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3.巻き戻り1日目-2
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『今日だろ? 明日香ちゃんとの約束』
智樹の言葉が蘇る。そうか、明日香と会うのか。通しかけたデニムが膝あたりでぴたり、と止まる。
1ヶ月後とはいえ、一度殺意を持ってしまった人物に会うべきだろうか。会ったらどうなるのだろうか。また殺してしまうのではないか。そんな考えが頭をよぎる。
足を通しかけた姿勢のまま悩む。時計の針だけがカチカチと進む。
おそらくキャンセルしても明日香は気にも留めないだろう。むしろ「大丈夫?」と声をかけてくるかもしれない。
……白々しい。そんな言葉、かけられたくない。
万一殺意が蘇ったとしても、その場に凶器がなければいい。それに公衆の面前だ。踏みとどまれるだろう。もしも彼女に掴みかかったとしても、誰かが止めてくれるかもしれない。実際そうはなりたくないが。
わたしはデニムを脱ぎ捨てると、ハンガーから花柄のシフォンワンピースを取り出した。ノースリーブで丈は長め。よく智樹とのデートに来ていった。いわゆる勝負服だ。
メイクを施し、気合を入れる。
ふと、化粧台のジュエリーボックスが目に入る。白い革製の、昔の救急箱くらいの大きさのものだ。一昨年の誕生日、智樹が贈ってくれた。しかし、中身はほとんど空だ。
『この箱がいっぱいになるくらい、毎年プレゼントするから』と智樹は言った。最初のプレゼントは小さなアメジストのネックレス。昨年の誕生日はダイヤモンドのネックレス、とネックレスばかりプレゼントしてくる彼は、本当は仕事場でもつけて欲しかったのだろう。
しかしわたしはつけなかった。
介護士、という仕事柄、指輪やブレスレット類はつけられない。施設の利用者に怪我をさせる可能性があるからだ。ネックレスも本来は禁止されているが、隠してつけている同僚はいる。
禁止されているから、危ないから、それがつけない理由だった。彼には少々残念そうな顔をされたが、それ以上何も言ってこなかった。
もし、残念そうに笑う顔に流されて身につけていたら、何かが変わっていたのだろうか?
わたしは首を振ると、ジュエリーボックスを開けた。
アメジストの紫色と、銀に輝くダイヤモンドのが二つ。その隣に金のチェーンつきの小さな真珠のネックレスが並ぶ。まだ智樹と出会う前、一つくらいは持っていても損はないだろうと購入したものだ。
今までそれが活躍したことがないので、損だったのか得だったのかよく分からなかったが──。
わたしは迷わず真珠のネックレスを手に取ると、首に下げた。
これは意地だ。女の……わたしの意地。
今更こんなことをしても無駄な足掻きかもしれない。ただ、何もせずに1ヶ月後を迎えたくなかった。
玄関を出る。
7月のO県の暑さは異常だ。一歩外に出るだけで蒸し蒸しとした空気が肌にへばりついてくる。呼吸しにくく感じ、わたしは咳き込んだ。
明日香との待ち合わせはU駅の最寄りのカフェ。隣のN駅近くに住む私の足ならば、ゆっくり歩いても余裕で間に合う。
私鉄の高架をくぐり抜け、JRの下を通る地下道を行く。地下のほうが空気の流れが悪いせいか、余計に暑く感じる。すれ違う人は皆、気怠げな表情だ。約束さえなければ、わたしもきっとこんな顔をしてただろう。なんでこんな日に外に出なきゃいけないんだ、なんて思いながら。
いや、今の方がもっとひどい顔をしているかもしれない。
地下道を出てすぐの大型商業施設のショーウィンドウを覗き込む。着飾ったトルソーの間に、長い黒髪を後頭部でひとつくくりにした青白い顔の女がうっすらと浮かぶ。これがわたしだ。予想通りひどい。
