42 / 97
1章
42.いいやつ? 悪いやつ?
しおりを挟む
頭上からはため息と舌打ち。視界の片隅でヴィクターの足が小刻みに揺れている。
明らかにイラついた態度に、心が折れかける。
(やっぱりダメかー……)
肩を落とし、立ち上がりかけた彼女の頭にコツンと何かが触れた。顔を上げると、包帯を巻いたばかりの拳がひとつ突き出されている。
「……変なヤツ」
ヴィクターは舌打ちしながらそっぽを向いた。いつもの嫌味な言い方ではなく、トゲトゲしさはない。
「…………え? へ、変……かな……?」
「普通そんなこと、嫌われてる相手に面と向かって言うか?」
「言わない、かな……ボクも、今はじめて言った」
「マジかよ」
からりと笑うヴィクターの姿に、アルティーティはあっけに取られた。
あまりに今までの姿と違う。謹慎中に、一体彼にどんな心境の変化があったのか。
(たしかヴィクターの同室って副長だったよね……副長が何か言ってくれたとか? だとしたら副長って神様?)
新人同士のケンカのフォローをする。カミルがそんなタイプには見えない。
しかし目の前に笑うヴィクターがいる以上、そうとしか思えなかった。
秘密を守ってくれるだけじゃなく、こんなことまでしてくれるとは。あとでお礼を言わなきゃ。
アルティーティは座り直すと、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「なんでずっとボクのこと嫌ってたのか、聞いてもいい?」
「オメェな……まぁ、いいけどよ……」
若干呆れ顔を見せた彼だったが、表情の理由を説明するのを諦めたのだろう。短く舌打ちをすると息を吐いた。
「……オレよ、早く手柄を立ててぇんだよ」
ぽつりと漏らされた言葉にいつもの威勢はない。血気盛んで好戦的な彼らしい目標ではある。
しかしそれがアルティーティを嫌う理由になるのか。ますますわからなくなり、首をかしげて見せた。
「……オレんちのこと、知ってるか?」
「うん、男爵家だよね」
「ああ、一代男爵だけどな」
「イチダイ……って?」
初めて聞く言葉にアルティーティは首をさらにひねる。
「名前通り、一代限りってやつだ。結構質のいい魔坑をひと山当てたおかげで親父は貴族。でもオレは貴族じゃねぇ。それが一代男爵だ」
平民なら知らなくて当然だわな、オレも知らなかったし、とヴィクターはなぜか得意げに言った。
男爵にも色々あるのか、とアルティーティは内心驚いていた。
一応、彼女も貴族、男爵家の娘ではあったがそれだけだ。
多くの貴族と交流があったわけでも、貴族や制度についての教育を受けたわけでもない。
家を追放された後、学ぼうと思えば学べたがやめた。必要ないと思ったからだ。
貴族というものに未練がない。平民として、騎士として生きていこう。
そう決断したのに、侯爵家三男のジークフリートと結婚するというのはなかなかに皮肉だが。
これからのためにもちゃんと勉強しなきゃなぁ、とややげんなりしつつもアルティーティは思った。
「で、だ。親父が死んだら今の暮らしもおじゃん。平民に戻る」
「そうなの?」
「そりゃ親父以外は貴族じゃねーし。魔坑の管理も国に返上。爵位も返上。残るのは足の悪いお袋と、オレと、8人の弟たち」
「は、8人!? 多くない!?」
アルティーティは目を丸くした。
「元農民だからな。それなりの土地さばいてる農民なら、どこも子どもはそんなもんだろ。あ、この間見学に来てたやついただろ? あいつらが弟のうちの3人」
(そ、そんなもんなの?)
