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2章
85.想定内の最悪
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【ジークフリート視点】
ヴィクターとの個人訓練を終えたジークフリートは、その足で執務室に来ていた。
隊長クラスなら誰でも与えられるその部屋は、机と椅子、本棚がひとつずつあるだけでこざっぱりしている。棚には項目ごとに整然と並べられた本がぎっちりと詰められており、壁に飾られた周辺地図には主要都市にピンがいくつか刺さっていた。
他の隊長たちの部屋がどんなものかは知らないが、ジークフリートのそれはまさに書類仕事をするためだけの部屋だった。
だが今日来たのは別段、仕事があるわけでもない。
アルティーティももう寝ているだろう。着替え終わるまで変に時間を潰す必要もない。
あとはベッドに滑り込むだけ。だがひとつ、やらなければならないというか、やりたくないがやらないと後で面倒なことを思い出したのだ。
ジークフリートは引き出しを開けると、親指ほどの黒い虫のような、もさっとしたものを取り出した。
それを指で数度つつき、しばらく待つこと5分。
『やっほージーくん、ひっさしぶりぃ~』
黒いもさもさの伝声器から兄、ルーカスの聞き慣れた能天気な声が聞こえてきた。
「兄上……ですからジーくんはやめてください。あとその奇妙な挨拶も」
『え? なになに? 聞こえないなぁ~。うんうん、私はこんな夜中でも弟からの伝声器に応答する素晴らしい兄だって? いやぁ~照れるなぁ~』
そんなことは一言も言ってない。
だが口に出せば余計にややこしくなる。ジークフリートは伝声器ごしのルーカスの言葉にやや呆れるも、早く終わらそうと用向きを聞いた。
実は、夜会が終わってからしばらくしてルーカスから度々連絡が入っていた。
しかし日々の訓練に加え、花祭りの準備、さらには先日の瘴気討伐に関わるアレコレでなかなか折り返すことができず、こんな時間になってしまったというわけだ。
『そうそうちょっと伝えたいことがあってねぇ。手紙よりこっちの方が早いかなぁ~なんて思ってたら手紙より時間かかっちゃった。あはは』
「……すみません。こちらも色々とありまして」
『いやいいよぉ~、そういえば大丈夫だった? 瘴気、また湧いたんでしょ?』
「……ええ、まぁ」
『まったく嫌になっちゃうよねぇ~最近また増えてるみたいだしぃ~。この間なんてさぁ~………………』
これは話が長くなりそうだ。
ジークフリートはあくびを噛み殺しながらも相槌を打った。
リブラック家が治めるリンザー領でも瘴気は当然発生する。
それでも、安定して農作物を生産出荷できるのは対応の速さにある。
瘴気が発生しても迅速に対応できるよう、リブラック家は何代か前の当主から、各街の長たちに伝声器を貸し出している。瘴気発生の一報から、私設騎士団の中では随一の機動力を持つ騎馬隊が駆けつけ討伐する流れだ。おかげでここ数年、リンザー領からのアーディル騎士団への応援要請はない。
(……しかしこの間の瘴気は……)
ジークフリートはつい先日討った瘴気を思い返していた。
あの程度のごく小規模の瘴気などよくあることだ。そもそも発生時は大体が小規模で、時間と共に大きくなっていくのが瘴気だ。
だから討伐中はさして違和感はなかった。
ジークフリートたちが出立した後、王都周辺で同じような小規模の瘴気が4ヶ所も発生したと聞いた時もだ。
通常、瘴気の発生中はその周辺に別の瘴気が生まれることはないらしい。
広大な土地を有するリンザー領内であっても、ふたつ以上は発生しない。領内でひとつ発生した直後に、隣接領地の瘴気から魔物が流れてくる場合はあるが、基本的には1ヶ所だけだ。
それがなぜだかは分からないが、観測も報告もされたことがないことから、同時多発的な発生はないと考えられている。
今回の件もギリギリ、ただイレギュラーが重なっただけと片づけられたのかもしれない──それだけならば。
先日の瘴気討伐で見つかった片羽蝶のネックレス。あれが他4ヶ所全てで見つかった。
