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塗り固められた嘘

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 九兵衛の元に嫁いできたお福は、それはそれは幸せな毎日を送っていた。
 心から愛する夫との生活は、彼女にとってこれ以上ないほどの幸せだった。

 新荘川の麓にある、小さな古民家。決して裕福ではなくむしろ貧困状態ではあったが、それが苦になることは彼女自身には何一つなかった。ただ一つ、いつまで経っても子を成せなかったことを除いては……。

 九兵衛は旅商人。今までは売れるものを仕入れに日本中を渡り歩き、様々な場所で売り捌いて来ていたが、結婚をしてからは出来る限りお福が待つ家へと帰って来られるよう仕入れる先を限定していた。が、それでも留守にする事が多いのは否めない。
 それでも彼女にとっては幸せなことであるのは変わらないのだ。
 
 そんな生活を続けて2年ほど経ったある日。お福は家で一人の時間を過ごしている内に近所に住む人々の目が気になるようになっていた。彼らはいつも自分を見ては気味の悪そうな顔を浮かべて、ひそひそと話をしているのだ。
 別にそれは嫁ぐ前にもあったことだが、その内容が不快で仕方がない。

「見てみぃや。あんなあばら家にまだおるで」
「あの娘、何か憑き物に憑りつかれちゅうがやろう。噂じゃこの辺りに妖怪が出るゆう話もあるきね……」
「あの家はもうとうの昔に誰も住みやあせんのに……」
「くわばらくわばら……」

 ひそひそ話すだけならいい。それでも毎日のように聞かされるこんな内容だけはどうしても我慢ならなかった。

「人ん家のことをとやかく言うの、やめてくれません!? うちは妖怪になんぞ憑りつかれちゃあせんでっ!」

 声を荒らげて睨みつけるようにそう言い返すと、話をしていた人達は「ひぃっ!」と声を上げて足早に逃げ去って行ってしまう。

 お福は悔しくて仕方が無かった。
 やっと手に入れた幸せを、なぜ周りにいる人に壊されなければいけないのか。

 しかもこの話は、この日だけでは終わらなかった。毎日のように数人の人が遠巻きにこちらを見ながら、やはり気味の悪いものを見るかのような目を向けて、「憑き物に憑かれた奇妙な女」と囁かれるようになったのだ。

 お福は九兵衛がいない間ずっとそんな数奇の目に晒され続けた。だが、それでも九兵衛が帰るまではじっと耐え忍び続けていたのだ。おヨネがそうだったように、自分もそうでなければ妻は務まらないと思っていたから……。

「ただいま」

 九兵衛が帰ってきたのは、周りの人達から囁かれるようになってから数か月経った頃だった。
 久し振りに帰った主を、お福は嬉しそうにも悲しそうにも出迎える。

「お帰りなさいませ。お前様……」
「お福? どういたが? こんなにやつれて……」

 九兵衛は帰りに仕入れてきた魚の入ったびくを置きながら聞き返すと、お福は突然ぽろぽろと涙を流す。

「お福?」
「ごめんなさい……」

 突然の事に驚いた九兵衛に、お福は謝りながら着物の袂で涙を拭う。
 九兵衛はそんなお福の傍らに腰を下ろし、彼女の肩をそっと撫でてやる。

「どういたぞね? 何ぞ嫌な事でもあったがか?」
「……」

 さめざめと涙するお福の顔を覗き込みながら九兵衛がそう聞き返すと、お福はぎゅっと着物を握り締め、胸に溜め続けた思いを語り始めた。
 本当ならば母のようにどんな事にもじっと耐え忍ぶべきだと、主を煩わせるべきではないと分かっていても、止められなかった。

「近所に住みゆう人に、お前様が妖怪じゃないかと……」
「……っ」
「うちはその妖怪に憑りつかれちゅう、おかしい人間やと言われ続けゆうがです……」
「……お福」

 妖怪、と言う単語を聞き、九兵衛の表情が硬くなった事にお福は気付いていない。

「お前様は妖怪と違いますよね? 普通の人ですやろ?」
「……も、もちろん」

 そう言い返すのが精一杯だった。同時に、九兵衛の胸は軋むように痛む。

 嘘を言っているからだ。
 相手を騙す悪い嘘。誰の為にもならない悪い嘘。
 彼女を嫁に貰う話になった時から明かすことが出来ない、最悪な嘘……。

 九兵衛と言う名前でさえ、でっちあげたもの。本当は、名前などない。九人兄弟の九番目と言うところから思い付きで吐いた名前なのだ。
 自分があやかしである事も全部、お福やその家族全員を騙して隠している。

 彼の存在そのものがでっちあげられたものだった。

 それでも、お福を恋い慕う気持ちだけは本物だった。素直で真っすぐで、でも気が強くて可愛くて……。彼女を心から愛している。だから嘘をついてでも彼女を伴侶にしたいと願ってしまった。それが、彼女を苦しめることになることを考えることもせず……。
 この偽物の自分は死ぬまで自分の胸に仕舞えば済むと安易に考えてしまったが故の、見返りだ。

「……お福」
「お前様……。うちは、お前様とのややを授かりたいがです。そうすればきっと自信になる。こんな心無い言葉にだって耐えられる。だから、お前様……」

 女性からせがむのは、遊郭でもないのにみっともないとされていても、お福にとっては拠り所が欲しかった。だが、九兵衛は彼女に対して後ろめたさがどうしても拭いきれず、すっと目を逸らした。

「……できん」
「何故です? お前様はややが嫌いながですか?」

 切なそうに目を潤ませながらそう訊ねて来るお福に、九兵衛はぐっと唇を噛んだ。
 子供は嫌いじゃない。むしろ好きだった。出来る事なら沢山の子供に恵まれたい。
 
 それでも、九兵衛は固く目を閉じ心にもない嘘をまた重ねる。

「……嫌いじゃ」
「……っ!!」

 お福はその言葉に愕然とし、大粒の涙を流して泣き崩れた。

 嘘に嘘を重ねる罪の重さ。心にかかるその重圧は例えようもない後悔を産む。
 だが、どうしてもお福に自分の子供を宿す事は出来なかった。産まれてきた子の姿が、彼女が当たり前に思い描いているような物じゃない可能性の方が高かったからだ。
 命を懸けて産んだ子が、考えているような姿をしていなかったらきっと彼女は壊れてしまう……。

 よく考えれば、こうなるのは分かる事だった。一時の感情を優先してしまい、周りが見えなくなったが故の過ち。そして、臆病過ぎた自分の愚かさ……。

「……っ」

 それ以上何も言わない九兵衛に、お福は耐えられず草履も履かずに家を飛び出した。

「お福!」

 外は暗い。提灯一つ持たず飛び出したお福を追って、九兵衛も急ぎ外へ出た。だが、どちらに走り去ったのか分からない。目の前には新荘川が流れている。もしや飛び込んだのではと思ったが、人が立ち入っているような音はしない。

「お福!!」

 名前を腹の底から叫んでみても、返事が返って来ることはなかった。

 どうすればいいのか。
 自分の浅はかな考えで彼女を不幸にしてしまった。こんなはずじゃなかった……。

 九兵衛は自分のあまりの不甲斐なさに、その場に膝をつき悔し気に唇をかみしめたのだった。
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