赤い糸(20年の時を越えて)

平尾龍之介

文字の大きさ
上 下
15 / 17

告白

しおりを挟む
 その日、私は何事もなかったかのように家に帰った。洗濯に掃除、保育園にお迎えに行き、夕食の支度をテキパキとこなす。子供たちは少し不貞腐れた態度をとっていたけど

「晩ごはん、何食べたい?」

そう聞くと

「グラタン」
「オムライス」
「じゃあ、特別に今日は両方作ろっか?」

そう言うと

「やった~ママのグラタン大好き~」
「オムライスに絵を書いて~」
「いいよ! 一緒に書こうね」

子供の機嫌をとるのは簡単なこと。昨日、私がいなかったことはもうすっかり忘れている。しかし、不安で心細い思いをさせてしまった事実は消せない。そのことが、子供たちが大人になる過程で、とても大切な人格形成にどのような影響を与えるのかは、わからない。でも、確かなことは、私や裕也の心には、親が与えた大きな傷があるということ・・。なのに、何故、同じことをしようとするのか・・考えても答えは見つからない。ただ今は、子供たちのわがままを精一杯受けとめたい。たくさんの笑顔を作りたい。私は消えそうな幸せを噛みしめていた。

「ガチャガチャ」

玄関のドアが開く

「あっパパだぁ~おかえり~」

子供たちと夕食の支度をしていると、浩司が帰ってきた。子供たちは駆け寄り

「今日はママのグラタンだよ」
「春ちゃん、オムライスに絵を書いたよ」
「おぉ! それは凄いなぁ」

浩司は優しく子供たちに接する

「おかえり」
「ただいま」

浩司と私の間には緊張感が溢れた・・

「ママ、昨日」

私は話しかけた浩司の言葉を遮るように

「ごめん! 今はやめて。後でちゃんと説明するから」

不機嫌そうな顔をしながら

「わかった」

浩司はそう言った。
何も知らない無邪気な子供たちに、心の中を気づかれないように、変に張り詰めた私たちの緊張感を悟られないように、明るく振舞い夕食を食べた。浩司も子供たちの前では、いつもと変わらず優しいパパでいてくれた。子供たちをお風呂に入れ、パジャマを着せる。春音の髪を乾かしていると、激しい不安に襲われ、涙がこぼれそうになった。こうして子供たちの髪に触れ、肌に触れ、抱きしめることが、もう当たり前に出来なくなるかもしれない。子供たちを寝かしつけ、私は浩司に裕也とのことを『告白』した。
不安と恐怖が私を包み、罪悪感で押しつぶされそうだった。

「それで、そいつの子供が出来たって言うのか?」
「・・はい・・」
「そんなの・・まさか産むつもりなのか?」
「正直、まだわからない・・」
「わからないってなんだよ! お前、馬鹿にするのもいい加減にしろよ!!」

浩司の口から『お前』なんて言葉を初めて聞いた。それも当然だよね。こんなこといきなり打ち明けられて、冷静でいられるわけがない。

「こうなってしまったことは、本当に申し訳なく思ってます。私も家庭を壊したくない!  家族が大切なの・・」
「綺麗ごと言うな! 産むかもしれないなんて選択肢があるなんて異常だろ! 本当に家族が大切なら」

そう言って言葉を詰まらせた

「お前、汚らわしいよ。こんなふしだらな女だったなんて・・」

何も言い返すことが私には出来なかった。そう私は淫らでだらしない女。それは私自身が一番わかっていること。

「家族に嘘をついて、浮気して、何事もなかった顔して俺の横で寝て、子供たちに触って・・よくも平気な顔していられたよな! そいつが死ななかったらどうしたんだよ? そいつとの関係を続けたのかよ! お前、それでも母親か!?」

うつむき黙って罵声を浴び続けた。

「俺たちの結婚生活はなんだったんだよ! 十分、幸せだったろ! なんでこんな・・」

私は罪を犯した。どんな罰でも受ける。その覚悟は出来ていた。

「私、家を出ます」
「もういいよ! 勝手にしろ」

私は身支度を整え、子供たちの部屋へ入った。何も知らずにぐっすりと眠りにつく我が子・・。その寝顔に口づけをした。明日、目が覚めると私はいない・・「こんな残酷な仕打ちをする母親をどうか許してね」いつの日か理解してもらえる日が来るまで・・。
静かに玄関のカギをかけ外に出た。出る前に浩司に声をかけたけど、返事は無かった・・。私は、自分の母親の心境のようなものを思い浮かべていた「私も同じことを家族にするんだね」外に出てふらりふらりと歩き出す・・小雨が降り少し寒い。自己嫌悪と情けなさが沸き上がり涙が流れた。涙で視界が遮られ前も見えない。えらそうに家を出るって啖呵を切ったけど、行く当てなどどこにもない「もう何もかもなくなっちゃった・・」

