赤い糸(20年の時を越えて)

平尾龍之介

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誕生日

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 『ピーピピッ、ピーピピッ』スマホのアラームが鳴り響く。すぐに手を伸ばし止める。隣で眠る人に気を使っているのだ。まだ眠りの中にいるのを妨げたくない。私は顔を洗い、コーヒーを作り、炊飯器のご飯を確認する。

手際よくお弁当の段取りを始める。玉子焼きにウインナー、昨日の残り物を上手く使い、完成させていく。次は朝食の準備。テーブルの上はあっという間に朝食で溢れていく。

もう何年もの間、続けてきたルーティンだ。そんな時、ふとカレンダーに目をやった。今日は2019年6月19日、一瞬、手が止まり心が疼く・・ダメだ・・心を落ち着かせる私。あれから、もう20年以上の月日が流れていた。そう、今日は裕也の37歳の誕生日。いつまでだったかな・・10年前ぐらいまでは、6月19日は本当に特別な日だった。この日が来ると一日中、裕也のことを思い出した。でもいつからかな、その思い出も薄れていった。私は30歳の時に結婚をした。それからかな、子供ができて日々に追われ、裕也との思い出を思い出すこともなくなっていった。いや、心の中の思い出を閉じ込め鍵をかけたという表現が正しいかもしれない。 



「そっかぁ裕也ももう37歳になるんだね・・」



感傷に浸る暇もない。子供たちを起こさないといけない。私の天使たち・・。長男『航太』7歳、長女『春音』4歳、まだまだ手のかかる子供たち。



「さぁ朝だよ~起きて! 早く起きるよ」

「ママ、おはよう」



そして私の夫『浩司』私より3歳年上の小学校の教師。仕事で出会い結婚。今では念願のマイホームも購入し、どこから見ても幸せな家族を築けいてる。夫は優しく家事や育児にも積極的で私を助けてくれる。



「パパ、今日帰りに買い物お願い!」

「わかった。ちょうど歯磨き粉きれてたから買ってくる」

「お願いね!」

「あっそうだ。来月の法事の時に行こうって言ってた遊園地のチケット取ったよ」

「ありがとう! さすがパパやることが早いね」

「ママ、仕事は、予定は大丈夫?」

「うん。大丈夫。マネージャーには言ってあるから」

「良かったなぁ。航太、春音、みんなで遊園地行けるぞ!」

「やったー」



子供たちの笑顔が私を幸せにする。こんな朝食の時間が裕也との思い出を忘れさせるのかもしれない。



「パパ、もうこんな時間!」

「あっヤバい!」

「はい、これお弁当!」

「ありがとう。行ってきます」

「いってらしゃ~い」



子供達とみんなで浩司を見送る。航太を小学校に行かせ、春音を保育園に預け、私は出勤をする。今年の6月19日も慌ただしく始まり通り過ぎていくのだろう。



私は、昔から何となく話すことを仕事にしたいと思っていた。その願いは一応、叶えられていた。私はイベントの司会などをする仕事についていた。2度の出産を乗り越え仕事だけは続けていた。



「おはようございます」

「おはよう。丁度良かった。森山さんに話があって」



マネージャーが私の顔を見るなり駆け寄ってきた。マネージャ―には大変お世話になっている。仕事だけでなくプライベートも含めて。

そのマネージャーが困り果てた表情で私に頼んできた。



「吉田さんがね、この前の健康診断であまりいい結果が出なくて、急に入院することになったのよ」

「えっそんなに悪いんですが?」

「まだわからないのよ。検査を兼ねてってことみたいなんだけど・・」

「それは心配ですね」



吉田さんは二つ年上の女性の先輩。中学生の子供が二人いる働き盛りのお母さん。



「それでね、来月のシフトを大幅に変更しなきゃいけなくて」

「それはそうですよね」

「これなんだけど・・どうかしら?」



私はシフトに目を通した。



「これっ有給のところ予定入ってますね」

「ダメかしら?」



わざとなのはすぐにわかった。でも状況が状況なだけに難しい判断を迫られた。子供たちの笑顔を思い出すとここで断るべきだけど、この状況でさすがに断れない。



「この日ってイベントの内容はなんでしたっけ?」

「あっ、これなんだけど」



マネージャーは資料を見せてくれた。



「M&T総合法律事務所のセミナーの司会なんですね」

「そうなの。ダメかしら?」



その瞬間、私は息を飲んだ! そうセミナー講師の名前・・弁護士『神崎裕也』



「裕ちゃん・・」



私は声にならない声で言った・・。間違いない同姓同名じゃない。裕ちゃんだ。私にはわかった。5年ほど前、裕也の名前を出来心から検索してみたことがあった。その時、M&T総合法律事務所に『神崎裕也』という弁護士がヒットしたのだ。顔を画像で見て、間違いがないことがわかっていた。



「弁護士になったんだね・・」



その裕也の講演の司会が仕事の内容。時が止まり思考停止に陥る。でも次の瞬間



「わかりました。任せて下さい」



私はマネージャーにそう告げていた。



「ありがとう。助かるわ!」



後先のことを考えることができなかった。本能が私の背中を押したのだ。裕也に会える。でも今更、会ってどうする? こんなおばさんになった私を見て、見せてどうするの? 私には家族がいる。子供もいる。もちろん裕也にも家族があるだろうに、今更会ってどうするの? 怖い・・急に恐怖感に襲われた。私、バカなんじゃないの・・でも会いたい気持ちは抑えきれずにいた。今日は裕也の誕生日。いつものように通り過ぎるだけ、そうなると思っていたのにそうはならなかった。



