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参
絆
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『加奈子。あなた一体いつこっちに帰って来るの? 突然夏休み中は高知にいるなんて言うから、最初は私ビックリしたわよ。あれから全然連絡も寄こさないで何やってるの。人を心配させるものじゃないわよ。ホテル代もバカにならないでしょう? お金はどうしてるの? 貯めたバイト代だけでやっていけるほど安くはないでしょう? 今はシーズン中でもあるんだし。それに、いつまでも休みだからって遊んでばかりいたら、あなた浪人するわよ』
電話先で矢継ぎ早にそう語るのは、私の母親だった。
私はシャワシャワと鳴く蝉の声を聞きながら建物の影になっている縁側の隅で、壁にもたれ掛かりながらお母さんの話に耳を傾けていた。
心配してこその電話だと言うのは分かるのだけど、一方的にアレコレ言うのは止めて欲しい。
お母さんはいつもそうだ。私をいつまでも子供扱いして、口を出してくる。
私はもう二十歳を超えた成人だし、自分の事ぐらい自分で決めて、責任もちゃんと取れるんですけど……。
「……分かってるってば」
ため息交じりにそう返すと、その答え方が気に入らなかったのか更に言葉に拍車がかかって来る。
『分かってるって、あなた本当に分かって言ってるの? 将来を見据えてお金を貯めているのかと思ったら、趣味に全部つぎ込むだなんて。あのね、今目の前にあることばかりに囚われていたら将来苦労するんだからね? もっと先の事を見越した行動しないと、困るのは自分なのよ? 世の中そんなに甘くはないんだから、あなたの今の考え方じゃダメよ』
何か言葉を返せばこの通り。もうそれも何度も何度も聞かされてきた言葉。
正直言って、耳にタコが出来てしまってる。
だけど……冷静に考えれば、これだけ言ってくれるのは親だからなんだよね。煩いなとは思うけど、ないがしろには出来ない。ここはぐっと我慢して私が引き下がらないと、いつまでも我を通すほど私だって子供じゃない。
そもそも、お母さんの言う事は間違えはなくて、連絡しなかった私にも確かに非はある。
あえて折れることは、実はちょっとした労力がいる。だから私はお母さんに聞こえないように小さく息を吐いて、深呼吸をして気持ちを入れ替える。
「うん、そうだよね。ごめんね、心配かけて。でもあと少しで夏休みも終わるから、もうちょっとしたら帰るよ」
『お父さんも心配してるのよ? 最初こそ好きにさせておけって言ってたけど、連絡もないままだったから、この大事な時に遊びまわって加奈子は大丈夫なのかって最近は毎日のように言ってるんだから』
私は電話口で母親の言葉を聞きながら、自分の服を引っ掻いたり握ったりしながら相槌と「分かった」「はい」「ごめんね」を繰り返し呟く。
『とにかく、帰ってくる前にまた連絡してちょうだいよ?』
「うん、わかった」
『じゃあね?』
「は~い」
ようやく電話を切ると、どっと出て来る疲れと共に心の底からの長い溜息を吐いた。
その電話があったのは、夏休みがもうあと一週間になった頃だった。
朝ご飯を食べて、いつものように縁側でのんびり過ごして今日は何をしようかなと考えている時にかかってきたんだ。で、その後約二時間お母さんからのお説教。もうこれだけて疲れがドッと出て、何かしようって気持ちがなくなった。
「……でも、もうあと一週間で夏休みも終わるのかぁ」
電話を傍らに置いて、私は空を仰いだ。
抜けるような青空。流れる雲は前に比べてちょっと薄くなってきたみたい。それに空が少し高く見えるのは、目の錯覚かな。
そんな空を見つめながら帰る時の事を考える。
帰りに和歌山に寄って行くことを考えると、あとここにいられるのも四日が限度。和歌山をすっ飛ばしたとしても五日が限界。
飛行機だったらもっとギリギリまで粘れただろうけど、車だもんなぁ……。
何だか急に東京に帰らなければならないと思うと、帰りたくなくなる。
