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賑やかな妖し、鞍馬天狗.弐

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 翌朝。私が寄相神社に行くと本殿の前にちょこんと座る猫姿の幸之助と、隣に見知らぬ人が立っていた。

 その人は少し長い襟足を紐で縛っている赤茶けた天然パーマの、私よりも年上の……多分年なら30歳半ばくらいの男性。藍染の着物を少し着崩して草履を履いたラフな格好をしていて、にこにこと笑っているその顔はやけに人懐っこそうな明るい印象を受けた。

 昨日はいなかったわよね、こんな人。
 何となくだけど凄く陽気な感じの……人?

「え~っと……?」

 彼が普通の人なのかそうじゃないのか判断がつかなくて、私は困惑しながら幸之助を見ると、幸之助の顔は非常に浮かないものだった。

 んん? 何その表情。何かあるの……?

 私が疑問に感じていると、天然パーマの彼はいつの間にやら私の目の前に来て、ぎゅっと手を握ってブンブン上下に振りまくってきた。

「!?」

 あまりに突然の事に私は驚いて言葉も出ず、その場に硬直してしまった。

「どうも! わしは鞍馬言います。初めてお会いしますよね?」

 にこやかな笑みが崩れることなく、そして手を離すこともないままやたら大きな声で挨拶をされ、私は驚くのと同時にたじろいでしまう。

 声でかっ! って言うか何か威圧感が凄い……。

「そ、そうですね……」

 思わず苦笑いを浮かべてしまいながらそう返すと、鞍馬はそれはそれは嬉しそうにさらにぐっと近づいてくるもんだから、わずかに背中を反ってしまう。

 近い! 近い近い!

「わしは狸奴とは古い友人ながです! 色々良くしてもらってるんですよ!」
「あ、やっぱりそっちの人?」
「そっち?」
「その、あやかしの……」

 ちょっと気が引けてもごもごとした話し方になってしまったけれど鞍馬にはしっかり聞こえたらしく、パァっと嬉しそうに表情をさらに明るくして嬉しそうに目を細めて笑った。

 何か子供みたい。別に褒めたわけじゃないのに、褒められて感極まる子供っていうか。すごい表情が豊かな人だなぁ。いやそれよりも、彼の後ろで物凄い目つきで彼を睨みつけ黒いオーラを放っている幸之助が凄い気になるんだけど……。

 ってか、あんな表情するの?! ちょっとどっか抜けてて穏やかそうな幸之助が……?! 

「お嬢さんは鞍馬天狗って知っちゅうろうか? わしの生まれは飛騨高山ながやけど、今は訳あって土佐に住みゆうがやき! 人間には伝説的には知られちょっても実際に会うこたぁ叶わんき、こうして話したり触れられるがぁは嬉しゅうてかなわんがよ!」

 今にも抱きつかれそうな勢いで、しかも笑みを崩さずやたら早口に喋りながら迫って来るもんだから、私は嫌でも身を引かざるを得ないわけで。自然と足が一歩、二歩と後退りをすれば、鞍馬はその分私に近づいてくる。

 ちょ、何なのこの人!? 実はめちゃくちゃ軟派な人格?! 今で言うとチャラ男っぽい。いつまでも手を握って離さないし、何よりそんなでかい声で話さなくても聞こえてるってば!

 すると見かねたのか幸之助が私の足元に駆け寄りするするっと上って来ると、私と鞍馬の間に入り込んできた。そしてその小さなふわふわの手を片方突き出して、鞍馬の体を押しのけるように思い切り突っぱねる。

 え。やだ可愛い。

「鞍馬! いい加減にしてください! 加奈子殿が困っているじゃないですか!」
「おお、そうやった! あんまりにも嬉しゅうて。ついやつい。そがに怒るなや!」
「怒ってなどいません! ただ、度が過ぎると言っているんです」

 私の腕にすっぽりと収まったまま警戒心剥き出しの幸之助に、鞍馬はへらへらと笑ってやっと手を放してくれた。

 一人ピリピリしている幸之助と、それを楽しんでいるかのような鞍馬。幸之助が牽制してるのに全然真面目に取り合おうとしていないその様子を見ていると、ふと思った。

 ……何て言うんだろう、この二人実はすごく仲がいいのかもしれない。

「……ふふふ」

 私が思わず笑うと、二人は揃ってこちらを振り返るタイミングもばっちり。馬が合うってこういう事を言うんじゃないの?

