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追放済みの悪役令嬢に何故か元婚約者が求婚してきた。
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「イザベラ・エスカローネ。君こそが僕の結婚相手に相応しい」
「は?」
……何言ってんのこの人。
思わずそう口に出しそうになって、キュッと唇をしめた。
危ない危ない。
今の私は追放された身とはいえ元伯爵令嬢だ。
そう易々と前世の自分を出すわけにはいかない。
そう。たとえ目の前にいるのが追放に関わった当事者であっても。
いろいろ言いたいことはあるが、それらをぐっと抑え込む。
「……クロード様、いったい何をおっしゃってるんですか?」
私は極力冷静に、求婚してきた男──クロード・モルガン公爵令息に、訊ねた。
「なにって、真実の愛を持つ女性はやはり君だったということさ。迎えにきたんだ」
クロードは熱っぽい視線を私に向け、キザったらしくその場に跪いた。
交通事故で死んだ私は、何の手違いか某有名乙女ゲームの悪役令嬢、イザベラに転生した。
一応、そのゲームをプレイ済みだった私は、主人公がクロードを攻略成功した場合、イザベラは離島に追放される運命にあると知っていた。
そのため、断罪イベントがあるまでの約八年間、精一杯イザベラとして頑張った。
しかし努力はついに実らず……追放されることが決まった。
それがついニヶ月前だ。
今、私がいるのはゲームの舞台である王国から、五日ほど船に揺られた先にある南国の島だ。
私はそこで、毎日畑仕事と釣りをして生計を立てていた。
そこへ主人公と結ばれたはずのクロードが現れて求婚してきたら、誰だって混乱するだろう。
紫外線のおかげでキューティクルを失い、ボロボロになった栗色の私の髪を、クロードは沈痛な面持ちでなでつけた。
「かわいそうに……こんなに肌も焼けて。きっとたくさん苦労したんだろうね」
確かに苦労はしたが、その苦労の一端を担ったのはクロード自身であることを彼は気付いているだろうか。
「大丈夫。王国に戻ったら優秀なエステティシャンが君を元の姿にしてくれるよ」
撫でていた髪をクロードはそのまま口元に寄せ、軽く口付けした。
そんな光景を、どこか他人事のように私は見つめていた。
なぜこの人がここに現れたのかは、なんとなく想像がつく。
「……クロード様、一つお伺いしてよろしいでしょうか?」
「ああ、なんだい?」
私のぼうっとした様子を、うっとりしてると勘違いしているのだろう。
クロードは余裕の笑顔で私の顔を覗き込んだ。
「……エマさんはどうされましたか?」
エマ、の一言で彼の表情が笑顔のまま固まった。
エマというのはこのゲームの主人公の名前だ。
平民出身だが、魔法の中でも珍しい回復魔法を使えるため周りから特別視されている。
その上、クロード以外のどのルートでも高貴な身分の攻略対象と結ばれる。
選択肢を大きく間違えなければ、玉の輿が約束された女性だ。
一方イザベラは、クロードルート以外では一行たりとも登場しない。
つまりイザベラが追放されるには、クロードがフリーな状態ではありえないのだ。
「……か、彼女は少し脆いところがあってだな、その……貴族の生活に馴染めなかったようだ」
言い淀むどころか明らかに動揺が隠しきれないクロードの様子に、私は確信した。
「そうでしたか。それは御可哀想に」
「そ、そうだろうそうだろう。思えば僕はあの時どうかしていたのだ。普通に考えれば婚約者の君が一番なのは分かっていたのに、あのような下賤な民を選んでしまうとは」
エマが可哀想だと言ったつもりなのだが、どうやらクロードには「憔悴したクロード様可哀想に」と聞こえたらしい。
「僕にはもう、君しかいないんだ」
そう言って私の左手を取ると、どこから取り出したのか指輪をはめようとした。
しかし、捕らえられた手をさっと抜き取ると、私は冷たい目でクロードを見下ろした。
