上官は秘密の旦那様。〜家族に虐げられた令嬢はこの契約結婚で幸せになる〜

見丘ユタ

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1章

35.わたしの大事

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 なぜ、と問うジークフリートに、アルティーティは答えるのをためらった。

「……わたし、悩んだときはその人ならどう行動するか、を考えるんです……ええと、大抵はとりあえず突っ込むって答えになるんですけど……」

 心に浮かんだ言葉を口にするのは簡単だ。今までもそうしてきた。

 何も考えずに口にしてしまったがために、相手を傷つけたり、いざこざに巻き込まれることもあった。

 以来、慎重に言葉を選んではいるが、それでも相手の地雷を踏んでしまうことはある。

 しかし今回はそんなことを恐れているわけではなかった。

「その人も……後先考えずに突っ込んで大事なものをなくして、つらくて……騎士やめちゃったのかもしれないですよね……」

(あの人がやめたかも、って言っちゃったら、本当になっちゃうかもしれない)

 会いたい。お礼を言いたい。その一心で修行も訓練もしてきた。それ以上に、今も憧れの強い騎士であって欲しい。

 一方で、もし苦しい思いをしたのなら、無理をして欲しくない。休んで欲しい。逃げて欲しい。かつて自分がそうしたように。

 そんな思いがあるのも否定できない。

 ベッドの上で膝を抱える。はっと息を呑むような音が聞こえた。

 泣いていると思われたのかもしれない。アルティーティは慌てて顔を上げると手を振った。

「あ、わたしはほら、大事なものないですから大丈夫ですよ? そんなの全部、盗られたっていうか、置いてきたっていうか……とにかく、大丈夫なので!」

 空々しく声を上げて笑う。

 大切なものは何もない。

 大事な母は暴漢に、父は継母に、居場所は妹に奪われてしまった。幼かった彼女には家族が全てで、失った悲しみもあのストリウム家に置いてきた。

 だから平気だ。

 無駄に明るく振る舞ったつもりだったが、ジークフリートの表情をより険しくさせただけだった。弓なりの赤い眉の間に入った皺が深い。

(ああ、絶対言われる。『そんなこと考える暇があったら訓練しろ』とか『知らない騎士よりまずは部隊内の騎士と仲良くなれ』とか)

 いっそのこと、罵られた方がいつも通りの楽天的な自分になれるかもしれない。

 乾いた笑い声を上げるアルティーティに、ジークフリートは呆れたようにため息をついた。

「あるじゃないか」
「え?」
「お前の大事。そいつと会うことだろ」

 一瞬、耳を疑った。

 絶対怒っていると思っていた人から、よもやそんな慰めが聞けるとは思っても見なかった。

 眉間の皺はそのままだ。だが、ぶっきらぼうな物言いの中に微かにあたたかいものが感じられる。

 そのせいか、妙に腑に落ちた。

「……あ、そっか……」
「そっか、って……お前な」

(そっか……わたし、そうか……だから頑張れたのか……)

 呆れる彼をよそに、アルティーティは納得するように噛み締める。

 辛い日々を支えてくれたのはあの騎士だった。

 だから彼と会うことが大切。

 なんだ、意外とシンプルじゃないか。

 だが問題はそう簡単なものではない。

「あ、でも辞めちゃってるかもしれないから、会えるかどうか分からない、ですよね……?」

 会いたいような、会いたくないような気持ちがせめぎ合い、ついそんなことをこぼす。

 もちろん、会えるものなら会いたい。だが既に辞めてしまっているなら、あの時の騎士の手がかりはなくなる。

 容姿ですら曖昧で、記憶に自信がない。この広大な国の中で探すのは無理だろう。

 探し当てたところで、騎士を嫌で辞めた人間の前に騎士のアルティーティが姿を見せるのは良くないのではないか。快く迎えてくれる、なんて期待できない。

 珍しく気弱だ。普段ならばこんなことは思わないが、憧れの人物に関してはこうも臆病になる。

 会いたいからこそ、拒絶されたら怖い。でも。

 ぐるぐると思考を巡らせたアルティーティは、わずかに肩を落とした。

「……昔」

 ジークフリートのつぶやきが頭上から聞こえる。ためらいからか、彼は少し掠れた声を仕切り直すようにひとつ咳払いをした。

「昔、お前みたいな向こう見ずで分からず屋で頑固でそれなりに強い騎士がいた」
「……ずいぶんな騎士ですね」
「お前が言うか……まぁいい。そいつはある日、ひとりの女の子を助けた」

 頭を雑に掻いた彼の顔を、思わず覗き込む。

(わたしと同じだ)

 もしかしたらジークフリートは、自分を助けてくれた騎士のことを知っているのかもしれない。

 そう思いかけてかすかに首を振った。

 いや、きっと別人だ。

 『女性や子ども、弱き者、力なき者をすべからく救けよ』が騎士の基本だ。

 困ってる少女を見て助ける騎士など、この国にはごまんといる。それこそ、ヴィクターでさえそうするはずだ。

 ではなぜ、ジークフリートは今、よくある話をし始めるのか。

 真意を測りかねたアルティーティは彼の次の言葉を待った。

「助けたはいいが、犯人の何人かを取り逃がした。負傷してしばらく療養していたそいつが復帰した日……婚約者が殺された」
「……え……?」

 漏れ出た声を抑えようと、口に手を当てる。

(ころ……そんな……)

 まさか、と彼女の頭によぎる考えを肯定するようにジークフリートはうなずいた。

「報復だ。女の子を助けた現場にも、婚約者の現場にも同じ証拠が残されていた。わざわざ復帰初日に合わせて彼女を手にかけたんだろう」
「……ひどい……は、犯人は捕まったんですよね?」
「いや……」

 捕まっていて欲しい、という思いは、目をつむった彼の短い言葉の前に脆くも崩れ去った。

 人生はそんなに上手くいかない。アルティーティはとうに知っていた。でなければ、母親は死んでないし、家も追われてない。騎士にもなっていないだろう。

 人生なんてものは、人の期待を平気で裏切ってくる。

 しかしそれでも、ほんの少しでも望みはあってほしいと願わずにはいられない。

 日が陰ってきたのか、カーテンから漏れる光が弱まる。彼の燃えるような赤髪が、消えかけた火種のように淡く暗い色に染まった。

「自分が婚約者を殺したようなものだ。そいつはずっと自分を責めている。自分は騎士に向いてない、自分のせいで、とな」
「……もしかして、その人……辞めてしまったとか……?」

 大切な人が自分のせいで死ぬなんて、自分なら無理だ。到底向き合えない。自ら手にかけた訳でなくとも、罪の意識に苛まれることになるだろう。

 おずおずと聞いた彼女に、ジークフリートは首を横に振った。

「いや、辞めなかった。なんだかんだで引き止められてな」

 意外な展開に瞬く。なんだかんだ、の部分にきっと壮絶な決意があったのだろう。

 まっすぐに、彼はアルティーティを見つめた。

 影の差した赤い瞳に、力強い光が宿ったように見えた。

「代わりに、もっと強くなろうと鍛錬を重ねた。後先考えずとりあえず突っ込む性格も、一歩立ち止まってあらゆる可能性を考えるようになった。今度は」

 視線と共に熱のこもる声が、彼から目を逸らさせてくれない。強く見つめてくるそれは、火花のようにきらきらときらめく。

 きれい、と思わず口に出しかけてきゅっと唇を結んだ。

「……今度は絶対に守ると誓った」
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