約束のあやかし堂 ~夏時雨の誓い~

陰東 愛香音

文字の大きさ
上 下
28 / 67

芽吹き

しおりを挟む
「こ、幸之助?」

 盗み聞きをするつもりは無かったんだよ、と言い訳がましい考えを胸に、ぎこちない笑みを浮かべて声をかけると、幸之助は意図せずに手元から杯を落としてしまう。落とした杯は彼の膝の上をコロコロと転がり、そのまま縁側から落ちて割れてしまった。

「あ、杯が……」

 いつもだったらすぐに反応をするはずの幸之助が動かないから、私が拾いに行こうとすると幸之助が音もなくすっと立ち上がって、私の前まで大股で歩いて来る。
 いつもは静かに足音を立てずに歩くことが多い幸之助が、珍しく足音を立てて近づいて来るから、驚いた私は咄嗟に動けなくなった。

 あ、あれ? どうしよう。やっぱり怒ってる?
 そりゃそうよね……意図せずとも盗み聞きしたんだもの、いくら温和な幸之助だって怒らないわけがない。

「ご、ごめん。別に盗み聞きするつもりじゃ……」

 目の前に立った幸之助に咄嗟に私は謝った。
 彼の顔は暗がりでよく見えなかったけど、突然ぐいっと腕を掴まれて引き寄せられ、抵抗する間もなく柔らかく温かいものにあれよあれよと言う間に包み込まれた。

「……?!」

 あまりに予想だにしない突然の出来事に、瞬間的に頭の中が真っ白になる。

 満月が浮ぶ縁側で、私は幸之助に何も言われないまま強く抱きすくめられると、肩にかけていたタオルがふさりと足元に落ちた。

 言葉もない。息が詰まりそうなほどの、無言の力強い抱擁。
 鼻先に掠めるのは、微かなお線香の良い香りだった。

 私の肩口に幸之助の顔が埋められると、それまで忘れていた熱が急に呼び起こされてカーっと熱が昇り、全身が赤く染め上がったのを自分でも感じていた。

 な、な、なななななな、何事!? これは一体、何事なの!?

「こ、こ、幸之助……?!」
「……ぃ」

 パニックになりながらもう一度声をかけると、幸之助はボソッと何かを呟いた。それがあまりに小さくて聞き取れない。

「え? 何?」
「……行かないで下さい」

 その言葉が聞こえた瞬間、胸がギューッと締め付けられた。

 それはつまり……どういう意味で?

 バクバクと早鐘のように心臓が鳴り始めるのを聞きながらも、頭の片隅では冷静さを保とうとしている自分に努めて意識を集中した。

 片時も離れたくないんだと言う、きっと幸之助の本音がこぼれ出た瞬間だったんだろうけれど、それはつまり、ただ主に対する想いなだけなのかもしれないし……。

 頭の中は突然のエンスト状態で自分でもよく分からない中、幸之助は猫がそうするように私の首筋に頬を摺り寄せてきた。

「こっ!? こ、ここここ幸之助?!」

 自分でも驚くぐらい最初の声がひっくり返ってしまった。
 もう一回お風呂に入らなきゃいけないんじゃないかってくらい、緊張から汗がだらだらと流れて来る。

「どこへも行かないで、私の傍にいて欲しいんです……ずっと」
「……幸之助?」
「……」

 自分の煩い胸の鼓動を聞きながら、少しだけ躊躇いつつもゆるゆると幸之助の体を抱きしめ返す。

 私よりも体が大きくて見た目も立派な青年なのに、妖狐や鞍馬から見ればまだ小さな子供と同じだなんて信じられない。そう思うのは私が普通の人間だからなんだろうけど。現にこうやって抱きすくめられたら身動きできないくらいだもの。