弟が3人いるというのも多いだろうが、それが8人とは。
妹がひとり、しかも血のつながりもなく同い年の妹しかいないアルティーティには、そんなに子供がいる環境が想像できない。
しかも母親が足が悪いとなると、弟たちの面倒を兄であるヴィクターがみていたのではなかろうか。きっと助け合いながら生活してきたのではないか。
兄弟仲が良いのもうなずける。
家族というものは本来そういったものなのだろう。
アルティーティは、なんとも言えないもの悲しさを胸の内にしまい込み笑った。
「仲良さそうだったね。ヴィクターも慕われてたし。いいお兄さんしてるじゃん」
「な……っ!? ……ンなこと言っても何も出ねぇぞ……!」
「? うん。出なくていいけど……?」
きょとんとするアルティーティに、赤くなったヴィクターは激しく咳払いをした。
「またイチから畑始めるにしてもお袋は働けねぇ。弟たちもまだ小さい。できるなら今通ってる学校くらいは出て欲しい。労働力になるのはオレくらいだ。でもオレひとりで畑は流石に無理がある」
結構畑持ってんだよ、今は親父が人に任せてるけどな、とヴィクターは自嘲気味に笑った。
「家族全員、ひとりで食わせるならこの国じゃ騎士になるしかねぇ。」
「つまり、家族を養うために手柄が欲しいと」
「そうだ。親父が元気なうちにな。幸い、親父が貴族なおかげで、士官学校の入学は顔パスみたいなもんだった。受験者が多いからか、平民からってなると試験でほとんど落とされるらしいからな」
この言葉にアルティーティははて、と首をかしげた。
試験はあった。アルティーティも、平民のアルトとしてそれを受けた。
しかしそんなに厳しいものではなかった気がする。むしろ入ってからの方が厳しかった。
もしかしたら、師匠のおかげだろうか。
騎士になるのを反対していたが、士官学校に入る手続き諸々は師匠が手配してくれていた。
実は士官学校にツテでもあったのかもしれない。
やっぱすごいわ師匠、などと思っているアルティーティをヴィクターは一瞥すると、腕組みをした。
「手柄を立てるなら前線の実践も多い遊撃部隊が狙い目だった。出張ることが多いなら手柄のチャンスも多い。ただ遊撃部隊は毎年新人はとらない。相当成績が良くないと希望出しても弾かれると思って、そりゃ血反吐吐くまで頑張った」
当時を思い出したのか、苦い表情を浮かべる彼に、アルティーティは感心していた。
彼のことは、口調も目つきも悪く、気に入らないものには全力で突っかかる性格だと思っていた。激情型で思考もかなり短絡的なのでは、とさえ。
その彼が、先々を見越して血反吐を吐いていたとは思ってもみなかった。
人は見かけによらない。見た目と自分への態度だけで判断しちゃダメだったな、と改めて反省した。
しかしそんな彼女をヴィクターは軽く睨みつける。
「配属されて嬉しかった……んだが、蓋開けてみりゃオメェ、成績もパッとしねぇ女みてーなやつが同期で入ってるじゃねぇか」
「す、スミマセン……」
「しかも隊長に、あの魔法剣士ジークフリート様に目をかけられてやがる。悔しいってもんじゃねぇよ」
あーやってらんねー、と彼は見せつけるように伸びをした。
だから嫌がらせをしてたのか。ジークフリートのお気に入りだと思い込んで。
成績上位の努力家ヴィクターが、大して成績も良くなかったアルティーティを敵視するのもわかる気がした。
でも納得のいかないことが一つある。
「あのー……言っておくけどボク、目はかけられてないと思うよ……?」
「ハァ?」
ヴィクターの眼光が鋭くなる。
「オレにこんな火傷させておいてよく言うわ。あん時の隊長、スッゲー怖えのなんのって」
「え? それ隊長がやったの?」
「ああ、オレが動けねぇオメェに一発食らわせようとしたら焼かれた」
(や、焼かれた……)
苦々しげに言うヴィクターを前に、アルティーティは頬を引きつらせる。
「そ、それは……止めるのに咄嗟に魔法使っちゃっただけなんじゃ……?」
「あの人はンなヘタレじゃねーよ。多分オレごとき素手でも止められる。それだけオレに怒ってたんだよ」
なぜか自慢げに言われ、アルティーティは「そ、そうなんだ……」と頷かざるを得ない。
ジークフリートが魔法を使えることは知っていたが、まさかそれを喧嘩の仲裁に使うとは。
でも使ってくれたおかげで、ボコボコにならずに済んだ。多分。気絶してたからわからないけど。
そういえば意識を失う前、声が聞こえた気がする。くぐもってて聞き取りにくかったが、とにかく焦った様子だった。
あれがジークフリートだったのだろうか。
