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5章.妹君と辺境伯は時を刻む

169.リーゼロッテは夜風に当たる③

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「マリー様は……フリッツ様と……」

「……婚約するのか、ですよね?」

 言い淀んだリーゼロッテの言葉の続きを、マリーはやや沈んだ表情で口にする。

 フリッツの求婚はまだ正式なものではない。

 断ろうと思えば断れる段階だ。

 聖女を解任されようが元聖女として市井に下り、活躍した者も少なからずいる。

 テオへの気持ちを考えると、マリーが取る選択は婚約の辞退しかあり得ない──と、リーゼロッテは考えていた。

 しかし、沈痛な面持ちのマリーは俯き加減に口を開く。

「……私には選択権がないのです。あの方がこう、と言ったら従うし、やっぱりこっちがいいと言ったら意見を変えないといけない。だから婚約してほしいと言われたら婚約……しなきゃならない……」

「そんな……」

(そんな、言う通りにしなければならないって……)

 涙を堪えながら声を絞るマリーに、リーゼロッテは締め付けられる思いだ。

 熱のこもった息を吐くと、マリーは自重気味に続ける。

「聖女解任は嬉しかった……でも解任されたら聖殿にはいられなくなる。テオドール様にももう、二度と会えなくなる。だからって城にいたいがためにフリッツ様と結婚するのも……」

「マリー様……」

「あはは、私……どうしたらいいんでしょうね……」

 力なく項垂れたマリーに、リーゼロッテはかける言葉が見つからない。

 マリーがフリッツの言いなりになっている理由はわからない。

 聖女と聖女付きの関係性から来るものなのか。

 それともそうしなければならないとマリーが思い込んでいるだけなのか。

 何も分からないままに、無責任な慰めなど口にできるはずがなかった。

 何故、と聞けば答えてくれるだろうか。

 安易に踏み込めばただ悪戯に傷つけてしまいそうで、理由を聞くのは躊躇われた。

「リーゼロッテ様は……辺境伯がお好きですか?」

「えっ!」

 急に槍玉に上がったリーゼロッテは裏返った声を上げた。

 顔を上げたマリーは少し悲しそうに微笑んでいる。

「だって辺境伯のことを話す時は表情が全然違うから」

 くすり、と笑う声が聞こえる。

 学院の同級生とはいえ、マリーとは初対面にも等しい。

 そんな彼女にすら見破られてしまうとは、自分はどれだけ締まりのない顔でユリウスのことを語っていたのかとリーゼロッテは赤面した。

「……………はい……」

 観念したように頷く彼女を、マリーはしばらく儚いものを見るように眺めていた。

「……離れるのはお辛かったのではないですか……?」

「それは……」

 マリーの問いに、リーゼロッテは答えに詰まった。

 正直に話すべきか、正直に話せば神官やフリッツの耳に届いて不敬だと思われてしまわないか、と思考を巡らせる。

 しかし、目の前のマリーの紅の瞳は暗がりの中でも真っ直ぐに、そしてどこか縋るようにリーゼロッテを捉えている。

「……はい。できることならば離れたくはなかったです……ですが自分で決めたことです。辺境伯も……それを認めてくださった。だから私は……自分の意思でここにいます」

「……自分で」

 マリーは噛み砕くように反芻すると、法衣で隠れた腹部を触った。

 彼女のきめ細やかな白い腕は、法衣に皺が寄るほど強く腹部を押さえている。

 どことなく悲壮感があふれるその表情に、リーゼロッテは会食の時のマリーを思い出していた。

「……辺境伯はリーゼロッテ様のご意向を尊重する素敵な方なのですね」

「……あの……」

 弱々しく微笑んだマリーに、リーゼロッテは躊躇いがちに声をかける。

 夜の闇が漂う中ではマリーの顔色は分からないが、それでも先ほどより血色が良くないことは分かる。

「マリー様、お腹……痛むのですか?」

「え……?」

 リーゼロッテの指摘に、マリーは微かに目を見開く。

「先ほどの会食でも途中から撫でていらしたので……それに、少し顔色が優れませんが」

「大丈夫です」

 語気を強く言い放ったマリーは、顔と腹部を見せまいと身を翻した。

 弾かれたように後ろ手をついたリーゼロッテに、一瞬申し訳なさそうな視線を向けたマリーはベンチから立ち上がる。

「……少し夜風に当たりすぎたのかもしれませんね。部屋に戻ります。あの、さっき私が話したこと、忘れてください」

 ごめんなさい、と逃げるように立ち去るマリーの後ろ姿を、リーゼロッテは心配そうに見つめていた。

(大丈夫……でしょうか……?)

 変わらず飛沫を上げ続ける噴水の音が、朧月夜にそぐわぬ雑音のように響いた。
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