 ずっと心の中に鍵をかけたままの扉がある。その中にある思い出が今にも暴れ出しそうだった。今更、開けてどうするの? 今更・・今更・・。でも、動き出した感情、歯車はもう止められなかった。私には誰にも触れられたくない過去がある。トラウマ? そんなのじゃない。とても素敵な思い出。甘くて苦くて他の誰かじゃ埋められない穴のようなもの。

その日は、仕事を早く終わらせ足早に自宅に戻った。誰もいない部屋で押し入れの荷物をあさり出す。『あった』鍵のかかった小さな箱。鍵の番号は「0619」まるで心の中の扉を開けるようにそっと両手で開けた。箱を開けると光が溢れ出した。ずっと閉まってあった大切な思い出。もう2度と開けないと誓ったのに・・溢れ出す思いに感情が止められなかった。私の16歳の誕生日に買ってくれたお揃いのブレスレット、交換しあった手紙、二人の写真にプリクラ、不思議だね・・一瞬にして20年前に戻ってしまう。忘れてた・・いや忘れようとしていた記憶が溢れ出す。もう止められない・・。



罪悪感がない訳がない。家族・子供達にまで嘘をつくのだから・・。でも動き出した気持ちを止められなかった。ぎこちない笑顔、心のない返事、家族で過ごす時間、一緒に食べる夕食がこんなにも味気ないと感じるのは初めてだった。



「あのね、来月の法事のことなんだけど・・」



私は勇気を振り絞り、話しを切り出した。



「どうかした?」



パパと航太は何があったのかと心配気な表情を浮かべた。幸いにも春音は小さくまだ理解ができていない。



「ママ、急遽仕事になったんだよね」



相談するような話し方をしないようにした。ここは決定事項だと言わなければ納得させる自信がない。



「えっそりゃないよ! せっかく遊園地のチケットまで取ったのに!」



あからさまにパパの機嫌が悪くなり、航太もぐずり始める。



「えーママ行けないの??」

「ごめんね。どうしても仕事が休めなくて」



心が痛む・・子供にまでこんな嘘をつくママを許してね・・心の中で謝っていた。



「えっ何かあったの? 今日の朝は大丈夫って言ってたじゃん!」

「そうなんだ。結婚式にも出てくれた吉田さんいたじゃん、なんか病気みたいなんだよね。それもかなりヤバいみたいで・・それで急遽シフト変更でさ・・」

「そんなに悪い感じなの?」

「うん」



こうなると人がいいパパは反論できずにいた。



「じゃあ仕方ないね」

「本当にごめんね・・マネージャーも困り果ててさ、いつもお世話になってる分、断れなくて・・」

「まぁ働いてるとそういう状況になる時はあるよな。俺もいつそういう状況になるかわからないし・・わかった! 俺が子供達連れて行ってくるよ」



パパは、私が仕事を続けることを条件に結婚したので強気には出れずにいた。私はそれより、子供達を連れて行くと言ってくれたことに安堵していた。本当に『嫌な女』だと自分で思った。母親失格だ・・。



「えっ子供達も連れて行ってくれるの?」



わざとらしく言ってみる。



「だってお袋にも連れて行くって言ってあるし、遊園地のチケットも取ってあるし、それにみんな楽しみにしてるしさ」

「ごめんね・・ありがとう」

「いいよ! 航太、春音、パパと3人で行くぞ!」



航太は聞き訳がいいので、余計に私を苦しめた。



「ママ行かないの?」



春音が何かを感じ取り急に不安な顔をする。



「春ちゃんごめんね・・ママ仕事なの。でもパパもいるし、ばあばもいるから心配しないで大丈夫」



私は泣く娘をあやしながら、心の中で泣いた。



当日、パパと子供達を精一杯の笑顔で見送った。



「運転気をつけて」

「任しとけって」

「航太、春ちゃん、パパとばあばの言うことよく聞いてね」

「うん!」



私は車が見えなくなるまで見送った。

パパの義理のお父さんが亡くなって3年目の法事、子供達を義理のお母さんにも会わせたくて、この日は家族みんなで帰省することは1年前から決まっていた。少しでも思い出を残したいと、1泊2日を2泊3日にして近くにあるテーマパークのチケットまで取ったのだ。その予定を、私は不純な動機で壊してしまった。



「裏切者・・」



小さく自分に言った。最低な母親だ。これから20年も会っていない元彼に会う! それがためにこんな嘘までついて、罪悪感に埋もれる・・。でもこれは私が決めたこと、会いたい気持ちは止められなかった。セミナ―の資料で見た名前・・その瞬間から今日まで、裕也のことが頭から離れなかった。会いたい気持ちは嘘じゃない、でも20年の月日でお互い色々変わっている。今更、会って・・不安、恐怖、この歳を取った私、結婚をし母親になった私、裕也はどんな反応をするのだろう? 迷惑なんじゃないか、裕也にも結婚をし家族がいるだろうに、そう考えるとなんて馬鹿なことをしようとしているのか、苦しくて泣き出しそうになる。でも会いたい・・この気持ちに正直になりたかった。後悔したっていい、今日会わないことを選択すればもっと後悔することだけは間違いないのだから・・。

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