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2章.妹君と少年伯は互いを知る
34.妹君は驚嘆の声を上げた
しおりを挟む玄関ホールで待ち受けていた人物、それは彼女にとって予想外の人物だった。
「お久しぶりでございます。……リーゼロッテ様」
「……ダクマー……?」
リーゼロッテは一瞬怯えたように身を縮めると、ダクマーはその大きな口を引きつらせるように笑った。
ダクマーは元リーゼロッテ付きのメイドである。
その立場を利用して、今までリーゼロッテへ嫌がらせをしていた。
元はディートリンデ付きだったのだが、「口が気に入らない」という理由で外された経緯がある。
ダクマーはゆっくりと、震える彼女に近づいた。
「……随分とお元気そうで、何よりですわ。すぐに追い出されてしまうかと、私ご心配申し上げておりました」
「ど、どうしてここに」
「どうして? ふふふ……ディートリンデ様の使いですわ。考えなくてもお分かりでしょうに」
蔑むような笑い声が響く。
頭痛がその痛みを主張するようにジワジワと疼き出す。
ディートリンデの名前が出たところで、リーゼロッテは身体を強張らせた。
美しさの中に狂気がある彼女と、容姿に難があり底意地の悪さが滲み出るダクマーは全く違うというのは理解している。
それでも彼女の使いと言われると、否が応でもダクマーに彼女の影がちらつく。
ダクマーはディートリンデ同様、リーゼロッテに対してだけ、横柄な態度を取っていた。
無視や罵倒、皮肉など当たり前。
それでいて他の者の前では、出来の悪い主人を甲斐甲斐しく世話するメイドを演じていた。
「……あら、素敵なお召し物をお召しなのですね。ふふふ……こちらは辺境伯のご趣味かしら……?」
ダクマーはわざとらしくリーゼロッテの袖口を持つと、笑いながら侮蔑の表情を浮かべた。
「こ……これ、は……」
「さすが、リーゼロッテ様はお美しくあらせられますね。髪型も随分と自由にさせていただいているようで。その美貌とお身体で辺境伯を虜にされたのでしょうね」
「ち、違います……」
リーゼロッテは俯き、否定した。
口答えされたことに苛立ったのか、ダクマーは袖口を握る力を強める。
「……しかし、ボニファーツ様と婚約破棄されたそばから他の男性に媚びるなど、王太子妃を輩出しようというハイベルク家に泥を塗ることになりますわ。ただでさえリーゼロッテ様が罪を素直にお認めにならないことで、ディートリンデ様にご迷惑をおかけしているのに」
「わ、私は……やっておりません……っ」
「あんただろ!」
突然のダクマーのドスのきいた大声に、リーゼロッテは身体をびくんっと震わせた。
それと同時にダクマーは力の限り袖を引きちぎった。
破れた肩口から、リーゼロッテの白い肌があらわになる。
慌てて彼女は隠そうとするが、ダクマーがそれを許さない。
にぃ、と気色の悪い擬音が聞こえてくるような薄い笑みを浮かべている。
「……あら、申し訳ございません。ですが、リーゼロッテ様が悪いのですよ? 急に動かれるから……」
「……は、離してください……」
「いえ、そういうわけにもいかないですわ。今日伺ったのは呑気にお話しをするためではないのですもの」
そう言って、ダクマーは肩から下げた鞄から手のひらほどの小箱を取り出した。
(あの、小箱は……!)
リーゼロッテは息を呑む。
頭痛は先ほどよりもずっと激しく、まるで頭の中に大きな鐘がガンガンと鳴っているような錯覚さえ覚えるほどに酷い。
彼女の表情に満足したように、ダクマーは耳まで届くほど口端を上げた。
「こちら、ディートリンデ様からですわ」
ダクマーは差し出した小箱をぞんざいな仕草で開けた。
(やはり……!)
「お、母様の、指輪……!」
中に入っていたのは、亡き母が彼女に遺したはずの翡翠の指輪だった。
──彼女がハイベルクの屋敷を出る日に無くしたはずの。
「返してください……! それは私の……お母様の形見ですっ」
指輪に伸ばしたリーゼロッテの手は宙を薙いだ。
ダクマーが小箱を持つ手を遥か頭上に挙げたからだ。
悲痛な叫びに、ダクマーの笑みが深くなる。
「何をおっしゃってるんですか? これはディートリンデ様からの贈り物ですわ」
「そんなっ……」
「ディートリンデ様は、御当主から妹君への仕打ちに大変心を痛めておいでです。そこで、前々からリーゼロッテ様が欲しがっておられたこの翡翠の指輪を、励ましのためにお贈りしようと思われたのです。……亡きお母様の指輪を見せれば、きっと良心の呵責に駆られて聖女様迫害の罪を素直にお認めになられる、と」
「……そんな……」
リーゼロッテはその場にへたり込みそうになった。
もはや顔は真っ青で、胃の中のものが喉の辺りまで迫り上がってきている。
『お前が罪を認めれば、この指輪は返してやる』──ダクマーとディートリンデはつまりそう言っているのだ。
取り引きの材料として亡き母すら利用する姉に、リーゼロッテは心底肝が冷える。
いや、姉の皮をかぶった得体の知れない何かのようにしか思えなくなっていた。
(罪を……認めれば、お母様の形見は返してもらえる。認めなかったら、きっと……利用価値のないものとして捨てられてしまう……)
罪を認めれば、すぐにでも処刑台に送られるだろう。
唇をきゅっとしめた。
シュヴァルツシルトに来てからの毎日が思い出される。
怖いと思っていたが、豪快に笑うデボラ。
気配なく近づいてくるが、意外と人懐こいロルフ。
素っ気ない態度だが、本当は優しいザシャ。
そして──彼女に居場所を与え、見守ってくれたユリウス。
彼らとの思い出はリーゼロッテの冤罪ばかりの人生の中で、初めて心から楽しいと思えるものだった。
本音を言えば、客人が王家からの使いでなくてホッとしていた。それが来るということは、ここにいる意味が完全になくなるということだったから。
(……でももう十分。本来迫害されても仕方がない私などが、こんな優しくて温かい環境にほんの一瞬でも受け入れてもらえた。それだけで、もう……)
リーゼロッテの目に仄暗い諦めの色が宿る。
激しい頭痛で彼女の視界はチカチカと暗転と明転を繰り返していた。
「……分かりました。罪を」
「何をしている」
彼女の言葉は何者かによって中断された。
二人は驚きの声すら発せず、声の方向──階段の上を見る。
腰までの白い長髪を細い髪紐で結い、彼女らに向ける鋭い紫電の瞳は少々の怒気を孕む。
階段の踊り場に佇むその青年の姿に、リーゼロッテは思わず「ユ……リウス……様……?」と声を上げた。
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