いつも冷静な姿の彼からは想像もつかない。アルティーティはにわかには信じられず、小さく首をかしげた。
納得がいかない彼女に気付いた様子もなく、ヴィクターはなおも言い連ねる。
「それだけじゃねぇ。あの人が人にモノを教えるなんてほとんどねぇんだよ」
「それは……他の人が出来がいいからでは……ボクそんなに出来のいい方じゃないし」
「ハァァ?!」
いきなり大声をあげ立ち上がったヴィクターに、アルティーティはびくりと体を跳ねさせた。
男性の中では小柄なアルティーティに比べると、ヴィクターは巨体だ。巨人と言ってもいいほどだ。
その彼が急に立ち上がったとなると、身長差をわかっててもどうしてもびっくりしてしまう。
掴みかかってきそうな勢いで、彼はアルティーティに顔を突き合わせた。
「剣は使えねぇとか言っときながら! アレだけ動けてオレ横っ腹斬ろうとしたやつが! 出来のいい方じゃないだぁ?! 冗談キツいわ!」
「近い近い近い! 剣使えないのは本当だし!」
あまりの剣幕に慌てて両手を横に振る。鍛えているとはいえ、自分より体格のいい大男に迫られたら身体がのけぞる程度には怖い。
すると彼は小さく舌打ちをし、顔を離した。
「なんでだよ」
「え? あー血が出るの、近くで見るのが嫌で」
用意していた理由がするりと口から出る。
「カー! 強ぇんだか弱ぇんだかわかんねぇやつだな! めんどくせぇ! どっちかにしろ!」
「や、ややこしくてごめん……」
文句を言いつつ頭をガシガシ掻いているヴィクターに、アルティーティは心の中でも「ごめん、嘘なんだ」と謝っていた。
まさか『幼い頃に目の前で親が殺されて……』などと本当のことを言うわけにもいかない。たとえヴィクターといえど、そんなことを聞かされたら微妙な反応を示すだろう。
本当のことを言って、腫れ物を触るかのように憐れみを向けられて過ごすよりは、小さな嘘で、情けないと侮られて過ごす方がずっと気が楽だ。
本当は、ジークフリートにバレた時も隠すつもりだった。しかし気が動転しててそれどころではなかったのだ。
洗いざらい言った後に気づいたが、言ってしまったものはどうしようもない。
彼女の生い立ちを聞いた前後で、彼の態度が鬼上官のままだったのは、良かった──のだろう。一応。
ひと通り掻きむしり終えたのか、ヴィクターは荒くため息をついた。
「……ま、いいわ。オメェのこと気に入らねーと思ってたけど、なんかもうどうでも良くなったわ! じゃあな!」
「え!? もしかしてそれだけ言いに来たの!?」
足早に立ち去ろうとする彼の背に、思わずそう投げかける。
つんのめるように転びかけたヴィクターは、なぜか真っ赤に染まった顔をこちらに向けた。
「う、ううう、うるせー! た、たまたま通りかかっただけだっ! オメーのことなんか眼中にねーわ! バーカバーカ!」
(ば、バカって……)
アルティーティは小さくショックを受けた。
カミルや他の隊員ならば、ヴィクターの言葉は照れ隠しなのだとわかるだろう。
しかし、悪意以外の他人の機微に疎い彼女には全く伝わらない。
仲良くなれた気がしたのにな、と肩を落とすアルティーティを残し、ヴィクターは射場から出て行こうとし──ぴたりと止まった。
「……あと」
「……まだなにか?」
まだ文句を言われるのか、とアルティーティは身構える。
しかし、言い淀むヴィクターから出た言葉は意外なものだった。
「……弟たち、守ってくれてありがとよ」
え?
意外すぎて、その一音すら声にすることを忘れた。
何を言われたのか理解できた頃にはもう、ヴィクターの姿はなかった。
「ヴィクターっていい奴……なのかな?」
自信なさげなアルティーティのつぶやきが、射場に響いた。
明らかにイラついた態度に、心が折れかける。
(やっぱりダメかー……)
肩を落とし、立ち上がりかけた彼女の頭にコツンと何かが触れた。顔を上げると、包帯を巻いたばかりの拳がひとつ突き出されている。
「……変なヤツ」
ヴィクターは舌打ちしながらそっぽを向いた。いつもの嫌味な言い方ではなく、トゲトゲしさはない。
「…………え? へ、変……かな……?」
「普通そんなこと、嫌われてる相手に面と向かって言うか?」
「言わない、かな……ボクも、今はじめて言った」
「マジかよ」
からりと笑うヴィクターの姿に、アルティーティはあっけに取られた。
あまりに今までの姿と違う。謹慎中に、一体彼にどんな心境の変化があったのか。
(たしかヴィクターの同室って副長だったよね……副長が何か言ってくれたとか? だとしたら副長って神様?)
