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2章
96.彼は剣を振り下ろす
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【ジークフリート視点】
お前はいつ寝てるんだ、と聞かれたことがある。
朝から晩まで訓練。上への報告、下への連絡。それが終われば執務室で書類と格闘する事務仕事。遊撃部隊の隊長として隊員の個人訓練にも付き合う。もちろん自身の鍛錬も欠かせない。
ジークフリートは決して手を抜かない。それが責務だ。寝る間を惜しむどころか、一時期は寝る必要などないとすら本気で思っていた。
結果、一度だけ疲労で倒れたことでセーブすることを理解したのだが──。
「まだ寝てないの?!」
カミルの素っ頓狂な声に、服の裾で汗を拭ったジークフリートは振り向いた。したたる汗は訓練所の土も濡らし、彼の周りの地面の色だけ濃く変わっている。手にした剣は暗闇の中で光る細月のように薄い。
カミルが手持ちのランタンを掲げると、それらが真っ黒な闇に浮かび上がる。ジークフリートは不機嫌そうに眉を歪めた。
「……そのうち寝る」
「そのうちって。ここのところ毎日遅くまで稽古してるでしょ。知ってるよ? でも明日は剣術大会だし、そこまで無理する必要ないんじゃないの? 十分強いんだから」
「必要はある」
「…………もしかして、眠れないとか?」
ジークフリートは口を噤んだ。
剣術大会など興味はない。優勝賞金も与えられる栄誉もだ。だが、今回はなんとしても優勝しなければならない理由があった。
無言で背を向けたジークフリートの様子で、カミルは図星だと理解した。
「もしかしてもしかして、急にあの子を介添人につけたのも関係ある?」
「あの子?」
「アルトだよ、ア・ル・ト」
カミルはランタンを弄ぶようにブラブラさせる。
「おっかしいと思ったんだよ。運営側が選定した人間でいいって言ってたやつが急に、当日の配置換えしてまで新人を介添人にするなんてさ」
「別に大した理由はない」
「ホントにぃ~?」
「新人にも色々経験させておくべきだと思っただけだ」
ため息混じりに答えると、ジークフリートは剣を納めた。
介添人は大会出場者の補佐を行う者だ。当日の雑務に加え、対戦相手の剣に毒などが仕掛けられてないか確認する役割がある。地味だが重要だ。故に気心の知れた相手を介添人に据える者は多い。部下を抜擢するのも不思議ではない。
もちろん、経験を積ませたかったのもあるが、アルティーティをひとりにさせるのは危険だと思ったからだ。
彼女は弓騎士だ。弓騎士は武器の性質上、王都を巡回するより高所から見張る配置に着くのが常だ。その任は1ヶ所におおよそひとりしか配置されない。交代を含めればふたりだ。ネルローザがなにか仕掛けるには十分すぎる隙だ。
その点、関係者以外立ち入り禁止となる剣術大会の待機場所ならば安心だ。一介の貴族令嬢が立ち入れるような場所じゃない。
汗を拭うジークフリートの前に、カミルはひょっこりと顔を出す。
「あ、そう。なーんだつまんないの。あ、全然話変わるけどオレの報告、役に立った?」
何かあっただろうか、とジークフリートは首を捻る。
「珍しいよね。あの盲目の御仁が王都にいるの」
盲目の、と言われ白髪の、妙に浮世離れした姿が思い浮かんだ。
(……ロンダルク・ガレンツェか……)
ロンダルクとは実は顔見知りだ。といっても、過去ロンダルク有する領地、ガレー領が隣国であるグレアム五公国との諍いに巻き込まれた時に顔を合わせただけだが。
全身白色に身を包み、思考を読み取らせない微笑みを浮かべる彼を、少し気味が悪いと思ったことは覚えている。
そこ以外は有能な領主だ。指示は的確、交渉も無難にこなす。領民からの信頼も厚い。情勢が不安定な地域には置いておきたい人材ではある。
「最近は揉めることもないし、領地に居続けてまで警戒する必要がなくなったんだろ」
「そうなのかなぁ。暇になったから婚約者候補に会いに王都に滞在? そんなタイプ? 候補の令嬢って派手な子だよね。たしかネルローザ……ストリウム男爵令嬢、だっけ?」
意味ありげに覗き込むカミルの顔を思わず見る。
「…………どこまで知ってる?」
「そう睨むなよ。あの時の……アルティーティ・ストリウム嬢の妹君だってことは知ってるよ。だから報告に上げたんじゃないか」
「君だって知ってるよね、ネルローザ・ストリウム嬢」と、カミルは口を尖らせた。
あの時のことを詳しく知る騎士団員は少ない。その中でアルティーティの義妹の名を知る者など、カミルと団長のジオンくらいなものだ。
ジークフリートももちろん知っている。元平民だということも、アルティーティをいじめ抜いた性悪だということも。名前を聞くだけでも怒りで打ち震えるほどだ。忘れようにも忘れられない。
「でもこう言っちゃなんだけど、辺境伯も趣味が悪いよね。姉が引きこもってることをいいことに、社交界で姉の悪口ばっかり言ってる女の子、しかも男爵令嬢を候補にするなんてね。他に上位貴族の候補なんていっぱいいるだろうに」