もれなく瘴気発生源近くで、黒く煤けたようになっていたという。
加えて団長のジオンが言うには、5ヶ所全てにおいて通報者すら不明。名乗っていた身分も名前も偽称の可能性が高いという。
そもそも小規模の状態で討伐できたのは通報が速かったからだ。
しかしその通報の速さにも疑問が残る。見通しのいい平地ならばわかるが、5ヶ所とも森の中だ。小さな森とはいえ、薄暗く木々で見えにくい中、小規模の瘴気を立て続けに発見となると偶然では片付けられない。
同時に湧かないはずの瘴気が近距離で発生し、その全てで同じ物が発見され、第一発見者である通報者がわからない。
瘴気発生に際し、何者かの手が介入したとしか思えない。しかしその方法がわからない。目的すらも。
あのネックレスは見た目こそ毒々しいが、普通のネックレスだ。瘴気はおろか、何かの魔力が宿っている様子もない。元婚約者が儚くなった時に調べさせた自分が一番よくわかっている。
瘴気を人為的に発生させる手段があるとして、その場に役に立たないネックレスを置いていく意味がない。瘴気は自然発生するものと思われている今、わざわざ人の手、しかも同一人物によるものだとアピールすることになってしまう。もし自分が国家転覆を狙う人間なら、そんな馬鹿なことはしない。
相手も方法も目的もわからない。わからないが、ひとつ確かなことがある。
今のところ発見されている片羽蝶は、ジークフリートがなぜか全て立ち会っているということだ。
アルティーティの母も、ブリジッタも、ひったくりも、そして今回の瘴気も。
ジオンは言った。「連中の狙いが何かはわからんが気をつけろ」と。おそらく彼も同じことを考えている。
彼らの狙いはジークフリートなのではないかと。
始まりはアルティーティの母の死だった。
あの時の連中が、ブリジッタを刺し、未だ王都を徘徊し、今回の瘴気を生み出したとしたら。
ジークフリートの赤眼が熱くなる。
自分だけを狙ってくるならまだいい。対処のしようはいくらでもある。
しかし奴らは周囲の無関係な人間を巻き込む。容赦なく殺す。そうして本当のターゲットを蝕んでいく。
まるで嘲笑うかのように。
ジークフリートの交友関係は狭い。家族と騎士団、一部の魔導師団の面々──そしてアルティーティ。
この中でジークフリートにとって、一番痛手になるのはアルティーティだ。まだパウマの夜会で密やかに披露しただけだが、社交界は噂が広まるのもはやい。奴らが情報を掴むのも時間の問題だ。
(絶対に、指一本触れさせるものか)
彼女は片羽蝶との因縁を知らない。彼女の母が死んだ時にもあった物だということを知らない。知らせるつもりもない。
真っ直ぐで正義感溢れる人間が、折れると脆いのは体験した自分がよく知っている。自分の身の犠牲を厭わず猪突猛進に突き進む彼女は、過去のジークフリートよりも危うい。何がきっかけで、あの可憐な花が手折れてしまうのかは誰にもわからない。
わざわざ心折るようなことは教えたくないし、辛い思いをさせたくなかった。過保護、と言われてもこれだけは譲れない。
彼女が知るとしても騎士として必要な情報だけだ。
だからもし連中が彼女を狙ったとしても、絶対に守り抜く。はにかむように微笑む彼女が、何者にもかえ難いほど大事だから。
ジークフリートは手に力を込めた。
彼女が騎士としてこの寮で暮らしてくれているのが唯一の救いだ。そばにいれば異変に気づけるし、なによりこんな場所に女性がいるとは敵も思うまい。
だが気掛かりなのはそれだけではない。
『…………おーい、ジーくん。ジーくぅ~ん? 聞こえてるぅ~?』
伝声器からのルーカスの呼びかけに、ジークフリートは意識を戻された。
「聞いてました」
『嘘だね絶対聞いてない。昔からお前は、熱中したり心配なことがあるとすぐ脳内会議にトリップしちゃうからねぇ~』
「…………すみません。なんの話でしたか?」
『だからぁ~、ストリウム家だよ。彼らがアルティーティさんを探すのをやめたそうだよ』
「やめた……? というのは……?」
『うん、と言っても、誰彼構わず聞きまくってたのをやめた、って感じだけど~。変だよねぇ~。結構しつこく聞き回ってたらしいのに』