 ギリギリ元々の自我を保ちながら、幸之助の苦しかったであろう心に寄り添う言葉を忙しく探す。

「我慢、してたんだ。ずっと本音が言えなくて苦しかったよね……。本当の事聞かせてくれてありがとう」
「……」

 私も本当は幸之助と片時も離れたくないよ。

 そう言おうとしたら彼の体がするすると縮んで黒猫に戻り、私の腕の中にすっぽり収まった。見てみれば、幸之助はそのまま眠ってしまっていて……。

「お! お嬢さん、長風呂やったねゃ! 随分火照っちゅうみたいやいか! ほどほどにせんとぶっ倒れるぜよ!」

 へらへらと笑いながら千鳥足になっている鞍馬が、縁側の向こうからでかい声でそう声をかけてくるのに、私はまだ落ち着かない心臓に顔を赤らめたまま視線を逸らした。

「お。何? 狸奴はもう寝たんか?」

 鞍馬が私の胸に抱かれている幸之助を見て、時々しゃっくりをしながらそう呟いた。

「そ、そうみたい。鞍馬もお酒飲みすぎよ。もう寝たら?」
「おお、そうやねゃ! そうするわ! ほんなら、お休みぃ!」

 鞍馬は上座敷の障子をスパーン! と勢いよく開けてそのまま座敷の上にゴロリとひっくり返り、乱れた着物もそのままにぐーすか眠ってしまった。

 早……。て言うか、あんなに寝たのにまだ寝れるんだ。ある意味凄い。

 私は腕に抱いている幸之助を見下ろし、そっとその横顔を指先で撫でてみた。するとピクピクっと耳を動かしはするものの、彼もまた起きる気配がない。

「……さっきのはどう言う意味があったのよ」

 一人で赤い顔してる私のことは、どうしてくれるの。
                    
 鞍馬にタオルケットをかけ、彼の傍に座布団を置いてその上に幸之助を寝かせて、私は徳利と杯を洗うために炊事場に向かった。

「……」

 桶に水を張ってその中で食器類を洗うのだけど……。さっきの事を思い出すと、まるで手に着かない。水に手を付けたままぼんやりと、水の中に浮ぶ酒器を見つめる。

 あれは、何だったんだろう。幸之助の方からあんな風に激情的に抱きしめてくることは今まで無かったし、そもそも私がいつも抱きしめる側だったから困惑してしまう。それにあの抱擁には、あの言葉には、主に対する忠誠心として意外に、他に何か意味があったんだろうか? 

 考えれば考えるほど分からなくなってくる。でも純粋に考えて幸之助は主と離れたくないと言う路線の方が強いと思う。そうだとしたら今こんなに悩んでいる私は、単なる勘違いな人ってわけで……。

「えぇぇえぇ……分かんない……」

 分かんないと言いながらも、「勘違いしたい」と思っている自分がいるのも否めない。
 
 幸之助は子供みたいに純粋だけど、大人っぽい一面も持っていて色々と頼りになる存在。きっと「彼氏にしたい選手権」があったとしたら、彼はダントツ一位を採れちゃうんじゃないかって思う。容姿もいい、礼儀もしっかりしてるし、非の打ちどころがない。いや、あるとしたら自分の気持ちを押し込めちゃうくらいだろうか。あと無自覚な無防備さ。あれはもう罪とも呼べるレベルだと思う。あれはずるい。世の女の子が、狙っている男性相手に対して使う真似したいものの一つだと思うわ。

「まんまと私は、彼のそのハニートラップに捕まってるんだわ……」

 そうよ。あれはもはやハニートラップって言ってもいい。

 なんて、色々しょうもない事を考えている自分に深い溜息が零れた。
 きっと幸之助のことだから、明日の朝になったらさっきの事なんてすっかり忘れてて、いつもみたいにニコニコとしてるに違いないわ。うん、そうよ。だって無自覚なんだもの。

 ……何だろう。何か、そう思うと面白くない。

 私は自分の考えに一喜一憂してることにまたため息を漏らしながら。とにかく今は目の前の酒器をがしがしと洗った。






 翌朝。
 結局寝付く間際まで色々とああでもないこうでもないと一人考えてしまって、ちゃんと寝れた気がしない。

「瞼が重たい……」

 布団から起き上がってあくびを一つしてから、私は布団を畳んで炊事場の方へと向かった。するとそこにはいつも通り、きちんと着物を着て袂を襷で結んで朝餉の準備をしている幸之助の後姿がある。

 私は彼の姿を見た瞬間、異常に意識してしまっている自分に戸惑った。けど、きっと幸之助は今まで通りなんだろうと思うと、戸惑ってる自分がバカらしくさえ思える。

 こういう時はいつも通りにやり過ごすのが一番だわ。変に意識するからダメなのよ。

「おはよう、幸之助」

 昨日抱きしめられたからってすぐに勘違いしちゃう私って、実は相当チョロいのかもしれない。そう考えたら、我ながらどうかと思っちゃうわ。
 なんて思いながら苦笑いを浮かべた。