『ピンポーン』インターホンが鳴る。

「はい」

少し警戒をした声がした

「ごめん・・私・・」
「どうしたの~こんな時間に? ちょっと待って」

扉の向こうから『バタバタ』っと音がして、慌ただしく扉が開いた。

「もう何~どうしたの? ずぶ濡れじゃん」
「ごめん・・こんな時間に・・」
「いいから、早く入って」
「うん。ありがとう」

優しく部屋の中に招きいれてくれたのは、親友の早希。行く当てもなく歩いていると、ここに辿り着いていた。

「もうどうしたの? こんな時間に?」
「ごめんね・・太一君もう寝た?」
「うん。さっき寝たとこ」
「ほんとごめんね・・」
「いいよ。そんな気にしなくて」

私は、ここ最近の出来事を包み隠さず話しをした。親友の早希にも何も話していなかったから・・。

「で? 産むの?・・絶対、産むんだよね?」

サバサバとした性格の早希は単刀直入に確信をついてきた。

「・・うん・・」
「絶対、産まなきゃダメだよ! そんなの」
「悩んでいるけど決められなくて・・」
「そりゃ悩むだろうけど・・もう裕也はこの世にいないんだよ! その子が裕也のすべてじゃん」
「それはわかってるよ・・でも・・」
「私は、子供を下ろすなんて許さないよ! どんなことがあっても産むべきだよ。私、何も出来ないかもしれないけど、どんなことでも協力するよ! 世界中が敵になっても香織の味方だからね」

そう言うと、早希は泣き出し

「お腹に手を当ててもいい?」

そう聞いた

「うん。もちろん」

奇妙な感覚だったけど、優しく手を当ててもらうと、心が安らいだ。そのまま私たちは涙が枯れるまで泣いた・・。
落ち着きを取り戻すと、どちらからともなく裕也の話になった。私たちはよく青春時代の話しをしたし、裕也のことが話題になることも、そう言えばよくあった。

「裕也ってほんと凄い奴だったよね~」
「うん。でも不思議・・早希がここまで熱くなるなんて」
「うん・・そうだね・・」

急に早希らしくなくなった。

「どうしたの?」

私は少し心配になって聞いた

「私・・実は裕也が好きだった。ずっと・・」

その告白を早希の口から聞かされたけど、少しの動揺もなかった。

「知ってたよ」

早希は『えっ』という表情を浮かべた。

「早希の裕也を見る目や、裕也のことを話す表情を見ていたらわかるよ・・」
「気づかれてたんだ・・」
「好きだから、裕也の後を追って都会の大学に進学したんでしょ?」
「うん。香織には悪いって思ったんだよ」
「いいよ。そんなの・・」
「でも、まさかこんなことになるなんて思わなかった! こんなことになるなんて・・」
「そうだよね・・」
「私、香織と裕也がケンカしたって聞いた時も、仲直りしないで欲しいって思った。最低なんだよ・・22歳の時、裕也と二人でデートじゃないけど遊びに行ったことがあって、私、その時、自分の気持ち伝えたんだ。で、もちろんフラれたんだけど・・でも、あいつハッキリ言ってたよ! 香織が胸の中にいて、まだ忘れられないって・・こんなことになるぐらいなら」

私は早希の言葉を遮った

「もういいよ! もういい・・ありがとね。みんな若かったから、伝えたいことをちゃんと伝えられなかったり、意地張っちゃって感情的になったりして、大切なことを見落としたりしちゃうんだよね。誰も悪くないよ・・だから早希も悪くない」

早希は泣きながら

「ごめんね・・ありがとう・・」
「でもほんと、裕ちゃんの話を二人でよくしたね」

早希は唇を嚙みしめながら頷いて

「私にとって、ひまわりのような人だったな。どこまでも真っ直ぐに伸びて、どんどん成長していく」

そう言ってくれた早希が愛おしかった。

「ありがとうね。みんなに愛されて、きっと裕ちゃんは幸せだったよ」

私たちは早朝、外が明るくなるまで裕也の思い出話を続けた。

それから一週間の時は流れた。私は早希の家にお世話になりながら、これからのことを考えていた。もう、そろそろ決めなきゃいけない・・私は自分の決意を胸に秘め、西福寺へと向かうことを決めた。最後は裕也に会ってから決めたかったから・・。それともう一つ、ハッキリさせないといけないことがあった。そう、それは裕也からのもう一つの手紙に書いてあったこと・・。それは裕也からの最後の贈り物だった・・。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

優しい愛に包まれて~イケメンとの同居生活はドキドキの連続です~

けいこ
恋愛
人生に疲れ、自暴自棄になり、私はいろんなことから逃げていた。 してはいけないことをしてしまった自分を恥ながらも、この関係を断ち切れないままでいた。 そんな私に、ひょんなことから同居生活を始めた個性的なイケメン男子達が、それぞれに甘く優しく、大人の女の恋心をくすぐるような言葉をかけてくる… ピアノが得意で大企業の御曹司、山崎祥太君、24歳。 有名大学に通い医師を目指してる、神田文都君、23歳。 美大生で画家志望の、望月颯君、21歳。 真っ直ぐで素直なみんなとの関わりの中で、ひどく冷め切った心が、ゆっくり溶けていくのがわかった。 家族、同居の女子達ともいろいろあって、大きく揺れ動く気持ちに戸惑いを隠せない。 こんな私でもやり直せるの? 幸せを願っても…いいの? 動き出す私の未来には、いったい何が待ち受けているの?

処理中です...