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2章

73.そういうことにしておきます

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 四阿から出たところでルーカスが待ち構えていた。馬車の用意ができたと迎えにきてくれたらしい。
 道すがら、興味津々の彼にことの顛末を聞かせると、とても愉快そうに笑った。

「あはは! 君は本当に面白い子だねぇ~シュークリーム潰して言いがかりつけてきた相手を撃退しちゃうなんてさ」

 軽快に笑う彼に、「た、たまたま! 偶然たまたま手が当たっちゃっただけなんです!」とアルティーティが言い訳をするも、さらに笑わせるだけだった。解せぬ。

 だがおかげで騒ぎの件はお咎めなしのようだ。ルーカスにも謝ったが、からりと笑った彼は気にしないで、と手を振った。

「ま、我が弟の妻になろうって女性だ。それくらいやってもらわなきゃ、ねぇ~」

 肩をポンポンと叩かれ、ジークフリートは鬱陶しそうに眉根を寄せる。その拍子にアルティーティと目が合うが、すぐに視線を逸らされてしまった。少し頬が赤く見えるが、光の加減だろうか。

 そんな様子を見てルーカスはさらに笑った。

(そりゃそんな乱暴な女なんて嫌だよね……って騎士やってる時点でわかってることだけど。ご当主様もそんな変なご令嬢が今まで周りに居なかったから笑ってるんだろうし……もしかしてわたしって珍獣扱いされてる?)

 自嘲めいたため息をつくと、停車中の馬車に乗り込んだ。







 …………のだが。

(なーんでこんなことになってるんだっけ……?)

 馬車に揺られてほんの数分。しかし体感では小一時間かかっている気がする。

 アルティーティは困惑気味に、前に座る人物を見つめた。

 背筋をピンと伸ばし窓の外を眺めるその人物は──そう、イレーニアだ。彼女とアルティーティの他に車内は誰もいない。

 馬車に乗り込む直前、「ごめんねぇ~ちょっとジークフリート借りるねぇ~」とルーカスが別の馬車にジークフリートを引っ張り込んでしまったからだ。
 代わりにとイレーニアが同乗することになった。ひとりでも良かったのだが、ダリアがそう決めたのだ。

 おかげで出発してから馬車の中は気まずい沈黙が流れていた。

 といっても、ジークフリートと2人きりだった行きの馬車の中でも同じようなものだったのだが、喋れなかったのも無理はない。あの時は緊張と不安でいっぱいだった。加えて目の前に黙っていれば数倍いい男になるジークフリート。目のやり場さえ困る状況だった。

 それに比べれば、今の気まずさの方がマシだ。なにせ、今夜すべきだったことが全て終わった後なのだから。

 それにしても、とアルティーティは考え込む。

 一体何の用でジークフリートは別の馬車に乗ることになったのだろう。

 予定では、これから新居で男装してからまた馬車で騎士団寮まで戻るつもりだ。それまでは自由だ。誰かどの馬車に乗り込んでもいい。
 
 しかしどうも気になった。たまには兄弟ふたり水入らず、というタイプでもなさそうなのに。

 水入らず、というより、アルティーティに内緒にしたい話があったのかもしれない。例えば領地経営の話なんかは、たとえ婚約していたとしてもアルティーティやイレーニアを交えるのはマズイだろう。聞いたところでちんぷんかんぷんなのだが。

(虫害対策の効果はまだ出てないだろうし……って、もしかして……)

 嫌な考えが過ぎる。

 そういえばルーカスは言っていた。『猊下に伝え忘れていたことがあった』と。あの時にパウマに何か言われたのかもしれない。たとえば、「やっぱり推薦はナシで」、なんてこともあり得る。直前直後に手のひら返しなんてことはよくあることだ。

 さらに思い返せばパウマはイレーニアにも声をかけていた。何を言っていたのかはわからないが、あれが「あなたの方が婚約者として相応しい」だったら。
 貴族同士の結婚なら推薦など必要ない。推薦取り消しも当然だ。