おかしいよねぇ、と同意を求める声にジークフリートも応じる。
ストリウム家がアルティーティを探し始めたのは最近のことだ。以前、ルーカスから聞かされた時に調べたが、正確には彼女の異母妹が夜会や茶会で聞き回っているらしい。
代替わりでもしたのかと思ったが、父親は随分前から異国を巡り帰国しておらず、母親は病気療養中。領地持ちではないので、元平民の異母妹でも当主代理が務まるのだろう。
その彼女が、「長年続く病気の治療が嫌だと言って、家出してしまった姉をどうにか家に戻し、治療に専念させたい。たったひとりの姉がこのままでは死んでしまう。生きる希望を捨てないでほしい」と言いふらしているそうだ。
それを聞いた時のジークフリートの胸には、如何とも表現し難い程の怒りがこみ上げた。
自分から追放したくせに、何年も経った今になって探し出しまわる。
嘘を何重にも積み上げただけでは飽き足らず、まるでアルティーティのわがままに振り回される健気な異母妹を演出するかのような言い分。
彼女を暗い塔の中に閉じ込め、髪を不吉だと無惨にも剃り落とし、両目を覆い、気に入らないと鞭を打つ。
そのような卑劣な人間が、浅ましい嘘をまるで真実かのように囃し立てることにジークフリートは怒りを禁じ得なかった。
そんな虚言を突然やめたという。
しかもアルティーティにも関わりのある片羽蝶付きの瘴気が発生した、このタイミングでだ。
何か引っかかる。
一見、諦めたようにも見える。だがしてきたことを考えるに相手は普通ではない。執拗で陰湿で狂気的だ。簡単に諦める質ではないことは想像に難くない。
ならば、と最悪な答えが浮かぶ。
彼女がどこにいるかバレた。瘴気や片羽蝶との繋がりは不明だが、ストリウム家に見つかったと考えるのが自然だ。
最悪中の最悪だ。しかしジークフリートは片眉をかすかに上げたのみだ。
最前線で臨機応変に動く遊撃部隊は、常に最悪を想定している。今もそうだ。ある意味、この状況は折り込み済みとも言える。
(早急に手を打たなければなるまい……それに気掛かりはもうひとつ)
ジークフリートはジェレミに言われたことを思い出す。
アルティーティの弓に仕掛けられた吸魔石が、彼女の魔力量に合っていないという。あの程度の魔石の小ささで本人の魔力操作もままならないならば、普通ならとっくに砕けてるはずだと。
加えてこうも言った。「吸魔石にもう一つ、魔力認識阻害なんてレアな仕掛けがされてる」と。
魔力認識、とは文字通り相手の魔力を見ることだ。ジークフリートが知る限りでは、できるのはジェレミくらい。いかにアルティーティの魔力が甚大でも、常人にはそれを感じ取ることは魔道具でも介さない限り不可能だ。
そんなものを阻害する効果など、通常では必要ない。極端に言えばジェレミにしか効果がないからだ。
しかしあの弓を作ったアルティーティの師匠、タツはその効果を付与した。長年、彼女と旅をした、彼女を知るその人がだ。
通常、必要ないものをつける──否、つけなければならなかったのではなかろうか。そのことに意味があるようにジークフリートには感じた。
アルティーティの捜索をやめた異母妹と、アルティーティの魔力を魔道具で隠そうとしたタツ。
全く繋がりのない両者だが、どこか無関係に思えないのは気のせいだろうか。
『…………ってことなんだけどオーケー? 聞いてるぅ~? またどっか行ってた?』
「兄上」
話終わったルーカスに、ジークフリートは固い声で呼びかけた。
「……二、三、頼みたいことがあります」
本当ならばひとりでなんとかしたいところだ。今までの自分ならばそうしてきた。
しかし今はアルティーティの保護が最優先だ。いかにジークフリートがひとりで手を尽くしても、実家に戻されてしまえば終わる。彼らの目的がわからない以上、最悪彼女の命が奪われる可能性すらある。
とはいえ手の届くところに彼女を置いていても、彼女の突き抜けた行動力がそばにいさせてくれない。要人警護より難易度が高そうだ。
だがそこが面白くもある。
だから自分以外の手を借りてでも、なんとしてでも彼女を守らなければならない。
『……ん~いいよぉ~、他ならぬジーくんの頼みだ。お兄様に任せなさい』
