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手紙

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 西福寺から帰路につこうと車のエンジンをかけた。でも動くことが出来ずにいた。スマホには着信の記録が数十件残っていた。それは当然だった・・もう夕方・・春音のお迎えに行く時間も過ぎ、航太も学校から帰ってきている。保育園からお迎えの催促が、浩司にもあったのだろう・・保育園に浩司、航太から連絡が来ていた。私がお迎えに来ない・・春音がどれだけ心細く寂しい思いをしているのか考えないわけじゃない・・ただ、考えないようにした。浩司も連絡がつかないことに驚き戸惑っているだろう・・まさか、妻の浮気を疑うこともなく。家族に嘘をつき、取り返しがつかないことになっている

「でも、仕方ないじゃん! どうしようもないじゃん!」

裏切者は私。なのに自分ばかりが傷つき、痛めつけられていると、殻の中に閉じこもろうとしているようだった。早く家に帰らないといけない。その焦る気持ちとは裏腹に、このまま消えてしまいたい! なんて願望に襲われていた

「もう何もかも嫌だよ・・」

またスマホが光る。浩司からの着信だった。

「・・はい」
「ママ! おい何やってんだよ! 連絡つかないし、春音のお迎えも行かないで!」
「・・・・・・」
「もしもし! ママ!」

私は言葉が出せずにいた・・

「・・ごめんなさい・・」
「何かあったの?」
「・・ううん・・いや別に・・」
「別にってなんだよ?」
「ごめん・・もう・・」
「何言ってんの?」

私の曖昧な返事に感情的になる浩司から早く逃げたかった

「心の整理が出来てないの・・」
「なんのこと言ってんだよ! ママ、なんか変だぞ!」
「・・ごめんなさい・・私、今日は帰れない! 子供たちのことお願いします!」

そう吐き捨てるように言い、スマホの電源を落とした・・。
最低な女、母親であることはわかっている。嘘をつき通すと決めていたのに、もうどうでもよくなっていた・・「だってどうすることも出来ないから・・」家族に背を向け、子供たちへの思いを振り切るように、車を走らせた。遠くへ遠くへと・・。

そこに着いた時にはもう外は真っ暗で何も見えない・・ただ、潮風と波の音だけが広がっている。車のエンジンを切ると、暗闇に吸い込まれるようで少し恐怖を感じた。窓を開け、思いっきり深呼吸をした・・冷たい潮風は気持ちを落ち着かせ、繰り返す波の音はまるで揺りかごに乗せられているかのように、私を眠りの中へと誘う。助手席に目をやると、思織さんから預かった裕也の茶色いボストンバックがある。前日から、眠ることが出来ていなかった私の身体はもう限界で、気がつくと眠りの中にいた。
車のシートを倒し丸くなり悲しみを抱いて眠った・・。

目が覚めると、そこには薄暗い夜明けが広がっていた。そう、ここは裕也と何度も訪れた砂浜。今日もここは何も変わらない。何故ここに来たのか・・その答えは私にもわからなかった。ただ、裕也がここをよく訪れたと言っていたこと、悩みがあったり疲れた時に、よく来ていたと言っていたことを思い出し、自然と身体がこの場所を求めたのかも知れない。
海辺の夜明けは空気が澄んで『キーン』とした感覚に包まれる。私は勇気を出し、茶色いボストンバックに手を伸ばした。ファスナーを開け中身を確認したのだ。その中は・・まるで私の思い出箱と同じ・・交換し合った手紙、二人の写真にプリクラ、二人の好きな曲を入れたカセットテープに、イヤホンを分け合い聞いたウォークマン、プレゼントしてくれた私とお揃いのブレスレット、私がプレゼントしたCⅮと、二人の思い出が溢れていた

「裕也も大切にしまっていてくれたんだ・・」

涙が出て手が震えた。他には司法試験の合格証や、裕也が身に着けていた物、使っていたであろう物、それに通帳や高価な腕時計まで納められていた。裕也の生きた証のすべてを、私に残そうとしたのかなと思った時、白い封筒を見つけた・・裕也の字で『香織へ』そう書かれていた・・。私は車を降り砂浜へと歩き、3カ月前、二人でずぶ濡れになり、腰を下ろした時と同じ場所に座った。何故だか不思議と、横には裕也が座っているような錯覚に襲われた。静かに封筒を開け、中の手紙に手をかける「裕ちゃん読むよ」そう心の中で言った。手紙の字は最早、私の知っている裕也の繊細で神経質な字ではなく、小刻みに震え、書くのにも苦労したであろうことがわかるような、苦しい字だった。