たいして大きくもない目に口角の上がりきらない小さな口元。目鼻立ちは正直言って平凡だ。
その平凡さを覆い隠すための妙に気合が入ったメイクは、残念ながら顔色の悪さを隠せてない。じとりとした汗でメイクが浮き、余計にアンバランスに見える。
悪役令嬢だった時と比べて肌もハリがない。容姿も地味な部類だ。そりゃそうだ。悪役とはいえ、美人に描かれたゲームの登場人物と現実の自分を比べるなんて実に馬鹿げている。未成年のいいところの子供と、あくせく働くしかない26歳のの介護士じゃ、天と地ほどの差がある。
現実の自分の姿に、内心ほっとするような、打ちのめされるような複雑な気分を一瞬だけ味わった。
それもすぐに打ち消される。
ショーウィンドウの中の顔色の悪い凡人は消え、恋人と親友の顔が浮かび、わたしは思わずあとずさった。
ふたりともさきほどのわたしよりも顔面蒼白で目は虚ろだが、はっきりとこちらを見ている。口からは赤い筋がいくつも流れ、ぽたり、ぽたりと不規則に雫が落ちる。すぐに理解できた──1ヶ月後のふたりの死相だ。
思えば転生後も鏡をまともに見れなかった。自分が『悪役』令嬢に転生したと認識したくないのもあったが、一番の理由が人殺し、と囁いてくる二つの虚像に向き合いたくなかったからだ。
悪役ではありたくなかったが、自分が殺人を犯した、汚れた人間だとも受け入れたくもなかった。ずっと恐ろしかったのだ。
だが……。
わたしはその場に座り込みそうになった足を奮い立たせる。ショーウィンドウから目を伏せると、奥歯を噛み締めながら脇にある小道に入った。
今から殺した相手のところに向かうのに何怖気付いてるんだ。
足を無心で動かす。顔を見たら暴れてしまうかもしれない、でも家で会うよりマシだ。きっと、家で会ってしまったら──。
「カナ、こっちこっち」
不意に声をかけられ固まった。店の中から明日香が呑気に手招きしていた。
智樹の言葉が蘇る。そうか、明日香と会うのか。通しかけたデニムが膝あたりでぴたり、と止まる。
1ヶ月後とはいえ、一度殺意を持ってしまった人物に会うべきだろうか。会ったらどうなるのだろうか。また殺してしまうのではないか。そんな考えが頭をよぎる。
足を通しかけた姿勢のまま悩む。時計の針だけがカチカチと進む。
おそらくキャンセルしても明日香は気にも留めないだろう。むしろ「大丈夫?」と声をかけてくるかもしれない。
……白々しい。そんな言葉、かけられたくない。
万一殺意が蘇ったとしても、その場に凶器がなければいい。それに公衆の面前だ。踏みとどまれるだろう。もしも彼女に掴みかかったとしても、誰かが止めてくれるかもしれない。実際そうはなりたくないが。
わたしはデニムを脱ぎ捨てると、ハンガーから花柄のシフォンワンピースを取り出した。ノースリーブで丈は長め。よく智樹とのデートに来ていった。いわゆる勝負服だ。
メイクを施し、気合を入れる。
ふと、化粧台のジュエリーボックスが目に入る。白い革製の、昔の救急箱くらいの大きさのものだ。一昨年の誕生日、智樹が贈ってくれた。しかし、中身はほとんど空だ。
『この箱がいっぱいになるくらい、毎年プレゼントするから』と智樹は言った。最初のプレゼントは小さなアメジストのネックレス。昨年の誕生日はダイヤモンドのネックレス、とネックレスばかりプレゼントしてくる彼は、本当は仕事場でもつけて欲しかったのだろう。
しかしわたしはつけなかった。
介護士、という仕事柄、指輪やブレスレット類はつけられない。施設の利用者に怪我をさせる可能性があるからだ。ネックレスも本来は禁止されているが、隠してつけている同僚はいる。
禁止されているから、危ないから、それがつけない理由だった。彼には少々残念そうな顔をされたが、それ以上何も言ってこなかった。
もし、残念そうに笑う顔に流されて身につけていたら、何かが変わっていたのだろうか?