右を見ても左を見ても大勢の人がいて、狭い道に軒並み並ぶ高いビル街。夜になっても煌々とついているネオン。眠らない街、東京。誰もが憧れる街、東京。
私だって、今まで東京で産まれ育ってきたから、ずっとそこにいることにちっとも不満なんか無かったし、喧騒としている街並みが当たり前だと思っていた。けど、こうして期間限定とは言え田舎に住んでみたら、東京には戻りたくないと思ってしまう。
私はふぅ……ともう一度ため息を吐いて脱力するかのように顔を俯かせると、視界の端に猫姿の幸之助がトテトテと小さな足音を立てながらやってきた。そして私の横にちょこんと座ると、首を傾けて私の顔を覗き込んでくる。
「加奈子殿? どうされましたか?」
「あ、幸之助……。実はね、今お母さんから連絡があったんだ」
「母君からですか」
「いつ帰って来るんだ~って。休みだからっていつまでも遊んでたらダメだって怒られちゃった」
「……そうですか」
幸之助は私の隣にちょこんと座り、じっと私を見上げて来る。
私は膝を曲げて抱え込み、その膝に頭を預けてぼやいた。
「……帰りたくないなぁ」
「……」
小さく体を前後に揺らしながら本音を零すと、こちらを見つめていた幸之助はそっとその小さな手を私の足の上に置いてきた。
「母君と父君が心配しておられるのでしたら、帰るべきです」
「幸之助……」
「もともと、加奈子殿のご自宅は東京にあるのですから」
「……幸之助は、寂しくないの?」
そんな幸之助を見つめ返しながら私がそう訊ねると、一瞬彼は躊躇ったような顔を浮かべた。
そんな風に話を振られるとは思ってなかったんだろうな。
少し躊躇いながらわずかに視界をさ迷わせて視線を下げると、幸之助は答えた。
「私は……。私は、加奈子殿がここへ来る前に戻るだけですから、大丈夫です」
本当に言いたい言葉を飲み込んで、笑みを浮かべてそう答えた幸之助に私はムッと顔を顰めた。
寂しいなら寂しいって言えばいいのに。
隠したって、私には分かるのよ。あなたが本当は何を言いたいのかって。
「幸之助」
「え……」
私は膝を下ろして幸之助の両脇腹に手を差し込み、ひょいっと彼を膝の上に抱き上げた。驚く彼の頭を撫でながらその金銀妖瞳を覗き込む。
「寂しいなら寂しいってちゃんと言った方がいいよ」
「……加奈子殿」
「私は寂しいよ。ちょっとでもここを離れちゃうのは。私は幸之助と一緒にいたい」
そう言うと、幸之助は目尻を少しだけ下げて首を垂れ、ほどなくしてぽすっと私のみぞおち辺りに頭を押し当ててきた。
「……私も、加奈子殿と離れるのは寂しいです」
「うん……良かった、そう思ってくれてて」
私は精一杯自分の気持ちに正直に答えてくれた幸之助をぎゅっと抱きしめた。
また彼が前みたいに独りぼっちに戻ってしまうかと思うと、私だって気が気じゃない。そんな寂しい思いをさせたくないし、一緒にいてあげたいと本心から思う。
だけど……今の私は全部が中途半端なのも分かってる。
大学だって私が望んで行かせてもらっているんだし、ここで放棄したらお母さんやお父さんに迷惑をかけるだけになってしまう。だからきちんと、やるべき事をやって綺麗に片付けてからじゃないと幸之助の傍にいたらいけない気がした。
中途半端なままの私じゃ、きっと幸之助の事も中途半端にしてしまうのが怖いって言うのが本音かも。
大学を浪人しないでストレートに卒業出来るとしたら、あと二年。せめてその二年間は何とか頑張って学業に励まなきゃいけないんじゃないかな。
私は幸之助を抱きしめたまま、そう自分の心に問いただして口を開いた。
「幸之助……。私ね、今のままじゃ全部が中途半端になってしまう。それはたぶん、あなたのことも例外じゃないと思う。だから、きちんとやるべき事をやって片付けて来るわ」
「加奈子殿……」
「大学を卒業出来るまでの二年間。この二年だけ、あなたにまた辛抱してもらわなきゃいけないけど……いいかな?」
もちろん、また次の夏休みもここへ来ることは絶対約束する。そう付け加えると、幸之助はこくりと頷き返してくれた。
「分かりました。加奈子殿の成すべき事をしてきて下さい。その間、私はこの村とあなたの為に寄相神社で舞い続けましょう」