新人同士のケンカのフォローをする。カミルがそんなタイプには見えない。
しかし目の前に笑うヴィクターがいる以上、そうとしか思えなかった。
秘密を守ってくれるだけじゃなく、こんなことまでしてくれるとは。あとでお礼を言わなきゃ。
アルティーティは座り直すと、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「なんでずっとボクのこと嫌ってたのか、聞いてもいい?」
「オメェな……まぁ、いいけどよ……」
若干呆れ顔を見せた彼だったが、表情の理由を説明するのを諦めたのだろう。短く舌打ちをすると息を吐いた。
「……オレよ、早く手柄を立ててぇんだよ」
ぽつりと漏らされた言葉にいつもの威勢はない。血気盛んで好戦的な彼らしい目標ではある。
しかしそれがアルティーティを嫌う理由になるのか。ますますわからなくなり、首をかしげて見せた。
「……オレんちのこと、知ってるか?」
「うん、男爵家だよね」
「ああ、一代男爵だけどな」
「イチダイ……って?」
初めて聞く言葉にアルティーティは首をさらにひねる。
「名前通り、一代限りってやつだ。結構質のいい魔坑をひと山当てたおかげで親父は貴族。でもオレは貴族じゃねぇ。それが一代男爵だ」
平民なら知らなくて当然だわな、オレも知らなかったし、とヴィクターはなぜか得意げに言った。
男爵にも色々あるのか、とアルティーティは内心驚いていた。
一応、彼女も貴族、男爵家の娘ではあったがそれだけだ。
多くの貴族と交流があったわけでも、貴族や制度についての教育を受けたわけでもない。
家を追放された後、学ぼうと思えば学べたがやめた。必要ないと思ったからだ。
貴族というものに未練がない。平民として、騎士として生きていこう。
そう決断したのに、侯爵家三男のジークフリートと結婚するというのはなかなかに皮肉だが。
これからのためにもちゃんと勉強しなきゃなぁ、とややげんなりしつつもアルティーティは思った。
「で、だ。親父が死んだら今の暮らしもおじゃん。平民に戻る」
「そうなの?」
「そりゃ親父以外は貴族じゃねーし。魔坑の管理も国に返上。爵位も返上。残るのは足の悪いお袋と、オレと、8人の弟たち」
「は、8人!? 多くない!?」
アルティーティは目を丸くした。
「元農民だからな。それなりの土地さばいてる農民なら、どこも子どもはそんなもんだろ。あ、この間見学に来てたやついただろ? あいつらが弟のうちの3人」
(そ、そんなもんなの?)