「申し訳ございません。……私、今の生活が気に入ってますの。それに……」
クロードの後ろにいる人物に手招きした。
焼けすぎて黒光りする肌に、筋骨隆々な上半身裸の男性が、白い歯を覗かせながらこちらにやってきた。
私の二倍か三倍はあるだろうそのムキムキ体型に明らかに怯え始めるクロードを尻目に、私はにこやかな笑みを作る
「ご報告が遅れましたが、私、先日結婚いたしました。こちらは夫のケチャです」
紹介を受けて、ケチャは曖昧な笑みを浮かべながら軽く会釈をした。
ケチャの迫力に若干震えていたクロードは、顔を引きつらせながらもなんとか声を絞り出す。
「え、……あ……そー……なんですねぇ……にしてもちょっと結婚早すぎませんかね……?」
「ええ、私もびっくりしました。出会ってすぐ通じ合うなんてこと、あるんですね。……あ、そうそう、そういえばクロード様でしたね。そんなことをおっしゃっていたのも。あの時のクロード様のお気持ちが大変、よくわかりましたわ」
にっこりと笑う私の言葉に、クロードは「あ、まずい」という表情で、頬に汗を垂らし後退りした。
なぜなら「出会ってすぐに通じ合うなんてこと、あるんだな」というクロードのセリフは、断罪イベントの最後を締め括る言葉だったからだ。
もちろんそれは私に向けてではなく、その時夢中だったエマに向けてだが。
一方ケチャは、私とクロードの間にただならぬ雰囲気が漂うのを感じたらしく、クロードに向けて疑るような視線を向け始めていた。
「……そ、そーですか。……いいご主人みたいでよかったです……じゃ、僕はこの辺で……さようなら!」
「ええ、ごきげんよう」
私の言外の圧力に圧されたか、ケチャのプレッシャーに負けたのか、それともその両方か、クロードは転げるようにそそくさと去っていった。
その後ろ姿をにこやかに見送っていると、
『なあ、あいつ誰だ? なんの話してたんだ?』
とケチャが声をかけてきた。
『知り合いよ。たまたま観光に来たんですって。多分もう来ないわ。あ、あとケチャのこといい人そうだって言ってたわよ』
そう説明すると、ケチャは白い歯を見せニカっと笑った。
ケチャと少し話して別れたあと、私は帰宅した。
ログハウス調の小さな家で、私は現在一人暮らしだ。
シングルベッドも家具も、全部島に着いてから作ったものでとても気に入っている。
私はベッドに大の字で寝転んだ。
そう、私は結婚などしていない。
それどころかケチャとは恋仲ですらない。
穏便にお引き取り願うための小さな嘘だ。
ケチャの目の前で堂々と嘘をつけたのは、ひとえに離島と王国の言語が全く違うことにある。
たとえるなら日本語とフランス語くらい違う。
王国のある大陸からほとんど出たことのないクロードや他の貴族、私の両親でさえこの島の言葉は話せないだろう。
なぜ私がそんな言語を話せるかというと、話は八年前、ちょうどイザベラに転生したと自覚した頃に遡る。
イザベラに転生したと気付いた私は、それはもう大層慌てた。
最初の二年は、追放されないように淑女としての振る舞いやマナー、社交性などを必死に磨いた。
しかし、あることに気付いた。
クロードの屋敷に招かれた時も、散歩も、パーティーも、まるで監視されてるみたいに、そこにはいつもクロードの母がまとわりついてきたことだ。
こちらが何かプレゼントしようものなら「クロードちゃんの趣味と少し違うのだけど……あ、もちろんクロードちゃんは優しいから身につけてくれるわよ」と馬鹿にしたように笑うクロード母。
かと思えば、プレゼントをクロードからもらったら「さすが、クロードちゃんは趣味がいいわー。あなたもこういうのを用意しないと、ね?」と私を下に見る発言が多かった。
毎回毎回しょうもないマウントをとってくるクロード母と関わる中で、もし追放を免れたとしても嫁姑問題が勃発するのではと危惧した。
そこで私は、なんとかクロード母とうまくやれる方法を模索し始めた。