わたしは首を振ると、ジュエリーボックスを開けた。
アメジストの紫色と、銀に輝くダイヤモンドのが二つ。その隣に金のチェーンつきの小さな真珠のネックレスが並ぶ。まだ智樹と出会う前、一つくらいは持っていても損はないだろうと購入したものだ。
今までそれが活躍したことがないので、損だったのか得だったのかよく分からなかったが──。
わたしは迷わず真珠のネックレスを手に取ると、首に下げた。
これは意地だ。女の……わたしの意地。
今更こんなことをしても無駄な足掻きかもしれない。ただ、何もせずに1ヶ月後を迎えたくなかった。
玄関を出る。
7月のO県の暑さは異常だ。一歩外に出るだけで蒸し蒸しとした空気が肌にへばりついてくる。呼吸しにくく感じ、わたしは咳き込んだ。
明日香との待ち合わせはU駅の最寄りのカフェ。隣のN駅近くに住む私の足ならば、ゆっくり歩いても余裕で間に合う。
私鉄の高架をくぐり抜け、JRの下を通る地下道を行く。地下のほうが空気の流れが悪いせいか、余計に暑く感じる。すれ違う人は皆、気怠げな表情だ。約束さえなければ、わたしもきっとこんな顔をしてただろう。なんでこんな日に外に出なきゃいけないんだ、なんて思いながら。
いや、今の方がもっとひどい顔をしているかもしれない。
地下道を出てすぐの大型商業施設のショーウィンドウを覗き込む。着飾ったトルソーの間に、長い黒髪を後頭部でひとつくくりにした青白い顔の女がうっすらと浮かぶ。これがわたしだ。予想通りひどい。
たいして大きくもない目に口角の上がりきらない小さな口元。目鼻立ちは正直言って平凡だ。
その平凡さを覆い隠すための妙に気合が入ったメイクは、残念ながら顔色の悪さを隠せてない。じとりとした汗でメイクが浮き、余計にアンバランスに見える。
悪役令嬢だった時と比べて肌もハリがない。容姿も地味な部類だ。そりゃそうだ。悪役とはいえ、美人に描かれたゲームの登場人物と現実の自分を比べるなんて実に馬鹿げている。未成年のいいところの子供と、あくせく働くしかない26歳のの介護士じゃ、天と地ほどの差がある。
現実の自分の姿に、内心ほっとするような、打ちのめされるような複雑な気分を一瞬だけ味わった。
それもすぐに打ち消される。
ショーウィンドウの中の顔色の悪い凡人は消え、恋人と親友の顔が浮かび、わたしは思わずあとずさった。
ふたりともさきほどのわたしよりも顔面蒼白で目は虚ろだが、はっきりとこちらを見ている。口からは赤い筋がいくつも流れ、ぽたり、ぽたりと不規則に雫が落ちる。すぐに理解できた──1ヶ月後のふたりの死相だ。
思えば転生後も鏡をまともに見れなかった。自分が『悪役』令嬢に転生したと認識したくないのもあったが、一番の理由が人殺し、と囁いてくる二つの虚像に向き合いたくなかったからだ。
悪役ではありたくなかったが、自分が殺人を犯した、汚れた人間だとも受け入れたくもなかった。ずっと恐ろしかったのだ。
だが……。
わたしはその場に座り込みそうになった足を奮い立たせる。ショーウィンドウから目を伏せると、奥歯を噛み締めながら脇にある小道に入った。
今から殺した相手のところに向かうのに何怖気付いてるんだ。
足を無心で動かす。顔を見たら暴れてしまうかもしれない、でも家で会うよりマシだ。きっと、家で会ってしまったら──。
「カナ、こっちこっち」
不意に声をかけられ固まった。店の中から明日香が呑気に手招きしていた。
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