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一章

3話

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 それから、二年の月日が瞬くように過ぎた。その間俺はこの世界について学んだ。本を読んで何かを知るってことは前世の頃から割と好きだった。とは言っても、この家にある数少ない蔵書と母や村人の話からだけだったから物足りなかった。

 文字は何故か問題なく読めた。これも闇神の力の一端なのだろうか? 魂が一緒なのだからそれも有り得る。

 この世界の人々は自分らの住むこの星をアルカナムと呼んでいるらしい。一応、球体の星の上に大地と海があるという概念は存在しているみたいだ。

 で、俺が今暮らすのは、ミドガルズという世界の中心とされる大陸の中部、エレスティア共和国って国の南東の隅っこの方にあるシュヴァルツ村。村の北と東には、廻冥かいめいの森と言う大森林が広がっている。

 その昔、冒険者だったこの村の村長レオナルド・グリンヴェルが、下級貴族の爵位を得ると共に元の領主の貴族から買い取った村らしい。

 ってことは、あの村長、村長じゃなくて領主様じゃないか。下級とは言え貴族の爵位を貰ったってことは、冒険者としてはかなり実績があるんだろう。あの成りで、人は見かけによらないってことか。

 ファンタジー世界でよく聞く冒険者って、この国、この大陸にも稼業があるらしい。依頼を受けて魔物を討伐することもあれば、未解明の遺跡や洞窟へ潜って様々な宝を発見して稼いだりもする。また、一度戦争が起これば傭兵として雇われることもあるそうだ。危険と隣り合わせの職だが、平民が莫大な富を築くほぼ唯一の可能性としてその成り手に事欠かないらしい。また国を跨いで旅が出来たりと、権力争いに嫌気が差した貴族なんかも自由を求めて冒険者をやってたりもするって話だ。

 ここエレスティア共和国は、冒険者への身分保障が固く、レオナルド村長のように実績次第で貴族にもなれたりする。また、家無しとか社会の落伍者とか、他国のように差別的な向きで見られることも少ない。その為、冒険者稼業が世界で最も盛んで、「冒険者はエレスティア一番の品」なんて言われたりもする。

 あと、エレスティアは共和国っていうぐらいだから共和制で、国家元首は選挙で決まる。選挙権、被選挙権は貴族にしかないが、その貴族には平民でも冒険者の実績次第でなれたりもする。これもこの国の冒険者の多さの大きな理由だ。実際、三代前の元首は元平民の冒険者だったらしい。


「ねえ、母さん。俺もっと本が読みたい」

 ある日、俺は家の外で洗濯をする母ライカへ言ってみた。母は長くクセのかかった髪を頭頂でお団子に束ねて上げていた。その特徴的な角はお団子の髪の中だ。彼女はこうして角を隠していることが多い。見られると色々と不都合があるからなのだろうが、詳しい理由はまた聞いてみるとしよう。

「なに、本だって。流石、アタシの天才!」

 そう言って母が俺を抱き上げる。感極まるとこの人がやるいつものパターンだ。それからは、そのデカイ胸の谷間に俺の顔を埋もれさせるか、スベスベ肌の頬ずりかの二択だ。今日は後者だった。

「ついこの間までアタシの乳吸ってたのに、知性は父さんの方へ似たのかね」

 乳……はい、吸ってました。しょうがないだろ。赤子の食事だよ、食事。精神が思春期の俺には、毎度々々刺激が強過ぎたが。

「父さん? 父さんも本が好きだったの?」

 今世の父については知らないことが多い。俺が生まれる前に死んだらしいことは母から聞いたが、何故かそれ以外のことはあまり話したがらない。

「うん……まあね。一応魔法使いの端くれだったからね。それより本だろ。レオナルドのとこに沢山あると思うよ。早速、連れてってやるよ」

 と言うと、母ライカは俺を抱えたまま歩き出した。恥ずかしいから自分で歩けるよって抵抗してみたけど……。

「天才様を、長い距離歩かせる訳にはいかないだろ」

 ニッコニコで嬉しそうに言うもんだから、それ以上何も言い返せなかった。

 なんて言うか、俺の今世の母親は親バカだ。いつでも俺を天才扱いするし、ボディタッチもやたら多い。子供が小さい時の母親ってみんなこんなもんなのかな?