が、それも一年ほどで、クロードの協力がなければこの母子関係、ひいては嫁姑問題をどうにかすることはできないと気付いた。
そこから四年ほどは、クロードの再教育に奔走したのだが──結果は惨敗だった。
……クロードにいくら言っても、「君の考えすぎだよ」「母上も良かれと思って言ってるんだ」「君は将来この家に入るんだから、母上の言うことくらい聞いてくれよ」と、ダメ旦那ワードのテンプレオンパレードだったのよね。懐かしい。
考えてみれば、前世でこのゲームが有名だったのも、攻略対象の発するテキストに母親関連のエピソードが多すぎたからだった。
それはもう、製作陣全員のマザコン疑惑が持ち上がるほどに。
クロードのマザコンからの脱却失敗、そしてクロード母のマウンティングの強烈さに疲れ切った私は、ある結論に至った。
よし、追放される準備をしよう──と。
残りの一年、私はエマがゲーム通りにクロードに恋をしたのを確認した後、追放予定の離島の言葉と文化を密かに勉強し続けていた。
もちろんエマが他の攻略対象を攻略する可能性もあったが、私以外のほとんどの悪役令嬢が攻略対象にべったりでエマの入り込む隙はない。
逆に私にほったらかしにされたクロードは年中暇な上に、クロード自身も長年口煩く姑問題について私に言われたせいか、慕ってくれるエマに癒しを求めていた。
そんな二人がくっつかないわけがない。
そうして残り一年間、クロードそっちのけで勉強に励み、たまに悪役令嬢として活躍し、私は無事かいほ──追放されたのだ。
「でもやっぱりエマは逃げちゃったのかー……そりゃ当たり前だよね。あの強烈なお母さんと、庇ってもくれないクロードの板挟みじゃあね……」
私は髪の毛を指に巻き付けてはほどき、を繰り返した。
クロードがここに来たのも、エマに逃げられてクロード母に言われてのことだろうことは想像がつく。
ゲームでは結ばれて終了で、その後の結婚生活などは描かれていない。
エマならもしかしたらゲーム補正でモルガン家で上手くやれるのでは、という淡い期待もあったのだが、どうやら現実は厳しいらしい。
……ま、エマならクロード以上にいい人見つけられるわね。クロードが最低だったから尚更。
私は気を取り直して、ベッドの上で大きく伸びをした。
畑仕事後の疲労感が心地いい。
前世で田舎の農家だったのが幸いし、離島での暮らしも苦ではない。
むしろ転生してから一番充実しているのではないか、と思いながら私は目を閉じた。
クロードが訪ねてきてから数年後──。
噂好きの妹からたまに届く手紙によると、クロードの婚約者はまだ決まっていないという。
なんでも短期間に二人の女性と婚約破棄し、うち一人を離島に追放したのが尾を引いているそうだ。
たまにパーティーに招待されても、クロードとその背後霊のように取りついてくるクロード母は敬遠されているらしい。
どうやらマザコンは健在のようだ。
エマについてはクロードと婚約破棄した後、国を出たという。
そこから先はわからないが、隣国の治療院で聖女と讃えられている人物がエマに似ているらしい。
ちなみにケチャは島長に就任した。
離島では肌の黒さが勤勉さの証のため、一番黒いケチャが自動的に島長に選ばれた。
島の文化には時々ついていけないが、たまにはそういうことがあってもいいんじゃなかろうか。
そして私は、前世の知識を生かして農地を広げ、地引き網漁や貝の食用化などの改革をしていたら、いつの間にか「豊穣の女神」と呼ばれるようになっていた。
その噂は海を越えて遥か遠くの異国にまで届き、何故か各国の王族たちが毎日やって来るようになった。
最初は私の知識や技術が欲しいだけだろうと、請われた依頼や知識の譲渡をこなしていたのだが、王族たちの来訪は未だ続いている。
最近では仕事の依頼もなく、お茶を飲んで帰る王族ばかりだ。
察しが悪い私も、目の前でモジモジされたり大層なプレゼントをもらったりすれば、流石に彼らが好意を寄せてくれていることには気付く。