そんな決意を感じ取ったのか、ルーカスが元々細い目を糸のように細くニヤリと笑ったのが声だけでもわかった。
ヴィクターとの個人訓練を終えたジークフリートは、その足で執務室に来ていた。
隊長クラスなら誰でも与えられるその部屋は、机と椅子、本棚がひとつずつあるだけでこざっぱりしている。棚には項目ごとに整然と並べられた本がぎっちりと詰められており、壁に飾られた周辺地図には主要都市にピンがいくつか刺さっていた。
他の隊長たちの部屋がどんなものかは知らないが、ジークフリートのそれはまさに書類仕事をするためだけの部屋だった。
だが今日来たのは別段、仕事があるわけでもない。
アルティーティももう寝ているだろう。着替え終わるまで変に時間を潰す必要もない。
あとはベッドに滑り込むだけ。だがひとつ、やらなければならないというか、やりたくないがやらないと後で面倒なことを思い出したのだ。
ジークフリートは引き出しを開けると、親指ほどの黒い虫のような、もさっとしたものを取り出した。
それを指で数度つつき、しばらく待つこと5分。
『やっほージーくん、ひっさしぶりぃ~』
黒いもさもさの伝声器から兄、ルーカスの聞き慣れた能天気な声が聞こえてきた。
「兄上……ですからジーくんはやめてください。あとその奇妙な挨拶も」
『え? なになに? 聞こえないなぁ~。うんうん、私はこんな夜中でも弟からの伝声器に応答する素晴らしい兄だって? いやぁ~照れるなぁ~』
そんなことは一言も言ってない。
だが口に出せば余計にややこしくなる。ジークフリートは伝声器ごしのルーカスの言葉にやや呆れるも、早く終わらそうと用向きを聞いた。
実は、夜会が終わってからしばらくしてルーカスから度々連絡が入っていた。
しかし日々の訓練に加え、花祭りの準備、さらには先日の瘴気討伐に関わるアレコレでなかなか折り返すことができず、こんな時間になってしまったというわけだ。
『そうそうちょっと伝えたいことがあってねぇ。手紙よりこっちの方が早いかなぁ~なんて思ってたら手紙より時間かかっちゃった。あはは』
「……すみません。こちらも色々とありまして」
『いやいいよぉ~、そういえば大丈夫だった? 瘴気、また湧いたんでしょ?』
「……ええ、まぁ」
『まったく嫌になっちゃうよねぇ~最近また増えてるみたいだしぃ~。この間なんてさぁ~………………』
これは話が長くなりそうだ。
ジークフリートはあくびを噛み殺しながらも相槌を打った。
リブラック家が治めるリンザー領でも瘴気は当然発生する。
それでも、安定して農作物を生産出荷できるのは対応の速さにある。
瘴気が発生しても迅速に対応できるよう、リブラック家は何代か前の当主から、各街の長たちに伝声器を貸し出している。瘴気発生の一報から、私設騎士団の中では随一の機動力を持つ騎馬隊が駆けつけ討伐する流れだ。おかげでここ数年、リンザー領からのアーディル騎士団への応援要請はない。
(……しかしこの間の瘴気は……)
ジークフリートはつい先日討った瘴気を思い返していた。
あの程度のごく小規模の瘴気などよくあることだ。そもそも発生時は大体が小規模で、時間と共に大きくなっていくのが瘴気だ。
だから討伐中はさして違和感はなかった。
ジークフリートたちが出立した後、王都周辺で同じような小規模の瘴気が4ヶ所も発生したと聞いた時もだ。
通常、瘴気の発生中はその周辺に別の瘴気が生まれることはないらしい。
広大な土地を有するリンザー領内であっても、ふたつ以上は発生しない。領内でひとつ発生した直後に、隣接領地の瘴気から魔物が流れてくる場合はあるが、基本的には1ヶ所だけだ。
それがなぜだかは分からないが、観測も報告もされたことがないことから、同時多発的な発生はないと考えられている。
今回の件もギリギリ、ただイレギュラーが重なっただけと片づけられたのかもしれない──それだけならば。
先日の瘴気討伐で見つかった片羽蝶のネックレス。あれが他4ヶ所全てで見つかった。
もれなく瘴気発生源近くで、黒く煤けたようになっていたという。
加えて団長のジオンが言うには、5ヶ所全てにおいて通報者すら不明。名乗っていた身分も名前も偽称の可能性が高いという。
