上 下
59 / 97
2章

59.高貴なメイド

しおりを挟む
「……アナタ平民でいらっしゃるのでしょう?」

 かけられた声に、アルティーティは億劫そうに顔を上げた。

 ギルダたちはドレスから装飾品のひとつに至るまで、事細かに注文表に記載して満面の笑みで帰っていった。服だけでもかなりの量だったので、大口の注文になったのではないだろうか。

 おかげでかなり疲れた。そうでなくともとある理由で昨夜は少し夜更かしをした。疲れない方がおかしい。

 そんなアルティーティに、客が来るまでゆっくりしておけ、とジークフリートが出ていってしばらく。

 出されたお茶を飲んでいたところメイドに声をかけられた、というわけだ。

 そこにいた彼女は冷めた碧眼にツンとした顔立ち。左右対称に結われた金髪のツインテールが派手だ。

 さすが侯爵家。金髪碧眼、美人の条件とも言われる女性を女中メイドに据えているとは。

 一応、アルティーティも裾にレースのついた淡い黄色のフリルワンピースを着ているのだが、黒のメイド服を着ている美人の方が令嬢のようだ。深窓の令嬢と言っても差し支えない。

 その美人がニコリともせずにこちらを見ていた。

「ええと、ごめんなさい、あなたは……?」
「……やはりご存じないのね……」

 ややため息混じりの彼女の声に、アルティーティはさらに首をかしげた。

 ご存じない、ということは彼女は貴族の中では有名人なのだろうか。これは知らないことを嘆いている? もしかして会ったことがあるのだろうか。

 いやこれだけの美人だ。会ったことがあるなら覚えている。

 あるいは、ひょっとすると侯爵家の誰かの妻……が、こんなところでメイドの真似事をしているわけがない。

 にしても、美人に無表情で見下ろされると迫力がある。スカートの裾を丁寧に持ち上げた彼女は、慣れた様子でお辞儀をした。

「……シルヴァ侯爵家五女、イレーニア・シルヴァですわ。どうぞお見知り置きを」
「は、はい……アル……アルティーティ、です」

 迫力に押されながらも名乗ると、またもイレーニアはこれみよがしにため息をついた。

 しかし侯爵令嬢だったとは、どうりで所作も丁寧なわけだ。アルティーティと同じくらいの年齢に見えるが、立ち振る舞いは貴族のそれだ。ため息をつく姿すら絵に描いたように美しい。

(きっと隊長とお似合いだろうなぁ……)

 ぼんやりとそんなことを思ってしまう。

 自分などより彼女の方が、きっと隣に相応しい。それが心苦しくもあり、なぜか少し残念でもある。

 なぜだかは分からない。疑問に思えるほど明確な感情でもない。

 ただ目の前の気位の高そうなイレーニアを見ていると、その疑問がざわざわと足元から忍び寄ってくるような気がした。

「……失礼を承知ながら、言わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「は……はい、どうぞ」

 まじまじと見つめすぎたのか、ぼんやりとしていたアルティーティにイレーニアは目を瞑った。

(………………?)

 返事をしてからも彼女は目を瞑ったままだ。言わせていただいて、と言いながら何も言ってくる気配がない。

 どうしたものか、と覗き込むと、その両目がカッと開いた。

「身分の高い者に低い者から名を尋ねてはいけませんわ!」

 広い部屋にイレーニアの声の残響が響く。

 ぽかんと口を開けたアルティーティは、一瞬イレーニアが何を言ったのか理解できなかった。品のある彼女の口から、まさか大声が飛び出してくるとは思ってもみなかったのだ。

 アルティーティのなんとも言えない表情に、イレーニアは勢いそのままに畳み掛けてくる。

「まず頭を下げ黙る。高貴な方が名乗られてからはじめて会話を許されたということになりますの! 『アナタのお名前は?』なんて下々の者が尋ねるなんてもっての外! ワタクシはメイドですのでまだいいですけど! いいですわね!?」
「は、ハイ!」

 思わず返事をしてしまった。

 イレーニアの物言い、勢いだけで言えば激怒時のジークフリートを超える。つられていい返事をしてしまう程に。見た目に反して威勢がいい女性のようだ。

 しかしアルティーティの返事すら待たず、彼女は矢継ぎ早に口を開く。

「それからなんですか、そのダラけ様は! 仮にも侯爵家に名を連ねる方に嫁がれるのですよ?! しゃんとなさいまし!」
「しゃ、しゃん……と?」
「背筋を! 伸・ば・す!」
「ハ、ハイぃ!」

 凄みを効かせたようなイレーニアの声に、背筋がピンっと伸びる。その姿勢が合格点だったのか、彼女はよし、と言わんばかりにうなずいた。

「あともうひとつ、謙遜を履き違えているのではなくて?! 選ぶのが遅いのは仕方ありません。あれだけ物があれば平民ならば目移りするのは当たり前ですもの! ですが、未来の旦那様が買って差し上げると言われてるそばでお金の心配など言語道断! 倹約もいいですが、粗悪品を身につけて人前に出るなどあってはならないことですわ! 侯爵家の格を下げるような言動は慎んでくださいまし!」
「ハ、ハイ! 申し訳ございません!」
「よろしくてよ!」

 怒涛のダメ出しが終わったのか、イレーニアはツンっとそっぽを向いてしまった。

 あとに残るのは部屋に余韻のように響く彼女の声のみ。

(お、終わっ……た……?)

 伸びた背筋のまま、アルティーティはイレーニアを覗き見た。

 一息に喋ったためか、僅かに肩が上下している上に仁王立ちしているのにもかかわらず、立ち姿に品がある。横顔にすら気位の高さがうかがえる。

(……もしかしてこの人……)

 黙ったままの彼女に声をかけようと、口を開いたその時だった。

「お嬢様っ、失礼いたします……やはりここにいましたね、イレーニア」

 やや性急なノックと共に扉が開く。年配のメイドがしずしずと部屋に入ってきた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...