 それをアルティーティに言うのを憚られたルーカスが、ジークフリートに「君から伝えておいてね」と今頃言ってるのかもしれない。そうだ、そうに違いない。

 ということは、だ。
 寮に帰ったら契約結婚の白紙を突きつけられるということだ。寮は退寮、騎士団も退団。明日から野ざらし野宿の日々が待っている。

 旅をしていた経験があるので生きてはいけるだろうが、騎士を諦めなくてはならないのは辛い。

(これが人生最後のいい思い出かもしれない……)

 どんよりした気分で思い返す。

 いっときとはいえ、足を踏み入れた貴族社会は煌びやかだった。華やかな彼らに気後れしつつも、幼い頃に憧れた世界が広がっているのは、正直ドキドキした。契約結婚のためでもあるが、イレーニアの厳しい訓練を耐えられたのもそれを乗り越えられたら夜会に行けるからだった。

 騎士になることと、夜会に出ること。一生無理だと思っていたことがふたつも叶えられたのだ。これで良かったのだと思おう。

 そう思うと、目の前に座るイレーニアにも感謝が溢れてくる。

「イレーニアさん、手を拭いてくださってありがとうございました。それにその……庇ってくださいましたよね……?」

 下々の者から声をかけてはいけない。それを教えてくれたのはイレーニアだ。

 わざとそれを破ったのは、このタイミングでしか伝えられないと感じたからだ。この機を逃せば、アルティーティは彼女に声すらかけられない立場になる。入れ替わりに彼女が彼の婚約者に──たとえ胸の奥が痛くなっても、「アルティーティ様は素晴らしい方ですわ」とでまかせを言って庇ってくれた彼女に、何も言わないわけにはいかなかった。

 沈黙を破ったアルティーティに、イレーニアは眉をひそめる。

「庇う? なんのことでしょう? それに手を拭いたのもメイドとして当然のことをしたまでですわ。そんなことより……アルティーティ様こそ、ワタクシを庇いましたよね? シュークリームから」

 鋭い指摘に、アルティーティは呻いた。

「た、たまたまです」
「本当に?」
「ええ、ほんと、偶然たまたま手が当たっちゃっただけですよ」

 あはは、とわざとらしく笑う。あれが偶然ではないと認めてしまえば、イレーニアの鋭さなら、アルティーティが騎士であることも認めなくてはならなくなってしまいそうだった。

 アルティーティのから笑いをしばらく眺めていたイレーニアは、ふぅ、と諦めたようにため息をついた。

「……まぁ、いいでしょう。そういうことにしておきますわ」

 全然信じてなさそうな顔で言われ、アルティーティは頬に汗を流しながら苦笑いするしかなかった。

 危ない。あまり話しかけてもボロが出そうだ。

 聞きたいことは山ほどある。彼女の家のこと、家族のこと。ジークフリートをよろしく、とも言うべきだろう。
 常時不機嫌そうだけど意外に優しいとか、怪我したら介抱してくれるとか、口は悪いけどたまに見せる微笑みがヤバいとか、色々言いたいことはあったが、そんなことは彼女がこれから彼と接する中で知っていくことだ。アルティーティが言うことではない。

 それに彼女はまだ自分が推されてることを知らないかもしれない。他人から「あの人があなたのことが好きなんだって」と伝えられることほど野暮なことはない。

 個人的な感謝は伝えた。それでいいじゃないか。

 そう自分を納得させ、口を閉じかけた。

「…………お聞きにならないんですの? シルヴァ家についてや姉のこと、なぜワタクシがリブラック家にお仕えすることになったのか。その他諸々」
「え、聞いていいんですか?」