そもそも小規模の状態で討伐できたのは通報が速かったからだ。
しかしその通報の速さにも疑問が残る。見通しのいい平地ならばわかるが、5ヶ所とも森の中だ。小さな森とはいえ、薄暗く木々で見えにくい中、小規模の瘴気を立て続けに発見となると偶然では片付けられない。
同時に湧かないはずの瘴気が近距離で発生し、その全てで同じ物が発見され、第一発見者である通報者がわからない。
瘴気発生に際し、何者かの手が介入したとしか思えない。しかしその方法がわからない。目的すらも。
あのネックレスは見た目こそ毒々しいが、普通のネックレスだ。瘴気はおろか、何かの魔力が宿っている様子もない。元婚約者が儚くなった時に調べさせた自分が一番よくわかっている。
瘴気を人為的に発生させる手段があるとして、その場に役に立たないネックレスを置いていく意味がない。瘴気は自然発生するものと思われている今、わざわざ人の手、しかも同一人物によるものだとアピールすることになってしまう。もし自分が国家転覆を狙う人間なら、そんな馬鹿なことはしない。
相手も方法も目的もわからない。わからないが、ひとつ確かなことがある。
今のところ発見されている片羽蝶は、ジークフリートがなぜか全て立ち会っているということだ。
アルティーティの母も、ブリジッタも、ひったくりも、そして今回の瘴気も。
ジオンは言った。「連中の狙いが何かはわからんが気をつけろ」と。おそらく彼も同じことを考えている。
彼らの狙いはジークフリートなのではないかと。
始まりはアルティーティの母の死だった。
あの時の連中が、ブリジッタを刺し、未だ王都を徘徊し、今回の瘴気を生み出したとしたら。
ジークフリートの赤眼が熱くなる。
自分だけを狙ってくるならまだいい。対処のしようはいくらでもある。
しかし奴らは周囲の無関係な人間を巻き込む。容赦なく殺す。そうして本当のターゲットを蝕んでいく。
まるで嘲笑うかのように。
ジークフリートの交友関係は狭い。家族と騎士団、一部の魔導師団の面々──そしてアルティーティ。
この中でジークフリートにとって、一番痛手になるのはアルティーティだ。まだパウマの夜会で密やかに披露しただけだが、社交界は噂が広まるのもはやい。奴らが情報を掴むのも時間の問題だ。
(絶対に、指一本触れさせるものか)
彼女は片羽蝶との因縁を知らない。彼女の母が死んだ時にもあった物だということを知らない。知らせるつもりもない。
真っ直ぐで正義感溢れる人間が、折れると脆いのは体験した自分がよく知っている。自分の身の犠牲を厭わず猪突猛進に突き進む彼女は、過去のジークフリートよりも危うい。何がきっかけで、あの可憐な花が手折れてしまうのかは誰にもわからない。
わざわざ心折るようなことは教えたくないし、辛い思いをさせたくなかった。過保護、と言われてもこれだけは譲れない。
彼女が知るとしても騎士として必要な情報だけだ。
だからもし連中が彼女を狙ったとしても、絶対に守り抜く。はにかむように微笑む彼女が、何者にもかえ難いほど大事だから。
ジークフリートは手に力を込めた。
彼女が騎士としてこの寮で暮らしてくれているのが唯一の救いだ。そばにいれば異変に気づけるし、なによりこんな場所に女性がいるとは敵も思うまい。
だが気掛かりなのはそれだけではない。
『…………おーい、ジーくん。ジーくぅ~ん? 聞こえてるぅ~?』
伝声器からのルーカスの呼びかけに、ジークフリートは意識を戻された。
「聞いてました」
『嘘だね絶対聞いてない。昔からお前は、熱中したり心配なことがあるとすぐ脳内会議にトリップしちゃうからねぇ~』
「…………すみません。なんの話でしたか?」
『だからぁ~、ストリウム家だよ。彼らがアルティーティさんを探すのをやめたそうだよ』
「やめた……? というのは……?」
『うん、と言っても、誰彼構わず聞きまくってたのをやめた、って感じだけど~。変だよねぇ~。結構しつこく聞き回ってたらしいのに』
おかしいよねぇ、と同意を求める声にジークフリートも応じる。
ストリウム家がアルティーティを探し始めたのは最近のことだ。以前、ルーカスから聞かされた時に調べたが、正確には彼女の異母妹が夜会や茶会で聞き回っているらしい。
