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2章

63.気になる

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【ジークフリート視点】







 反対されるだろうとは思っていたが、これは予想にない。全くの不意打ちだ。危うく息が止まりかけた。

 アルティーティのことをどう思っているか、と言われれば「気になる」の一言だ。

 以前なら、どこに突撃するかわからない危なっかしさから目が離せなかった。今は休みの日部屋にいなければ、どこで何をしているのか考えてしまう。

 彼女に触れてから、不安なのだ。

 抱きかかえた時の折れてしまいそうなほど華奢な軽い身体。コロコロ変わる表情から、時折見せる諦念。
 倒れた時の生気のない顔色を思い出すたびに、なぜもっと安らぐ生き方ができないんだと口にしてしまいそうになる。

 ひったくりを捕らえたのは、騎士として立派だ。ヴィクターとなんとかやっていこうとする根性も、マカセからテーアを守った気概も。下手な騎士より余程、正義感も行動力もある。

 そんな彼女が頼もしくもある。しかし考えてしまう。別の生き方を望んでほしい、と。

 本当なら今のように色とりどりのドレスに心躍らせ、朗らかに笑っていることだろう。
 あの悲壮な経験がなければ、毎日身体をいじめ抜き、泥に塗れるような生活など縁遠い男爵令嬢だったはずなのに。

 しかしそれは彼の勝手な思いだ。勝手に心配して、勝手に怒って、勝手に気になってるだけだ。

 だからこれは違う。世話焼きのお節介。特殊な事情を持つ部下が「気になる」だけだ。

 そう思いたい。

 そんな心情を知ってか知らずか、ルーカスは「好きじゃないの?」と不思議そうに覗き込んでくる。

「………………すき、です」

 逡巡した後、ジークフリートは小さく答えた。

 契約結婚のためだ。これは必要な嘘だ。自分にも兄にもつくべき嘘だ。

 かすかに染まった頬をごまかすために、そう自分を納得させる。

 答えに満足したのか、ルーカスは「そっかぁ~好きなんだねぇ~」と細い目をもっと細めた。

「たしかに、騎士の給料があれば、家を出てもなんとかなるだろうねぇ~。ただ、お前は家を捨ててでも彼女と結婚したいのかもしれないけど、それは彼女は望んでいるのかな? 家を出ざるを得なかった娘にそれは酷じゃないかな?」
「それは……!」
「それに、彼女の対応力もこれから問われることになる。婚期をこれだけ遅らせたお前の待望の婚約者だ。彼女はお前の弱みだと周りの者は思うだろうね。貴族社会で揉まれてない彼女に対応しきれるかな?」

 そう言われ、言葉に詰まった。

 たしかに、家族を捨てざるを得なかった彼女にとって、家を自ら捨てる選択は理解し難いものだろう。「そこまでしなくていい」と身を引きそうだ。

 それに彼女の貴族としての対応力も未知数だ。

 ジークフリートに取り入ろうとする者は、男女様々だ。それほどに、リブラックの名は大きい。

 女性が結婚相手にどうかと売り込んでくることが多かったが、実は男性からも声をかけられることは少なくなかった。

 それもそのはず、当主ルーカスが終始この調子で相手をおちょくる──翻弄するので、多少気難しそうでもジークフリートを突破口に考えるものが多かったのだ。

 彼もそれが分かっていたからこそ、相手を簡単には信用せず、時にリブラック家を利用しようとする者の炙り出しをしていた。それほどに、ジークフリートの守備は鉄壁だった。

 だが婚約者が決まったとなると話は違ってくる。ジークフリートが担っていた窓口の役割を、これからアルティーティが受け持つことになる。

 そのあたりは病弱で夜会に出られない、ということにしておけばある程度は抑えられるだろう。が、それでも隙をついてくる人間はいる。用心するに越したことはない。

「俺が守ります。絶対に」
「でも四六時中、彼女に付き添えるわけではないだろう? その間に何かあっても守れるのかい?」

 ジークフリートの炎の瞳が揺れ動く。

 ブリジッタの時のように、と言われている気がした。

「彼女を手元に置いておきたいだけなのではないかな?」

 畳み掛けてくるルーカスの声が、ブリジッタのようにならないように、とも言っている気がした。

 違う。彼女でなくてはならない。あの事件を生き残った、彼女でなくては。

 ジークフリートは守り切りたいのだ。中途半端にその時だけ守るのではなく、一生かけて守り抜きたい。彼女がひとり立ちできるまで。たとえ自分がいなくなっても幸せであるように。

 守れなかったからこそ、今度こそ。

 そう強く思う。だからこそ剣を今まで振るってきたのだ。

 一方で、どこかで「それは違う」と叫ぶ声が聞こえる。

 非常に小さな声だ。だが、反響するその声は、騎士としてのジークフリートの心を惑わせた。

 そんな心の内を見透かすかのように、ルーカスは静かに見つめてくる。

「……私はね、結婚相手はもちろん、お前にも幸せになってほしいんだよ……あとめんどくさいことに私が巻き込まれなければなんでもいい」
「……本音が出てますよ」
「ははっ。でもそうだろ? 当主の私が忙しいってことは、リブラック家や領地がなにかしらの厄介ごとを抱えてるってことだからねぇ~。領地が平和で領民が幸せなら私も最低限の仕事でゴロゴロできる。あー仕事したくない」

 側から聞くと最低な発言に、思わず苦笑した。

 「めんどくさい、なんでもいい、どうでもいい」に最近は「仕事したくない」が追加されているようだ。ルーカスらしい。

 彼はいつもこうだ。真面目な話をしたかと思えば急に不真面目な発言をする。それが冗談ならばまだ聞き流せるのだが、大抵は本気だ。

 本気で仕事をしたくない、だから仕事をする。

 一見矛盾しているが、彼が当主になってから領地でも目立って大きな問題は起こっていない。
 それもひとえに、彼が問題が起きる前に対処しているおかげだ。領民にとっては真面目な領主、他の貴族にとっては一目置く当主なのだ。

 だからこそ、彼の発言は軽いようでいて重い。

「アルティーティ嬢がハンデを上回るメリットを提示できたら、合格。できなければ不合格」

 緩んだ空気の隙に、アルティーティの命運を決めるようなことを軽く放り込んでくるのも、兄らしいとジークフリートは思う。

 同時に、歯がゆいとも思う。

 アルティーティを守るために、彼女を試すようなことをしなければならない。少しでも手助けをすれば、ルーカスはそれをめざとく見つけるだろう。咎めはしないだろうが、彼女の査定には少なからず響く。

 何も手出しはせず黙って見ていろ、ということだ。歯がゆいことこの上ない。

 だが、彼女ならば、とも思う。

 ジークフリートは瞳を閉じた。

 突拍子もない行動を取り、他人を見捨てられない。ヴィクターでさえ懐柔し思い切りのいい彼女ならば、もしかしたら乗り切ることができるかもしれない。

「……わかりました」
「あ、不合格の場合は聞かない?」
「聞いたところでやるべきことは同じですから」

 むしろ聞く意味がない。駄目だったら、などと考える余地はなく、取るべき行動はすべて決まっている。

(すべてはアルティーティにかかっている……か)

 再び兄を見据える。

「それでこそ私の可愛い弟だねぇ~」

 開かれた眼に宿る決意の光に、ルーカスは満足そうに笑った。
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