 道中、村人達から怪しげなものを見るような、微笑ましい親子の光景を見るような、そんな不思議な視線を受けた。俺は唯々恥ずかしかったけど、初めて訪れる場所への期待にワクワクもしていた。

 村長レオナルドの家は、村の西部にあった。元はそこが村の中央だったらしいが、森林を東へ切り拓き村が拡大していった為、今のような位置になった。村長(本当は領主だけど)の家らしく村で一番でかい。他の家にはないガラス窓まである。

「おーい、レオナルドいるかい? 入るよ」

 母ライカは返答を待たずに家戸を開けて中へ入った。こういうとこあるんだよな、うちの母さん。無遠慮且つ大胆だ。

「わっ」

 戸を潜るとそこはすぐに居間だった。小さな叫びと共に、物陰へ隠れる何かが一瞬見えた。それに遅れてバタバタと本が床に落ちた。早速目的のものを見付けた。読みかけホヤホヤだけど。

「アディかい。ちょっと邪魔するよ。レオナルドは……留守みたいだね。今日は息子も連れて来たんだ」

 そこでやっと俺は母の腕の中から解放されて地へ足をついた。

「ライカ姐さん?」

 そう恐る恐る物陰から出て来たのは、小さな女の子だった。歳は俺と同じ頃か、少し上か。おかっぱボブで丸っこい顔だ。眼が顔の半分を占めてるんじゃないかって思うほど大きい。

「母さん。この子は?」

「この子はアディ・グリンヴェル。村長レオナルドの娘さ」

「え? 村長って独身じゃなかったっけ?」

 昔村長は結婚してたらしいが、冒険三昧の夫に愛想を尽かして奥さんに逃げられたって聞いたことがある。

「養女ってやつだよ。ある日村の入り口で一人で立ってたこの子を、レオナルドが保護したのさ」

 そんなの知らなかったな。まあ、俺はほとんど家の外出ないし、この歳だし、村の情報には疎い。

「ふーん」

 アディを見ると何故か敵意のこもった鋭い視線が返って来た。

「……えっと、俺、何か悪いことしたかな」

「少し人間不信気味なのさ。レオナルドとアタシ以外には、懐いていないみたいだしね。安心しなよ。いい子だから」

 母さんは、アディの頭を髪の毛が跳ね上がるほど乱暴にガシガシと撫でた。この乱雑さが良かったのか、大きな眼の幼女の表情が柔らかくなっていく。

(その娘、中々面白い)

 突然俺の頭の中に声が響いた。闇神か。なんだよ、俺の脳内の時間をいじらなくても、語りかけることが出来るのかよ。ビックリして声を上げそうになってしまった。

(どうして? この子に何かあるの?)

 俺も頭の中で闇神へ言葉を返した。

(そのうち分かる。仲良くしておくことだ)

 言われなくても、その努力はしてみるつもりだ。しかし、闇神が興味を示す女の子か。何があるのか、俺も興味が湧いて来た。

「アディ、お願いがあるんだ。アタシの子リデルにも本を読ませてやって欲しいんだ。いいかい?」

 母は屈んでしっかりアディの目線へ高さを合わせて話した。

「うん。その子も文字読める?」

「ああ。アディと同じで、リデルも天才だからね」

 ってことは、アディもこの歳の頃で文字を読めるのか? 床に散乱した本もこの子がさっきまで読んでたものってことか。それは驚異的だぞ。俺は、闇神が宿っているからチートだけど、この子は本物の天才児かもしれない。闇神が興味を示す理由はこれか?

