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1章

42.いいやつ? 悪いやつ?

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 頭上からはため息と舌打ち。視界の片隅でヴィクターの足が小刻みに揺れている。

 明らかにイラついた態度に、心が折れかける。

(やっぱりダメかー……)

 肩を落とし、立ち上がりかけた彼女の頭にコツンと何かが触れた。顔を上げると、包帯を巻いたばかりの拳がひとつ突き出されている。

「……変なヤツ」

 ヴィクターは舌打ちしながらそっぽを向いた。いつもの嫌味な言い方ではなく、トゲトゲしさはない。

「…………え? へ、変……かな……?」
「普通そんなこと、嫌われてる相手に面と向かって言うか?」
「言わない、かな……ボクも、今はじめて言った」
「マジかよ」

 からりと笑うヴィクターの姿に、アルティーティはあっけに取られた。

 あまりに今までの姿と違う。謹慎中に、一体彼にどんな心境の変化があったのか。

(たしかヴィクターの同室って副長だったよね……副長が何か言ってくれたとか? だとしたら副長って神様?)

 新人同士のケンカのフォローをする。カミルがそんなタイプには見えない。

 しかし目の前に笑うヴィクターがいる以上、そうとしか思えなかった。
 秘密を守ってくれるだけじゃなく、こんなことまでしてくれるとは。あとでお礼を言わなきゃ。

 アルティーティは座り直すと、ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「なんでずっとボクのこと嫌ってたのか、聞いてもいい?」
「オメェな……まぁ、いいけどよ……」

 若干呆れ顔を見せた彼だったが、表情の理由を説明するのを諦めたのだろう。短く舌打ちをすると息を吐いた。

「……オレよ、早く手柄を立ててぇんだよ」

 ぽつりと漏らされた言葉にいつもの威勢はない。血気盛んで好戦的な彼らしい目標ではある。

 しかしそれがアルティーティを嫌う理由になるのか。ますますわからなくなり、首をかしげて見せた。

「……オレんちのこと、知ってるか?」
「うん、男爵家だよね」
「ああ、一代男爵だけどな」
「イチダイ……って?」

 初めて聞く言葉にアルティーティは首をさらにひねる。

「名前通り、一代限りってやつだ。結構質のいい魔坑をひと山当てたおかげで親父は貴族。でもオレは貴族じゃねぇ。それが一代男爵だ」

 平民なら知らなくて当然だわな、オレも知らなかったし、とヴィクターはなぜか得意げに言った。

 男爵にも色々あるのか、とアルティーティは内心驚いていた。

 一応、彼女も貴族、男爵家の娘ではあったがそれだけだ。

 多くの貴族と交流があったわけでも、貴族や制度についての教育を受けたわけでもない。

 家を追放された後、学ぼうと思えば学べたがやめた。必要ないと思ったからだ。

 貴族というものに未練がない。平民として、騎士として生きていこう。

 そう決断したのに、侯爵家三男のジークフリートと結婚するというのはなかなかに皮肉だが。

 これからのためにもちゃんと勉強しなきゃなぁ、とややげんなりしつつもアルティーティは思った。

「で、だ。親父が死んだら今の暮らしも。平民に戻る」
「そうなの?」
「そりゃ親父以外は貴族じゃねーし。魔坑の管理も国に返上。爵位も返上。残るのは足の悪いお袋と、オレと、8人の弟たち」
「は、8人!? 多くない!?」

 アルティーティは目を丸くした。

「元農民だからな。それなりの土地さばいてる農民なら、どこも子どもはそんなもんだろ。あ、この間見学に来てたやついただろ? あいつらが弟のうちの3人」

(そ、そんなもんなの?)