「?」

 その時ふと、幸之助から返事が無いことに気付いて私は首を傾げた。
 いつもならすぐに満面の笑みで「おはようございます」って答えてくれるのに。

「幸之助?」

 不思議に思った私が幸之助の傍に行ってひょいっと顔を覗き込もうとすると、それに合わせるかのように幸之助が顔を逸らした。

「……おはようございます」

 私の方を見ずにやっとそう答えた幸之助に、私はふと具合でも悪いんじゃないかと心配になった。

「大丈夫? 具合悪いの? 昨日結構お酒飲んでたみたいだし……」
「い、いえ、大丈夫です」

 慌てふためいてパッとこっちを振り返った幸之助とばっちり視線がかち合う。その瞬間、彼の顔がぶわーッと赤くなりまたそっぽを向いてしまった。

 え……。何今の反応……。

 それを見てしまった私まで、つられてカーっと赤くなってしまう。

 な、何でそこで赤くなるの? ちょっと、意識しないようにしようって今さっき決めたばっかりなのに、そんな……無理だよ。

「き、昨日はすみませんでした。酔っていたとはいえ、加奈子殿に失礼なことを……」
「……お、覚えてるんだ?」
「……微かに」

 耳をぺたんと倒して顔を背けたまま赤くなっている幸之助に、私が勘違いをしたいと考えていた路線が有力そうだと分かると、私も口ごもってしまった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~

椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」 仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。 料亭『吉浪』に働いて六年。 挫折し、料理を作れなくなってしまった―― 結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。 祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて―― 初出:2024.5.10~ ※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。

神様の学校 八百万ご指南いたします

浅井 ことは
キャラ文芸
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.: 八百万《かみさま》の学校。 ひょんなことから神様の依頼を受けてしまった翔平《しょうへい》。 1代おきに神様の御用を聞いている家系と知らされるも、子どもの姿の神様にこき使われ、学校の先生になれと言われしまう。 来る生徒はどんな生徒か知らされていない翔平の授業が始まる。 ☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.: ※表紙の無断使用は固くお断りしていただいております。

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

あやかし古都の九重さん~京都木屋町通で神様の遣いに出会いました~

卯月みか
キャラ文芸
旧題:お狐様派遣します~京都木屋町通一之船入・人材派遣会社セカンドライフ~ 《ワケあり美青年に見初められ、お狐様の相談係になりました》 失恋を機に仕事を辞め、京都の実家に帰ってきた結月。仕事と新居を探していたある日、結月は謎めいた美青年と出会った。彼の名は、九重さん。小さな派遣事務所を営んでいるという。「仕事を探してはるんやったら、うちで働いてみませんか?」思わぬ好待遇に惹かれ、結月は彼のもとで働くことを決める。けれどその事務所を訪れるのは、人間界で暮らしたい悩める狐たちで――神使の美青年×お人好し女子のゆる甘あやかしファンタジー!

ナマズの器

螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。 不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。

鬼の御宿の嫁入り狐

梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中! 【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】  鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。  彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。  優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。 「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」  劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。  そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?  育ててくれた鬼の家族。  自分と同じ妖狐の一族。  腹部に残る火傷痕。  人々が語る『狐の嫁入り』──。  空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。

金沢ひがし茶屋街 雨天様のお茶屋敷

河野美姫
キャラ文芸
古都・金沢、加賀百万石の城下町のお茶屋街で巡り会う、不思議なご縁。 雨の神様がもてなす甘味処。 祖母を亡くしたばかりの大学生のひかりは、ひとりで金沢にある祖母の家を訪れ、祖母と何度も足を運んだひがし茶屋街で銀髪の青年と出会う。 彼は、このひがし茶屋街に棲む神様で、自身が守る屋敷にやって来た者たちの傷ついた心を癒やしているのだと言う。 心の拠り所を失くしたばかりのひかりは、意図せずにその屋敷で過ごすことになってしまいーー? 神様と双子の狐の神使、そしてひとりの女子大生が紡ぐ、ひと夏の優しい物語。 アルファポリス 2021/12/22~2022/1/21 ※こちらの作品はノベマ!様・エブリスタ様でも公開中(完結済)です。 (2019年に書いた作品をブラッシュアップしています)

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...