「うん。ありがとう。また寂しい思いをさせる事になってしまうけど、ごめんね?」
そう言うと、幸之助は首を横に振った。
彼は自分の胸をその小さな肉球で押さえ、そして私にその手を押し付けていつになく穏やかな表情でぽつりと囁いた。
「……私とあなたの間には、もう深い絆が出来ていますし、それを信じています。私なら大丈夫です」
そう言ってニコリと微笑みかけた。
電話先で矢継ぎ早にそう語るのは、私の母親だった。
私はシャワシャワと鳴く蝉の声を聞きながら建物の影になっている縁側の隅で、壁にもたれ掛かりながらお母さんの話に耳を傾けていた。
心配してこその電話だと言うのは分かるのだけど、一方的にアレコレ言うのは止めて欲しい。
お母さんはいつもそうだ。私をいつまでも子供扱いして、口を出してくる。
私はもう二十歳を超えた成人だし、自分の事ぐらい自分で決めて、責任もちゃんと取れるんですけど……。
「……分かってるってば」
ため息交じりにそう返すと、その答え方が気に入らなかったのか更に言葉に拍車がかかって来る。
『分かってるって、あなた本当に分かって言ってるの? 将来を見据えてお金を貯めているのかと思ったら、趣味に全部つぎ込むだなんて。あのね、今目の前にあることばかりに囚われていたら将来苦労するんだからね? もっと先の事を見越した行動しないと、困るのは自分なのよ? 世の中そんなに甘くはないんだから、あなたの今の考え方じゃダメよ』
何か言葉を返せばこの通り。もうそれも何度も何度も聞かされてきた言葉。
正直言って、耳にタコが出来てしまってる。
だけど……冷静に考えれば、これだけ言ってくれるのは親だからなんだよね。煩いなとは思うけど、ないがしろには出来ない。ここはぐっと我慢して私が引き下がらないと、いつまでも我を通すほど私だって子供じゃない。
そもそも、お母さんの言う事は間違えはなくて、連絡しなかった私にも確かに非はある。
あえて折れることは、実はちょっとした労力がいる。だから私はお母さんに聞こえないように小さく息を吐いて、深呼吸をして気持ちを入れ替える。
「うん、そうだよね。ごめんね、心配かけて。でもあと少しで夏休みも終わるから、もうちょっとしたら帰るよ」
『お父さんも心配してるのよ? 最初こそ好きにさせておけって言ってたけど、連絡もないままだったから、この大事な時に遊びまわって加奈子は大丈夫なのかって最近は毎日のように言ってるんだから』
私は電話口で母親の言葉を聞きながら、自分の服を引っ掻いたり握ったりしながら相槌と「分かった」「はい」「ごめんね」を繰り返し呟く。
『とにかく、帰ってくる前にまた連絡してちょうだいよ?』
「うん、わかった」
『じゃあね?』
「は~い」
ようやく電話を切ると、どっと出て来る疲れと共に心の底からの長い溜息を吐いた。
その電話があったのは、夏休みがもうあと一週間になった頃だった。
朝ご飯を食べて、いつものように縁側でのんびり過ごして今日は何をしようかなと考えている時にかかってきたんだ。で、その後約二時間お母さんからのお説教。もうこれだけて疲れがドッと出て、何かしようって気持ちがなくなった。
「……でも、もうあと一週間で夏休みも終わるのかぁ」
電話を傍らに置いて、私は空を仰いだ。
抜けるような青空。流れる雲は前に比べてちょっと薄くなってきたみたい。それに空が少し高く見えるのは、目の錯覚かな。
そんな空を見つめながら帰る時の事を考える。
帰りに和歌山に寄って行くことを考えると、あとここにいられるのも四日が限度。和歌山をすっ飛ばしたとしても五日が限界。
飛行機だったらもっとギリギリまで粘れただろうけど、車だもんなぁ……。
何だか急に東京に帰らなければならないと思うと、帰りたくなくなる。
右を見ても左を見ても大勢の人がいて、狭い道に軒並み並ぶ高いビル街。夜になっても煌々とついているネオン。眠らない街、東京。誰もが憧れる街、東京。
私だって、今まで東京で産まれ育ってきたから、ずっとそこにいることにちっとも不満なんか無かったし、喧騒としている街並みが当たり前だと思っていた。けど、こうして期間限定とは言え田舎に住んでみたら、東京には戻りたくないと思ってしまう。
