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1章
19.ま、いっか
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おかしい。やっぱりおかしい。
追い立てられるように寮に戻ったアルティーティは、これでもかというほど長い廊下をツカツカと歩みながら思った。
思えば、元婚約者の話を止めた時からジークフリートはおかしかった。
契約結婚の相手に配慮して止めた、というより、もっと重症。その話自体聞くのが辛いといった印象を受けた。
トーマスたちにも微妙な空気が流れたあたり、アルティーティの感覚は間違ってはいなさそうだ。
元婚約者の話題が禁忌なのはまだわかる。全員を閉口させたあの鋭い視線。きっとよほど愛していたのだろう。
その人と別れるきっかけになったことなど、出会って3日の人間にわざわざ教えるわけがない。
(きっと契約結婚も、その人を想い続けたいから、とか他の人に言い寄られても困るから、とか、その辺の理由なんだろうけど)
でなければ自分のような変な女が選ばれるわけがない。
アルティーティは自嘲した。
しかしネックレスを見せた時のあの深刻な表情。あれはどちらかといえば、元婚約者の話を止めた時の彼に似ていた気がする。
毒々しいデザインとはいえ、たかだかネックレスだ。それであの表情はおかしい。考えれば考えるほどおかしい。
(……ま、いっか)
歩みを止めたアルティーティは思考を放棄した。
元々、そこまで深く考える性質ではない。それにこれ以上考えても答えは出ない気がした。
(さっさと帰ってトレーニングでもしようっと)
足取り軽やかに曲がり角を曲がろうとして何かにがつん、と肩にぶつかった。よろめきはしたが、転ぶほどではない。
おかしいな、壁を見誤ったかな、とアルティーティはぶつかったそれを見上げた。
「あ……」
「……チッ……んだよ、テメェかよ……」
壁かと思ったら違ったようだ。思っているよりはるか上から聞こえた悪態に、彼女はぽかんと口を開けた。
クセが強い茶髪のツンツン頭に、気の強そうな太い眉。アルティーティより頭3つ分は高い位置にある黒っぽい茶の瞳が、威圧的に彼女を見下ろしていた。
長身に群青色の隊服はさぞかし映える。と思いきや、ボタンを開け着崩しているせいかだらしなく見えた。
(めんどくさい人に会っちゃったなぁ……)
アルティーティは内心毒づいた。
彼のことは知っている。ヴィクター・ジーゲン。ジーゲン男爵家の長男だ。たしか年齢はアルティーティよりひとつ上だったか。
士官学校を優秀な成績で卒業し、アルティーティと同時期に遊撃部隊に配属された同期だ。
といっても、士官学校時代に彼と面識はない。専攻も違うため、寮も別だった。怒らせると歯止めが効かなくなる、熊のように獰猛だという噂は聞いたが、それだけだ。
配属されて初めて挨拶を交わしたが、なぜか無視されたのを覚えている。部隊の中で一番口が悪く、ジークフリートの次に感じ悪い男だ。
少なくとも「テメェ」と呼ばれるほどには嫌われてるのは、鈍いアルティーティにもわかっている。
「おい、ぶつかってきて挨拶もなしか? あ?」
「あー……ごめん、前見てなかった。怪我はない?」
「女みてーなやつにぶつかられて怪我するような鍛え方してねーんだよ」
頬を掻き謝罪すると、ヴィクターは気に入らないと言わんばかりに鼻を鳴らした。
彼はずっとこんな感じだ。突っかかってきてはなぜか最後には謝罪を要求する。素直に謝罪しても気に入らず、口答えすれば何倍にもして返してくる。
ある意味、ジークフリートより取扱注意、むしろ触れるな危険だ。3日の付き合いで理解できるほど付きまとわれていると言っても過言ではない。
(嫌いならわざわざ近寄ってこなくていいのになぁ……)
アルティーティは彼に気づかれないよう、わずかに肩をすくめた。
面倒なのでさっさと謝って黙るに限る。そしてさっさとどっかいってくれ。
そんな気持ちが伝わったのか、ヴィクターは見おろす視線を強めた。
「……平民の太鼓持ちが。隊長と同室だからって調子乗ってんじゃねーぞ」
どん、と先ほどより重い衝撃が肩に走った。思わず数歩たたらを踏む。
ヴィクターはふん、と鼻を鳴らすと大股で去っていった。
「………………は?」
しばらく呆けて動けなかったアルティーティが声を発したのは、彼の背中がだいぶ小さくなってからだった。
なんだあいつは。平民云々はまだいい。隊長に何の関係が? 毎日怒られてばかりなのに調子乗ってるように見えてるのか? というか今ぶつかってこなかった?