 弟が3人いるというのも多いだろうが、それが8人とは。

 妹がひとり、しかも血のつながりもなく同い年の妹しかいないアルティーティには、そんなに子供がいる環境が想像できない。

 しかも母親が足が悪いとなると、弟たちの面倒を兄であるヴィクターがみていたのではなかろうか。きっと助け合いながら生活してきたのではないか。

 兄弟仲が良いのもうなずける。

 家族というものは本来そういったものなのだろう。

 アルティーティは、なんとも言えないもの悲しさを胸の内にしまい込み笑った。

「仲良さそうだったね。ヴィクターも慕われてたし。いいお兄さんしてるじゃん」
「な……っ!? ……ンなこと言っても何も出ねぇぞ……!」
「? うん。出なくていいけど……?」

 きょとんとするアルティーティに、赤くなったヴィクターは激しく咳払いをした。

「またイチから畑始めるにしてもお袋は働けねぇ。弟たちもまだ小さい。できるなら今通ってる学校くらいは出て欲しい。労働力になるのはオレくらいだ。でもオレひとりで畑は流石に無理がある」

 結構畑持ってんだよ、今は親父が人に任せてるけどな、とヴィクターは自嘲気味に笑った。

「家族全員、ひとりで食わせるならこの国じゃ騎士になるしかねぇ。」
「つまり、家族を養うために手柄が欲しいと」
「そうだ。親父が元気なうちにな。幸い、親父が貴族なおかげで、士官学校の入学は顔パスみたいなもんだった。受験者が多いからか、平民からってなると試験でほとんど落とされるらしいからな」

 この言葉にアルティーティははて、と首をかしげた。

 試験はあった。アルティーティも、平民のアルトとしてそれを受けた。

 しかしそんなに厳しいものではなかった気がする。むしろ入ってからの方が厳しかった。

 もしかしたら、師匠のおかげだろうか。
 騎士になるのを反対していたが、士官学校に入る手続き諸々は師匠が手配してくれていた。

 実は士官学校にツテでもあったのかもしれない。

 やっぱすごいわ師匠、などと思っているアルティーティをヴィクターは一瞥すると、腕組みをした。

「手柄を立てるなら前線の実践も多い遊撃部隊が狙い目だった。出張でばることが多いなら手柄のチャンスも多い。ただ遊撃部隊は毎年新人はとらない。相当成績が良くないと希望出しても弾かれると思って、そりゃ血反吐吐くまで頑張った」

 当時を思い出したのか、苦い表情を浮かべる彼に、アルティーティは感心していた。

 彼のことは、口調も目つきも悪く、気に入らないものには全力で突っかかる性格だと思っていた。激情型で思考もかなり短絡的なのでは、とさえ。

 その彼が、先々を見越して血反吐を吐いていたとは思ってもみなかった。

 人は見かけによらない。見た目と自分への態度だけで判断しちゃダメだったな、と改めて反省した。

 しかしそんな彼女をヴィクターは軽く睨みつける。

「配属されて嬉しかった……んだが、蓋開けてみりゃオメェ、成績もパッとしねぇ女みてーなやつが同期で入ってるじゃねぇか」
「す、スミマセン……」
「しかも隊長に、あの魔法剣士ジークフリート様に目をかけられてやがる。悔しいってもんじゃねぇよ」

 あーやってらんねー、と彼は見せつけるように伸びをした。

 だから嫌がらせをしてたのか。ジークフリートのお気に入りだと思い込んで。

 成績上位の努力家ヴィクターが、大して成績も良くなかったアルティーティを敵視するのもわかる気がした。

 でも納得のいかないことが一つある。

「あのー……言っておくけどボク、目はかけられてないと思うよ……?」
「ハァ?」

 ヴィクターの眼光が鋭くなる。

「オレにこんな火傷させておいてよく言うわ。あん時の隊長、スッゲー怖えのなんのって」
「え? それ隊長がやったの?」
「ああ、オレが動けねぇオメェに一発食らわせようとしたら焼かれた」

(や、焼かれた……)

 苦々しげに言うヴィクターを前に、アルティーティは頬を引きつらせる。

「そ、それは……止めるのに咄嗟に魔法使っちゃっただけなんじゃ……?」
「あの人はンなヘタレじゃねーよ。多分オレごとき素手でも止められる。それだけオレに怒ってたんだよ」