私はふぅ……ともう一度ため息を吐いて脱力するかのように顔を俯かせると、視界の端に猫姿の幸之助がトテトテと小さな足音を立てながらやってきた。そして私の横にちょこんと座ると、首を傾けて私の顔を覗き込んでくる。
「加奈子殿? どうされましたか?」
「あ、幸之助……。実はね、今お母さんから連絡があったんだ」
「母君からですか」
「いつ帰って来るんだ~って。休みだからっていつまでも遊んでたらダメだって怒られちゃった」
「……そうですか」
幸之助は私の隣にちょこんと座り、じっと私を見上げて来る。
私は膝を曲げて抱え込み、その膝に頭を預けてぼやいた。
「……帰りたくないなぁ」
「……」
小さく体を前後に揺らしながら本音を零すと、こちらを見つめていた幸之助はそっとその小さな手を私の足の上に置いてきた。
「母君と父君が心配しておられるのでしたら、帰るべきです」
「幸之助……」
「もともと、加奈子殿のご自宅は東京にあるのですから」
「……幸之助は、寂しくないの?」
そんな幸之助を見つめ返しながら私がそう訊ねると、一瞬彼は躊躇ったような顔を浮かべた。
そんな風に話を振られるとは思ってなかったんだろうな。
少し躊躇いながらわずかに視界をさ迷わせて視線を下げると、幸之助は答えた。
「私は……。私は、加奈子殿がここへ来る前に戻るだけですから、大丈夫です」
本当に言いたい言葉を飲み込んで、笑みを浮かべてそう答えた幸之助に私はムッと顔を顰めた。
寂しいなら寂しいって言えばいいのに。
隠したって、私には分かるのよ。あなたが本当は何を言いたいのかって。
「幸之助」
「え……」
私は膝を下ろして幸之助の両脇腹に手を差し込み、ひょいっと彼を膝の上に抱き上げた。驚く彼の頭を撫でながらその金銀妖瞳を覗き込む。
「寂しいなら寂しいってちゃんと言った方がいいよ」
「……加奈子殿」
「私は寂しいよ。ちょっとでもここを離れちゃうのは。私は幸之助と一緒にいたい」
そう言うと、幸之助は目尻を少しだけ下げて首を垂れ、ほどなくしてぽすっと私のみぞおち辺りに頭を押し当ててきた。
「……私も、加奈子殿と離れるのは寂しいです」
「うん……良かった、そう思ってくれてて」
私は精一杯自分の気持ちに正直に答えてくれた幸之助をぎゅっと抱きしめた。
また彼が前みたいに独りぼっちに戻ってしまうかと思うと、私だって気が気じゃない。そんな寂しい思いをさせたくないし、一緒にいてあげたいと本心から思う。
だけど……今の私は全部が中途半端なのも分かってる。
大学だって私が望んで行かせてもらっているんだし、ここで放棄したらお母さんやお父さんに迷惑をかけるだけになってしまう。だからきちんと、やるべき事をやって綺麗に片付けてからじゃないと幸之助の傍にいたらいけない気がした。
中途半端なままの私じゃ、きっと幸之助の事も中途半端にしてしまうのが怖いって言うのが本音かも。
大学を浪人しないでストレートに卒業出来るとしたら、あと二年。せめてその二年間は何とか頑張って学業に励まなきゃいけないんじゃないかな。
私は幸之助を抱きしめたまま、そう自分の心に問いただして口を開いた。
「幸之助……。私ね、今のままじゃ全部が中途半端になってしまう。それはたぶん、あなたのことも例外じゃないと思う。だから、きちんとやるべき事をやって片付けて来るわ」
「加奈子殿……」
「大学を卒業出来るまでの二年間。この二年だけ、あなたにまた辛抱してもらわなきゃいけないけど……いいかな?」
もちろん、また次の夏休みもここへ来ることは絶対約束する。そう付け加えると、幸之助はこくりと頷き返してくれた。
「分かりました。加奈子殿の成すべき事をしてきて下さい。その間、私はこの村とあなたの為に寄相神社で舞い続けましょう」
「うん。ありがとう。また寂しい思いをさせる事になってしまうけど、ごめんね?」
そう言うと、幸之助は首を横に振った。
彼は自分の胸をその小さな肉球で押さえ、そして私にその手を押し付けていつになく穏やかな表情でぽつりと囁いた。
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