 意外な言葉に間髪入れず返事をしてしまった。

「あ、いや、その、あまり立ち入ったことは聞いちゃいけないかなと思って……」
「ええ、いけませんわ。普通ならそんな不躾な真似をされたら問答無用でつっぱねますわね」

 即答でバッサリ切られ、アルティーティは思わず閉口した。聞いていいのか聞いたら悪いのか。ツンとそっぽを向いているイレーニアの横顔からはわからない。

 答えあぐねていると、イレーニアが話を続けた。

「ですが、この場にはワタクシとアルティーティ様しかおりません。そしてワタクシはメイド。申し付けを断る立場にはございませんわ」

 イレーニアは横目でこちらをうかがっている。要はこれは……。

(今ならなんでも聞いていい、ってことかな?)

 返事を待つかのような彼女の態度に、アルティーティは一番聞きたかったことを口にした。

「じゃあ、あの、大丈夫でしょうか? 今日みたいな騒ぎになっちゃって、シルヴァ侯爵家の名前に傷がつく、みたいなことにはならないですか?」
「……なぜ、うちの心配を?」
「えぇと、イレーニアさんが困るんじゃないかな、と思って」
「…………この期に及んでワタクシの心配ですか」
「え?」

 首をかしげたアルティーティに、イレーニアはどこか呆れたように口を尖らせた。

「なんでもありませんわ。傷か無傷かと言われたら傷ですわね」

 はっきりと言われ、やはりかと落ち込んだ。やはりあの時うまく騒ぎを回避できれば。

 そう反省する間も無く、向き直ったイレーニアの喋りが堰を切ったように早くなる。

「ですが、元はと言えばあのような世間知らず、身の程知らずで短絡的思考の姉が社交場に出入りできる状況を作ったお父様が悪いのですわ! デビューも失敗したというのに、いえ、失敗したからですわね。さっさと婚約させたいがために姉を野放しにしたのが原因ですわ。今日も忙しいとか何とか言って代理であんなのを出席させて! 平民出身の枢機卿とはいえ、あんな振る舞いの姉を出席させたなんて失礼にも程がありますわ! 16歳にもなって、はしたない! もしシルヴァの名に傷がついたとしても、それはお父様とお姉様の自業自得ですわ!」

 ……………………。

「ちょ、ちょっと待ってください……! 16歳……って誰がですか……?」
「? もちろん、ウルオーラお姉様ですわ」
「……失礼ですが、イレーニアさんはおいくつでしょうか?」
「?? ワタクシは13歳ですわ」

(とっ……年下……?! てっきりわたし、20そこそこかと……)

 不思議そうに見つめてくるイレーニアの目の前で、アルティーティは口をあんぐりと開けた。

 引き締まったウエストにアルティーティのそれより主張のあるバスト。キツめの目元は大人びた印象がある。知識も豊富で貴族令嬢としても申し分ないのだろう、ということがちょっとした所作でもわかる。
 これで本人の口から13歳だと言われても納得できない。思わず自分の貧相な胸に手を当ててしまった。

 実の姉をあんなの呼ばわりするよりも衝撃的、いや、ウルオーラが自分よりひとつ年上というのも十分驚きだったのだが。

 唖然として言葉もないアルティーティに、何を勘違いしたのか「わかりますわ、16歳であれはないですわよね」と、イレーニアは深くうなずきながら、姉への不満をこぼしている。余程普段から不満が溜まっていると見た。

 そっちじゃない、と思いつつも、口を開く。

「イ、イレーニアさんはいいんですか? 家名に傷がついても」

 口をついて出る不満がぴたりと止まり、彼女は数度瞬いた。

 そんなに変な質問ではなかったはずだが、不思議そうにされるとやらかしてしまったかと不安になる。踏み込んではいけない部分だったかもしれない。

 謝ろうとしたアルティーティに対し、

「ええ。痛みを与えられなければ理解できない人種もいますから。主にお姉様ですが。ワタクシ、権威に胡座をかいてできる努力をしない人間は嫌いですの」

 と、イレーニアは不敵な笑みを浮かべた。
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