弟が3人いるというのも多いだろうが、それが8人とは。
妹がひとり、しかも血のつながりもなく同い年の妹しかいないアルティーティには、そんなに子供がいる環境が想像できない。
しかも母親が足が悪いとなると、弟たちの面倒を兄であるヴィクターがみていたのではなかろうか。きっと助け合いながら生活してきたのではないか。
兄弟仲が良いのもうなずける。
家族というものは本来そういったものなのだろう。
アルティーティは、なんとも言えないもの悲しさを胸の内にしまい込み笑った。
「仲良さそうだったね。ヴィクターも慕われてたし。いいお兄さんしてるじゃん」
「な……っ!? ……ンなこと言っても何も出ねぇぞ……!」
「? うん。出なくていいけど……?」
きょとんとするアルティーティに、赤くなったヴィクターは激しく咳払いをした。
「またイチから畑始めるにしてもお袋は働けねぇ。弟たちもまだ小さい。できるなら今通ってる学校くらいは出て欲しい。労働力になるのはオレくらいだ。でもオレひとりで畑は流石に無理がある」
結構畑持ってんだよ、今は親父が人に任せてるけどな、とヴィクターは自嘲気味に笑った。
「家族全員、ひとりで食わせるならこの国じゃ騎士になるしかねぇ。」
「つまり、家族を養うために手柄が欲しいと」
「そうだ。親父が元気なうちにな。幸い、親父が貴族なおかげで、士官学校の入学は顔パスみたいなもんだった。受験者が多いからか、平民からってなると試験でほとんど落とされるらしいからな」
この言葉にアルティーティははて、と首をかしげた。
試験はあった。アルティーティも、平民のアルトとしてそれを受けた。
しかしそんなに厳しいものではなかった気がする。むしろ入ってからの方が厳しかった。
もしかしたら、師匠のおかげだろうか。
騎士になるのを反対していたが、士官学校に入る手続き諸々は師匠が手配してくれていた。
実は士官学校にツテでもあったのかもしれない。
やっぱすごいわ師匠、などと思っているアルティーティをヴィクターは一瞥すると、腕組みをした。
「手柄を立てるなら前線の実践も多い遊撃部隊が狙い目だった。出張ることが多いなら手柄のチャンスも多い。ただ遊撃部隊は毎年新人はとらない。相当成績が良くないと希望出しても弾かれると思って、そりゃ血反吐吐くまで頑張った」
当時を思い出したのか、苦い表情を浮かべる彼に、アルティーティは感心していた。
彼のことは、口調も目つきも悪く、気に入らないものには全力で突っかかる性格だと思っていた。激情型で思考もかなり短絡的なのでは、とさえ。
その彼が、先々を見越して血反吐を吐いていたとは思ってもみなかった。
人は見かけによらない。見た目と自分への態度だけで判断しちゃダメだったな、と改めて反省した。
しかしそんな彼女をヴィクターは軽く睨みつける。
「配属されて嬉しかった……んだが、蓋開けてみりゃオメェ、成績もパッとしねぇ女みてーなやつが同期で入ってるじゃねぇか」
「す、スミマセン……」
「しかも隊長に、あの魔法剣士ジークフリート様に目をかけられてやがる。悔しいってもんじゃねぇよ」
あーやってらんねー、と彼は見せつけるように伸びをした。
だから嫌がらせをしてたのか。ジークフリートのお気に入りだと思い込んで。
成績上位の努力家ヴィクターが、大して成績も良くなかったアルティーティを敵視するのもわかる気がした。
でも納得のいかないことが一つある。
「あのー……言っておくけどボク、目はかけられてないと思うよ……?」
「ハァ?」
ヴィクターの眼光が鋭くなる。
「オレにこんな火傷させておいてよく言うわ。あん時の隊長、スッゲー怖えのなんのって」
「え? それ隊長がやったの?」
「ああ、オレが動けねぇオメェに一発食らわせようとしたら焼かれた」
(や、焼かれた……)
苦々しげに言うヴィクターを前に、アルティーティは頬を引きつらせる。
「そ、それは……止めるのに咄嗟に魔法使っちゃっただけなんじゃ……?」
「あの人はンなヘタレじゃねーよ。多分オレごとき素手でも止められる。それだけオレに怒ってたんだよ」
なぜか自慢げに言われ、アルティーティは「そ、そうなんだ……」と頷かざるを得ない。
ジークフリートが魔法を使えることは知っていたが、まさかそれを喧嘩の仲裁に使うとは。
でも使ってくれたおかげで、ボコボコにならずに済んだ。多分。気絶してたからわからないけど。
そういえば意識を失う前、声が聞こえた気がする。くぐもってて聞き取りにくかったが、とにかく焦った様子だった。
あれがジークフリートだったのだろうか。
いつも冷静な姿の彼からは想像もつかない。アルティーティはにわかには信じられず、小さく首をかしげた。
納得がいかない彼女に気付いた様子もなく、ヴィクターはなおも言い連ねる。