ケチャに『どこの王族でもいいから早く選んでやれよ』と急かされているが、私はいつもこう返している。
『もう嫁姑問題はコリゴリよ』と。
「は?」
……何言ってんのこの人。
思わずそう口に出しそうになって、キュッと唇をしめた。
危ない危ない。
今の私は追放された身とはいえ元伯爵令嬢だ。
そう易々と前世の自分を出すわけにはいかない。
そう。たとえ目の前にいるのが追放に関わった当事者であっても。
いろいろ言いたいことはあるが、それらをぐっと抑え込む。
「……クロード様、いったい何をおっしゃってるんですか?」
私は極力冷静に、求婚してきた男──クロード・モルガン公爵令息に、訊ねた。
「なにって、真実の愛を持つ女性はやはり君だったということさ。迎えにきたんだ」
クロードは熱っぽい視線を私に向け、キザったらしくその場に跪いた。
交通事故で死んだ私は、何の手違いか某有名乙女ゲームの悪役令嬢、イザベラに転生した。
一応、そのゲームをプレイ済みだった私は、主人公がクロードを攻略成功した場合、イザベラは離島に追放される運命にあると知っていた。
そのため、断罪イベントがあるまでの約八年間、精一杯イザベラとして頑張った。
しかし努力はついに実らず……追放されることが決まった。
それがついニヶ月前だ。
今、私がいるのはゲームの舞台である王国から、五日ほど船に揺られた先にある南国の島だ。
私はそこで、毎日畑仕事と釣りをして生計を立てていた。
そこへ主人公と結ばれたはずのクロードが現れて求婚してきたら、誰だって混乱するだろう。
紫外線のおかげでキューティクルを失い、ボロボロになった栗色の私の髪を、クロードは沈痛な面持ちでなでつけた。
「かわいそうに……こんなに肌も焼けて。きっとたくさん苦労したんだろうね」
確かに苦労はしたが、その苦労の一端を担ったのはクロード自身であることを彼は気付いているだろうか。
「大丈夫。王国に戻ったら優秀なエステティシャンが君を元の姿にしてくれるよ」
撫でていた髪をクロードはそのまま口元に寄せ、軽く口付けした。
そんな光景を、どこか他人事のように私は見つめていた。
なぜこの人がここに現れたのかは、なんとなく想像がつく。
「……クロード様、一つお伺いしてよろしいでしょうか?」
「ああ、なんだい?」
私のぼうっとした様子を、うっとりしてると勘違いしているのだろう。
クロードは余裕の笑顔で私の顔を覗き込んだ。
「……エマさんはどうされましたか?」
エマ、の一言で彼の表情が笑顔のまま固まった。
エマというのはこのゲームの主人公の名前だ。
平民出身だが、魔法の中でも珍しい回復魔法を使えるため周りから特別視されている。
その上、クロード以外のどのルートでも高貴な身分の攻略対象と結ばれる。
選択肢を大きく間違えなければ、玉の輿が約束された女性だ。
一方イザベラは、クロードルート以外では一行たりとも登場しない。
つまりイザベラが追放されるには、クロードがフリーな状態ではありえないのだ。
「……か、彼女は少し脆いところがあってだな、その……貴族の生活に馴染めなかったようだ」
言い淀むどころか明らかに動揺が隠しきれないクロードの様子に、私は確信した。
「そうでしたか。それは御可哀想に」
「そ、そうだろうそうだろう。思えば僕はあの時どうかしていたのだ。普通に考えれば婚約者の君が一番なのは分かっていたのに、あのような下賤な民を選んでしまうとは」
エマが可哀想だと言ったつもりなのだが、どうやらクロードには「憔悴したクロード様可哀想に」と聞こえたらしい。
「僕にはもう、君しかいないんだ」
そう言って私の左手を取ると、どこから取り出したのか指輪をはめようとした。
しかし、捕らえられた手をさっと抜き取ると、私は冷たい目でクロードを見下ろした。
「申し訳ございません。……私、今の生活が気に入ってますの。それに……」
クロードの後ろにいる人物に手招きした。
焼けすぎて黒光りする肌に、筋骨隆々な上半身裸の男性が、白い歯を覗かせながらこちらにやってきた。
