上官は秘密の旦那様。〜家族に虐げられた令嬢はこの契約結婚で幸せになる〜

見丘ユタ

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1章

36.気の緩み

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 ジークフリートの手がアルティーティの頬をそっと撫でる。伸ばされた手に一瞬体がこわばるが、不思議とそのあたたかさに身を委ねてしまう。

 硬くて無骨な手だ。

 しかしアルティーティにはわかる。これは努力した手だ。今の強さを身につけるために、何度も血を滲ませ、皮が剥がれるような鍛錬をしてきた手だ。

 その手が、彼女の頬を壊れものを抱くように優しくそえられている。

 不意に与えられたぬくもりと熱い視線に、胸がドキリと音を立てたような気がした。

 台詞といい、動作といい、まるで愛の告白のようだ。告白なんてされたことないので、想像でしかないけど。

「……だからお前のその恩人も、多分、辞めてない。騎士ってのは大抵諦めが悪いんだ」

(う……)

 そう言って目を細めたジークフリートの表情に、アルティーティは変な声が出そうになった。

 口ぶりから、励ましてくれているのはわかる。それはありがたい。

 しかしそれと共に向けられたのは、困ったように片眉が下がる不器用な笑みだ。
 おおよそ彼女が見てきた彼の表情とはまるで違い、人間臭く、そして妙に色っぽい。

 先ほどよりもさらに胸の鼓動が高まる。

「た、隊長……?」

 自分の胸の内とジークフリートの様子に、戸惑いながら彼を呼ぶと、自分が何をしているのか気がついたのかさっと手を引っ込められてしまった。

 咳払いをひとつした彼は、ぎこちなくアルティーティから視線を外す。

 横顔はいつも通りの仏頂面だが、心なしか耳が赤く染まっているように見える。再び差し込み始めた陽の光のせいだろうか。

(……ええと……)

 微妙に気まずい空気が流れる。

「で、でもその人、すごいですね。強くなるだけじゃなくて、自分の考え方まで変えるなんて。向いてないって言いながらそこまでできるって、騎士の中の騎士って感じで格好いいじゃないですか」

 とびきり明るい声で言ってみた。

 きっといつものように『そうなれるように励め。鍛えろ』と返される──と予想していたのだが。

「…………は……か……かっこ……いい?」

 返ってきたのは間の抜けた声だった。

 見れば切長の目は大きく見開き、耳の赤みが頬まで到達している。もはや顔全体が真っ赤だ。
 加えてわなわなと唇と体が震えている。こんなジークフリートは初めて見た。

(これはもしや……過去最高に怒っているのでは……!?)

「す、すみません! 見ず知らずの大先輩に格好いいなんて失礼でしたよね! 撤回します! え、えーと……す、すごい。そう、スゴい人だなって……!」

 慌てて取り繕うように言い直すも、どんどん墓穴を掘っていっている気がしたアルティーティは、もごもごと口ごもった。

 むしろ今、自分が掘った墓穴に埋めてくれた方がマシなのではないかと思うほどに、自分の失言が情けなくなる。

 赤面したジークフリートは、視線を宙に這わせたと思いきや、勢いよく顔を伏せてしまった。

 きっと相当お怒りなのだ。両手で抑えた顔は、きっと鬼どころか鬼神のようにいかつい表情をしてるに違いない。ほんの少しの情けで、こちらにそれを見せまいとしてくれてるのだ。

(ええ、と、どうしよう……)

 思考をぐるぐると巡らせていると、

「ジークフリート、開けるよ?」

 場にそぐわない軽快なノックと共に、カミルが扉の隙間から顔を出した。

(副長! いいところに!)

 天からの恵み、とばかりに、入ってきたカミルに飛びつきたくなる衝動に駆られる。飛び付いたら女だとバレるのでしないが。

「あ、アルト。起きてたんだ。具合はもういいの?」
「は、はい。おかげさまで」

「そ、良かった」と軽く微笑んだカミルに、先ほどまで突っ伏していたジークフリートがようやく顔を上げた。

「……なんだ?」
「団長が呼んでる。訓練所の件だって」
「ああ……」

 幾分か下がった前髪をかき上げると、ジークフリートは立ち上がった。その椅子に、カミルが入れ替わりに腰掛ける。

 不機嫌そうに目をつむるジークフリートに対し、カミルはどこか楽しそうだ。

「ま、ちゃっちゃと怒られてきてよ」
「お前な……」
「はいはい、いってらっしゃーい」

 ひらひらと手を振るカミルに、返事のかわりにため息をつくと、ジークフリートは出ていった。
 扉が閉まる前、視線ががっちり合ったが、過去最大に深く入った眉間の皺と共にそらされてしまった。

(や、やっぱり……めちゃくちゃ怒ってた……)

 アルティーティは肩をすくめた。怒っている、というのは彼女の勘違いなのだが、それに気づけるほど鋭い方でもない。

(今度から気をつけよう……)

 大きくため息をついた彼女を、カミルはいつもの紳士的な笑みで見つめた。

「良かったよ、アルトが無事で。あ、ヴィクターはジークフリートが部屋に籠らせたから安心して」
「あ、はい。謹慎みたいですね」
「便宜上、君もだけどね」

 いたずらっぽく微笑んだ彼は、身を乗り出してアルティーティを覗き込んだ。

 この数日、カミルと関わっていくつか理解したことがある。

 彼は人当たりが良く、誰に対しても平等だ。平等に優しい。気配りもできる。いつも不機嫌なジークフリートとは大違いだ。

 だからこそ、大して関わりもない新人のアルティーティを見舞っているのもごく自然なことだ、と隊員の誰しもが思うだろう。
 実際彼女もそう思っていた。

 ──そのせいか、どこか気が緩んでしまったのかもしれない。

「しかし君があれだけ動けるなんて驚いたよ。の動きとは思えなかったな」
「いえ、それほど、で……も……?」

 流れるようなカミルの言葉に、にこやかに返したアルティーティはほんの少しの違和感に気づき、慌てて口を押さえた。

(あれ……いま……オンナノコって言わなかった……?)

 しかし時すでに遅し。

 カミルがぎしり、と音を立てベッドに膝をかけた。追いやられるように、アルティーティは飾り気のないヘッドボードに背をつける。

「うん、オレが聞きたいのはね、どうして『魔女の形見』の女の子が騎士団ここにいるのかな? ってことなんだ」

 榛色の瞳に、狙いを定めた獣の光がうっすらと宿った。
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