『突然のことで驚かせてしまってごめんな。何度も言おうとしたんだけど・・やっぱり言えなかった。情けない姿だけは見せたくなかったんだ。
まさか、俺がガンになるなんて考えてもみなかったよ。
余命1年だと医師に言われた日には、本当、ショックで落ち込んだ。この先、どうしたらいいのかわからなかった・・。
でも、そんな時にも俺の心の中には香織が居たんだよ。なんだろう不思議な感覚なんだけど、心の支えだったんだ。
「ガンなんかに負けないで」って「裕ちゃんになら出来るよ」って言ってくれているような気がした。
だから頑張れた。闘病生活は苦しくて、辛かったけど乗り越えることが出来たんだ。
そのご褒美かな・・あの日、香織に再会できたのは・・。神様が授けてくれた最後の時間。
夢のような時間だった。まさか、会えるなんてさ・・病院のベッドで何度も夢に見た香織が、目の前に現れた時のあの衝撃は今も忘れられないよ。
そしてあの瞬間、余命1年の俺が、3年も生きれたこと、生きていたことの意味がわかったような気がした。
俺、本当に生まれてきて良かったよ! ずっと俺の人生、パズルが揃わずにいた。でも香織に再会して最後のピースが見つかった。自分の思いを伝え、香織の思いがわかっただけでもう十分。後は静かに香織の幸せを祈るだけ。
弱気になるなんて俺らしくないよな・・でも、もう終わりが近いこともわかってるんだ。
だから最後にもう一度だけ誓うよ。香織、俺、あの約束忘れてないから・・絶対守るからな。
大好きだよ・・香織。心の底から愛してる。
香織は残された時間を大切に精一杯生きて欲しい。いつも笑顔で、泣き顔は似合わないからな。俺は空からずっと見守るよ。香織の幸せをいつも祈ってる。
香織に出会えたことが、俺の人生の宝物だよ。本当にありがとう。さようなら。
深愛なる香織へ・・裕也より愛を込めて・・

pS 俺に残されたものはすべて香織に受け取ってもらいたい。香織が俺の青春時代を支えてくれた。夢を追うことを応援してくれた。だから俺の人生で得られたものはすべて香織に残したいんだ。香織から受けた愛情を少しでも返したい。こんな形でしか返せないことを許して欲しい』

裕也からのラストメッセージは、温かく切なく素直なものだった。
私は空を見上げた。頬には涙がつたう・・。どこまでも澄み渡る青い空・・昨日の雨が嘘のように・・。裕也はこの青空へと飛び立ったんだね。

「裕ちゃん、ありがとね・・」

私は手紙を読んで、駅での最後を思い出していた。裕也の涙、最後の表情、『また会える』と言った優しい嘘。最後に何かを伝えようとしてたこと・・。その意味がやっとわかった・・。遅すぎるよね・・ごめんね・・。膝を抱え『ギュゥ』っと力を入れた。大切な人はもういない。淋しいよ・・悲しいよ・・切な過ぎるよ・・「助けてよ! 裕ちゃん!」裕也に会いたい・・会いたいよ!

「どんなことがあっても守るって約束でしょ! なんで一人で逝ってしまったの? 裕ちゃん・・私、どうしたらいい? どうして欲しい?」

その時、一羽の鳥が鳴き声を上げて青空へと吸い込まれるように舞い上がった。そうそれはまるで裕也が空から私に語り掛けるように・・。私は静かに目を閉じた。光の世界、その向こうから裕也の笑顔が見える。涙でぐじょぐじょになった私の顔を見て「また泣く~」」そう言われているような錯覚に近い感覚を感じた。でもその不思議な感覚は、私を笑顔にさせた。

「裕ちゃん、ありがとう。私、もう泣かないよ・・」

またいつか会える時まで・・もう悲しまない・・。
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