「それだけじゃねぇ。あの人が人にモノを教えるなんてほとんどねぇんだよ」
「それは……他の人が出来がいいからでは……ボクそんなに出来のいい方じゃないし」
「ハァァ?!」
いきなり大声をあげ立ち上がったヴィクターに、アルティーティはびくりと体を跳ねさせた。
男性の中では小柄なアルティーティに比べると、ヴィクターは巨体だ。巨人と言ってもいいほどだ。
その彼が急に立ち上がったとなると、身長差をわかっててもどうしてもびっくりしてしまう。
掴みかかってきそうな勢いで、彼はアルティーティに顔を突き合わせた。
「剣は使えねぇとか言っときながら! アレだけ動けてオレ横っ腹斬ろうとしたやつが! 出来のいい方じゃないだぁ?! 冗談キツいわ!」
「近い近い近い! 剣使えないのは本当だし!」
あまりの剣幕に慌てて両手を横に振る。鍛えているとはいえ、自分より体格のいい大男に迫られたら身体がのけぞる程度には怖い。
すると彼は小さく舌打ちをし、顔を離した。
「なんでだよ」
「え? あー血が出るの、近くで見るのが嫌で」
用意していた理由がするりと口から出る。
「カー! 強ぇんだか弱ぇんだかわかんねぇやつだな! めんどくせぇ! どっちかにしろ!」
「や、ややこしくてごめん……」
文句を言いつつ頭をガシガシ掻いているヴィクターに、アルティーティは心の中でも「ごめん、嘘なんだ」と謝っていた。
まさか『幼い頃に目の前で親が殺されて……』などと本当のことを言うわけにもいかない。たとえヴィクターといえど、そんなことを聞かされたら微妙な反応を示すだろう。
本当のことを言って、腫れ物を触るかのように憐れみを向けられて過ごすよりは、小さな嘘で、情けないと侮られて過ごす方がずっと気が楽だ。
本当は、ジークフリートにバレた時も隠すつもりだった。しかし気が動転しててそれどころではなかったのだ。
洗いざらい言った後に気づいたが、言ってしまったものはどうしようもない。
彼女の生い立ちを聞いた前後で、彼の態度が鬼上官のままだったのは、良かった──のだろう。一応。
ひと通り掻きむしり終えたのか、ヴィクターは荒くため息をついた。
「……ま、いいわ。オメェのこと気に入らねーと思ってたけど、なんかもうどうでも良くなったわ! じゃあな!」
「え!? もしかしてそれだけ言いに来たの!?」
足早に立ち去ろうとする彼の背に、思わずそう投げかける。
つんのめるように転びかけたヴィクターは、なぜか真っ赤に染まった顔をこちらに向けた。
「う、ううう、うるせー! た、たまたま通りかかっただけだっ! オメーのことなんか眼中にねーわ! バーカバーカ!」
(ば、バカって……)
アルティーティは小さくショックを受けた。
カミルや他の隊員ならば、ヴィクターの言葉は照れ隠しなのだとわかるだろう。
しかし、悪意以外の他人の機微に疎い彼女には全く伝わらない。
仲良くなれた気がしたのにな、と肩を落とすアルティーティを残し、ヴィクターは射場から出て行こうとし──ぴたりと止まった。
「……あと」
「……まだなにか?」
まだ文句を言われるのか、とアルティーティは身構える。
しかし、言い淀むヴィクターから出た言葉は意外なものだった。
「……弟たち、守ってくれてありがとよ」
え?
意外すぎて、その一音すら声にすることを忘れた。
何を言われたのか理解できた頃にはもう、ヴィクターの姿はなかった。
「ヴィクターっていい奴……なのかな?」
自信なさげなアルティーティのつぶやきが、射場に響いた。
0
お気に入りに追加
170
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
この度、青帝陛下の番になりまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。
ヒロイン気質がゼロなので攻略はお断りします! ~塩対応しているのに何で好感度が上がるんですか?!~
浅海 景
恋愛
幼い頃に誘拐されたことがきっかけで、サーシャは自分の前世を思い出す。その知識によりこの世界が乙女ゲームの舞台で、自分がヒロイン役である可能性に思い至ってしまう。貴族のしきたりなんて面倒くさいし、侍女として働くほうがよっぽど楽しいと思うサーシャは平穏な未来を手にいれるため、攻略対象たちと距離を取ろうとするのだが、彼らは何故かサーシャに興味を持ち関わろうとしてくるのだ。
「これってゲームの強制力?!」
周囲の人間関係をハッピーエンドに収めつつ、普通の生活を手に入れようとするヒロイン気質ゼロのサーシャが奮闘する物語。
※2024.8.4 おまけ②とおまけ③を追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる