶつけることを躊躇した。しかし、なおも食い下がった。
「でも……それでも、せめて知っていたら、最期にお別れをいえたのに……。あいつの喜ぶことを、いっぱいしてあげられたのに……」
狐は、また静かに首を振った。
「それは、あなたのわがまま。寿命が尽きることを教えたら、その人間は最期のときを怯えて迎えることになる。そんなこと、普通の人間には耐えられない」
灼は何もいえなくなって、うつむいた。涙が止めどなく溢れる。
少女がそっと、灼を抱きしめた。体温は感じられず、冷たかった。
「あなたは優しい子ね」
灼は泣きさけんだ。ただ意味もなく。ただの子どもにとって、他にできることなど何もなかった。
泣きわめいて火照った身体に、少女の冷たさが心地よかった。
灼が落ち着くまで、少女はずっとそのままでいてくれた。
○
「もう帰るの?」
灼が社をあとにしようとしたときだった。少女が声をかけてきた。
「母様をあまり放っておけないから……」
灼はぶっきらぼうに答えた。
少女は少し考えたあとに、いった。
「多分、これからあなたをとり巻く環境が大きく変わるわ。それでも、負けないでね」
慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……それは予言ですか?」
「経験則よ」
フッと笑った少女の顔は、とても冷ややかだった。
灼は少し気になったが、あまり悠長にしている時間もなかった。
「また来ます」
灼の言葉に、少女は嬉しそうな笑顔を見せた。
○
数日後、父から書斎に呼びだされた。
書斎へ呼びだされるのは、決まって重要な用件のときだ。そして、次期当主でもない灼が呼ばれるときは、大抵叱られることが多かった。
緊張した面もちで灼が書斎を訪ねると、父は固い表情で座っていた。
薦めたソファに灼が腰かけたことを確認すると、前置きもなく、唐突に本題に入った。
「次期依代だが、お前に決まった。当主のための勉強はもうしなくていい。明日から依代の修行を始める。義務教育が終わり次第、社で生活してもらう。反論は認めない。以上だ」
事務連絡をするように、一方的に捲したてられた。
あれほど勉強をしたくなくて、早く中学校を卒業したいと思っていたのに、それを待たずして勉強から解放されることとなった。
その代わり、もっと厳しい条件が突きつけられた。
今までとは逆に、あれほどまち望んでいた中学校卒業が、自由のタイムリミットになったのである。
全く、運命とは皮肉なものだ。
(お狐様がいっていたのは、このことだったのか……)
灼は、ようやく自分が置かれている状況を理解した。
結局、兄は当主を継ぐことを優先され、依代には選ばれなかった。
代わりに、スペアである自分が生け贄に選ばれた。当然といえば当然だ。
もしかしたら、灼が消えたあとの通夜の席で、兄が依代に灼を推したのかもしれない。あの兄ならば、それくらいのことはしそうだ。
いずれにせよ、妹が依代に選ばれた際に「自分が代わる」といい出せなかった罰だ、と思った。
それで決定が覆ったとは思えないが、それでも灼はずっと後悔していた。
父に了承した旨を伝えて、灼は書斎を出た。
廊下では、兄がニヤニヤしながら待ちかまえていた。
「次期依代に選ばれたんだってな、おめでとう。依代になったら、お前みたいな奴でも、皆んなから敬われる。よかったじゃないか」
意地悪く笑いながら、話しかけてきた。妹が亡くなったというのに、悲しんでいる様子は全くない。
それが灼には、腹立たしく思えた。
加えて、いつもなら適当にあしらうところだが、ここ数日のことで、灼はすっかり余裕がなくなっていた。
「ええ、僕みたいな奴が選ばれるなんて、大変名誉なことです。でも、僕はできそこないですから。ご立派な兄様に関する占いがあっても、うっかり間違えて伝えてしまうかもしれません」
灼の意趣返しに、兄は顔を引きつらせた。
今まで一切反撃をしてこなかったから、衝撃が大きかったのだろう。
そそくさと、その場を去っていった。
これで、少しは大人しくなるだろう。全く困った兄だ。
この兄のために一生を捧げるのかと思うと、やるせない思いがこみ上げてくる。
それでも一切泣き言をいわなかったのだから、妹はすごいと改めて思った。
部屋に戻ると、まだ机にやりかけの宿題が置かれていた。学校ではなく、家庭教師から出されたものである。もう、何の意味もないものであった。
灼は宿題を放りなげ、ベッドに寝転んだ。
明日からは修行だそうだから、自由なのは本当に今日だけである。しかし、いざ自由となると、どうしてよいかわからない。
遊ぶにしても、さすがに外には行かれないだろうし、ゲームのようなものもない。普段なら妹と遊ぶところだが、もう妹はいない。
何もすることがなかった。
ふと、部屋に戻る途中、居間で母を見かけたことを思い出した。
次期依代決定の知らせを聞いたのだろう。母はひとり、泣いていた。
それだけ灼のことを想ってくれている人がひとりいるとわかっただけでも、灼は内心嬉しかった。
そのようなことを考えながら、灼はいつの間にか眠りに落ちていた。いろいろなことがありすぎて、疲れていたのだろう。
まち望んでいた自由な日を、灼は惰眠を貪ることで消費した。
○
夜、灼は昼寝をしたせいで、なかなか寝つけずにいた。
すると、急に冷たい空気が頬を撫でた。
窓は空いていないはずなのに。そう不思議に思っていると、部屋の中に何ものかの気配がした。
驚いて見やると、傍らに白い少女が立っていた。先日見たときよりも、少し輪郭が朧げな気がする。
「お狐様!? どうして、ここに……。社からは出られないはずじゃ……?」
ガバッと起きあがりながら、灼が尋ねた。
暗い部屋の中に差しこむ月明かりで、少女の涙がきらめいた。
「依代が移ったから、来たの」
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