 なぜか自慢げに言われ、アルティーティは「そ、そうなんだ……」と頷かざるを得ない。

 ジークフリートが魔法を使えることは知っていたが、まさかそれを喧嘩の仲裁に使うとは。

 でも使ってくれたおかげで、ボコボコにならずに済んだ。多分。気絶してたからわからないけど。

 そういえば意識を失う前、声が聞こえた気がする。くぐもってて聞き取りにくかったが、とにかく焦った様子だった。

 あれがジークフリートだったのだろうか。

 いつも冷静な姿の彼からは想像もつかない。アルティーティはにわかには信じられず、小さく首をかしげた。

 納得がいかない彼女に気付いた様子もなく、ヴィクターはなおも言い連ねる。

「それだけじゃねぇ。あの人が人にモノを教えるなんてほとんどねぇんだよ」
「それは……他の人が出来がいいからでは……ボクそんなに出来のいい方じゃないし」
「ハァァ?!」

 いきなり大声をあげ立ち上がったヴィクターに、アルティーティはびくりと体を跳ねさせた。

 男性の中では小柄なアルティーティに比べると、ヴィクターは巨体だ。巨人と言ってもいいほどだ。

 その彼が急に立ち上がったとなると、身長差をわかっててもどうしてもびっくりしてしまう。

 掴みかかってきそうな勢いで、彼はアルティーティに顔を突き合わせた。

「剣は使えねぇとか言っときながら! アレだけ動けてオレ横っ腹斬ろうとしたやつが! 出来のいい方じゃないだぁ?! 冗談キツいわ!」
「近い近い近い! 剣使えないのは本当だし!」

 あまりの剣幕に慌てて両手を横に振る。鍛えているとはいえ、自分より体格のいい大男に迫られたら身体がのけぞる程度には怖い。

 すると彼は小さく舌打ちをし、顔を離した。

「なんでだよ」
「え? あー血が出るの、近くで見るのが嫌で」

 用意していた理由がするりと口から出る。

「カー! 強ぇんだか弱ぇんだかわかんねぇやつだな! めんどくせぇ! どっちかにしろ!」
「や、ややこしくてごめん……」

 文句を言いつつ頭をガシガシ掻いているヴィクターに、アルティーティは心の中でも「ごめん、嘘なんだ」と謝っていた。

 まさか『幼い頃に目の前で親が殺されて……』などと本当のことを言うわけにもいかない。たとえヴィクターといえど、そんなことを聞かされたら微妙な反応を示すだろう。

 本当のことを言って、腫れ物を触るかのように憐れみを向けられて過ごすよりは、小さな嘘で、情けないと侮られて過ごす方がずっと気が楽だ。

 本当は、ジークフリートにバレた時も隠すつもりだった。しかし気が動転しててそれどころではなかったのだ。

 洗いざらい言った後に気づいたが、言ってしまったものはどうしようもない。

 彼女の生い立ちを聞いた前後で、彼の態度が鬼上官のままだったのは、良かった──のだろう。一応。

 ひと通り掻きむしり終えたのか、ヴィクターは荒くため息をついた。

「……ま、いいわ。オメェのこと気に入らねーと思ってたけど、なんかもうどうでも良くなったわ! じゃあな!」
「え!? もしかしてそれだけ言いに来たの!?」

 足早に立ち去ろうとする彼の背に、思わずそう投げかける。

 つんのめるように転びかけたヴィクターは、なぜか真っ赤に染まった顔をこちらに向けた。

「う、ううう、うるせー! た、たまたま通りかかっただけだっ! オメーのことなんか眼中にねーわ! バーカバーカ!」

(ば、バカって……)

 アルティーティは小さくショックを受けた。

 カミルや他の隊員ならば、ヴィクターの言葉は照れ隠しなのだとわかるだろう。

 しかし、悪意以外の他人の機微に疎い彼女には全く伝わらない。

 仲良くなれた気がしたのにな、と肩を落とすアルティーティを残し、ヴィクターは射場から出て行こうとし──ぴたりと止まった。

「……あと」
「……まだなにか?」

 まだ文句を言われるのか、とアルティーティは身構える。

 しかし、言い淀むヴィクターから出た言葉は意外なものだった。

「……弟たち、守ってくれてありがとよ」

 え?

 意外すぎて、その一音すら声にすることを忘れた。

 何を言われたのか理解できた頃にはもう、ヴィクターの姿はなかった。

「ヴィクターっていい奴……なのかな?」

 自信なさげなアルティーティのつぶやきが、射場に響いた。
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