「今は何も起きてないとはいえ、国境付近は基本的に不安定だ。いつ何が起こるとも限らん場所に好き好んで娘を預ける親はいないだろう。それに……伯の目のこともあるしな」
「流行り病でやられたんだっけ? 子供の代に遺伝するものでもないだろうに」
「……貴族はつまらんメンツを気にするものだ」
ジークフリートはそれらしい理由で濁した。
アルティーティが言うには、ロンダルクは彼女の婚約者だったという。
貴族の結婚は姉がダメなら妹へ、が許されている。今回もそうだろう。趣味が悪いと言われようが大した問題がないなら、ロンダルクがネルローザと婚約するのは自然な流れだ。
だが、アルティーティとロンダルクが婚約状態だったことは、事件のことを詳しく調べ尽くしたジークフリートすら知らなかった。そんな情報、あまり口外するべきではない。
「でも変だよね。辺境伯もなんでアルトと接触したんだろう? それとも……ストリウムのご令嬢と何か接点でもあるのかな?」
「……さぁな。あいつのことだ。馬車にぶつかりでもして怒られたんだろ」
「あー……あはは、あの子ならやりそう」
笑うカミルを見ながら、ジークフリートは心の中であらぬ疑いをかけられてしまったアルティーティに謝った。
「まーでもそろそろホントに寝なよ? また倒れたりしたらオレが困る」
「お前が?」
「そ。君の仕事が全部オレにくる。とても困る。それに、明日寝不足で目が開けられませんでした、なんて負けた言い訳としてはカッコ悪すぎる」
「それはお前もな。警備中に寝るなよ」
「ふふふ、それはどうでしょう」
「おい」
あはは、と笑いながら遠ざかっていくランタンを、ジークフリートは呆れ顔で見送った。ああは言っても遊撃部隊の副長だ。カミルが任務を放棄したことはない。そこは心配していない。
付近は闇に包まれる。カミルが来る前よりも深い闇に思えた。
ジークフリートは剣を引き抜くと、闇に向かって再び振り始めた。
(手は尽くした)
アルティーティから話を聞いて以来、時間がない中で打てる手は全て打った。
諦めてくれればそれでいい。が、そこまで理性的な判断をネルローザが下せるとももはや思っていない。
もしもアルティーティに危害を加えようとしたら。
正体をバラすと強行してきたら。
ロンダルクの権威を利用してきたら。
はたまた他の方法であっても。
「…………容赦はしない」
たとえ相手が誰であっても、アルティーティの安寧を奪わせない。
剣を握る手に力がこもる。
ジークフリートは決して手を抜かない。彼女を守るためならその手を緩めない。闇の向こうの見えない敵に剣を振り下ろした。
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ジークフリートは決して手を抜かない。それが責務だ。寝る間を惜しむどころか、一時期は寝る必要などないとすら本気で思っていた。
結果、一度だけ疲労で倒れたことでセーブすることを理解したのだが──。
「まだ寝てないの?!」
カミルの素っ頓狂な声に、服の裾で汗を拭ったジークフリートは振り向いた。したたる汗は訓練所の土も濡らし、彼の周りの地面の色だけ濃く変わっている。手にした剣は暗闇の中で光る細月のように薄い。
カミルが手持ちのランタンを掲げると、それらが真っ黒な闇に浮かび上がる。ジークフリートは不機嫌そうに眉を歪めた。
「……そのうち寝る」
「そのうちって。ここのところ毎日遅くまで稽古してるでしょ。知ってるよ? でも明日は剣術大会だし、そこまで無理する必要ないんじゃないの? 十分強いんだから」
「必要はある」
「…………もしかして、眠れないとか?」
ジークフリートは口を噤んだ。
剣術大会など興味はない。優勝賞金も与えられる栄誉もだ。だが、今回はなんとしても優勝しなければならない理由があった。
無言で背を向けたジークフリートの様子で、カミルは図星だと理解した。
「もしかしてもしかして、急にあの子を介添人につけたのも関係ある?」
「あの子?」
「アルトだよ、ア・ル・ト」
カミルはランタンを弄ぶようにブラブラさせる。
「おっかしいと思ったんだよ。運営側が選定した人間でいいって言ってたやつが急に、当日の配置換えしてまで新人を介添人にするなんてさ」
「別に大した理由はない」
「ホントにぃ~?」
「新人にも色々経験させておくべきだと思っただけだ」
ため息混じりに答えると、ジークフリートは剣を納めた。
介添人は大会出場者の補佐を行う者だ。当日の雑務に加え、対戦相手の剣に毒などが仕掛けられてないか確認する役割がある。地味だが重要だ。故に気心の知れた相手を介添人に据える者は多い。部下を抜擢するのも不思議ではない。
もちろん、経験を積ませたかったのもあるが、アルティーティをひとりにさせるのは危険だと思ったからだ。
彼女は弓騎士だ。弓騎士は武器の性質上、王都を巡回するより高所から見張る配置に着くのが常だ。その任は1ヶ所におおよそひとりしか配置されない。交代を含めればふたりだ。ネルローザがなにか仕掛けるには十分すぎる隙だ。