私の二倍か三倍はあるだろうそのムキムキ体型に明らかに怯え始めるクロードを尻目に、私はにこやかな笑みを作る
「ご報告が遅れましたが、私、先日結婚いたしました。こちらは夫のケチャです」
紹介を受けて、ケチャは曖昧な笑みを浮かべながら軽く会釈をした。
ケチャの迫力に若干震えていたクロードは、顔を引きつらせながらもなんとか声を絞り出す。
「え、……あ……そー……なんですねぇ……にしてもちょっと結婚早すぎませんかね……?」
「ええ、私もびっくりしました。出会ってすぐ通じ合うなんてこと、あるんですね。……あ、そうそう、そういえばクロード様でしたね。そんなことをおっしゃっていたのも。あの時のクロード様のお気持ちが大変、よくわかりましたわ」
にっこりと笑う私の言葉に、クロードは「あ、まずい」という表情で、頬に汗を垂らし後退りした。
なぜなら「出会ってすぐに通じ合うなんてこと、あるんだな」というクロードのセリフは、断罪イベントの最後を締め括る言葉だったからだ。
もちろんそれは私に向けてではなく、その時夢中だったエマに向けてだが。
一方ケチャは、私とクロードの間にただならぬ雰囲気が漂うのを感じたらしく、クロードに向けて疑るような視線を向け始めていた。
「……そ、そーですか。……いいご主人みたいでよかったです……じゃ、僕はこの辺で……さようなら!」
「ええ、ごきげんよう」
私の言外の圧力に圧されたか、ケチャのプレッシャーに負けたのか、それともその両方か、クロードは転げるようにそそくさと去っていった。
その後ろ姿をにこやかに見送っていると、
『なあ、あいつ誰だ? なんの話してたんだ?』
とケチャが声をかけてきた。
『知り合いよ。たまたま観光に来たんですって。多分もう来ないわ。あ、あとケチャのこといい人そうだって言ってたわよ』
そう説明すると、ケチャは白い歯を見せニカっと笑った。
ケチャと少し話して別れたあと、私は帰宅した。
ログハウス調の小さな家で、私は現在一人暮らしだ。
シングルベッドも家具も、全部島に着いてから作ったものでとても気に入っている。
私はベッドに大の字で寝転んだ。
そう、私は結婚などしていない。
それどころかケチャとは恋仲ですらない。
穏便にお引き取り願うための小さな嘘だ。
ケチャの目の前で堂々と嘘をつけたのは、ひとえに離島と王国の言語が全く違うことにある。
たとえるなら日本語とフランス語くらい違う。
王国のある大陸からほとんど出たことのないクロードや他の貴族、私の両親でさえこの島の言葉は話せないだろう。
なぜ私がそんな言語を話せるかというと、話は八年前、ちょうどイザベラに転生したと自覚した頃に遡る。
イザベラに転生したと気付いた私は、それはもう大層慌てた。
最初の二年は、追放されないように淑女としての振る舞いやマナー、社交性などを必死に磨いた。
しかし、あることに気付いた。
クロードの屋敷に招かれた時も、散歩も、パーティーも、まるで監視されてるみたいに、そこにはいつもクロードの母がまとわりついてきたことだ。
こちらが何かプレゼントしようものなら「クロードちゃんの趣味と少し違うのだけど……あ、もちろんクロードちゃんは優しいから身につけてくれるわよ」と馬鹿にしたように笑うクロード母。
かと思えば、プレゼントをクロードからもらったら「さすが、クロードちゃんは趣味がいいわー。あなたもこういうのを用意しないと、ね?」と私を下に見る発言が多かった。
毎回毎回しょうもないマウントをとってくるクロード母と関わる中で、もし追放を免れたとしても嫁姑問題が勃発するのではと危惧した。
そこで私は、なんとかクロード母とうまくやれる方法を模索し始めた。
が、それも一年ほどで、クロードの協力がなければこの母子関係、ひいては嫁姑問題をどうにかすることはできないと気付いた。
そこから四年ほどは、クロードの再教育に奔走したのだが──結果は惨敗だった。