代替わりでもしたのかと思ったが、父親は随分前から異国を巡り帰国しておらず、母親は病気療養中。領地持ちではないので、元平民の異母妹でも当主代理が務まるのだろう。
その彼女が、「長年続く病気の治療が嫌だと言って、家出してしまった姉をどうにか家に戻し、治療に専念させたい。たったひとりの姉がこのままでは死んでしまう。生きる希望を捨てないでほしい」と言いふらしているそうだ。
それを聞いた時のジークフリートの胸には、如何とも表現し難い程の怒りがこみ上げた。
自分から追放したくせに、何年も経った今になって探し出しまわる。
嘘を何重にも積み上げただけでは飽き足らず、まるでアルティーティのわがままに振り回される健気な異母妹を演出するかのような言い分。
彼女を暗い塔の中に閉じ込め、髪を不吉だと無惨にも剃り落とし、両目を覆い、気に入らないと鞭を打つ。
そのような卑劣な人間が、浅ましい嘘をまるで真実かのように囃し立てることにジークフリートは怒りを禁じ得なかった。
そんな虚言を突然やめたという。
しかもアルティーティにも関わりのある片羽蝶付きの瘴気が発生した、このタイミングでだ。
何か引っかかる。
一見、諦めたようにも見える。だがしてきたことを考えるに相手は普通ではない。執拗で陰湿で狂気的だ。簡単に諦める質ではないことは想像に難くない。
ならば、と最悪な答えが浮かぶ。
彼女がどこにいるかバレた。瘴気や片羽蝶との繋がりは不明だが、ストリウム家に見つかったと考えるのが自然だ。
最悪中の最悪だ。しかしジークフリートは片眉をかすかに上げたのみだ。
最前線で臨機応変に動く遊撃部隊は、常に最悪を想定している。今もそうだ。ある意味、この状況は折り込み済みとも言える。
(早急に手を打たなければなるまい……それに気掛かりはもうひとつ)
ジークフリートはジェレミに言われたことを思い出す。
アルティーティの弓に仕掛けられた吸魔石が、彼女の魔力量に合っていないという。あの程度の魔石の小ささで本人の魔力操作もままならないならば、普通ならとっくに砕けてるはずだと。
加えてこうも言った。「吸魔石にもう一つ、魔力認識阻害なんてレアな仕掛けがされてる」と。
魔力認識、とは文字通り相手の魔力を見ることだ。ジークフリートが知る限りでは、できるのはジェレミくらい。いかにアルティーティの魔力が甚大でも、常人にはそれを感じ取ることは魔道具でも介さない限り不可能だ。
そんなものを阻害する効果など、通常では必要ない。極端に言えばジェレミにしか効果がないからだ。
しかしあの弓を作ったアルティーティの師匠、タツはその効果を付与した。長年、彼女と旅をした、彼女を知るその人がだ。
通常、必要ないものをつける──否、つけなければならなかったのではなかろうか。そのことに意味があるようにジークフリートには感じた。
アルティーティの捜索をやめた異母妹と、アルティーティの魔力を魔道具で隠そうとしたタツ。
全く繋がりのない両者だが、どこか無関係に思えないのは気のせいだろうか。
『…………ってことなんだけどオーケー? 聞いてるぅ~? またどっか行ってた?』
「兄上」
話終わったルーカスに、ジークフリートは固い声で呼びかけた。
「……二、三、頼みたいことがあります」
本当ならばひとりでなんとかしたいところだ。今までの自分ならばそうしてきた。
しかし今はアルティーティの保護が最優先だ。いかにジークフリートがひとりで手を尽くしても、実家に戻されてしまえば終わる。彼らの目的がわからない以上、最悪彼女の命が奪われる可能性すらある。
とはいえ手の届くところに彼女を置いていても、彼女の突き抜けた行動力がそばにいさせてくれない。要人警護より難易度が高そうだ。
だがそこが面白くもある。
だから自分以外の手を借りてでも、なんとしてでも彼女を守らなければならない。
『……ん~いいよぉ~、他ならぬジーくんの頼みだ。お兄様に任せなさい』
そんな決意を感じ取ったのか、ルーカスが元々細い目を糸のように細くニヤリと笑ったのが声だけでもわかった。
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