「……そっか」

 アディが俺を見る。敵意は薄れたみたいだけど、警戒は解いてないのかな。なんだかチクチク感じる。

「書庫こっち」

 アディがついて来いとばかりに歩き出した。俺はそれに従った。数歩進んで俺は後ろを振り返ると、母さんが腕組みして暖かな眼差しで立っていた。あれ? 親バカ過保護ライカさんがついて来ないぞ。それどころか「ほら、行ってきなよ」とばかりに一度顎しゃくった。やっと、俺に自律の一歩を踏ませてくれるつもりなのか。嬉しいのもあるけど、母の温もりが側にない薄ら寒さも感じる。

 村長の家の書庫は、広めの一室という感じだった。現代日本人に分かり易く言うと、十畳間程度の広さだ。その四方の壁が木製の本棚になっていて、部屋の中央にも二列本棚が設置されている。そこへビッチリと本が並んでいた。

「こっちが歴史書。こっちが生物、植物……」

 アディが本棚を指差して言った。ぶっきら棒だけど、ちゃんと教えてくれる。何千冊はあるかって蔵書だ。背表紙にタイトルがない本も多い。有り難い。

 それにしても、この世界のこの時代の文明レベルが地球の中世ヨーロッパ並だったとしたら本は貴重品のはずだ。それをこれだけ揃えるだけでも結構な財力だろう。田舎とはいえ、レオナルドさんは貴族の領主様なんだ。

「こんなに本持ってるなんて、レオナルドさんってすごいんだね」

 俺は子供らしく感嘆して見せた。

「レオ父さんは、冒険者に必要な知識を集めたって言ってた」

「へぇ……」

 村長は冒険者の育成でもしてるのかな?

「こっちのは魔法書」

 アディは、観音開き戸付きの本棚を指差した。その取手には頑丈そうな錠前が掛けられている。

「魔法書は貴重」

 ボソリとアディが言った。なるほど、だから鍵付きの本棚に仕舞ってあるってことか。

「アディは魔法書読んだことあるの?」

 俺の問いにアディは首を横へ振った。

「他の本全部読んだら、見せてくれるって」

「そっか。どれくらい読んだの?」

「まだ、半分くらい」

「え? 半分も!」

 驚きの声を上げる俺の顔を、アディは不思議そうに見た。なんでそんなことで驚くのとでも言いた気だ。

 俺は何冊か本を手に取ってパラパラとめくってみる。子供向けの絵本なんて無さそうだ。どれも専門書然としている。それをこの歳で、蔵書の半分も読破したのか。嘘じゃないよな? 

「この村の近くの生態系を知りたいんだけど」

 少しだけ試してみるか。

「それなら、これがお薦め。『ヘルムズ地方の動植物と魔物』クロム・クローゼ著。著者は生物学者でありながら五つ星冒険者でもある、異色の人。この人の本はとても読み易くまとめられてる」

 アディが瞬時に一冊の本に手を伸ばした。

「お、うん。ありがと」

 俺はアディが手渡してくれた本をめくってみた。確かにこの地方の動植物と魔物の生態について書かれている。しかも図解付きで、文体も簡潔で読み易い。

 この子はやはり天才児だ。この本に書いてある文字を読んでいるだけじゃなく、内容を理解している。こんな子が一人でこの村へやって来たのか。どんな出自の子なのか気になる。俺の前世の地球で知能指数を測ったら、とんでもない値が出そうだ。

「じゃ、アディは向こうの部屋で本読んでる」

 アディはそう言うと、俺を残して書庫から出て行った。頭良くてぶっきら棒なのに、一人称は自分の名前なんだな。ちょっと可愛い。

 それじゃ、何から読もうかな。これだけあると迷う。俺はとりあえずアディから薦められた本から読むことにした。

 この書庫の本を全て読破するのにどれだけかかるだろうか? 確実に言えるのは、アディよりもずっと遅くなるってことだろう。

  

 
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