……クロードにいくら言っても、「君の考えすぎだよ」「母上も良かれと思って言ってるんだ」「君は将来この家に入るんだから、母上の言うことくらい聞いてくれよ」と、ダメ旦那ワードのテンプレオンパレードだったのよね。懐かしい。
考えてみれば、前世でこのゲームが有名だったのも、攻略対象の発するテキストに母親関連のエピソードが多すぎたからだった。
それはもう、製作陣全員のマザコン疑惑が持ち上がるほどに。
クロードのマザコンからの脱却失敗、そしてクロード母のマウンティングの強烈さに疲れ切った私は、ある結論に至った。
よし、追放される準備をしよう──と。
残りの一年、私はエマがゲーム通りにクロードに恋をしたのを確認した後、追放予定の離島の言葉と文化を密かに勉強し続けていた。
もちろんエマが他の攻略対象を攻略する可能性もあったが、私以外のほとんどの悪役令嬢が攻略対象にべったりでエマの入り込む隙はない。
逆に私にほったらかしにされたクロードは年中暇な上に、クロード自身も長年口煩く姑問題について私に言われたせいか、慕ってくれるエマに癒しを求めていた。
そんな二人がくっつかないわけがない。
そうして残り一年間、クロードそっちのけで勉強に励み、たまに悪役令嬢として活躍し、私は無事かいほ──追放されたのだ。
「でもやっぱりエマは逃げちゃったのかー……そりゃ当たり前だよね。あの強烈なお母さんと、庇ってもくれないクロードの板挟みじゃあね……」
私は髪の毛を指に巻き付けてはほどき、を繰り返した。
クロードがここに来たのも、エマに逃げられてクロード母に言われてのことだろうことは想像がつく。
ゲームでは結ばれて終了で、その後の結婚生活などは描かれていない。
エマならもしかしたらゲーム補正でモルガン家で上手くやれるのでは、という淡い期待もあったのだが、どうやら現実は厳しいらしい。
……ま、エマならクロード以上にいい人見つけられるわね。クロードが最低だったから尚更。
私は気を取り直して、ベッドの上で大きく伸びをした。
畑仕事後の疲労感が心地いい。
前世で田舎の農家だったのが幸いし、離島での暮らしも苦ではない。
むしろ転生してから一番充実しているのではないか、と思いながら私は目を閉じた。
クロードが訪ねてきてから数年後──。
噂好きの妹からたまに届く手紙によると、クロードの婚約者はまだ決まっていないという。
なんでも短期間に二人の女性と婚約破棄し、うち一人を離島に追放したのが尾を引いているそうだ。
たまにパーティーに招待されても、クロードとその背後霊のように取りついてくるクロード母は敬遠されているらしい。
どうやらマザコンは健在のようだ。
エマについてはクロードと婚約破棄した後、国を出たという。
そこから先はわからないが、隣国の治療院で聖女と讃えられている人物がエマに似ているらしい。
ちなみにケチャは島長に就任した。
離島では肌の黒さが勤勉さの証のため、一番黒いケチャが自動的に島長に選ばれた。
島の文化には時々ついていけないが、たまにはそういうことがあってもいいんじゃなかろうか。
そして私は、前世の知識を生かして農地を広げ、地引き網漁や貝の食用化などの改革をしていたら、いつの間にか「豊穣の女神」と呼ばれるようになっていた。
その噂は海を越えて遥か遠くの異国にまで届き、何故か各国の王族たちが毎日やって来るようになった。
最初は私の知識や技術が欲しいだけだろうと、請われた依頼や知識の譲渡をこなしていたのだが、王族たちの来訪は未だ続いている。
最近では仕事の依頼もなく、お茶を飲んで帰る王族ばかりだ。
察しが悪い私も、目の前でモジモジされたり大層なプレゼントをもらったりすれば、流石に彼らが好意を寄せてくれていることには気付く。
ケチャに『どこの王族でもいいから早く選んでやれよ』と急かされているが、私はいつもこう返している。
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感想ありがとうございます。