……ま、いっか。あのひと、元からわたしのこと嫌いっぽいし。いちいち考えるだけ損だわ。
そんなことよりトレーニング、とアルティーティは自室へと向かった。
追い立てられるように寮に戻ったアルティーティは、これでもかというほど長い廊下をツカツカと歩みながら思った。
思えば、元婚約者の話を止めた時からジークフリートはおかしかった。
契約結婚の相手に配慮して止めた、というより、もっと重症。その話自体聞くのが辛いといった印象を受けた。
トーマスたちにも微妙な空気が流れたあたり、アルティーティの感覚は間違ってはいなさそうだ。
元婚約者の話題が禁忌なのはまだわかる。全員を閉口させたあの鋭い視線。きっとよほど愛していたのだろう。
その人と別れるきっかけになったことなど、出会って3日の人間にわざわざ教えるわけがない。
(きっと契約結婚も、その人を想い続けたいから、とか他の人に言い寄られても困るから、とか、その辺の理由なんだろうけど)
でなければ自分のような変な女が選ばれるわけがない。
アルティーティは自嘲した。
しかしネックレスを見せた時のあの深刻な表情。あれはどちらかといえば、元婚約者の話を止めた時の彼に似ていた気がする。
毒々しいデザインとはいえ、たかだかネックレスだ。それであの表情はおかしい。考えれば考えるほどおかしい。
(……ま、いっか)
歩みを止めたアルティーティは思考を放棄した。
元々、そこまで深く考える性質ではない。それにこれ以上考えても答えは出ない気がした。
(さっさと帰ってトレーニングでもしようっと)
足取り軽やかに曲がり角を曲がろうとして何かにがつん、と肩にぶつかった。よろめきはしたが、転ぶほどではない。
おかしいな、壁を見誤ったかな、とアルティーティはぶつかったそれを見上げた。
「あ……」
「……チッ……んだよ、テメェかよ……」
壁かと思ったら違ったようだ。思っているよりはるか上から聞こえた悪態に、彼女はぽかんと口を開けた。
クセが強い茶髪のツンツン頭に、気の強そうな太い眉。アルティーティより頭3つ分は高い位置にある黒っぽい茶の瞳が、威圧的に彼女を見下ろしていた。
長身に群青色の隊服はさぞかし映える。と思いきや、ボタンを開け着崩しているせいかだらしなく見えた。
(めんどくさい人に会っちゃったなぁ……)
アルティーティは内心毒づいた。
彼のことは知っている。ヴィクター・ジーゲン。ジーゲン男爵家の長男だ。たしか年齢はアルティーティよりひとつ上だったか。
士官学校を優秀な成績で卒業し、アルティーティと同時期に遊撃部隊に配属された同期だ。
といっても、士官学校時代に彼と面識はない。専攻も違うため、寮も別だった。怒らせると歯止めが効かなくなる、熊のように獰猛だという噂は聞いたが、それだけだ。
配属されて初めて挨拶を交わしたが、なぜか無視されたのを覚えている。部隊の中で一番口が悪く、ジークフリートの次に感じ悪い男だ。
少なくとも「テメェ」と呼ばれるほどには嫌われてるのは、鈍いアルティーティにもわかっている。
「おい、ぶつかってきて挨拶もなしか? あ?」
「あー……ごめん、前見てなかった。怪我はない?」
「女みてーなやつにぶつかられて怪我するような鍛え方してねーんだよ」
頬を掻き謝罪すると、ヴィクターは気に入らないと言わんばかりに鼻を鳴らした。
彼はずっとこんな感じだ。突っかかってきてはなぜか最後には謝罪を要求する。素直に謝罪しても気に入らず、口答えすれば何倍にもして返してくる。
ある意味、ジークフリートより取扱注意、むしろ触れるな危険だ。3日の付き合いで理解できるほど付きまとわれていると言っても過言ではない。
(嫌いならわざわざ近寄ってこなくていいのになぁ……)
アルティーティは彼に気づかれないよう、わずかに肩をすくめた。
面倒なのでさっさと謝って黙るに限る。そしてさっさとどっかいってくれ。
そんな気持ちが伝わったのか、ヴィクターは見おろす視線を強めた。
「……平民の太鼓持ちが。隊長と同室だからって調子乗ってんじゃねーぞ」
どん、と先ほどより重い衝撃が肩に走った。思わず数歩たたらを踏む。
ヴィクターはふん、と鼻を鳴らすと大股で去っていった。
「………………は?」
しばらく呆けて動けなかったアルティーティが声を発したのは、彼の背中がだいぶ小さくなってからだった。
なんだあいつは。平民云々はまだいい。隊長に何の関係が? 毎日怒られてばかりなのに調子乗ってるように見えてるのか? というか今ぶつかってこなかった?
……ま、いっか。あのひと、元からわたしのこと嫌いっぽいし。いちいち考えるだけ損だわ。
そんなことよりトレーニング、とアルティーティは自室へと向かった。
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