その点、関係者以外立ち入り禁止となる剣術大会の待機場所ならば安心だ。一介の貴族令嬢が立ち入れるような場所じゃない。
汗を拭うジークフリートの前に、カミルはひょっこりと顔を出す。
「あ、そう。なーんだつまんないの。あ、全然話変わるけどオレの報告、役に立った?」
何かあっただろうか、とジークフリートは首を捻る。
「珍しいよね。あの盲目の御仁が王都にいるの」
盲目の、と言われ白髪の、妙に浮世離れした姿が思い浮かんだ。
(……ロンダルク・ガレンツェか……)
ロンダルクとは実は顔見知りだ。といっても、過去ロンダルク有する領地、ガレー領が隣国であるグレアム五公国との諍いに巻き込まれた時に顔を合わせただけだが。
全身白色に身を包み、思考を読み取らせない微笑みを浮かべる彼を、少し気味が悪いと思ったことは覚えている。
そこ以外は有能な領主だ。指示は的確、交渉も無難にこなす。領民からの信頼も厚い。情勢が不安定な地域には置いておきたい人材ではある。
「最近は揉めることもないし、領地に居続けてまで警戒する必要がなくなったんだろ」
「そうなのかなぁ。暇になったから婚約者候補に会いに王都に滞在? そんなタイプ? 候補の令嬢って派手な子だよね。たしかネルローザ……ストリウム男爵令嬢、だっけ?」
意味ありげに覗き込むカミルの顔を思わず見る。
「…………どこまで知ってる?」
「そう睨むなよ。あの時の……アルティーティ・ストリウム嬢の妹君だってことは知ってるよ。だから報告に上げたんじゃないか」
「君だって知ってるよね、ネルローザ・ストリウム嬢」と、カミルは口を尖らせた。
あの時のことを詳しく知る騎士団員は少ない。その中でアルティーティの義妹の名を知る者など、カミルと団長のジオンくらいなものだ。
ジークフリートももちろん知っている。元平民だということも、アルティーティをいじめ抜いた性悪だということも。名前を聞くだけでも怒りで打ち震えるほどだ。忘れようにも忘れられない。
「でもこう言っちゃなんだけど、辺境伯も趣味が悪いよね。姉が引きこもってることをいいことに、社交界で姉の悪口ばっかり言ってる女の子、しかも男爵令嬢を候補にするなんてね。他に上位貴族の候補なんていっぱいいるだろうに」
「今は何も起きてないとはいえ、国境付近は基本的に不安定だ。いつ何が起こるとも限らん場所に好き好んで娘を預ける親はいないだろう。それに……伯の目のこともあるしな」
「流行り病でやられたんだっけ? 子供の代に遺伝するものでもないだろうに」
「……貴族はつまらんメンツを気にするものだ」
ジークフリートはそれらしい理由で濁した。
アルティーティが言うには、ロンダルクは彼女の婚約者だったという。
貴族の結婚は姉がダメなら妹へ、が許されている。今回もそうだろう。趣味が悪いと言われようが大した問題がないなら、ロンダルクがネルローザと婚約するのは自然な流れだ。
だが、アルティーティとロンダルクが婚約状態だったことは、事件のことを詳しく調べ尽くしたジークフリートすら知らなかった。そんな情報、あまり口外するべきではない。
「でも変だよね。辺境伯もなんでアルトと接触したんだろう? それとも……ストリウムのご令嬢と何か接点でもあるのかな?」
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「あー……あはは、あの子ならやりそう」
笑うカミルを見ながら、ジークフリートは心の中であらぬ疑いをかけられてしまったアルティーティに謝った。
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「そ。君の仕事が全部オレにくる。とても困る。それに、明日寝不足で目が開けられませんでした、なんて負けた言い訳としてはカッコ悪すぎる」
「それはお前もな。警備中に寝るなよ」
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「おい」
あはは、と笑いながら遠ざかっていくランタンを、ジークフリートは呆れ顔で見送った。ああは言っても遊撃部隊の副長だ。カミルが任務を放棄したことはない。そこは心配していない。
付近は闇に包まれる。カミルが来る前よりも深い闇に思えた。
ジークフリートは剣を引き抜くと、闇に向かって再び振り始めた。
(手は尽くした)
アルティーティから話を聞いて以来、時間がない中で打てる手は全て打った。
諦めてくれればそれでいい。が、そこまで理性的な判断をネルローザが下せるとももはや思っていない。
もしもアルティーティに危害を加えようとしたら。
正体をバラすと強行してきたら。
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はたまた他の方法であっても。
「…………容赦はしない」
たとえ相手が誰であっても、アルティーティの安寧を奪わせない。
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