「二人とも、仲がいいのね」
「仲が良いと言うか……ただの腐れ縁です」
「はぁ!? 腐れ縁?! どう言う事や! わしがおんしにどんだけ尽くしてきたことか……」
「尽くしてもらったことなどありません。迷惑をかけられたことならありますが」
「っかぁ~~! 相変わらず口が減らん奴やな!」

 バチバチと火花を散らす二人の様子に、私は笑いが止まらない。
 こんなにムードメーカーなあやかしもいるなんて、全然知らなかった。
 そう言えば鞍馬天狗と言えば、源義経に剣術を教えたって言う伝承があるけど、あれは本当なのかしら。だとしたら幸之助よりもずっと年上になるわよね……。

「あの……鞍馬って言ったわよね?」
 
 火花を散らし合っている二人には申し訳ないけれど二人の間に割って入ると、名前を呼ばれた鞍馬は嬉しそうに笑いながら、また私の手を両手で取った。

「おう、何じゃ?」

 天狗じゃなくて実は犬なんじゃないかと思ってしまう。
 実際に生えているわけでもないのに、耳と尻尾が見えるような気がしてしょうがない。それくらい何か嬉しそうなのよね、この人。 

「鞍馬天狗って言ったら牛若丸に剣術を教えたって有名だけど、それって本当?」
「あ~、その事か。それ、他の奴らにもよう聞かれるがやけど、剣術を教えたんはわしの爺さんや。わしはその名前を継いで三代目やから、わしが教えたわけやないで」
「へぇ。あなたは三代目なの」
「そ、三代目」

 にこにこと笑ったまま私の手をしっかりと握り締めたまま、放してくれようとはしない。
 そんなに手を握られることなんてないから、ちょっと恥ずかしいんだけど……。

「あの……手、放してもらえません?」
「おう!」

 元気よく返事をする割に、全然放してくれない。
 ちょっと……彼、本当にあやかし? 実は生身の人間だった、なんて話じゃないわよね。もし生身の人間だったなんて言ったらセクハラで訴えられるわよ、これ。

「いやぁ、人間の女子とこうして触れ合って話が出来るなんて、久し振りや」

 なんて言いながら笑いながら私の手を摩る仕草はまさにセクハラだ。

「鞍馬!」

 私に抱っこされたままの幸之助が、毛を逆立てて苛立ったように鞍馬の名前を呼ぶとキラリと光る爪をむき出しにしてシュッと鞍馬の手を引っ掻いた。

「あいた!」

 鞍馬の手の甲に三本の赤い筋が走り、同時に手が離れた。

「何するがよ!? 怪我したやいか!!」
「しつこいからですよ。いい薬になったでしょう」
「何や、自分はぬくぬく女子の胸に抱かれちょいて、わしは触るがぁもいかんがか」
「……っ」

 怪我した手を押さえながらわざとらしく涙を浮かべて口を尖らせる鞍馬に、「女子の胸に抱かれていて」と言われた瞬間、幸之助の体中の毛が一瞬ブワッと逆立ったかと思うと、次の瞬間には恥ずかしそうにしおしおと顔を俯けて隠してしまった。

 やだ~! 可愛すぎるんですけど~!!

 とは言え、そう思えるのは猫の時だけ。人の姿の時には私よりも身長がある青年だから、可愛いとか言えない。

「お嬢さん、名前は……確か加奈子殿と言うたっけ?」
「え? あ、はい。あれ? 私名乗りましたっけ?」
「いや、お嬢さんからは聞いちょらん。そこにおる狸奴から聞いた」

 指をさされた幸之助は、相変わらず恥ずかしそうに顔を埋めたまま微動だにしない。
 そんな彼の姿を見た鞍馬は、スッと先ほどまでのふざけたような表情を解いて真面目な顔でこちらを見てきた。

「加奈子殿。狸奴の新しい主になったっちゅうんはほんまか?」

 突然のその言葉に、私は目を瞬いた。

「はい。本当です」
「ほうか……。加奈子殿はこの辺りに住みゆうがか?」
「いえ、東京です」
「……」

 東京、と言う言葉に鞍馬はきゅっと目を細め、どこかきつい眼差しを向けて来る。

 え? 何だろう?

「加奈子殿。こいつはな、もう知っちゅうかもしれんけんど、過酷な人生を送ってきちゅうがよ。確かに真吉殿に拾われてからは一時《いっとき》は幸せやったかもしれん。けんど、真吉殿が死んでからはまた逆戻りじゃ。その狸奴がもしもまた泣くような事があったら……」
「私は男ですがっ!? 嫁に出す親のような事を言わないで下さい!」

 あまりに真剣に話をするものだから、ついお嫁に貰う側の立場の人間として私も真剣に聞き入ってしまったけれど、赤い顔をしたまま割り込んで声を上げた幸之助にハッとなった。

 つい男の人の心境になった気がしちゃった。

「何がよ~! ほんまの事やいか~!」
「あなたはいちいち悪ふざけが過ぎるんですよっ!」

 私の手から降りた幸之助が、またヘラヘラと笑いながら逃げ回る鞍馬を追いかけまわすのを見て、私は小さく笑った。

 なんだ。結構気さくな友達もいるのね。
 そう思うと安心したようなちょっと寂しいような、そんな気持ちになったのは内緒。それこそ親のような心境になっただなんて言おうものなら、幸之助に怒られちゃうものね。

 でも……鞍馬が言った言葉は真実だと思う。私も悩んだもの。だけど幸之助がまた悲しむような事、もうしたりしないって決めたからきっと大丈夫。
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